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第10話 この世界で生きてゆく【第一部完】

 朝の光が、ユージ堂の窓を満たした。

 焼きたてのパンの香り、草茶の湯気。

 ミナとリーネが並んでテーブルを囲み、俺は湯呑を手にしていた。


「うん、今日のパンはいい焼き色だな」


「えへへ。今日のはね、昨日お礼にもらった小麦で焼いたの!」


「ハーブティーもありますにゃ。香りが癒やしになりますにゃ」


 笑い合う声が、店の奥まで響く。

 二人と住むようになってから、いつの間にか、この音が日常になっていた。

 


(……悪くない朝だな)


 窓の外を見ると――

 魚屋の親父が、元気に店先で声を上げている。

 先週、腰の痛みで動けなかった人だ。


「おい、新鮮な魚、入ったぞー!」


 その隣では、怪我で松葉杖をついていた少年が、走り回っている。

 母親が笑いながら追いかけていた。


「ユージ、見て」


 ミナが窓を指差す。


「みんな、元気になってる」


「ユージさんが癒やしたからですにゃ」


 リーネが微笑む。


 その光景を見て――

 胸が、温かくなった。


(俺が、ここでやってきたこと)


(無駄じゃ、なかったんだな)


 この町では数少ない人間種の一人として、俺は町に受け入れられていることを実感していた。


 ◇


 昼頃、店先に影が落ちた。

 革の胸当てを着けた獣人の男。金の徽章が胸で光る。


「桐谷悠司殿、ですな」


「ええ。あなたは?」


「治癒ギルド本部の使いです。評判を聞き、正式な登録をお願いに参ったのです」


 その声は硬いが、敵意はない。


「登録……?」


 ミナが耳をぴんと立てる。


「それは……どういうことですにゃ?」


「登録すれば正式な"治療師"として認められるであります。ただし、月に一度の報告義務があります」


 要は――独立開業の公認だ。

 だが、規律の中に入ることでもある。


「……考えさせてもらえますか」


「もちろんであります。三日以内にギルド本部までお越しくだされ」


 男が去ると、店内に静寂が落ちた。


「ユージ、どうするの?」


「そうですにゃ。登録したら、色んな決まりが増えますにゃ」


「だな。……でも、守るべき責任も、悪くない気がする」


 俺は窓の外を見た。

 通りには、癒やした人々が笑いながら行き交っている。

 その笑顔の数だけ、責任がある。


「ミナ、リーネ。お前たちはどう思う?」


「決まってるじゃん。登録しようよ!」


 ミナが即答した。


「ユージはこの街の癒やし手だよ。もう誰も、文句言えないようにしよう!」


「リーネも賛成ですにゃ。ユージさんが正式に認められれば、あたしたちも胸を張れますにゃ」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。


「……よし。行くか」


 ◇


 翌日、俺たちはギルド本部を訪れた。

 大理石の床。獣人たちの声が反響する。

 受付の奥には、壮年の獣人が立っていた。


「桐谷悠司、だな。評判は届いておる。何やら不思議な施術を行うそうだが、町の人々の評判は上々で、実際癒やされておる人々は多数だ」


「はい。今日は登録をお願いしたく」


「手を」


 差し出された掌に、男が小さな金具を押し当てた。

 刃ではなく、温かい光。


(これは、何だ?)


「では女神ルナリア様に誓うのだ。癒やす者として、決して人々に害はなさず道を外れぬことを」


 ルナリア……なんだかもう既に懐かしい。

 俺がこの世界に来る原因になった孤独な女神。

 当初は戸惑ったが、今となってはもう感謝しかない。


「はい、誓います」


 掌の上に、金色の紋が浮かんだ。

 それは、何かの印章のようだ。

 それは目映い黄金の光を放った


「おお、ルナリア様は癒やしの女神。それがここまで輝くとは!」


 その瞬間――


(……ああ)


 胸が、熱くなった。


(これが、この世界での資格か)


(元の世界では、誰にも認められなかった俺が――)


 目頭が、熱くなる。


「責任も伴う。だが、期待しているぞ」


 ギルド長が笑う。


「キリタニ殿。お前の手は――多くの者を救うだろうな」


「……ありがとうございます」


 背後でミナとリーネが拍手した。


「ユージ! すごいよ!」


「やりましたにゃ!」


 ミナが尻尾を振り、リーネが笑う。


「……ありがとう。二人とも」


 俺は、二人を見て――微笑んだ。


 ◇


 店に戻ると――


「ユージ、ちょっと待って!」


 ミナが、奥から何かを抱えて出てきた。

 リーネも、一緒に。


「これ……登録祝い」


 ミナが、小さな木の板を差し出した。

 手作りの看板プレートだ。


 そこには――


『おかえりなさい、癒やし処 ユージ堂』


 丁寧な文字。

 ミナの肉球マークと、リーネの猫マークが描かれている。


「……これ」


「あたしとリーネで、作ったの」


「二人で彫って、色も塗りましたにゃ」


 ミナが、照れたように耳を伏せる。

 リーネが、微笑む。


「ユージさんが、ここに帰ってくる場所」


「あたしたちが、ずっと待ってる場所」


「「そしてきっとお客様も、ここに帰ってくるの(にゃ)」」


 その言葉に――


「……っ」


 目頭が、熱くなった。


(……こんな、温かいもの)


(こんな、優しいもの)


(元の世界で、もらったことなんて――)


 涙が、ぽろりとこぼれた。


「ユージ……?」


「あ……ごめん」


 俺は、急いで目元を拭う。


「嬉しくて……ありがとう」


 ミナとリーネが――

 同時に、俺に抱きついてきた。


「ユージ、泣かないで」


「リーネたちが、いますからにゃ」


 温かい。

 二人の体温が、伝わってくる。


「……ああ。ありがとう」


 俺は、二人の背中を優しく叩いた。


 ◇


「ねえ、ユージ」


 ミナが顔を上げる。


「登録祝いに、施術してよ!」


「ミナさん、あたしもお願いするにゃ」


「よし。記念に――二人とも、しっかり癒やしてやる」


 俺は目を閉じた。霊体視覚に集中する。


 二人の身体に重なるように、青白く輝く霊体が浮かび上がった。

 ミナの霊体は、活発な光。

 リーネの霊体は、優雅な光。


 どちらも――美しい。


 霊体に――直接、手を触れた。ビリッ。


「摩法でいこう。摩擦で温め、流れを整える」


 掌で背を包み、ゆっくり撫でる。

 呼吸に合わせて――三度、五度、七度。


「ん……」


「ふにゃ……」


 二人の身体が、同時にびくんと震える。

 ミナの耳がぴんと立ち、リーネの尻尾がふわりと揺れる。


「気持ちいい……」


「あったかいですにゃ……」


 光が波紋のように広がり、二人の呼吸が揃う。


「按圧も少し。力は抜いて」


 親指で肩甲骨の縁を、ゆっくりと圧す。

 三秒押して、二秒離す――


「あっ……」


「んっ……」


 二人の頬が、ほんのり赤く染まる。

 光が溢れ始めた。

 二人の霊体から、疲労が――消えていく。


「ぁ……すごい……」


「身体が……軽いですにゃ……」


 店内が、やわらかな光に満たされる。


 外の通りを歩く人々が、窓越しの光を見て微笑む。


 "あの店の灯り、いいな"

 "また行きたいね"


 そんな声が聞こえた。


「最後、百会で収める」


 二人の頭頂に、そっと掌を置く。

 深く、ゆっくり、三呼吸。


 光が、優しく収束していく。


「……どうだ」


「すごく……楽」


「癒やされましたにゃ……」


 二人が、とろんとした笑顔で俺を見上げる。


「これが、俺の仕事だ」


 手を離すと、二人が同時に抱きついてきた。


「ユージ、ありがとう」


「大好きですにゃ」


 温かい。

 幸せだ。


 ◇


 夕暮れ。

 店の前に立つ。


 ミナとリーネが、新しい手作りの看板プレートを――

 店の入口に、掛けてくれた。


『おかえりなさい、癒やし処 ユージ堂』


 その文字が、夕日に照らされて温かく輝いている。


「……いい看板だな」


「えへへ」


「よかったですにゃ」


 看板の下で、三人並んで立つ。


 市場の笑い声、焼きたての匂い、風の音。

 その全部が、今は愛しい。


「ユージ」


 ミナが寄ってくる。


「これから、大変になるかもね」

「そうですにゃ。でも、きっと大丈夫ですにゃ」


 俺は頷いた。


「癒やす手がある限り、俺はこの世界で生きていく」


 空を見上げる。

 星が、瞬き始めていた。


「笑顔を見守る、この場所で」


 ミナが、俺の袖をそっと掴んだ。

 リーネが、反対側から微笑む。


 二人がいる。

 この場所がある。


 夜風が、看板の鎖を小さく鳴らした。

 『おかえりなさい、ユージ堂』の文字が――

 月明かりに、優しく浮かんでいた。


 ファングレストの街に、新しい灯がともった。


 この世界で、彼女たちと生きていこう――

 俺はようやく、そう思えた。


《第一部完》


 次回より、第2章「影武者の令嬢セレス」編が始まります。


【次回予告】


 隣国アークベルから、一通の依頼状。

「正式な治療師として、貴族家の娘を診てほしい」


 訪れた屋敷で出会ったのは――

 完璧な所作の美しい令嬢。

 だが、その霊体は二重に揺らいでいた。


「あなた……誰を、癒やそうとしているの?」


 ――次回

 第11話「影武者の令嬢セレス」

 おじさん、偽りの微笑みの裏に“本当の痛み”を見つける。



 ここまで読んでいただいてありがとうございました。


 よろしければブックマークと評価【☆☆☆☆☆】の方、何卒よろしくお願いします。

 作者が物語を続けていく上でのモチベーションがとてもあがります!


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