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第18話 セレスの施術

 その日の午後。


 アークベル邸の一室は、穏やかな静けさに包まれていた。

 窓からは中庭が見え、白薔薇が風に揺れている。


 施術台のそばに座るのは――セレス。

 長年、令嬢エリシアの影武者として生きてきた少女。

 今、その瞳には「自分」という言葉の重みが宿り始めていた。


「……自由」


 小さく呟く。


「私は、自由になったんですね」


 だが、その声にはまだ、かすかな震えが混じっていた。

 その姿を俺たちは見守っている。


「セレス、入ってもいい?」


 廊下からの声に、セレスが顔を上げる。


「はい、どうぞ」


 扉を開けると、エリシアが入ってきた。

 病を癒やしたエリシアは、もう立って歩ける。

 その姿を見て、セレスが思わず微笑んだ。


「お嬢様……」


「もう様はいりません」


 エリシアは穏やかに微笑む。


「今度は、あなたが癒やされる番です」


 俺は椅子を引いて、セレスの前に座った。


「セレス。お前の霊体を、もう一度診せてほしい」


「……まだ、何か残っているんですか?」


「ああ。エリシアとの霊体の結びつきは解けた。だが――」


 俺は霊体視界を開いた。

 セレスの霊体――金色に近い柔らかな光。

 だが、その表面に、薄紫の膜のようなものが重なっている。


「――変身の残滓が、まだ残っている」


「残滓……」


「長い間、エリシアの姿を被り続けた。その痕跡が、お前の霊体に染み付いている」


 セレスは自分の手を見つめた。


「これも……お嬢様の影……?」


「いや。これは、お前自身が作った仮面だ」


 俺は静かに言った。


「お前は長い間、誰かの代わりを演じてきた。その癖が霊体に残っている」


 セレスの目が揺れる。


「今のお前は、変身できないんじゃないか?」


「……はい」


「このままだと、お前は――本当の自分を見失う」


 セレスは俯いた。


「でも……怖いんです」


「何が?」


「仮面を脱いだら……何も残らないんじゃないかって」


 その声は、かすかに震えていた。


「私はずっと、お嬢様の代わりだった。お嬢様の影として生きてきた。だから――本当の私なんて、いないんじゃないかって……」


 ミナがセレスの手を握った。


「そんなことない」


「ミナさん……」


「あたしも、昔――マーサ婆ちゃんに拾われたとき、迷惑かけちゃダメって思って、ずっと我慢してた」


 ミナの声が優しい。


「でも、ユージが教えてくれたの。我慢しすぎるな。お前はお前でいいって」


 リーネも頷く。


「あたしも、冒険者のパーティで――ずっと明るく振る舞ってたにゃ。本当は辛いのに、笑ってたにゃ」


 リーネの尻尾が揺れる。


「でも、ユージさんが言ってくれたにゃ。無理しなくていいって」


 セレスの目に、涙が滲んだ。


「……二人とも」


「だから、大丈夫」


 ミナが微笑む。


「セレスさんも、きっと――本当の自分を見つけられるよ」


 セレスは二人の手を握り返した。


「……ありがとう」


 俺は頷いた。


「じゃあ、始めよう。お前の仮面を、剥がす」


 ◇


 セレスが施術代に横になる。

 俺はその背後に回り、肩に手を翳した。


「力を抜いて。そして――何も考えなくていい」


「……はい」


 霊体視界を開く。

 金色の光の表面に、薄紫の膜。

 これが、変身の残滓。


(これを、一枚ずつ剥がしていく)


 まず、軽擦法。

 肩から背中へ、掌をゆっくりと滑らせる。


「んっ……」


 セレスの息が、かすかに乱れる。


「そこ……何か、剥がれていく感じが……」


「ああ。お前を縛っていたものが、離れていく」


 俺は按圧法に切り替えた。

 肩甲骨の下、滞りの中心を押す。

 三秒押して、二秒離す。


「あっ……」


 セレスの声が、わずかに高くなる。

 薄紫の膜が、少しずつ剥がれていく。


 ◇


 部屋の隅で、ミナとリーネとエリシアが見守っている。


 ミナが小さく呟く。


「……セレスさん、苦しそう」


 リーネが尻尾を抱きしめる。


「でも、ユージさんを信じるにゃ」


 エリシアが手を胸に当てた。


(どうか……彼女を救って)


 ◇


 俺は摩法で、背骨に沿って掌を滑らせた。

 熱を帯びた光が流れ、膜が溶けていく。


「はぁ……はぁ……」


 セレスの息が荒くなる。


「苦しいか?」


「いえ……苦しくないです。ただ――」


 セレスの声が震える。


「――怖いんです」


「何が?」


「この下に……何もなかったら」


 俺は手を止めた。


「セレス」


「……はい」


「お前は、何もない器じゃない。お前の中には――ちゃんと、お前がいる」


 掌をセレスの背中に置く。


「それを、今から見せてやる」


 俺は深く息を吸い、最後の一押し。

 両掌で背全体を包んだ。


 光が淡く脈打ち、室内に温かな気配が満ちる。

 薄紫の膜が――音を立てて、剥がれた。


「あああっ……!」


 セレスの身体が、弓なりに反る。


 そして――金色の光が、まばゆく輝いた。

 膜の下から現れたのは、純粋な金色の霊体。

 美しく、温かく、優しい光。


「……これが」


 セレスが、震える声で呟く。


「……私?」


 そのとき――

 セレスの身体が、淡く光り始めた。


「……え?」


 ミナが目を見開く。


 セレスの銀髪が、根元から金色に変わっていく。

 瞳の色が、青から琥珀色へ。

 顔立ちも、エリシアに似ていた面影が薄れ――

 別の、柔らかな輪郭が現れた。


 そして――


 セレスの額に、淡い金色の紋章が浮かび上がった。

 目の形をした、小さな印。


「わあ……!」


 リーネが息を呑む。


「セレスさん……金髪にゃ……!」


 エリシアが、驚きと喜びの表情で立ち上がった。


「……これが、本当のあなた」


 セレスは、震える手で自分の髪を触った。


「……金色?」


「ああ」


 俺は頷いた。


「変身の残滓が完全に剥がれた。これが、お前の本来の姿だ」


 ミナが駆け寄り、セレスの手を取った。


「セレスさん、すっごく綺麗……! 額に、何か光ってる……!」


「これは……」


 セレスが額に触れる。


「シェイプシフターの印……」


「鏡を」


 エリシアが、手鏡を差し出した。


 セレスは、恐る恐る鏡を覗き込んだ。


 そこに映っていたのは――

 金色の髪、琥珀色の瞳。

 額には、目の形をした金色の紋章。

 そして、よく見ると――瞳の虹彩が、二重になっている。


 柔らかな輪郭、優しげな面立ち。


 誰かの代わりではない。

 ただ一人の、セレス。


「……これが」


 セレスの頬を、涙が伝った。


「……私?」


「ああ」


 俺は手を離した。


「これが、お前だ。誰の代わりでもない――セレス、お前自身だ」


 セレスの頬を、涙が伝った。


「……私」


 声が震える。


「私は……いたんだ」


 涙が、止まらない。


「ずっと、いなくなったと思ってた。でも――ちゃんと、いたんだ」


 セレスは両手で顔を覆った。


「ああ……ああ……」


 嗚咽が漏れる。


 ミナが駆け寄り、セレスを抱きしめた。


「大丈夫。セレスさんは、ちゃんといるよ」


 リーネも、そっと背中を撫でる。


「泣いていいにゃ。嘘を脱ぐって、痛いもんにゃ」


 エリシアもそばに膝をつき、セレスの手を握った。


「ありがとう……生きてくれて」


 セレスは、三人に抱きしめられながら、泣き続けた。


 ◇


 しばらくして、セレスが顔を上げた。

 目は赤く腫れているが、その表情は穏やかだった。


「……ありがとうございます」


 その声には、もう影のような響きはなかった。


「額の印……これは?」


 セレスが鏡を見つめる。


「シェイプシフターの印であり証です」


 セレスが答えた。


「視る者の眼――変身能力の証なのです。本来の姿に戻ったから、再び現れたんですね」


 セレスが額に触れる。


 紋章が、まるで瞬きするように淡く明滅した。


「私たちは、本当の姿と、変身後の姿――両方を、同時に視ることができる種族なんです」


 セレスが琥珀色の瞳を見開く。

 その虹彩が、二重になっているのが分かる。


「でも、私は長い間――その力を、使えませんでした」


 絡まり合った魂。それが変身能力を妨げていたのか。


「これから、どうする?」


 俺が聞くと、セレスは窓の外を見た。


「……まだ、分からないです。でも――」


 セレスが微笑む。


「――これから、探していきたいです。本当の私を」


「そうか」


 俺は頷いた。


「なら、一緒に来るか? ファングレストに」


「……!」


 セレスの目が見開かれる。


「いいんですか?」


「ああ。ユージ堂は、いつでも開いてる」


 ミナが頷く。


「セレスさん、来てほしいな」


 リーネも尻尾を振る。


「一緒に、看板娘やるにゃ!」


 エリシアが静かに微笑む。


「あなたの居場所は、もうここじゃない。あの街で、あなたの光を」


 セレスの目に、また涙が滲んだ。


「……はい。ぜひ、連れて行ってください」


 窓の外、白薔薇の花びらが風に舞った。


(嘘を脱ぐのは、痛い。でも、その先には――本当の自分が待っている)


 〈第18話 完〉


【次回予告】


 別れの朝。

 エリシアが、セレスに髪飾りを託す。


「あなたの時間は、本物です」


――次回

第19話「別れと髪飾り」

おじさん、少女たちの新たな門出を見守る。


 ここまで読んでいただいてありがとうございました。


 よろしければブックマークと評価【☆☆☆☆☆】の方、何卒よろしくお願いします。

 作者が物語を続けていく上でのモチベーションがとてもあがります!


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