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第26話 泥入れ鳥の子

 それから間もなく、リビングの壁を貫通するように、四方八方から魔物のオーブが家の中に侵入してきた。

 死にかけの花子の体を奪いに来たのだろうかと、アバドンは刺身包丁を振り回す。

 死の臭いを嗅ぎつけた魔物の魂はその斬撃で数分足らずで駆逐され、アバドンはレベルの上昇と共に致命傷を回復した。腹を刺された傷口が塞がる。


 玄関で物音がし、間もなく夕陽台の肉体を借りたアルミラージがリビングに現れた。


「あ、もう終わった感じ? 流石の戦士サマってやつ?」


 アルミラージはキョロキョロと室内を見回し、大体の経緯を把握する。


「貴様から聞いた通りだった」とアバドンは刺身包丁を掲げる。


「戦士は剣を持たなくてはな」

「ああ、攻撃力が爆上がりしたって意味? 言われてみればオーブのオの字もないもんなこの部屋。もう全部やっちまいやがったのか」


 まあ、アゲアゲなのはいいにしても、刃物はどっかに隠しとけよ。警察にパクられるから。

 という助言を受け、アバドンは包丁を地面に落とす。泥沼に沈み込み、万事解決になる。


「オーブをこの部屋に誘導したのは貴様か」と尋ねるアバドン。


「ああ、そうだよ。……ただ尻尾巻いて逃げるだけってのもアレかと思って、あちこち飛び回りながら魔物の魂に声かけたんだよな。『死にかけのやつがいるから憑りついてこい』ってな。経験値の足しになっただろ?」

「お陰で助かった。こう見えてさっきまで瀕死の重体だったのでな」

「見りゃわかるよ。腹ンとこ血塗れだし。……ていうか、死にかけと言えばそいつもか」


 二人して、黄色い土の上に横たわる花子を見る。


「俺は今から救急車を呼ぶ」とスマホを取り出すアバドン。

「……一応聞くけどよ、見殺しにするって選択肢は」

「ない」と断じる。


「俺が殺生するのは平和のためだけだ。例えそれが見殺しであってもな」

「こいつはもう平和を乱さないだろうから殺さねえって? そりゃいくらなんでも楽観が過ぎやがらねえかなあ。……ていうか現実的な話、瀕死のこいつはまた別の魔物に憑りつかれるかもだぜ? どーすんだよ、もっとヤバめな仕上がりになったら」

「そうならないためにも、俺は魔物の魂をこの世界から駆逐せねばな」


 アルミラージは耳元の髪をかき上げつつ、「意見は変わらねえみたいだな」と目線を外した。


 アバドンは救急車を呼ぼうとスマホをポケットから取り出すが、泥が機器の内部に入り込んで破損しており起動せず、固定電話も地中に埋まっているのだろう見当たらなかったため、「スマホを貸してくれないか」とアルミラージに頼む。


「俺に聞くなよ。本人に頼みな」


 と、直立したままアルミラージはガクンと項垂れ、次に顔を上げるとキョトンとした面持ちになっていた。


「起き抜けにすまないがスマホを貸してくれないか。救急車を呼びたいのだ」


 美波はアバドンのみぞおちが血塗れになっているのを見、『返り討ちにあったのか』と推測しつつスマホをブレザーのポケットから取り出して、


「私が呼ぶわよ。あなたは安静にしておきなさい」とスマホのロックを解除する。


「いや、俺は平気なのだ。レベルアップで回復したのでな。……救急車を必要としているのは、お前の母親だ」


 アバドンは花子に視線を送り、美波はそれに追従することで、ようやく己の背後で横たわっている母親の姿を確認した。


 そして視線は母親の方に向けたまま、アバドンにスマホを渡し、母親の元に歩み寄った。


 その背中にアバドンは呼びかける。


「お前の母親は自らの意思で瀕死に陥り、 泥の魔物を憑依させた。お前が妬ましくてそうしたそうだ。……交戦の末、俺はその魔物を自らの体内に取り込んで奪うことに成功し、今のそいつは無害だ」


 何か話したいことがあるなら話しておけと言い残し、アバドンは119番にかける。


 美波は黄色い土の上に横たわる母の姿を、ただ見下ろした。

 しきりにえづいているが、それ以上何も吐けるものはないと言わんばかり、口から血混じりの唾液を垂れ流している。

 仮にここから生還し果せたとしても、元の健康体とはいかないのだろうな、と美波は冷静な脳で分析していた。


「……何よ」


 花子はガラガラの声で呟く。

 息も絶え絶えに呪詛を吐く。


「私は、あなたの顔なんて、全く、これっぽっちも見たくないのよ。……本当に気に入らないのよ。……あれだけ勉強ばっかりさせたのに、なんで友達をつくれるだけの社交性があるのよ。死ぬほど思い詰めたくせに、なんで生きているのよ。異能なんか手に入れているのよ」


 あなたは恵まれすぎているわ。才能にも機会にも。

 そんなあなたが私は死ぬほど憎い。


「……………………………………」


 美波はどこかで幻想を抱いていた。

 母親が勉強を押しつけてくるのは彼女なりの愛情なのではと。……娘の将来を思って、心を鬼にして厳しくしてくれていたのではと、心の片隅ではそれを期待していた。


 しかし花子は、このまま死ぬかもしれないという段になってもなお、美波への愛情を吐露することはなかった。


 美波は部屋中の家財がどこかへ消えている中、ヨウムとその鳥かごだけは無事に残されていることを確認し、……あの中に入っていたのがヨウムではなく自分だったら、きっと無事にはしてくれなかったのだろうなと思った。


 美波は何も話さなかった。

 話が通じる相手じゃないと知ったから、

 ただひたすら肩を震わせながら啜り泣いた。

お読みいただきありがとうございます。


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