第15話 背に腹は代えられぬ
「え、キッショ。やだよ普通に。なんで?」
アルミラージは腕を抱えて顔をしかめる。何が悲しくて男の頬などビンタしなくてはならないのかと。
アバドンは毅然として答える。
「ほんの僅かでも覚醒状態にしてくれたらいいのだ。そうしたら後は俺がやる。そこから一気に目覚める方法があるのだ」
「……いや、そうは言っても…………」
アルミラージは躊躇う。世界最強の戦士に対し、自らの意思で牙を剥くのが恐ろしかった。
が、と思い直す。むしろこれはチャンスなのではと。
あのアバドンに一方的にビンタすることが出来る機会など、こちらからどれだけ願おうと二度と叶わないだろう。……世界最強に殴り放題できるという事実を再認識し、アルミラージの嗜虐心はメラメラと燃え上がっていた。
「まあ、そこまで言いやがるなら仕方ねーよな。俺みたいな下賤の下級魔物が何を突っぱねやがるんだって話だ。うんうん。そりゃ仕方ない仕方ない」
アルミラージは野田の膝の上に跨り、右手を高く振り上げた。
「いや、そんなに密着する必要は」
「まあまあまあまあ。この姿勢が合理的なんだから仕方ねえっての。歯ァ食い縛れよ」
「出来るわけがないだろう。意識が飛んでいるのだから」
「父の仇! 知らねえけど多分!」
アルミラージは野田の両頬を交互に激しく往復ビンタする。
「母の仇! 息子一号の仇! 娘一号の仇! 娘二号の仇! 息子二号の仇! その他息子と娘二十号ずつぐらいの仇! おらおらおらおらおら!」
「多産だな。だがそんなにアルミラージを殺した記憶はないぞ。アレは自分より強い相手と出くわすとすぐ逃げるからな」
三下呼ばわりすんじゃねえと叫びつつ、アルミラージは一心不乱に野田の頬をビンタする。息は切れ顔は紅潮し、口角は吊り上がっている。
一方、野田の肉体は顔をしかめ、唸り声を出していた。もう頃合いだろうとアバドンは転移魔法を唱え、憑依に成功する。
瞼をパチリと開き、眼光鋭く前方を睨むと、アルミラージはたちまちビンタを中断し、遥か後方の壁際まで飛び退いた。
「お、おお、……もう目覚めやがったんだな。僥倖僥倖。そしたらもうさっさと帰ってもらって…………」
アルミラージは野田が心変わりしないうちに出て行かせようと促すが、野田の耳にその言葉は入っていない。
彼は起き抜けた直後、己の左手の親指の爪を噛み、「フンッ」と剥がしていた。
プチンと爪の下の組織ごと引き剥がされる。指先は神経が集中しているためたちまち激痛が知覚される。剥き出しになった組織は風に触れるだけでも痛み、睡眠状態になど戻りようもない。
野田は無表情のままでいつつも、脂汗を額に滲ませ、指先から血を流していた。
「すまん、何か使い捨てのタオルなどあるだろうか。あいにく吸水性の高い布を持ち合わせていないのだ」
アルミラージはしばらく呆然としていた。
両目と口とを開き、ただ眼前のスプラッタな光景を眺めていたが、……徐々に眉が下がって険しい表情になり、
「お前ッ、何やってんだよ!」と叫んだ。
今度は野田が困惑する番である。何が相手の逆鱗に触れたのか分からず、ただ指先からだらしなく血を流し続ける。
アルミラージは人差し指を野田に向け、なおも喚きたてる。
「そういうことすンなら事前に言えよ! お嬢の部屋そんな簡単に汚してんじゃねぇよ! ンなことしてババアに勘繰られたらどうすんだって! ざけんなよマジで!」
「いや、確かに俺にも非があることは認めるが、流石に何も片付けしないまま帰るつもりもなかったのだが」
「……いい。お前はとりあえず親指の根っこ抑えて止血しとけ」
アルミラージは屈伸し、反対側の壁際まで8mほど跳躍し、ドアノブに手を掛けつつ野田を振り向き、
「絆創膏とか布とか持って来るから。そっから動きやがるんじゃねえぞ」
と出ていきドアを閉め、その直後に外側からドアを開けて顔だけ室内に入れ、
「勝手に出歩いたらぶん殴るからな!」
と言い残して出ていった。
彼としては珍しく圧倒されっぱなしだった野田は、言いつけられた通り右手の親指と人差し指を左手の親指の根元に巻きつけ、強く握り込んだ。
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