最終話 見々学々
それから一ヶ月が経ち、アバドンは都内の小奇麗なマンションの一室で、美波が作った料理を馬車馬のように舌鼓していた。
一連の騒動の事後処理がようやく片付いてきた時分、美波は近況報告がてら自室にアバドンを招き、謝礼にと手料理を振る舞っていたのだった。
「……これで全部なのだけど、足りなかったかしら」
エプロン姿の美波は山盛りの唐揚げを乗せた大皿をテーブルに置き、アバドンの向かいに座る。
ファミリーサイズのテーブルの上には、一縷の空きもないほど料理の皿が犇めいていたが、その半分ほど平らげてなお、アバドンの食べるスピードは全く衰えていなかった。
アバドンは口に料理を詰め込んだまま答える。
「欲を言えばこの倍は欲しいほど美味だが、さしもの俺もそこまで鬼ではない。あと0.5倍ほど追加してくれないだろうか」
「これで全部だと言ったのよ。数字を減らせばいいというものじゃないの」
美波は自らが料理した唐揚げを箸で摘まんで口に運ぶ。満足のいく出来に仕上がっているなと思った。
「料理はどこで習ったんだ?」とアバドン。
「ネットに載っているレシピ通りに作っただけよ。習うも何もないわ」
「俺と交戦した時にキックボクシングのような動きをしていたが、アレもネットを見て参考にしたのか?」
「見よう見まねでね。流石に一時間足らずの動画視聴では完全再現とまでいかなかったけど」
それであれだけの動きが出来るのだから大したものである、とアバドンは感心しつつ、チャーハンを小皿に取る。彼の強い希望で卓上のラインナップは脂っこいものばかりだった。
そして、この会は美波の近況報告会が主であることを彼は思い出し、
「母親の容体はどうなのだ」と尋ねた。
美波は咀嚼していたものを嚥下してから、ぶっきらぼうに答える。
「さあ? 死んではいないみたいよ。快方に向かっているとも言い難いらしいけど」
花子はあのあと病院に運び込まれ、薬でやられた胃を洗浄したりと治療したはいいものの、心身ともに後遺症があり、現在も入院しつつリハビリ生活を送っていた。
美波はそのような花子まわりの手続きを、単身赴任中の父親を無理やり呼び戻してやらせ、……自らは、母親から独立するために奔走していた。
父親に一切の事情を説明して一人暮らしを認めさせ、多忙を理由に塾も一つを除いてほとんど解約し、新たにマンションを借りて移り住み、インフラを整えたりとを、通学しながら一人でしてみせた。
美容院に行って頭髪もセミロングに整えてもらい、表情は未だ朗らかではないものの、変に強張ったりはしなくなっていた。
「というか、そっちはどうなの? ネルヌルは大人しくしているのかしら」
アバドンは手羽先にむしゃぶりつきつつ答える。
「大人しくしすぎているほどだな。本当に俺の中に存在しているのか不安になるくらいには」
「まあ、無害ならいいんじゃない? ……それにしても、無茶なことをするわね。魔物を駆除するんじゃなくて、自分の中に閉じ込めて飼い殺すなんて」
「あれがあの状況における最適解だと思ったのだから仕方ない。……もっといい方法を編み出さねばな。自分で自分のみぞおちを刺すなど、出来ればしたくないのだ。死ぬことはないと分かっていてもな」
「……ほーんと、そうよね」
と、美波はアバドンの左足をズダンと踏む。骨が折れかねないほどの勢いで。
「私のことを救ってくれたことには本当に感謝しているし、頭が上がらないのだけど、……いくら他人を救うためとはいえ、そう易々と自らを瀕死に陥らせていいわけがないわよね」
美波は厳めしい目つきになりつつ、アバドンの左足を踏みにじる。
「もしあなたが相打ちなりなんなりして死んでしまっていたら、私は酷く落ち込んだでしょうね。自分のせいで他人を死なせてしまったことに後悔してもしきれなくなり、自責の念を極めてその果てに、……ということも有り得たのよ」
「……いや、だからその、みねうちの剣には攻撃対象のHPを必ず1以上残すという特殊効果が」
「あるから死なないんでしょ? その斬撃自体では。……でも論点はそこじゃないの。私はね、そもそも瀕死に至るなと言っているのよ。いつ何の間違いがあって絶命するか分からないような、綱渡りするみたいな戦法は取らないでと言っているの」
美波は食い気味に詰め寄る。
「これからもあなたは、幾たびも死地に赴くことになるのでしょうね。……けど、命を軽んじるような方法は禁止して頂戴」
平和の戦士であるあなたにはこう言った方が響くと思うから、あえて押しつけがましいことを言うけれどね。
世界に平和が訪れるその時まで、あなたは死んではいけないのよ。……と、美波は真剣な眼差しでアバドンの目を見つめた。
「………………………………」
アバドンは美波の主張を、頭では理解していた。
が、それと同時に、やはり彼はこう思っていた。
『俺が瀕死になることで解決するような局面にまた陥ったとしたら、俺は再びそうするのだろうな』と。
ただ、その意見を口にしたところで議論が泥沼になることは明らかだったから、アバドンは何も返事せず、泥溜まりになって玄関に滑り逃げていた。
「出ていってもいいのかしら。残り全部私が食べてしまっても」
まだデザートもあるのにねと告げると、泥溜まりは逡巡の後、リビングにソロソロと戻ってきた。
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ここまで読んでいただきありがとうございました!
アバドンの物語はこれにて一区切りとなりますが、いずれまた彼が新たな冒険に繰り出すこともあるかもしれません。乞うご期待ください!




