その6 アルカネット侯爵家、ソレルとルバーブ父子
「何故、マーリンは来ないのだ。あの業者との連絡はどうなっている?」
彼の名はルバーブ・アルカネット侯爵令息。
アルカネット侯爵家の長男である。
品行方正の麗しの貴公子として有名な人物。
次期侯爵として、少なからず使える権力もあった。
その権力の一つで、マーリン・オレットをここに連れてくるように、借金取りで人買いのタラゴンへ依頼を出していたのだ。
表では隙のない高身長の優男だが、彼は無類の面食いだった。つまり美女が好きなのである。
どんな高位貴族に迫られても、なんなら王女に愛の告白をされても断る男。
また固辞の仕方が尋常なくうまい。
「僕のような未熟者では、貴女を幸せに出来ません。
僕が次期侯爵として成長するには時が必要です。
このまま貴女を待たせて悪戯に年を経れば、美しい蕾を枯らせてしまう。
…………どうかこのお話は、なかったことにさせてください。
本当に申し訳ないです。
こんな僕なんかに、愛をくれたのに………」
悲しくルバーブが囁けば、どんな淑女も擦れっ枯らしも仕方なく応じていく。
彼は確かに優良物件だが、常に理想高く研鑽に励んでいる。
嘘がない彼なら本当に、
《何年先に結婚となるか、想像もつかない》のだ。
貴族令嬢の結婚適齢期は短い。
彼を待って選ばれなかった時は、もう後の祭りだ。
親だって諦めさせるだろう。
そして父親のソレル・アルカネット侯爵は、影の支配者と言われる切れ者だ。王命なんかで息子の結婚を決めたりしたら、その数日中に国王は亡き者にされる………かもしれないと囁かれていた。
なので、王女がどんなにねだっても無駄だった。
たかが噂なのに。
でも国王リンデン・ゴールダーは知っている。
「あいつは…………気に入らなければ、手段を問わない男だ!」
そう、国王も恐れる、なんかやばい侯爵らしい。
表面ではいつもニコニコの優しそうな男なのに。
「お前は知らないだけだ。あいつが本気で何かを欲して、目を開けたところを見たことがないだろう?
あのつり目と限界まで上がった口角を見れば、心底震えるぞ。
あいつと対等に張り合えるのは、バージルだけ。バージル・フラナガンス前侯爵だけなんだよ。
それなのに、息子に後は任せたとか言って辞めたんだよ!
どうすんだよ!」
宰相はコホンと一つ咳払いをして、言うのだった。
「不敬を承知で言わせて頂きます。
学生じゃねえんだよ、リンデン!
ただあいつが苦手なだけだろが!
何でもかんでもバージルに頼ってるから、今こんなんなってんだろうが。
腹括れよ、国王だろ!!!」
無理無理無理と首をふる国王と、襟首を揺らす宰相コンフリー・ニゲラ伯爵は、乳兄弟である。
確かにソレルは底が知れないが、国王がイヤイヤするのには理由があった。
「あいつは学生時代、不敬とならない程度に手を抜いて、俺に必ず一番を譲ってたくせに、
“さすがは次期国王です。この国は安泰ですね”と。
あいつは苦労なんてせずに、学問も武道も熟していたが、僕はいつも必死だったんだよ。
そんなあいつが、バージルとの剣技だけは本気を出していた。二人とも本気で打ち合っても、結局は引き分けだったが、その時の開いた目は獲物を捉えたようにギラついていたよ。
そんな男が、僕との打ち合いであっさり負けるんだよ!」
(あぁ、まあね。それは嫌だよね。でもさ、今は立場が違うんだから)
コンフリーは、遠い目をしていた。
学生時代は掌の上で転がされていたとしても、今や国の頂点なのに。
「そ、それに妻も、ソレルに憧れていたって言うんだよ。もう嫌だよ、コンフリー!」
何年前の話だよ、まったく。
「それで、今回はどうしたと言うんですか?」
喚く国王の愚痴は、後回しだ。
私だって忙しいのだ。
「それがさ、エルフの国からの嘆願が来たんだ。
この国パスタラーノで、王女が死んだらしい。
家出でうちに来たらしいんだけど、王女と連動している守り石が割れたらしい。
変装していて、姿は変わっているかもしれないんだって。
何でも、遺体だけでも引き取りたいそうなんだよ」
「変装していて姿が変わっている、ですか。難しいですね」
「そうだよね。どうしよう?」
「何か手がかりはないのですか?」
「ああ、待って。ハイ、これだよ。割れた守り石だって」
「これで僅かに繋がる痕跡を辿れば、見つかるはずなんだけど…………」
「何か不安が?」
「うん。実はね、エルフの肉体は、人間には不老の薬になるらしいんだ。ソレルはずっと、エルフの亡骸を探しているんだ」
「なんの為に?」
「わからない。けれど、きっと良くないことだと思う」
「それは件の勘ですか?」
「うん、そう。だからこの件は信用できる人物に任せたいんだ」
「どなたに?」
「バージル・フラナガンス前侯爵へ
これはソレルには内緒だ。コンフリーは、至急バージルに連絡して欲しい。僕の能力がそう告げているんだ、事によっては大惨事になると」
「わかりました。すぐに向かいます」
「この守り石も持って行って。そしてコンフリーには、僕の護衛を一人つける。気をつけろよ」
「はい。ありがとうございます」
その足でコンフリーは、フラナガンス邸へ向かう。
国王の勘は、未来予知の下位互換で “虫の知らせ” と呼ばれるものだ。王族に時々現れ、強ければ未来予知だが能力を継がないこともある。国王のリンデンは僅かに能力があったが、内密にしている為にそれを知る者は少ない。
敵を油断させる目的もあるんだろう。
◇◇◇
ルバーブが依頼した者は、マーリンへ借金の取りたてに来て、ニヤリとイヤらしい顔をした男だった。
「ここの旦那から、お前の雇用を頼まれてたんだけどな。どうやら無駄になったようだ」と、言った男。
男爵は既に、ルバーブに金を借りていたんだろう。
その借金の代わりに、マーリンを引き取るつもりだったのだ。
きっと表向きルバーブは、没落した男爵の庶子をメイドに引き取った等と、美談に仕上げるつもりだったはず。
バージルがいなければ、今ごろマーリンはルバーブの欲望の餌食になっていただろう。
マーリンもマーリンの母も、亜麻色の髪と黄緑の瞳の妖精のような美しさを持っていた。彼女達は下町で、みんなに愛されて暮らしていたのだ。
マーリンの母は、男爵にこう言われていた。
「この町の一つくらい、税金を上げたり物資を止めて潰せるんだ。お前さえ言うことを聞けば、今まで通りに暮らせるんだぞ」と。
世間知らずのマーリンの母は、この町の為に犠牲を選んだ。側にいた友人は彼女に言う。
「あんな人の言うことなんて、聞かなくて良い。あんたは逃げるんだ!」
そう言われても、決断できなかった。
男爵は借金してもならず者を雇うし、失うものがない卑劣な男だ。きっと、何もかもなくしてしまうまで、暴挙は続くはず。
自分が逃げれば腹いせに、この町なんて目茶苦茶にするだろう。
町民達は彼女を止めたが、それほど裕福ではない人々はここから去ることも出来はしない。
……………だから彼女は、男爵に従うしかなかったのだ。