第14話 もう1人の令嬢
その夜、屋敷は静まり返っていた。
窓の外では月が高く、白薔薇の花びらが銀色に輝いている。
俺は灯りを落とし、机の上の記録を整理していた。
霊体の素描図――二重の光の輪郭。
上層と下層の境に、薄いひびのような裂け目がある。
(あのもう一人は、何者だ)
そのとき――
カーテンが、音もなく揺れた。
窓は閉じている。
にもかかわらず、冷たい風が部屋に流れ込んできた。
「……気配?」
集中し、霊体視界を開く。
光が滲む。
部屋の隅、鏡の前――。
そこに、もうひとりの少女がいた。
いや、1人の少女の霊体がいた。
――白い寝衣。
血の気のない顔。
エリシアと同じ姿――いや、少し違う。
髪はエリシアよりも短く、身体はさらに細い。
病弱そうな、儚げな少女。
だがその姿は2つの霊体が重なり、絡み合って見える。
『……私が見えるの?』
声が、鏡の奥から響く。
まるで水の底から浮かぶような声。
「お前は、誰だ?」
『私は、エリシア。この屋敷の本当の娘です』
「……!」
『そして、今はあの子――セレスの、影。いえ……あの子が私の影』
「どういう意味だ?」
エリシアと名乗る霊体は、悲しげに微笑んだ。
『私は、病弱で……表には出られません。だから、あの子が――セレスが、私の代わりに』
「影武者、か」
『ええ。あの子はシェイプシフター。私の姿を写して、この屋敷の令嬢として振る舞ってくれている』
俺の中で、ひとつの疑問が氷解した。シェイプシフターとは異種族の一つで対象の姿を写し取ることが出来る種族だ。
ファングレストの街にも何人かはいるが、希少な種族だと聞いている。
(……シェイプシフター。本当の名前はセレスというのか)
(だから、わざわざファングレストから俺を呼んだ)
(シェイプシフターは異種族)
(人族の治癒師では、異種族を正しく診られない)
(変身の負荷も、見抜けない)
(獣人の街なら、異種族を診られる治癒師がいる可能性がある、と)
(そして、遠い街から呼べば、秘密も守れる)
(……なるほど、そういうことか)
『でも、まさかこの私に気づいてくださるとは』
エリシアが微笑む。
『あなたは霊体が見れるのですね?』
「ああ、俺には今の君が見える」
『良かった! きっとあなたならあの子を救えます。人族の癒やし手では、無理だった。でも、あなたは――霊体が、視える』
「……ああ」
俺は頷いた。
「だが、お前たちの霊体は、なぜこんなにも絡み合っている?」
エリシアの声が震える。
『あの子が私になりきろうとして――変身を深くかけすぎてしまった。シェイプシフターは、対象を完璧にコピーしようとすると、対象の霊体まで取り込んでしまうことがあるの』
「取り込む……?」
『ええ。私の霊体の一部が、あの子の中に――そして、私の中にも、あの子の霊体が残ってしまった』
「共鳴した、ということか」
『そうです。セレスは私になりきろうとするあまり、自分の記憶すら曖昧になっているようなのです』
霊体視界の中で、二つの光が重なり合う。
互いを守ろうとして、絡み合い、軋んでいる。
『けれど、このままでは――彼女が壊れてしまいます』
淡い光が、ひときわ強く瞬いた。
鏡の奥のエリシアが、悲しく微笑む。
『だからあなたをお呼びしたのです。どうかあの子を、助けてください。私がいなくても、あの子は生きられるように――』
声が途切れる。
「待て! お前はどこに――」
『私は……屋敷の奥、病室に……』
エリシアの姿が薄れていく。
『でも、もう……時間が……』
光が弱まる。
鏡の表面に、ひびが走った。
「エリシア!」
俺が手を伸ばした瞬間、光が弾けた。
部屋の中を白い風が駆け抜け、鏡の中の姿が消える。
床に膝をつく。
冷たい風だけが残っていた。
(今のが、もう本当の令嬢……エリシア)
(そして、エリシアを名乗っているのは影武者のセレス)
(屋敷の奥……病室)
(エリシアは、そこにいるのか)
額の汗を拭いながら、俺は決意を固めた。
「必ず、救う。二人とも」
◇
翌朝。
令嬢の部屋。
令嬢は、いや令嬢の影武者、セレスはベッドの上で静かに目を閉じている。眠っているようだ。
顔色は悪く、呼吸が浅い。
傍らには、ミナとリーネが座っていた。
「ユージ。夜中に何だか音がしたけど、大丈夫だったの?」
ミナが心配そうに聞く。
「大丈夫ですかにゃ? なんか気配がしましたにゃ」
リーネも尻尾を揺らす。
「ああ。実はな――」
俺の話に、ミナは眉をひそめた。
「そんなことが……」
「びっくりだにゃ!」
「ああ、だから、何としても二人を救ってやりたいんだ」
「ねぇユージ……」
「ん?」
「ユージが誰かを癒やすの、あたしは好きだよ。
でも――あんまり、無理しないで」
リーネも頷く。
「そうですにゃ。ユージさん、最近疲れてるにゃ」
俺は二人の頭を軽く撫でた。
「大丈夫だ。まだ平気さ」
「……そういうときのユージ、いちばん無理してる」
ミナの声は小さく、けれど真っ直ぐだった。
(……心配かけてるな)
窓の外、朝日が差し込む。
白薔薇の花びらが散り、風に舞った。
(だが――)
(セレス。エリシア。二人の痛みを――必ず、癒やしてみせる)
窓の外、朝日が差し込む。
白薔薇の花びらが散り、風に舞った。
ミナが小さく呟く。
「……ユージ、本当に無理しないでね」
「ああ。約束する」
俺はミナの手を握った。
リーネも、そっと俺の腕に寄りかかる。
「あたしたちも、一緒にいるにゃ」
「……ありがとう」
三人で、静かに朝日を見つめた。
(この手で――必ず、みんなを守る)
〈第14話 完〉
【次回予告】
二人の魂が、ひとつの混ざり合い軋む。
本物と影が交錯する時、心はどちらを選ぶのか。
そして――
屋敷の奥、病室に眠る本物の令嬢との再会。
――次回
第15話「恩義の記憶」
おじさん、少女の心に触れ、過去を知る。
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