第17話 解放の直訴
翌朝。
アークベル邸は、騒然としていた。
病弱で立つこともできなかった令嬢エリシアが、自力で歩いている。
召使いたちは信じられぬ様子で噂し合い、執事セバスチャンは震える手で当主へ報告に走った。
「旦那様! エリシア様が――」
「何?」
深紅の外套をまとったアークベル卿――レイモンドが、執務室から飛び出してきた。
「エリシア様が、お立ちになられました!」
「……何だと?」
レイモンドは信じられない表情で、エリシアの部屋へと駆けた。
◇
エリシアの部屋。
窓辺に立つ、白い寝衣の少女。
朝日が差し込み、その姿を淡く照らしている。
俺たちはエリシアに言われ、部屋の隅で控えていた。
これからはじまることを見ていて欲しいと言われて。
バタン、貴族の屋敷にあるまじき、大きく音を立てて扉が開く。
同時に部屋にこの屋敷の当主、エリシアの父親レイモンド郷が飛び込んできた。
「エリシア……?」
慌てたように部屋に踏む混んでくるレイモンド。
その視線はまっすぐに愛娘に注がれ、俺たちには全く向いていない。
――それもそうか。彼の気持ちもよくわかる。
そして、エリシアの姿を見たレイモンドが、息を呑む。
「お父様」
エリシアが振り返った。
その瞳には、強い意志が宿っていた。
「見てください! 私立てるようになりました!」
「本当に……お前が……」
レイモンドは娘の前に歩み寄り、その肩に手を置いた。
「奇跡だ……」
声が震えている。
「いいえ、お父様。これは、あの方――ユージ様と、そして――」
エリシアは、部屋の隅に立つセレスを見た。
「――セレスのおかげです」
レイモンドの表情が、わずかに曇る。
「……ユージ? 誰だ、それは」
「ファングレストの整体師です」
エリシアが静かに答える。
「霊体マッサージという技で、私とセレスを癒やしてくださいました」
「ファングレスト……?」
レイモンドの顔色が変わる。
「獣人の街の者を、この屋敷に入れたのか!?」
「はい」
エリシアは、父を真っすぐ見つめた。
「私が、お願いしました。お父様には内緒で」
「何だと……?」
「私は、セレスを救いたかったんです。長年の変身で、彼女の霊体は限界でした。でも、人族の治癒師では診られない。だから――」
エリシアの手が、震える。
「――ファングレストの、異種族を診られる方にお願いしたんです」
「勝手なことを……!」
レイモンドの怒声が響く。
「獣人など、信用できるものか! お前に何かあったらどうする!」
「でも、お父様。私は――」
エリシアは、自分の両足を見つめた。
「――こうして、立てるようになりました。ユージ様は、自分のことは諦めていた私まで、救ってくださったんです」
レイモンドは言葉を失った。
エリシアは、深く息を吸った。
「お父様。お話があります」
「……何だ」
「セレスを――彼女を、解放してください」
静寂。
レイモンドの目が、見開かれる。
「何を……言っている」
「私はもう、彼女の力を必要としません。これからは、自分の足で歩いていけます。だから――」
エリシアの手が、震える。
「――どうか、彼女を自由にしてあげてください」
「……それは、認められない」
レイモンドが、静かに首を振る。
「彼女には、まだ契約が残っている。恩を返し終えるまでは――」
「でも、お父様!」
エリシアの声が、部屋に響いた。
「彼女は、もう十分に――」
「エリシア」
レイモンドの声が、部屋を制する。
「これは、我が家の問題だ。お前が口を出すことではない」
レイモンドははじめて気がついたように、部屋の隅に佇む俺たちに目を向け、叫んだ。
「セレス! こちらへ来なさい!」
◇
部屋の隅で待っていたミナとリーネが、窓際の親娘の会話に耳を澄ましている。
「……お嬢様、頑張ってるにゃ」
リーネが小さく呟く。
「うん……」
ミナは拳を握りしめた。
(あたしも――何かできることは……)
そのとき、レイモンドがこちらに振り返り叫んだ。
「セレス! こちらへ来なさい!」
レイモンドの怒声が響く。
ミナとリーネが顔を見合わせる。
◇
部屋の中。
レイモンドが、セレスとエリシアの前に立っている。
その表情は、怒りと戸惑いが入り混じっている。
「セレス……お前は何を考えている」
「……申し訳ございません、レイモンド様」
セレスが、静かに頭を下げる。
「ですが、私はもう――影武者として、エリシア様の代わりを演じることはできません」
「契約を破る気か!」
レイモンドの怒声が響いた。
「お前は私に救われ、この屋敷で守られてきた。その恩を忘れたのか!」
「違います!」
思わず、といった風にミナが、レイモンドの前に飛び出した。
「獣人の小娘……!」
レイモンドが吐き捨てるように言う。
「お前たちが、勝手なことを……!」
「あたしは、ミナ! ユージの助手!」
ミナは、小さな身体で貴族の前に立った。
耳を立て、牙を剥く。
「セレスさんは、恩知らずなんかじゃない! ずっと、エリシア様のために頑張ってきたんだ!」
「それが当然だ!」
レイモンドが声を荒げる。
「私に救われた恩を、働いて返す。それが契約というものだ!」
「契約? そんなの……!」
ミナの声が、部屋中に響いた。
「あたしは、見てた! セレスさんが、どれだけ苦しんでたか! エリシア様を守るために、自分の身体を犠牲にしてたか!」
「それが影武者の役目だ」
レイモンドは冷たく言い放つ。
「役目を果たせば、報酬を払う。それ以上でもそれ以下でもない」
「違うにゃ!」
リーネも、ミナの隣に立った。
「セレスさんは、ただの道具じゃないにゃ! エリシア様の大切なお友達にゃ!」
「黙れ! 獣人風情が、貴族に口を出すな!」
「獣人風情……?」
ミナの目に、涙が滲む。
「あたしたちが、獣人だから……信用できないって言うの……?」
「わたしたちは、誰も傷つけてないにゃ! お嬢様たちを、ちゃんと救ったにゃ!」
リーネの声も、震えている。
「獣人風情が……知ったようなことを!」
レイモンドが吐き捨てるように口にする。
もう黙ってはいられないな。
俺はミナたちの前に進み出た。
「そこまでです」
「……貴様が、例の整体師か」
俺を見るレイモンドの目が複雑な色を浮かべた。
蔑むこと、そして感謝すること。様々な感情か入り交じっているのがわかる。
「桐谷悠司です。セレスとエリシア様を治療させていただきました」
「勝手なことを…!」
「勝手? エリシア様からの正式な依頼です」
「あなたは知らなかったかもしれないが、彼女は自分の意志で俺を呼んだ」
「だが…!」
「あなたは、娘を愛している。だから、セレスに影武者をさせた」
俺は力を込めて言葉を口にする。
「それは理解できる。でも――」
俺の視線ががレイモンドを真っ直ぐに捉えた。
「セレスも、エリシア様も、苦しんでいた。それを見て見ぬふりをするのは、愛じゃない」
「……」
「二人とも、もう十分頑張った」
「今度は、あなたが二人を解放する番です」
レイモンドが、言葉を失う。
そのとき――
「お父様」
エリシアが、レイモンドの前に立った。
「彼女たちの言う通りです。セレスは、私を守ってくれた。私が生きられたのは、彼女のおかげです」
「だが……」
「お父様は、私を守ろうとしてくださった。それは、分かっています。でも――」
エリシアの目に、涙が滲む。
「――彼女にも、生きる権利があります」
セレスが、前へ出た。
「エリシア様……」
「もう様はいりません。あなたは、私の妹であり、友です」
二人の視線が重なる。
ミナが、小さく呟く。
「……綺麗」
リーネも頷く。
「二人とも、とっても素敵にゃ」
レイモンドは、しばらく沈黙していた。
やがて――
ゆっくりと、膝をついた。
「……すまなかった」
その声は、震えていた。
「私は……間違っていた。お前を――いや、お前たちを、道具のように扱っていた」
「お父様……」
「エリシア。そして、セレス。許してくれるか」
エリシアが、父の手を取る。
「お父様は、何も間違っていません。私たちは、ただ――生きようとしただけです」
セレスも、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……」
その声は、涙を含んでいた。
レイモンドは立ち上がり、セレスを見た。
「セレス。お前は――自由だ。どこへでも、行きなさい」
セレスの目が、大きく見開かれる。
「……本当に?」
「ああ。お前が望む場所へ」
セレスは、エリシアを見た。
エリシアが微笑む。
「行きなさい、セレス。あなたの、新しい人生を」
二人は抱き合い、静かに涙を流した。
◇
レイモンドは、ゆっくりとミナとリーネの前に立った。
「……君たち」
ミナが、警戒するように耳を立てる。
「今度は、何……?」
「いや」
レイモンドは、深く頭を下げた。
「すまなかった。そして――ありがとう」
ミナとリーネが、目を丸くする。
「え……?」
「私は、間違っていた。獣人を、信用できぬ者だと決めつけていた。だが――」
レイモンドは、二人を見つめた。
「――君たちは、私の娘を救ってくれた。セレスを守ってくれた。それは、紛れもない事実だ」
ミナの目に、涙が滲む。
「……おじさん」
「そして、ユージ殿にも、礼を言わねばならない」
レイモンドは、廊下に立つ俺を見た。
「私の娘を救ってくださり、ありがとうございます」
「……いえ」
俺は首を振った。
「俺はただ、苦しんでいる人を癒やしただけです」
「それでも」
レイモンドは、再び頭を下げた。
「あなた方には、感謝してもしきれない。どうか、報酬を――」
「報酬は、もう頂いています」
俺は、ミナとリーネを見た。
「うちの二人が、誰かを守れた。それが、俺の報酬です」
ミナが、涙を拭う。
「ユージ……」
リーネも、尻尾を揺らす。
「ユージさん、かっこいいにゃ……」
レイモンドは、ゆっくりと顔を上げた。
「……わかりました。ですが、規定の料金はお支払いさせてください。そしてもし何か困ったことがあれば、今後はアークベル家を頼ってください」
「……ありがとうございます」
俺は頷いた。
レイモンドは、エリシアとセレスを見た。
「エリシア。セレス。お前たちも、幸せになってくれ」
「はい、お父様」
エリシアが微笑む。
セレスも、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……レイモンド様」
◇
廊下に出ると、二人が飛びついてきた。
「お疲れ様」
ミナが駆け寄る。
「ユージ! 聞いてた?」
「ああ。よく頑張ったな」
俺はミナの頭を撫でた。
「あたし……初めて、誰かを守れた気がする」
ミナの目に、涙が滲む。
「ユージが、いつもやってることを――あたしも、少しだけできた」
「ああ。お前は、立派だった」
リーネも尻尾を揺らす。
「ミナ、かっこよかったにゃ!」
「……ありがと」
ミナは涙を拭い、笑った。
そのとき、セレスが部屋から出てきた。
「ユージ様……」
「セレス」
「私……自由になりました」
その声は、震えていた。
「これから、どうすればいいのか……まだ、分からないけど……」
「焦ることはない。ゆっくり、考えればいい」
セレスが微笑む。
「……はい」
窓の外、朝日が差し込んでいた。
(人を守る。それは、癒やすことだけじゃない)
俺は微笑む。
(ミナとリーネは、今日――その一歩を踏み出した)
〈第17話 完〉
【次回予告】
解放されたセレスに、残る最後の痛み。
変身の代償で軋む霊体を、今こそ癒やす時。
「これが……本当の私」
――次回
第18話「セレスの施術」
おじさん、少女の仮面を剥がす。
◇◇◇
作者からのお願い。
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