第3話 明けぬ朝と開いた扉
朝は、等しくすべての者に訪れる。
だが、千寿蓮也にとって、それは“昨日の延長線”に過ぎなかった。
千寿『うぅ……全身が重い……背中が岩になってる……いやこれ岩そのものか……?』
地べたに転がったまま呻いている蓮也の姿は、もはや人ではなかった。
汗でぺたぺたになったシャツ、泥まみれのズボン、そして指の皮が剥けかけた手。
それでも、今日は動かなければならない。
なぜなら――
バルナ曹長『今日からは“魔法適性検査”が始まる。命懸けで受けろ。下手すりゃ死ぬぞ』
その通告が、昨日の夜、何の前触れもなくなされたからだ。
千寿『なんで!? どうして!? 死ぬって言った!? 今“死ぬぞ”って言ったよね!?』
レイ伍長『言ったね。しかも曹長、笑ってたね』
レイ・フォルク伍長はいつも通り軽口を叩いていたが、表情だけは真面目だった。
あの笑顔は、“マジで危ない”ときの笑顔である。
レイ伍長『ま、検査って言っても“魔石”を使うだけだから、痛いのは心のほうさ。特に、無反応だった時のダメージが深刻』
千寿『無反応……って、魔法が使えない人ってことですよね?』
レイ伍長『うん。要するに“無才”。なまじ期待されてると、その落差が痛いのよ。プライドが粉砕されて、ハイ終了~みたいな?』
それを後ろで聞いていたクラウスが、鼻で笑った。
クラウス『ふん、そんなもん怖がってる時点で底が知れるな。俺は当然、火属性。父も兄もそうだったし、“家柄”ってやつだ』
千寿『……そういうの、いいですね。根拠があるっていうか』
クラウス『哀れみか? 哀れみで言ってるのか、“千寿”』
千寿『ち、ちが――!? いや、そういうつもりでは……!』
クラウス『ったく。お前みたいな“誰でもないやつ”が一緒の班にいるとか、軍も人を見る目がないな』
周囲に緊張が走る。だが、そこに――
ゲイル軍曹『静かにしろ。貴様ら、並べ』
氷のような声が落ちた。
誰一人逆らえず、すぐに整列が始まる。
目の前には、魔法省から派遣された“魔力分析官”の姿があった。
***
その女性は、白衣のような装束に身を包み、薄青の瞳を蓮也たちに向けた。
彼女の名は――
カティア・レイセ。魔法省所属、魔導資質検査官。
カティア『順に来てください。中央に設置してあるのが“共鳴魔石”です。触れて、魔力が反応するか確認を』
“共鳴魔石”。
それは、魔法適性の有無を判断する古来からの方法で、魔力が存在すれば光を放ち、属性がある場合はその色で示されるという。
だが――反応がなければ、“無才”。
蓮也の心臓が、ごくり、と小さく跳ねた。
クラウスが先に出る。彼は堂々と石に触れた。
次の瞬間、石が“紅”に光る。
カティア『火属性、確認。発現率は標準よりやや高め。訓練次第で実戦適性あり』
クラウス『ふっ、当然だな』
得意満面。誰もが予想していた結果だった。
そして、次々と他の訓練兵が検査を受けていく。
反応する者、しない者――その差は残酷なほど明白だった。
ついに、蓮也の番が来る。
千寿(……俺に、魔法が……?)
恐る恐る、手を魔石に乗せる。
瞬間――
“風”のような光が閃いたかと思えば、“炎”が混ざるように赤く揺れた。
――そして、渦を巻く。
会場が静まり返る。
カティア『……これは……』
分析官の目が、大きく見開かれる。
カティア『火と風……“双属性”反応。しかも高い同調率。……これは、極めて希少な例ですね』
ざわめきが広がる。
双属性――
王国の記録によれば、十万人に一人と言われる稀有な資質。
魔法戦術において、戦略級の活躍を期待される“逸材”。
クラウス『……は?』
隣で、クラウスの顔が引きつっていた。
クラウス『ちょっと待て、それ……本当に正しいのか? “千寿”なんかが……!?』
カティア『……“千寿”だから、ではありません。数値です』
クラウス『ぐっ……!』
拳を握り締め、クラウスは顔を背けた。
バルナ曹長『――面白くなってきたな』
いつの間にか、バルナ・シュトレイフ曹長が後ろで腕を組んでいた。
バルナ曹長『千寿、双属性か。まぁ、使いこなせなきゃ意味はないがな。訓練で判断してやる』
千寿『……はいっ!』
胸が苦しかった。だが、それ以上に、何かが燃えていた。
***
その夜。
第三班の寮舎では、ざわついた空気が漂っていた。
千寿蓮也、双属性持ち。
その事実は、既に班の全員に知れ渡っていた。
レイ伍長『いやぁ、やってくれるね、蓮也。いきなり伝説候補だよ、君』
千寿『や、やめてください……持ち上げすぎると落ちるやつですから、僕』
ゲイル軍曹『明日からの訓練で、その実力を証明しろ。そうすれば“名前”にも、意味が宿る』
その言葉に、蓮也は静かに頷いた。
クラウスの姿は、いつの間にか見えなくなっていた。
だが、彼の瞳に宿った嫉妬と屈辱の色は、蓮也の記憶に焼き付いて離れなかった。