【人魚編】魔女に願う
「魔法を教えるのは‥‥無理だと思う」
三浦ハナは、少しだけ考える素振りを見せた後、強く首を振った。
コンビニの駐車場の隅、買ったばかりのコーヒーの温もりを両手で享受しながら、ハナは再び目の前に現れた少年の真っ直ぐすぎる瞳から目を逸らす。
現代社会の暗部に慣れてしまった彼女の目には、少年の決意に満ちた純真な目は眩しすぎた。そんな目で見ないでほしい。彼の希望の芽を潰そうとしている自分が、なんだか不理解な大人の代表のような気がして泣きたくなる、そんな事をハナは思ったが口に出せるはずもない。
「なんで、無理なんですか?」
少年ーー喜多代定は問いかける。最初に断られることは覚悟の上だ。たった一言で引き下がるくらいなら、眠い目を擦って再び深夜のコンビニに訪れるはずなどない。
「なんでってーー」ハナは腕を組み眉間に皺を寄せる。自分の意見を上手く言語化できるかわからないので、恐る恐る言葉を紡ぐ「えっとね、多分この魔法ってね、努力でどうこうってやつじゃなくて、血統的なものなんだと思うの。私も誰かに技術を学んだわけじゃなく、物心ついた時からなんとなく使えていただけだし」
それがハナは本心だった。
もしかしたら努力次第で誰でも使える代物なのかもしれないが、生まれた時から魔法に慣れ親しんでいたハナにとっては、実際のところよくわからないと言うのが正直なところだ。
ハナにとって魔法とは呼吸や食べ物の嚥下と同じ認識だ。息の仕方を第三者へ事細かに教えられる人がいたら是非会ってみたい。
「‥‥そうなんですか」
俯いた定は唇を噛み締める。
血統的なものであるなら、極々一般人の自分にはやはり無理なのだろうか。少年漫画の主人公なら努力と根性で天才を打ち負かすのが定石だが、生憎ここは現実世界の海辺の田舎町だ。
「昨日話してた、クラスメイトの為だよね?」
ハナが問う。このまま少年の顔に苦悩の表情を張り付かせ続けるのは忍びない。
「えっと、魔女さんが直接手を出せないなら、自分が魔法を使えるようになれば、なんとかなるんじゃないかと思って。どっちにしろ迷惑なのはわかってるんですが‥‥」
無力感に苛まれながら定は返す。
「心配なんだね」
「心配っていうか、なんというか」
定は言葉を濁す。
よく考えると、殆ど話した事もない名前すら覚えて貰えていないクラスメイトのために、得体の知れない魔女と接触を図るなんて、どう考えても頭がおかしい。常軌を逸した行動をしている自分を客観視して、その不合理に定は戸惑う。
自分の感情を上手く言葉に出来ない定を見ながら、ハナは甘酸っぱい感情が心を満たしていく感覚に身悶えた。
不確定な感情を起爆剤にして、周りの迷惑を省みずに行動に移す事ができる。それは大人の視点で見れば、傍迷惑で、自分勝手で、明らかに子供の論理だろう。しかしハナは、そんな定の若さゆえの衝動がとても微笑ましいもののように感じた。
それに、定の感じている『不合理』は『ある言葉』で言い表すことで、矛盾なく落とし込める事をハナは知っている。
ハナにも同じ不合理に突き動かされ、狂人のように実家の魔術書を読み漁り、魔法の実験に明け暮れた過去があった。
その時は朧げだった感情も、今は容易に言語化できる。
ハナの手は、カボチャ頭のタカハシに無意識に触れていた。
「‥‥なんか、いいね」
「え?」
「ううん、なんでもない」
ついつい溢れてしまった言葉をハナは打ち消す。しかし心は既に、目の前の少年に寄り添い始めていた。
その『不合理』は、何者にも勝るものであってほしいと、ハナは信じたかった。
「私に、出来る事ってあるかな?」
俯いていた定が顔を上げる。
「手伝ってくれるんですか?」
「多分、大した力になれないと思うけど」
「そんな事ないです! あ、ありがとうございます!」
定は目を輝かせて、何度も頭を下げる。
ハナは過去の自分を思い返しながら、苦悩の末に死者蘇生の秘術を編み出した時、自分も同じような目をしたんだろうな、そんな事を思った。
「とは言え、どうすればいいんだろう‥‥?」そう言ってハナは頭を抱える「‥‥とりあえず、次の休みに相談しようか?」
「そうですね。次の休みっていつですか?」
「えっとね、この前久しぶりに休みをもらえたから、うーんと、えー」ハナは鞄から手帳を取り出しページを捲る「あ、うんと‥‥来月末‥‥」
「え?」
「今繁忙期だから」
「いや、そんなに忙しいんですか? 流石にそれはちょっと‥‥大人って大変なんですね」
「いや、そんな事ないよ。ウチの会社が終わってるだけだから」
世間一般から見ても、この労働状況は明らかに労基違反だし、これに従っている自分の頭がおかしいのだ。そんな風に自らを客観視できるのだから、自分はまだマトモなのだ。
そう言い聞かせ、自尊心を高める。
「ごめん、遅いよね」
「いや遅いっていうか、そんなに貴重な休みなら休んでもらった方が‥‥」
「でも」
『ちょっと、俺も喋っていい?』
二人の話を遮るように、ずっと傍観に徹していたタカハシが声を発する。戸惑うハナと、虚空から放たれた第三者の声に辺りを見回す定。
「あれ? 今の声って、誰ですか?」
「ちょっと、タカハシさん!」
『もう魔女だってバレてるんだから、俺のことも今更隠す必要もないでしょ』
「そうかもしれないけど‥‥」
『それに、一つ提案があるんだ』
「あの、誰かいるんですか?」
『魔女さんの鞄のところにぶら下がってるかぼちゃの人形があるでしょ? 今、そいつが話してるんだよね』
定が鞄の取っ手を見る。
明らかに無機質なフェルトとプラスチックの人形がぶら下がっていた。
『はじめまして』
「あ、えっと、え?」
唐突な挨拶に面食らう定。
『こんな姿でびっくりさせたよね。俺、タカハシって言います』
「あの、はじめまして。あ、俺は喜多代定って言います」
つられて頭を下げた定は、彼女たちに自分の名前すら名乗っていない事を思い出し、再びペコペコと頭を下げる。
『定くん、よろしく。あ、状況は把握しているから説明不要だよ。ここにぶら下がって二人のやり取りをちゃんと聞いてたから』
「はあ‥‥」
頭の中に直接語りかけてくるような、独特な響きの声だった。トンネルの中で声が反響するように、頭の中で振動しながら、言葉として形作られていく。
「タカハシさん、定くんがポカンとしちゃってますよ」
『俺がどういう存在なのかは、説明がややこしいから省くけど、まあなんというか、人間の魂がこの人形に憑依しているような状態なんだ』
「そ、そんな事ってあるんですね。でも魔法が存在するんだから、そういう事もあるのか‥‥」
「うーん、定くんは適応力が高いね」
「そりゃ、クラスメイトの声が突然消えたり、魔法を目撃したりしてるんですから、そうなりますよ」
定は混乱して固結びになった脳みそを解くように、右手の中指で眉間を揉みほぐす。
ハナは苦笑いを浮かべ、鞄のタカハシのカボチャ顔を定の方に向けた。
『それで、提案なのだけどーー』
タカハシはキーチェーンを支点にゆらゆら揺れながら話し始める。
☆
翌日、眠い目を擦りながら喜多代定は自転車を走らせた。
朝の冷えた空気は頬と鼻の頭の温度を奪う。右手の甲で触れたそれは、自分の体の一部とは違った、冷蔵庫の中に忘れ去られた去年の鏡餅みたいな質感だった。
「タカハシさん、寒くないですか?」
自転車を漕ぎながら、ブレザーの胸ポケットに語りかける。
『大丈夫、温度は全く感じないから』
心配する定にタカハシは返した。
二人が行動を共にするようになったのは、昨晩のタカハシの提案が切っ掛けだった。
ハナは仕事で時間を作る事が困難だが、タカハシは鞄にぶら下がっているだけの毎日なので時間は腐るほどある。
加えてタカハシも霊的な存在であるため、クラスメイトである凪原姫子の抱える問題が、医学的なものなのか、それとも超常的なものなのか、そのくらいは判断がつくだろう、という事だった。
もし彼女の自分と同じような「霊体」が取り憑いていれば、会話し、説得して、身を引いてもらう事だって可能かもしれない。
タカハシが人形のフリをして定の学校に同行し、凪原姫子を観察する。その提案に定が同意し、今に至る。
『何事も事前調査は大事だからね』と得意げに言ったタカハシは、ハナに「でもタカハシさんの調査報告書類は誤字脱字が多かったですよ」と返され肩を落としていた。
そんなやり取りを見ながら、定はこの二人の気の置けない関係性に興味と羨望を覚えた。
そして同時に、この二人が得体の知れない人物などではなく、日々を出来るだけ正しく丁寧に生きようとする、自分と同じような普通の人達なのだと改めて実感するのだった。




