第4話 GOAT
富井は言うだけ言ってから、「始業に遅れる」と駆け出して行った。
野田は、一応は学校の方を目指しつつも、歩幅を急かすことはなかった。足の弱いご老人が横断歩道を渡るのを補助したり、路地裏のカツアゲ現場を鉄拳制裁で仲裁しつつ、道すがら物思いに耽っていた。
富井が言っていたゴートというのは恐らく、魔物に憑りつかれた人間のことなのだろう。
と、野田はスクールバッグからバナナを一本取り出し、かぶりつきつつ思う。
瀕死に陥り、精神が弱っている隙に、魔物の魂が入り込む。……そうして実体を得た魔物は、その超人間的な力でもって人間を脅かす。
なるほどそういうことか、と野田は塞がっていない方の手で、宙に漂うオーブを握り潰す。
なぜこうもオーブが何者にも憑りつかず漂っているのかのか気になっていたが、人間に憑依するにも条件があるということなのだな。……瀕死でない人間には憑りつけない。だから宙を漂うしか出来ない。なるほどなと野田は得心しつつバナナを食べ終え、スクールバッグからレジ袋を出してその中に皮を放り込んだ。
バナナは彼の住む世界に存在しない食べ物であり、現在の野田の好物の一つになっていた。
野田は校門の前に立つ。そして思う。
このまま自分のクラスに行き、真面目に授業を受けて半日を過ごし、放課後から魔物討伐に向けて動き出すというのは、いささか悠長ではないだろうか。
出来るなら高校も退学して魔物討伐だけに注力したいところだが、その間の生活資金はどう工面するのかとか、諸々を総合的に考えていった結果、今のところは退学しないのがマストだろうという結論には至っていたものの、とはいえ全ての授業を欠かさず受ける必要もないだろう。落第さえしなければいいのだ。
野田は校門をくぐり、2年9組を目指す。
すれ違う生徒のほぼ全てから注目されていた。が、話しかけてくる者は誰もいない。以前の野田がいかに孤立していたのかを実感すると共に、富井もきっと、野田が瀕死に陥っていなかったら話しかけて来ることはなかったのだろうなと、道すがら思った。
富井はゴートに興味がある。だから野田に話しかけたし、会話を続けていく中で野田がゴートでないと知るや否やその場から立ち去ったに違いないのだ。一連の機序を野田は悟っていた。
現に、野田が教室に入ってもまだチャイムは鳴っていなかったし、担任も不在で、クラスメイトは談笑していた。「始業に遅れる」などと富井が駆け出したのは建前に他ならなかったのだ。
そして、一同は野田の方をバッと見て、おのおの曖昧な挨拶をしてから、そのまま元の談笑に戻った。
それは別に、仕方のない反応だった。……生死の境を彷徨い、記憶を失いつつも復活したクラスメイトを出迎える態度としては冷酷もいいところだったが、このクラスに存在する人間の全員が野田に対して、その程度の関係性だったのだから仕方ない。挨拶してやるだけでも良心的というものだった。
しかし、どうにもアバドンにはそれが気に食わなかった。
いくら相手がいけ好かない奴でも、そいつが満身創痍で冒険から帰ってきたら、その生存を祝福してやるのが人情というものではないのか。
アバドンは真っ先に教壇に立ち、チョークを横向きに持って、黒板にでかでかと「野田解人」と書いた。
そしてクラスメイトに振り返り、
「知らないんだろう」と教卓に両手を突いた。
「貴様らは俺の生存を歓迎したいが、俺の名前を知らないから、それが出来ないでいるのだ。俺と同等の賢さの人間が集められるクラスというだけあって、記憶力はお粗末ということらしい」
腐っても都内屈指の進学校の生徒である、流石に野田の皮肉と言わんとすることは理解し、「おお、生きててよかったな、野田」とか、ポツポツと心にもない労わりの言葉を投げかけた。
アバドンは一旦はそれで満足することにし、「俺の席はどこだ」と尋ね、窓際の真ん中の席に案内され座った。
そして着席するや否や、ノートとマジックペンを取り出し、裏映りしないようしながらひたすら同じ文言を書き始めた。
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