第23話 沈思黙考
泥沼の攻撃は多岐にわたった。
引きずり込むだけではなく、叩く、躓かせる、滑らせるなど、あらゆる方法でアバドンの足を引っ張り、ただ泥沼の上で足踏みしていればよかった時と比べ、アバドンの体力の消耗は格段に激しくなっていた。
「あなたの魂胆は見え透いているわ」
花子は、明瞭な活舌で唱えつつ得意げに鼻を鳴らす。
「隙を見て、花実ちゃんを人質にするつもりでしょう。バレているのよ、あなたがさっきから鳥かごの方を気にしているのは」
事実そうだった。
アバドンは周囲の家財などがことごとく泥沼に呑まれていく中、鳥かごの真下の地面だけはフローリングのままであることを確認していた。……花子はあの鳥だけは大事にしているのだなと判断し、有事の際にはその鳥を犠牲にすることも視野に入れていた。死なせてしまったら焼いて食べて供養するつもりでいた。
「美波も男を見る目がないわね。こうも魂胆が見え透いた男ではね。……今からでも目に浮かぶわよ。あなたは美波とのデートの最中に他の女に目移りするのよ。美波より可愛くて綺麗な女の子しか都会にはいないんですからね。そしてあなたの目移りはバレバレだから美波に幻滅されるのよ。……ガッカリするのでしょうね。自分はどこまでいっても女として駄目なのだと深く傷つくのでしょうね。……私は孫の顔なんかよりも、そうやって落ち込んでいる娘の顔の方が見たいわ」
「おい待て、今のは聞き捨てならんぞ」
アバドンが木の棒を花子に向けて言うと、泥の猛攻がピタッと止まった。
「何が? うちの娘が可愛くないという話かしら。ごめんなさいねただの謙遜なの。そんなことは思っていないわよ。あの子はムッとはしているけど笑えば可愛いと思うわよ? まああの子が笑っている顔を私は見た記憶がないけれど」
「貴様、娘の幸せを願っていないのか? だからこそ過剰に勉強を強いて、よりよい進路を辿れるよう導いているのではないのか? いささかやり過ぎではあるし決して褒められたことではないが、根底には娘のためを思う親心が」
「ないわよ、そんなもの」
と、花子は言い切った。
「私は周りが望むから恋人をつくっただけで、周りが望むから旦那をつくっただけで、周りが望むから娘をつくっただけ。そこには何の思い入れもないわよ。最初からそうなの」
「……意味不明極まるな」
アバドンは息を整えつつ、花子を睨む。
「何の思い入れもないのなら、夕陽台を精神的に死ぬほど追い詰める理由はなんだ。あれならまだ無視してやった方がマシだ」
「あの子が知性に興味を持ったからよ。あの子の苦悩はあの子自身が招いたことなの」
花子は眼球と瞼の隙間から泥を流しつつ、少なくとも晴れ晴れとはしていない表情で呟く。
「あなたも聞いたでしょう? 美波は小学生の頃から小賢しかったのよ。一丁前に私の行動分析なんかしちゃってね。私が好んで見ていたテレビ番組の録画だかなんだかをネットで見て、コメンテーターのセリフを私の前で真似て、自然な感じを出すために友達と電話してるフリすることで私に構ってもらおうとしたのよ。……ほーんと、」
可愛げのない子。
と吐き捨てつつ、花子は攻撃を再開する。泥の手を立て続けに繰り出す。
猛攻に次ぐ猛攻でアバドンに口を挟まれないようにしつつ、一方的に捲し立てる。
「女が学校に行くのは社交性を身につけて伴侶を見繕うためでなくてはならないの。女が知的であろうとしてはいけないの。それが常識なのだから」
泥沼から飛び出してくるのは、手ではなく棘の形状になりつつあった。
鋭利な棘の先端が、アバドンのブレザーを掠めて裂く。
「それなのにあの子は知的ぶろうとした。私に構ってもらえないのを知性で解決しようとした。女としての正しい生き方を放棄しようとしたのよ」
だからお望みどおり、好きなだけ勉強させることにしたわ。
「勉強しか出来ない無能に育て上げるためにね」
と、花子が気持ちよくなっている隙に、アバドンは泥沼からの攻撃が徐々に手薄になっていることを把握している。
今や、花子の覚醒率はかなりの高さまできている。長台詞を淀みなく話すことが出来ている。すなわち相対的にネルヌルの方が昏睡状態に陥りつつあるはずで、その証左として攻撃が弱まっているのだと判断した。
が、攻勢に転じようと花子に一歩踏み出した直後、アバドンの全身は真下から突き上げる泥の柱に呑まれてしまった。
その柱が溶けて床の上に流れ出すと、アバドンは泥の手に首を絞められ、足が床に着かない高さまで持ち上げられていた。木の棒も泥に持っていかれた。
「ここぞというタイミングで一気に動かせるよう、泥を一箇所に纏めて地面の中で待機させていたのよ。……さて、」
殺す前にお喋りに付き合ってもらいましょうか。
一方的に話すのが好きなのよ、私。と呪詛する花子。
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