第16話 魂を癒やす手
夜。
屋敷の奥、エリシアの病室。
月光がカーテンの隙間から差し込み、床に淡い筋を描く。
俺は施術具を整え、深く息を吸った。
エリシア――本物の令嬢への施術。
彼女の霊体は、セレスと絡み合い、乖離している。
(これを、まず繋ぎ直す)
ミナとリーネは廊下で待っている。
扉の向こうから、小さな声が聞こえた。
「ユージ、無理しないでね……」
ミナの心配そうな声。
「大丈夫ですにゃ。ユージさんなら、きっと……」
リーネの励ましの声。
(……ありがとう。二人がいてくれるから、俺は頑張れる)
◇
ベッドに横たわるエリシア。
白い寝衣、細い指。
病弱だが、その瞳には強い意志が宿っていた。
「……始めます」
「はい。お願いします」
俺は霊体視界を開いた。
エリシアの霊体――銀白の光。
だが、その中心に、金色の光が絡みついている。
セレスの霊体だ。
二つの霊体が、互いを守るように絡み合い、軋んでいる。
(……これは、簡単じゃない……だが、やるしかない)
「エリシア、少し痛いかもしれない。我慢してくれ」
「大丈夫です。あなたを信じています」
俺は掌を彼女の胸に近づけた。
霊体が薄く震え、金と銀が触れ合う。
まず、軽擦法。
優しく撫でるように、層を整える。
「んっ……」
小さな吐息。
エリシアの身体が、わずかに震えた。
「温かい……」
彼女の頬に、涙が伝う。
「この感覚……やっぱり不思議……誰かに、触れられて――優しくされて――」
「あなたは、ずっと一人だったんだな」
「……ええ。セレスだけが友だちだった」
エリシアの声が震える。
「友だち……」
「ええ。私にとっては――大切な、友達」
俺は指先を胸骨に沿って滑らせた。
按圧法――3秒押して、2秒離す。
霊体の奥で、絡み合った光がほどけ始める。
「あっ……」
エリシアの声が、わずかに高くなる。
「そこ……セレスとの……繋がりが……」
「ああ。今、ほどいている」
金色の光が、少しずつ離れていく。
銀白の光が、本来の輝きを取り戻していく。
だが――
光が離れるたびに、エリシアの表情が苦しそうに歪む。
「っ……!」
「エリシア!」
「大丈夫……です……これは……痛みじゃなくて――」
エリシアの涙が溢れる。
「――寂しさ、なんです……」
(……寂しさ)
俺は掌を止めた。
「セレスと離れるのが、寂しいのか?」
「……はい。あの子は、もう私の半身ですわ。離れたくない。でも――」
エリシアの手が、掛け布を握りしめる。
「――このままでは、あの子が壊れてしまう。だから……お願いします」
俺は頷いた。
「わかった。だが、完全に離すわけじゃない。繋がりは残す。ただ、軋みを解くだけだ」
「……!」
エリシアの目が見開かれる。
「それって……」
「ああ。二人は、これからも繋がっている。ただ、痛みのない、穏やかな繋がりに変えるんだ」
エリシアの目から、また涙が溢れた。
「ありがとう……ございます……」
俺は再び、施術を始めた。
摩法――背骨に沿って掌を滑らせる。
熱を帯びた光が流れ、絡み合った糸が一本ずつほどけていく。
金と銀の光が、波紋のように揺れた。
そして――
光が、穏やかに分かれた。
だが、完全には離れない。
細い糸で、優しく繋がっている。
◇
俺は額の汗を拭い、深く息を吐いた。
(これで、セレスとエリシアの霊体は分離できた)
エリシアの表情が穏やかになり、呼吸が整う。
だが――
(……まだだ)
俺は霊体をもう一度見つめた。
銀白の光は美しく輝いているが、その奥に――
深い、欠損がある。
エリシア自身の、病弱な身体。
長年の療養で失われた生命力。
それは霊体にも刻まれ、深い傷として残っていた。
(このままじゃ、エリシアは立てない)
俺は指を当て、按圧を試みる。
だが、光は動かない。
(……届かない)
もう一度、摩法で流れを促す。
だが、欠損は埋まらない。
(くそ……!)
俺の手が震えた。
(せっかくセレスとの絡みを解いたのに、これじゃ意味がない)
エリシアは、穏やかに眠っている。
だが、その身体は依然として弱く、立ち上がる力はない。
霊体を見ると、絡まりが解けたからか、あちこちに罅が入っている様子がよくわかる。
(……どうすれば)
そのとき――
左手の甲が、熱を帯びた。
(……これは)
手の甲に刻まれた紋章――ルナリアの加護の印。
それが、淡く輝いている。
脳裏に、声が響いた。
『――選ばれし癒やし手よ。あなたの霊力を、注ぐのです』
(ルナリア……? ルナリアなのか!?)
『通常の施術では届かぬ場所があります。あなた自身の魂を分け与える覚悟があれば、あなたの癒やしは届くでしょう』
俺の問いかけに、ルナリアの声は答えない。
まるで、予め録音されているメッセージのようだ。
(魂を……分け与える?)
『それは禁術。古代、神々しか許されなかった技。あなたの魂が削れ、霊体に亀裂が生じるでしょう』
(……それでも)
俺は拳を握った。
(それでも、俺はやる)
エリシアの寝顔を見つめる。
彼女は、セレスのために自分を犠牲にしてきた。
ならば、俺も――
(この手で、彼女を救いたい)
『……選ばれし癒やし手よ。それではあなたの封印を解除します。でも心して。これは本当に危険な技』
手の甲の紋章が、強く輝いた。
◇
俺は深く息を吸い、掌をエリシアの胸に当てた。
「……ソウル・トランスファー」
その瞬間――
手の甲から金色の光が溢れ出し、俺の全身を駆け巡る。
霊力が、掌を通してエリシアへと流れ込んでいく。
(これが……魂を注ぐ、ということか)
エリシアの霊体が、激しく輝き始めた。
欠損していた部分に、光が満ちていく。
銀白の光が、全身を包む。
呼吸が深くなり、頬に血色が戻る。
「……っ」
エリシアの指が、わずかに動いた。
(……いける)
俺はさらに霊力を注ぎ込む。
だが――
その代償は、すぐに訪れた。
(……重い)
身体が鉛のように重くなる。
視界が揺れ、膝に力が入らない。
(魂が……削れている)
胸の奥で、何かが軋む音がした。
それでも、俺は手を離さなかった。
(もう少し……もう少しだけ)
エリシアの霊体が、完全に満ちた。
欠損は消え、光は健やかに輝いている。
「……終わった」
俺が手を離すと、エリシアが深く息を吐いた。
「はぁ……はぁ……」
頬に赤みが戻り、呼吸が安定する。
「……不思議。軽くなったのに、寂しくない」
「ああ。二人は、まだ繋がっている」
エリシアは、ゆっくりと身体を起こした。
「……動ける」
ベッドの縁に手をかけ、足を床につける。
エリシアの魂の欠損を癒やしたことにより、肉体も癒やされた。
これは確かに、神の御技なのかも知れない。
人には過ぎた力なのかも。
「立てる……かも」
「無理するな」
「大丈夫……です」
エリシアは、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間――
扉が開いた。
「エリシア様!?」
セレスが駆け込んできた。
その後ろに、ミナとリーネ。
「お嬢様が立ってる……!」
ミナが目を丸くする。
「すごいですにゃ……!」
リーネが尻尾を振る。
セレスは、エリシアの前で立ち止まった。
「エリシア様……本当に……」
「ええ。ありがとう、セレス。あなたが、私を生かしてくれたから」
エリシアがセレスの手を取る。
「これからは、私も――自分の足で、歩いていける」
セレスの目に、涙が溢れた。
「……よかった」
二人は抱き合い、静かに泣いた。
◇
廊下に出ると、ミナとリーネが俺を見上げた。
「ユージ、すごかった……」
ミナが目を輝かせる。
「お嬢様、本当に立ったにゃ……」
リーネも感動している。
だが――
俺の身体が、ぐらりと揺れた。
(……使いすぎたか)
膝が折れる。
「ユージ!」
ミナが咄嗟に俺を支えた。
「大丈夫ですかにゃ!?」
リーネが慌てて水を取りに行く。
「すまん……少し、限界が近い」
「ばか! 無理しすぎだよ!」
ミナの目に、涙が滲む。
「……ユージは、いつもこうなんだから」
俺はミナの頭をぽんと叩いた。
「心配かけて、ごめんな」
「謝らなくていいの。でも――」
ミナが俺の手を握る。
「――次は、あたしがユージを癒やすから」
その声は、震えていた。
リーネが水を持って戻ってくる。
「ユージさん、飲んでくださいにゃ」
「ありがとう」
水を飲むと、少しずつ視界が戻ってきた。
ミナとリーネが、心配そうに見つめている。
(……この二人がいてくれるから、俺は頑張れる)
俺は微笑んだ。
「大丈夫だ。もう少しだけ、頑張る」
「……うん」
ミナが頷く。
「でも、倒れたら怒るからね」
「ああ。約束する」
窓の外、夜空に星が輝いていた。
(偽りを抱えてでも生きる。その強さを、俺は知らなかった)
(新しいこの力――ソウル・トランスファー)
(気をつけて使わないと……俺自身が、壊れてしまう)
〈第16話 完〉
【次回予告】
騒然とする屋敷。
立ち上がったエリシアを見て、当主が震える。
そして――エリシアが父に告げる、決意の言葉。
「彼女を、解放してください」
――次回
第17話「解放の直訴」
おじさん、少女の勇気を見守る。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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作者が物語を続けていく上でのモチベーションがとてもあがります!




