ALS患者への嘱託殺人判決から「尊厳死」や「生きていること」を考える
筆者:
本日はこのエッセイを選んでいただき誠に光栄です。
今日は難病である筋萎縮性側索硬化症(以下ALS)患者への嘱託殺人の罪などに問われた医師の裁判で、京都地裁は懲役18年の有罪判決を下した一件について個人的に思ったことを書いていこうと思います。
質問者:
ALSって確か壮絶な病気でしたよね……。
筆者:
それについてまず解説していきましょう。
ALSとは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉が徐々に衰え力が無くなっていく病気です。
しかし、起きている事象としては筋肉量の低下なのですが、
筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が障害をうけたことが起因する脳の病気なのです。
まだまだ脳のことは未解明なことが多く、1万人に2人ほどしか罹らないと言われていますが、治すことはかなり困難で国の指定難病の一つになっています。
※指定難病になると国から治療に対して補助を得ることが出来ます。
質問者:
文面を見るだけで苦しそうな病気だというのが分かりますね……。
しかし日本では尊厳死・安楽死が認められていないから犯罪になるんですね。
◇「消極的安楽死」は事実上認められている
筆者:
ここで皆さん一つ誤解があると思うので解説しておきましょう。
実を言いますと日本でも「尊厳死・安楽死」というのは認められています。
末期的症状に近いにもかかわらず、敢えて病院で医療行為をしないで在宅治療をして家族に看取ってもらうことです。
ただ、すぐに亡くなるわけではないので痛みを和らげる投薬などはすることにはなると思いますが、病院で治療を続けることより寿命は短くなります。
これを医学用語で厳密に分類すると「消極的安楽死」と言います。
これは当然、患者さんやご家族の同意あっての在宅医療になりますけどね。
ただ、すぐに亡くなるわけでもなく場合によっては年単位で自宅医療をこともありますから死をすぐさま望む方にとっては適しているかどうかと言われると謎ではありますがね。
質問者:
なるほど、実は認められていたんですね……。
え……それでは一体何が犯罪になっているのでしょうか?
筆者:
議論になっているのは医師の医療行為によって、
患者の生命・寿命をほとんどその瞬間に終わらせる「積極的安楽死」であることを覚えていただければと思います。
例えば生命維持装置である酸素吸入装置を取り払ったり、投薬などで命を絶たせるといった行為です。
これらのことを「積極的安楽死」といいます。
まずは安楽死や尊厳死と言えど、この2つの種類があることを押さえておきましょう。
◇積極的安楽死の論点
質問者:
議論になっていることが「積極的安楽死」であることは分かったんですけど、
その必要性についてはどう思われますか?
筆者:
この世の中には様々な病気がありますし、今後もレアな難病は出てくるでしょう。
そして僕ごときでは筆舌しがたいほどの心身の苦痛を伴うことは、
味わうことはできなくても推察することが出来ます。
また、同じ病気を持っている人であっても、生きている環境が違いますので、
同じ気持ちになれるわけではありません。
そういったことからシステム的には必要ではないかと考えます。
質問者:
しかし、亡くなってしまってからでは取り返しがつきませんよね……。
筆者:
そうですね。
ですから制度的に仮にできたとしても合意形成はしっかりしなくてはいけないでしょう。
いわゆるインフォームド・コンセント(informed consent)と呼ばれるもので、
「医師から説明を受け納得したうえでの同意」であるか? が大事になります。
例えば今回の事件の判決文で分かったこととしては合意形成はSNSのやり取りで、その回数も少なかったようです。
流石にこれは問題だと思います。
健康な人であったとしても誰しも人間の気持ちには波がありますから、
病状の進行が無くとも突発的に死にたくなってしまうこともあると思います。
複数回の違った医師による面談や、
家族がいる際には家族込みでの話し合いが必須だと思います。
質問者:
気になるのは本人と家族とで意見が分かれた場合ですよね……。
筆者:
これは答えが無いことだと思いますし、ケースバイケースだと思うのですが、
基本的には本人の意思を尊重して欲しいですね。
というのも、家族の「生きていて欲しい」というのは純粋な想いだけではないからです。
年金受給目当ての場合もあるからです。
高額医療で大半の医療費が返ってくる可能性もあるので「無駄な延命措置」を施させて「高齢者家族のビジネス化」をしている可能性も否めないからです。
勿論、重病者のご家族が全員そうだとは言いませんが、
そう言った悪意のある人間のために本人が生きているケースの場合は本当に気の毒です。
質問者:
確かに……。
そうなると、本人が意思を表示できない場合はどうしたらいいんでしょうか?
筆者:
これは現状ではさらに難しい問題ですよね。
ただ、テクノロジーの進化によって言葉が使えずとも脳みそにマイクロチップを埋め込むことによって、脳波のみで意思判断が100%近くできるようになれば頭が働いているのでしたら意思判断が可能になるかなと思っています。
質問者:
脳にマイクロチップとかいう話は一見すると怖いですけど、
医療面では大きいかもしれませんね。
筆者:
そうなんですよね。僕も正直かなり怖い話だと思うのですが、現状病気で意思表示が閉塞状態にある人に対しては劇的な革命を起こす可能性があると思っています。
◇若いうちから「生と死」や「健康」を意識する。
質問者:
ちなみに、まどろっこしい言い方だったような気がしたんですけど、
もしかすると積極的安楽死について全面賛成じゃないんですか?
筆者:
これはあくまでも僕の意見ですが、病気の方というのは生活が制限されますから、どうしても意思決定の幅が狭くなってしまいがちなんですよね。
情報を絞ることによって周りの人によるある種の「洗脳」も可能になってしまいます。
ですから「本人の意思」というのもどの程度のものなのかな?
と思ってしまうんですよね。
僕はどちらかというと今も認められている「在宅医療による消極的安楽死」の方がご家族とも一緒に過ごせますし、いいと思います。
ちなみに僕の祖母は本人の希望もあって在宅医療で最後看取りましたが、とても穏やかな最期でした。
今でも最期の日に背中をさすった時に祖母が喜んでくれたことを覚えています。
質問者:
だから「制度的にはあった方がいい」という微妙な表現だったんですね。
筆者:
制度的には色々な選択肢が広がるという事で肯定しますけど、
例え合法になったとしても周りの人には「積極的安楽死」は薦めたくない――そういう感じです。
人の生死に関わることにそんなに他人が介入するのもどうかと思うので、
「何をしてでも1秒でも長く生きたい」という方はそれでもいいと思います。
質問者:
ただ、本当に痛々しい治療もありますよね。
筆者:
脳卒中や認知症などの食べ物を口から受け付けない人のための医療措置として胃瘻という方法がありますが、状況によりけりですが――個人的には「ムゴイ」と思いました。
「生かされている」という感じがしていい印象は受けませんでしたね。
日本老年医学会はメリットについては認めつつも、
「意思疎通が出来なくなる可能性もあり、本人の尊厳を損なう恐れがあるため慎重な判断が求められる」としています。
質問者:
国の指定難病でなかったとしても意思疎通が出来なくなることってありますからね……。
筆者:
こういったことを考えていると、「生きている」ってどういうことなんだろうな?
って思ってしまいますね。
一般的には脳や心臓を動かしていれば「生きている」ことになりますけど、
自分の意思表示が出来ない、苦しい状態で「生かされ続けている」状態は果たしてどうなのだろうと……。
質問者:
健康でいる私たちはその健康のありがたさを理解していかなくてはいけませんね……。
筆者:
そうなんですよね。
命や健康が有限であるということを意識して日々生きていきたいと思いますね。
その限られた人生の中で一体何をしたいのか、何をすべきなのか取捨選択していくことが大事だと思いますね。
質問者:
健康だったとしても何も目標や生きる意義が無ければそれはそれで不幸な気がしますからね……。
筆者:
これをお読みになっている皆さんは改めてそう言った視点で「生と死」や「健康」について考えていただければと思います。
と言う事でここまでご覧いただきありがとうございました。
今回は安楽死には合法である「消極的安楽死」と議論になっている現在日本では違法な「積極的安楽死」があるという事、
そして「生きている」とは改めてどういうことなのかという事について考える必要があるという事をお伝えさせていただきました。
このような時事問題や政治・経済、マスコミの問題について個人的な解説を行っていますのでどうぞ他の作品もご覧ください。