第13話 二重の像
――翌朝。
アークベル邸の空は静かで、白い霧が庭の薔薇を包んでいた。
俺は施術具を整えながら、深く息を吸う。
(あの霊体の二重の光……正体を確かめる)
ノックの音。
執事セバスチャンが頭を下げた。
「令嬢がお待ちです。昨日より少しお疲れが出ておりますので、どうかお優しく」
「わかりました」
ミナとリーネも一緒に部屋へ向かう。
「あの……あたしたちも、入っていいですか?」
ミナが不安そうに聞く。
「ああ。むしろ、いてくれた方が助かる」
リーネが尻尾を揺らす。
「お手伝いしますにゃ!」
◇
寝室は、朝の光を薄く取り込んでいた。
エリシアは窓辺に座っている。
昨日よりも少し青白い顔。だが、微笑みは完璧だ。
「おはようございます、キリタニさま」
「おはよう。体の具合は?」
「少し、眠れませんでした。夢を見た気がします」
「どんな夢?」
「……覚えていません。ただ、誰かが泣いていたような」
ミナとリーネが、部屋の隅で静かに見守る。
俺は頷き、霊布を広げた。
「では、軽く整えましょう。力を抜いて」
「はい……」
椅子に座ったエリシアの背に、指先を翳す。
霊体視界を開いた瞬間――
絡み合う二重の光が、はっきりと見えた。
一つは淡金色。
もう一つは、灰のような銀紫色。
表と裏が少しずつ擦れ合い、きしむ音を立てている。
「……始めます」
掌を肩に添え、円を描くように揉み上げる。
揉捏法。
霊体の層を、筋と共に少しずつ解していく。
「んっ……」
小さな声。
昨日よりも素直な息。
肩の緊張が、ゆっくりとほどけていく。
「そこ……」
エリシアが小さく呟く。
「ずっと、痛かったんです……」
「我慢してたんだな」
「……はい」
(……強い防御反応だ。誰かを守るように固まっている)
◇
部屋の隅で、ミナが息を呑む。
(……また、あの光)
ユージの手から、淡い光が流れている。
お嬢様の身体を包むように、優しく、温かく。
お嬢様の声が、かすかに漏れる。
「んっ……」
ミナの頬が、じわりと熱くなった。
(……なんか、見ちゃいけない気がする……)
でも、目が離せない。
ユージの手が、お嬢様の肩を、背中を、優しく撫でている。
リーネも、尻尾をぎゅっと抱きしめた。
両膝をもじもじと擦り合わせ、頬を染めている。
「にゃ……」
小さく呟いて、目を逸らす。
でも、すぐにまた見てしまう。
(……あたしも、あの手に触れられたら――)
二人とも、顔を赤くしたまま、じっと見守っていた。
◇
俺は摩法に切り替えた。
背骨に沿って掌を滑らせ、熱を帯びた光を流す。
淡金と薄紫の層が、波紋のように揺れた。
「あっ……」
エリシアが小さく息を呑む。
ドレスの袖が震え、頬に色が差す。
「温かい……」
彼女の声が、わずかに震えた。
「誰かに、触れられたのは……久しぶりで……」
「そうか」
俺は掌を滑らせる。
彼女の身体が、少しずつ柔らかくなっていく。
「苦しくない?」
「……少し、熱いです。でも、気持ちいい……」
「それでいい。流れが戻ってる」
指先で肩甲骨の縁を押す。按圧法。
三秒押して、二秒離す。
「ん……っ」
霊体の歪みが音を立てて解けていく。
光が重なり、瞬間――二重の影が、わずかに形を変えた。
もう一つの誰かの輪郭が、浮かび上がる。
(……この感触。生きている霊体だ)
◇
ミナが小さく呟く。
「……二人、いる?」
リーネも目を丸くする。
「にゃ……?」
二人には見えないはずだが――
エリシアの背に、何かが重なっているのを感じていた。
光が、二重に揺らめいている。
まるで、誰かがもう一人、そこにいるような。
ミナの胸が、きゅっと締め付けられた。
(……この人も、何か抱えてるんだ)
◇
俺は深呼吸し、両掌で背全体を包んだ。
「大丈夫。少しだけ、奥まで触る」
「……はい」
掌を通して伝わる鼓動。
光が淡く脈打ち、音のない鈴のような響きが空気に満ちた。
室内の温度がわずかに上がり、薔薇の香りが強くなる。
エリシアの指先が、椅子の縁を掴む。
唇が震え、囁くような声。
「誰かが……泣いています……」
「見えるのか?」
「はい……もう一人の私が……」
「もう一人?」
「……違う。あれが本当の――」
エリシアの言葉が、途切れた。
まるで、何かを思い出しかけて、忘れたように。
「……誰か、大切な人がいるんじゃないか?」
エリシアの目が、大きく見開かれた。
「……!」
だが、すぐに表情が戻る。
完璧な微笑み。
「……はい」
彼女の手が、胸に当てられた。
「――ずっと、泣いているんです」
彼女の頬に一筋、涙がこぼれた。
霊体の層が一瞬重なり、淡金と薄紫がひとつに光った。
◇
ミナの目にも、涙が滲んだ。
(……泣いてる)
(あたしも、昔――)
リーネがそっとミナの手を握る。
(……この人も、ずっと我慢してたんだ)
◇
「……今日はここまでだ」
俺は掌を離す。
光が静まり、呼吸だけが残った。
「ありがとうございました……不思議ですね。痛くないのに、胸がいっぱいで」
「それは、心の詰まりが動いた証拠だ」
エリシアは微笑み、そっと目を閉じた。
その表情は、昨日よりずっと人間らしかった。
◇
廊下に出ると、ミナとリーネが俯いている。
「どうした?」
ミナは答えない。
リーネがそっと言う。
「ミナ、ちょっと……寂しそうにしてたにゃ」
「……別に」
ミナが小さく呟く。
「……ユージが、お嬢様を触ってるの見て――」
言葉が途切れる。
耳が伏せ、尻尾が固まっている。
「――あたしも、もう一度、ユージに癒やされたいなって……」
その声は、震えていた。
「ミナ……」
「でも、いいの! ユージが癒やす人、みんな幸せになるから!」
ミナは顔を上げ、無理に笑った。
だが、目には涙が滲んでいた。
リーネがそっと手を握る。
「ミナ、我慢しなくていいにゃ」
「……うん」
俺はミナの頭に手を置いた。
「今夜、時間を作る。お前もちゃんと診てやるから」
「……!」
ミナの耳が、ぴんと立った。
「……ほんと?」
「ああ。約束だ」
ミナは涙を拭い、小さく笑った。
「……ありがと、ユージ」
尻尾が、ゆっくりと揺れている。
窓の外、庭の薔薇が風に揺れていた。
(癒やすべきは――誰か一人だけじゃない)
(みんなを、ちゃんと見てやらないとな)
〈第13話 完〉
【次回予告】
夜の屋敷で、もうひとりの光が現れる。
鏡の奥に眠る本当の令嬢との邂逅。
そして――
ミナへの約束の施術が、二人の絆を深める。
――次回
第14話「もうひとりの令嬢」
おじさん、真実の姿を見て、大切な人を癒やす。
〈第13話 完〉
【次回予告】
夜の屋敷で、もうひとりの光が現れる。
鏡の奥に眠る本当の令嬢との邂逅。
そして――
ミナへの約束の施術が、二人の絆を深める。
――次回
第14話「もうひとりの令嬢」
おじさん、真実の姿を見て、大切な人を癒やす。
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作者が物語を続けていく上でのモチベーションがとてもあがります!




