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【河童編】河童の行方

 大欅が切り倒され、ねぐらを失った河童は新たな「うろ」を探して彷徨った。

 

 うろの中で過ごした時間によって、河童の体は衰え痩せ細り、微かな夜風に吹かれるだけで、野花の種子の様に空へと浮かび上がった。

 根を張る土壌を探すように、河童は風に吹かれながら、いくつもの山を超えた。


 やがて河童は一人の青年に見つけられる。

 河童の話を聞いた青年は、彼を新しい「うろ」へと案内した。


 そこは心地よく湿っていて、薄暗く、腐葉土のような懐かしい臭いがした。


 河童にとって、その「うろ」が新しいねぐらとなった。


 微睡みながら河童は思う。

 村人と約束した、あの大欅はもうない。

 

 さて、どんな悪さをしてやろうか。


 

   ☆



 玄関を開けると、類家るいけいさむはいつになく神妙な顔で立っていた。

 ゲーミングチェアにもたれかかるように座った勇は、マウスを操作してウインドウを開くと、顎で見るように促す。喜多代きたしろさだめ凪原なぎはら姫子ひめこは、何を見せられるんだと眉を顰めながら、画面に写る一文に目を通した。


『J市にいるんだね。早く会いたいな(^_^)』


 それはネムコの動画チャンネルのコメント欄のようだった。日時は先週日曜の24時。意味がわからず勇を見ると、勇は二人の表情の変化を伺いながら、大義そうに坊主頭を掻いた。


「これ、スクショ。実際のコメントは削除してんだけどさ、毎週日曜の深夜に、こんなコメントが書き込まれてるんよ」


「は、はあ?」


 意図が読み取れず、定は首を傾げる。


「最初はただ『会いたいな』ってコメントだけだったんだがね、翌週には『N県に住んでるんだね』とか言い出して、更に翌週には『J市に住んでるんだね』とーー」


「近づいてきてる」姫子が呟くと、勇は画面を見ながら頷いた。


「確かに、俺達はN県J市に住んでる」勇はゲーミングチェアをギシギシ言わせながら、手元に置いたペットボトルのコーラを流し込み、炭酸の刺激によって眉間に皺を寄せる「情報が漏れたのかもしんないな」


「ええ、それってマズイじゃん!」取り乱した定は画面と勇を顔を交互に見比べる「警察とかに相談した方が‥‥」


「実害もないのに相談したって、大した対応してくれないっしょ。俺達はただ単に『どこぞの誰かから住んでる市町村を言い当てられた』だけなんだし」


 勇は小さく舌打ちをした。


 確かに、シチュエーションの異常さが際立っているが、実害としてはたった3回のコメントを1週間に1回送られただけ。ストーカー被害を謳うには余りにも貧弱すぎる。

 この程度で罰せられるなら、ネット上の誹謗中傷はとっくの昔に消滅しているだろう。


「チャンネル、削除するか?」


 真剣な顔で画面を見つめる姫子を視界の隅で捉えながら、定は焦り気味に提案する。


「いや、それは悪手だろ。こう言う輩は、相手との繋がりが途絶えた瞬間、物理的な接触に切り替えてくるかもしれねー」


「そうかもしれないけど」


「それに、俺はJ市に住んでいるところまでしか情報は漏れてないと踏んでる」そう言って勇は一枚の画像を上げる。市内の砂浜で撮った写真だ「ほらこの写真、前にをアイコンで上げてたことあったじゃん? 多分俺達がJ市に住んでいるってのは、この写真ら辿ったんだろうよ」


「ああっ、確かに」


「でも、だったらこのキモオタがわかるのは精々J市に住んでるってところまでだ。個人の特定とか、そういうヤバめのところまでは、辿り着けるわけねーよ」


 そうなのだろうか?


 そうなのかもしれない。


 定は隣に立つ姫子を見た。厚いメガネの下に隠れた瞳からでも、その心の乱れを読み取る事ができる。この人物が関心を抱いているのは姫子だ。何かが起こるとしたら、それは姫子の身に降りかかる。


 例えば「ネムコ」のイラストから、姫子本人を特定する事は可能だろうか。

 確かに姫子の特徴をイラストに落とし込んで入るが、その類似性はあくまでも不可逆的なものに思われた。姫子からネムコは連想できるが、ネムコから姫子を連想するのは難しいだろう。


 勇の言うとおりかもしれない。これは、単なるイタズラなのだろう。


 その日は活動は取りやめ、暗くなる前に勇の家を出た。しかし冬の訪れは早く、すでに日は傾きかけている。

 いつもは左折する丁字路を右折し、定は姫子の家の前まで一緒に歩いた。その必要はないと一度は断る姫子だったが、それでも後を着いてくる定に折れたのか、再びその隣に並んだ。


 最近は、この無言の時間を苦痛と思わなくなっている。こんな時に不謹慎ながら、定はそんな事を考えていた。

 姫子はあまり喋る方ではないが、だからこそ、時たま発せられる声の一つ一つに耳を澄ませようとする自分がいる。

 それは薄雲の切れ間から突然差し込んでくる陽の光のように、定の心に温かな陽だまりを作る。


 手を伸ばせは、彼女の手に触れる事が出来る。

 

 この位置に立つ事を許されているのは、きっと自分だけ。そんな特別感が定を舞い上がらせ、同時に姫子に対しての庇護欲を掻き立てた。


 古いアパートの2階奥、誰もいない一室へと姫子は帰って行った。

 母親の帰りは遅いと聞いていたが、定が一緒に居る事が出来たのは、アパートの階段を登ったところまでだった。


 あの部屋の中にまで、自分が足を踏み入れることはあるのだろうか。


 込み上げてくる欲情を振り払うようにして、定は踵を返した。



   ☆



「と、言う事がありまして」


 姫子を家に帰したのはいいものの、やはり落ち着かなかった定は、魔女ーー三浦みうらハナにアドバイスを求めていた。

 

 いつものように相談料代わりのあんまんに齧り付きながら、ハナは「うーん」と小さく唸った。その様子が齧歯類の小動物のように見えて、定の頬が自然と弛む。


「なんか、あの怪談みたいだね」あんまんを飲み込むと、口に残った甘みを微糖コーヒーで洗い流す「私、メリーさん、っていうお話」


「今回はkappaさんですけどね」


「河童‥‥」


「単なるハンドルネームだと思うから、意味はないでしょうけど」


 人魚に見紛う女の怪異に襲われ、今度は河童に襲われたんじゃ、たまったもんじゃない。


「もし本当に河童ーー怪異の類だったら‥‥」姫子はそう言ってから少し言い淀み、しかし意を決して再び口を開く「あの人魚が助けてくれるかもしれない」


「人魚って、凪原なぎはらさんの左肩に憑いてるっていう?」


「うん、あの人魚は、姫子ちゃんを護る存在みたいだから」バツが悪そうに表情を歪める。子供のような白い頬に小さなエクボが生まれる「あの人魚を利用するみたいでなんか申し訳ないけど、何かあったらあの歌を歌えば、出てきてくれると思う」


「あの歌って、この前歌った『争いを止める歌』?」


「あれって、そういう名前の童謡なんだ」


「いや、実際はわかんないっすけど、凪原さんがそう呼んでたんで」


 その仮初の名前に込められた姫子の思いを、定は知らない。それが、父と母の争いが止まる事を願い、幼い姫子が口ずさみ続けた歌なのだと、定には知る由もない。


「争いを止める‥‥うん、言い得て妙だね」ハナは深く頷く「確かに、あの女性の怪異を一瞬でやっつけたあの力なら、争いは否応なく止まるよ」


 何故か納得しているハナの様子に小首を傾げながらも、定は自分用に買ったホットカルピスの蓋を開け、その甘みを舌の先で感じていた。


「相手が、実体を持たないただの怪異だったら、の話だけどーー」そうハナは呟き、視線を落とす。


 冬は深まっていく。


 白く、暗く、冷たい季節は、知らぬ間に周囲を飲み込んでいく。


 自分達もまた、この街の冬のような薄暗い空気に包まれていくような気がして、定は身震いした。



   ☆



 翌日の日曜、深夜24時。


「いや、マジかよ‥‥」


 書き込まれたコメントを見て、勇は背筋を凍らせた。


『ネムコちゃんはT高校に通ってるんだね。早く会いたいな(^_^)』


 このキモオタは何処まで情報を掴んでるんだ?


 もしかしたら個人も特定した上で情報を小出しにして、自分達を揶揄っているのか?


 何者なんだ、このキモオタは?


 勇は乱暴にスマホを手に取ると、活動のグループチャットにメッセージを入力する。

 

 画面をタッチする手が汗で湿り、小さく震えた。

 


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