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第15話 恩義の記憶

 屋敷の奥――静まり返った回廊。

 空気が冷たい。霊流が、どこか重く沈んでいる。

 執事セバスチャンの案内で、俺たちは奥の病室へと向かっていた。


 カーテンの隙間からは、うっすらと朝の光。

 床に差し込むそれが、細く淡い帯を描く。


「この奥が、エリシア様の病室です」


 セバスチャンが扉の前で立ち止まった。

 その表情は、いつもの冷たさとは違う。

 わずかに、憂いを帯びていた。

 ミナとリーネが後ろで立ち止まる。


「あの……あたしたちは?」


「廊下で待っていてくれ。エリシア様との話は、少し込み入った内容になるかもしれない」


「わかったにゃ」


 リーネが頷き、ミナの手を引く。


「ユージ、無理しないでね」


「ああ」


 セバスチャンが俺を見た。


「……お嬢様を、お救いいただけますか」


「ああ。約束する」


 セバスチャンは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。どうか――二人を、お救いくださいませ」


 その声には、切実な想いが滲んでいた。


(……この執事も、二人を案じているんだな)


 俺は一人、扉を押した。


 ◇


 薬草の香りが流れ出た。

 室内のベッドに、細い少女が横たわっている。

 白金の髪、細い指。

 セレスと同じ顔――けれど、穏やかに微笑んでいた。


「……エリシア」


 俺が名を呼ぶと、彼女のまぶたがゆっくりと開いた。


「あなたが……あの子を救ってくれる癒やし手ですね」


 声は弱いが、どこか優しさがあった。


「話を、聞かせてほしい」


 エリシアは、わずかに頷いた。


「私とあの子の始まりは、罪なのです」


 エリシアは、ゆっくりと語り始めた。


「あの子は、奴隷市で買われたシェイプシフター。父が、私の代わりとして連れてきたのです」


「代わり……?」


「ええ。私は病弱で、跡継ぎにふさわしくないと言われていました。外に出ることも、社交界に顔を出すこともできない。ですから――」


 エリシアの声が震える。


「ですから、あの子に私の姿を被せて、令嬢として振る舞わせる。それが、父の計画だったんです」


「……なるほど」


「でも、私も――」


 エリシアは涙を流した。


「私も、あの子を見た時、思ってしまいましたの。この子がいれば、父に責められずにすむ。私の代わりに、あの子が外の世界で身代わりになってくれるって」


「エリシア……」


「最低ですわよね? 奴隷として買われてきた子に、さらに重荷を背負わせようとしたのですから」


 だが――


「ですけれど、彼女は笑って言ってくれましたの。あなたが笑ってくれるなら、それでいいって」


 エリシアの手が、掛け布を強く握りしめた。


「私、その言葉が嬉しくて――でも、同時に、すごく苦しくて――」


 細い指が震える。


「私は、彼女を利用しました。彼女は恩に報いるつもりで私になりきった。けれど、彼女の体調が崩れはじめた頃には……もう、止められなかった」


 俺はベッドのそばに膝をついた。


「お前は悪くない。互いに理由があったんだ。セレスも奴隷よりは影武者として振る舞った方が幸せだったんだろう」


「それでも、あの子を苦しめている。もし私がいなければ、あの子は自由になれます」


 その瞬間、霊体視界に二つの光が見えた。

 セレスの金色と、エリシアの銀白。

 同じ形の波紋が、ベッドと屋敷全体を結んでいる。


(……距離を隔てても糸のように繋がっている。まるで一つの魂だ)


「なるほど、君が霊体として動けるのは、セレスと繋がっているから。彼女のいた場所には、動くことが出来るんだな」


「はい。お察しの通りです。身動きの出来ない私には、それはとても楽しいことでした」


「――少し診せてもらう」


「はい……お願いします」


 掌を彼女の胸に近づける。

 霊体が薄く震え、金と銀が触れ合う。


 摩法。

 優しく撫でるように、層を整える。


「ん……っ」


 小さな吐息。

 エリシアの身体が、わずかに震えた。


「あっ……」


 彼女の頬が、ほんのりと赤く染まる。


「痛みは?」


「いえ……痛くは、ないのですけれど……」


 エリシアの声が、か細く震える。


「不思議……あたたかくて……」


 俺は掌を、肩から背中へと滑らせた。

 霊体の層が、ゆっくりと解けていく。


「はぁ……んっ……」


 エリシアの息が、わずかに乱れる。

 細い指が、シーツを握りしめた。


「こんな……こんな感覚……」


 彼女の声が震える。


「初めて……誰かに、こんなに優しく……触れられて……」


 エリシアの頬に、涙が伝う。


「あっ……そこ……」


 言葉が途切れる。

 身体が、小さく震えている。


「力を抜いて。大丈夫だ」


「は、はい……でも……」


 エリシアの目が潤む。


「こんなに……気持ちいいなんて……」


 光が淡く揺れ、銀白の霊体が柔らかく脈動する。


「あなたは、ずっと一人だったんだな」


「……ええ」


 エリシアの声が、涙混じりに震える。


「病弱で、外に出られなくて……触れてくれるのは、使用人か医者だけ……こんな風に……優しくされたこと、なくて……」


「そうか」


 俺は指先を胸骨に沿って滑らせた。

 按圧法――三秒押して、二秒離す。


「んっ……!」


 エリシアの声が、高くなる。


「あ……ああ……」


 頬が真っ赤に染まり、息が荒くなる。


「そこ……そこ、です……」


 細い指が、俺の袖をぎゅっと掴んだ。


「お、お願い……もう少し……」


 そのたびに、銀白の霊体が柔らかく脈動する。

 光が波紋のように広がり、室内が温かな気配に包まれる。


「でも、あの子が来てから――」


 エリシアが震える声で呟く。


「初めて……友達が、できましたの……」


「友達……」


「ええ……」


 エリシアの目から、涙が溢れる。


「奴隷として買われてきた子だけど……私にとっては――大切な、友達……」


「はぁ……はぁ……」


 エリシアの息が、ゆっくりと落ち着いていく。


「エリシア、お前の霊体はまだ力強い。このままなら、どちらも助かる」


 彼女が微笑んだ。


「本当ですか……?」


「ああ。二人を繋ぐ糸を、いったん鎮めればいい。あとは――お互いを、許すことだ」


 エリシアの涙が頬を伝う。


「……あの子に、伝えてください。ありがとうって」


「自分で言うんだ。その言葉こそが、癒やしの最後の鍵になる」


 俺が手を離すと、光がゆっくりと静まった。

 室内に温かな気配が満ちる。

 エリシアは、ベッドの上で静かに微笑んでいた。

 頬はまだ赤く、目は潤んでいる。


「ありがとう、ございました……」


 その声は、とても穏やかだった。


 ◇


 廊下に戻ると、ミナとリーネが待っていた。


「どうだったの?」


 ミナが駆け寄る。


「大丈夫。まだ間に合う」


 ミナが安堵の息を吐く。


「よかった……」


 リーネも尻尾を揺らす。


「お嬢様、どんな人だったにゃ?」


「……優しい人だった。セレスのことを、本当に大切に思ってる」


 不思議そうな顔をする二人に影武者の話をすると、彼女たちは納得したように頷く。


「そっか……」


 ミナが窓の外を見た。


「あたし、ちょっと分かる気がする」


「ん?」


「誰かを守りたいって気持ち。でも、それが相手を苦しめちゃうこと」


 ミナの声が、わずかに震えた。


「あたしも、昔――マーサ婆ちゃんの所に来た時、迷惑かけちゃダメって思って、ずっと我慢してた」


「ミナ……」


「でも、ユージが教えてくれたじゃん。我慢しすぎるなって」


 ミナが俺を見上げる。


「だから、お嬢様たちにも――ちゃんと、分かり合ってほしいな」


 リーネも頷く。


「そうですにゃ。あたしも、昔――冒険者パーティで我慢してた時、誰かに大丈夫だよって言ってほしかったにゃ」


 二人の言葉が、胸に響く。


(……そうだな)


(みんな、誰かを守りたくて、我慢してきた)


「けど、まだ終わりじゃない。二人の霊体を直接繋げて修復しなきゃならない」


 リーネが真剣な顔で頷いた。


「ユージさんの出番ですにゃ」


 ミナは静かに俺を見つめた。


「……ユージ、ほんとに大丈夫?」


 俺は笑って答えた。


「限界なら、ミナが癒やしてくれるだろ?」


「ばか……もう」


 ミナが小さく笑い、尻尾が揺れた。


(恩義は呪いにもなる。だが、赦し合えば――絆に変わる)


 俺は拳を握った。


「次で、決着をつける」


 〈第15話 完〉


【次回予告】

 秘密裏に施される魂の施術。

 エリシアとセレス、二人の魂が再び重なり合う。

 だが、その代償は――。

 ――次回

 第16話「魂を癒やす手」

 おじさん、禁域の術に挑む。




 ここまで読んでいただいてありがとうございました。


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 作者が物語を続けていく上でのモチベーションがとてもあがります!

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