【河童編】いやーな飲み会の席で
会社の飲み会は嫌いだ。
それが誰の送別会だろうが、誰の歓迎会だろうが、暑気払いだろうが、忘年会だろうが、結局はただのバカ騒ぎになる。
お酒が好きなわけでもないのに、無駄にお酒に強い社畜の魔女ーー三浦ハナは、お座敷席の端っこで、乾杯の時に配られた生ビールをちびちびと舐めていた。
自分の小柄な体型と、薄い存在感を駆使し、個室の端っこに置かれたポールハンガーと同化する。
たまに話を聞いているフリをして愛想笑いを浮かべる事も重要だ。全くの無関心を貫くよりも、多少輪の中に収まっている感を見せた方が、むしろ目立たないものだ。
どんな世界でも、集団から完全に孤立したものは悪目立ちする。
海に近い繁華街は、酒好きで豪快な住人が多い。古くから港町として栄えていたため、漁師気質の人が多いと誰かが言っていた。その為、駅前には古い居酒屋が立ち並び、週末の酒は酔ったサラリーマンが闊歩している。
その中で比較的新く、そこそこ有名な海鮮居酒屋で、ハナの会社は中途入社社員の歓迎会をしていた。
彼の名前は鏡石誠と言うらしい。
大学院を卒業後、元々は県外の某メーカーで研究職をしていたらしいが、社風に馴染めず、すぐに退職。タイミングよく求人が出ていたこの会社に応募し、採用が決まったらしい。
正直、うちみたいなブラック企業には惜しい人材だ、とハナは思う。
メガネをかけた長身の美男子で、いつも愛嬌に満ちた笑顔を浮かべている。ハナの1歳年下らしいが、その落ち着いた立ち振る舞いは、彼を年齢以上に大人びて見せていた。
そしてハナは、そんな彼の笑顔に、何処となく軽薄さを感じていた。
課長が大声で男性社員をいびっている。
酒の席である事を免罪符に、いつも以上の罵詈雑言で、売上の足りていない一人に集中砲火を浴びせていた。硝煙のようなタバコの煙が個室を埋め尽くし、ハナは小さく咳き込んだ。
明日も仕事がある。
速く切り上げて眠りにつきたい。
ハナは傍に置いたショルダーバッグーーその中に隠したタカハシを片手で強く握った。
「すごく賑やかな飲み会ですね」
気付くと、隣に誠が座っていた。さっきまで座っていた先輩の男性社員は、いつの間にか課長の隣に座って、ありがた迷惑な講釈に耳を傾けている。
「そう、ですね……」
先日入社したばかりの誠との間に、大した接点はない。朝に軽く挨拶を交わす程度で、視界にすら入っていないと思っていた。
「三浦さん、僕の1つ上ですよね。年が近い人がいて嬉しいです。ちょっと話しましょうよ」
それなのにこの馴れ馴れしさは何なのだろうか? ハナはビールジョッキに向けていた視線を、ゆっくり誠の方へと向ける。
アルコールでほんのり上気した中性的な顔が、思ったよりもだいぶ近くにあって、ハナは慌てて俯いた。
「あの、私と話したって、楽しくないですよ?」
「何でです?」
「仕事しかしてないから、話題がなくて」
「じゃあ、仕事の話しましょ。三浦さんの話、聞きたいなぁ」
ハナは恐る恐る誠を見た。
誠は中指で眼鏡の位置を直すと、頬杖をついて、ハナの顔を覗き込んでいる。まつ毛が長くて、唇は薄く透明感がある。お化粧をしてるわけでもなさそうなのに、自分よりも全然綺麗な顔だなぁ‥‥そうハナは思った。
そんな誠の黒く深い瞳で見つめられて、ハナは顔がどんどん熱くなっていくのを感じた。
そんな自身の変化をアルコールのせいにするため、ジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干す。
「おお、いい飲みっぷり」
「か、からかわないで下さい」
ハナは上目遣いで周囲の様子を伺った。30人ほどのメンバーの中には、もっと美人で目立つお姉様方だっている。それなのに何でこの人は、自分の隣に座ってきたのだろうか。
もしかして、美人で目立つタイプの女性はもう飽き飽きしていて、逆に自分のようなちんちくりんタイプが気になっちゃう時期なのだろうか?
もしかして、狙われている?
「あの、私、こう見えても、彼氏いるんで‥‥」
震える声で、ハナは呟く。
それを聞いた誠は盛大に吹き出した。
「あ、いや、違いますって、そういうんじゃなくて、普通に同年代の先輩と仲良くなりたかっただけですよ」そして誠は悪戯っぽい笑みを浮かべる「もしかして、そういうふうに期待させちゃいました?」
「ち、ちがいます!」
「あ、僕の方は三浦さんに興味ありますよ。だって、かわいらしいから」
「かわいらしい‥‥?」ハナは顔を上げて誠の顔を見た。彼は目を細め、口の端を上げて笑っている「そ、そんなこと、ないです‥‥」そんなハナの言葉は、徐々に小さくなって喧騒に飲まれた。
「おい! 山下てめぇ、そんなだから目標いかねえんだよ!」
唐突に課長の怒鳴り声が響き、ハナはそちらに目を向けた。
課長はペコペコと頭を下げる山下係長の髪を掴んで、耳元で声を張り上げている。
「山下、男にとって一番大切なものは何だか言ってみろ? ああ?」
「それは、仕事です」
「だよなぁ、だったらなんでそんな事言えるんだ? 娘の誕生日だからもう帰りたいとか、優先順位ってもんをわかってねぇだろ? だからちゃっちい仕事しか取って来れねぇんだよてめーは!」
掴んだ髪を引っ張ると、俯いていた山下係長が顔を上げた。「そうですよね、本当に申し訳ございませんでした」そう言って引き攣った笑みを浮かべている。
新人に嫌なシーンを見せちゃったな、そう思ってハナは誠の顔色を伺う。誠は普段通りにこやかな表情で、しかしあまり興味もなさそうな様子で、そのいざこざを眺めていた。
「鏡石さん、あれ課長の地雷だから、覚えといて」向かいの席に座っていた女性事務担当の合田さんが身を乗り出して誠に囁く「課長、離婚してんだけどさ、最近になって高校生の娘さんから面会を断られちゃったらしくて、それで荒れてんの」
「ふむ」課長の暴走を眺めながら、誠は頷く。
「自分が家庭を蔑ろにして仕事に打ち込んできたことを、肯定したいんだよね。そのくせ、同期は本社や支部で部長クラスになってるのに、自分は片田舎の支店で課長止まりだから、そうとうメンタルやられてるみたい。課長の前で家族の話するとああなるから、気を付けな」
「有益な情報、ありがとうございます」
「イライラをこっちにぶつけんじゃないっての、あのハゲ」合田さんは課長を睨みつけながら、唐揚げを一つ摘んで口に放り込んだ。
興奮して汗ばんだ課長の頭頂部に、居酒屋の薄暗いLED照明が反射し、うっすらと輝いていた。
それからしばらくして、会はお開きとなった。
課長は数人の腰巾着と、山下係長、そして今回の主役である誠を引き連れて、行きつけのバーで飲み直すとの事だった。
ハナは雑居ビルの階段を最後尾で降りて行く。
一つ前を歩いていた誠が、その速度を落とした。
コンクリート造りの狭い階段に響いていた足音は、誠の歩調の変化によって乱れる。
ハナと誠の距離が近づいた。
「三浦さん」足元を見たまま、誠は言う「僕、三浦さんに興味があるってのは本当なんで」
「え、ええ‥‥」
ハナは曖昧に頷く。
ともすれば、それは相手に慕情を伝える、冬の手のひらのように暖かな言葉のはずだった。
しかし、ハナはその声から何の温かみも感じ取れないような気がした。
言葉と声の温度差に戸惑い、しかしその違和感をアルコールのせいだと思い込むことにして、ハナはその不可解な感覚に蓋をした。
☆
いつもよりも早い帰路だ。
バスから降りて最寄りのコンビニでコーヒーを買うと、ハナはゆっくりと歩き出す。
路肩の雪は膝までの高さの壁を作っているが、ここ数日は雪が降っていないため、歩道自体に雪はない。安物のブーツが乾いたアスファルトを叩いた。
「タカハシさん、飲み会、疲れました」
ショルダーバッグの中からカボチャ人形のタカハシを取り出し、左手の手のひらに座らせる。
『課長のパワハラ、相変わらずだね」
タカハシはあきれたように溜息をついた。
「合田さんが言ってましたけど、最近娘さんと会えなくなってさらに悪化してるみたいです」
『かわいそうだとは思うけど』
「でも、それって自業自得ですよ」
『うん』
「あー、明日も仕事かー」
『三浦さん』
「何ですか?」
『新しく入った人、どんな人? あ、会話は聞いてたけど、バッグん中にいて見た目とかわかんないから。怖そうな人?』
「え? 全然そんなことないですよ。背が高くて、優しそうな感じの人」
『ふーん』
「多分、モテますね、あのタイプは」
『へぇ‥‥』
「でも、軽薄そうな感じがして、私は苦手です。それにーー」
なんか、良からぬ事を考えてそうな、不気味さをを感じるんですよね。
そう言おうとしたが、よく知らない相手をあまり悪く言うべきではないと思いとどまる。
『それに?』
「べ、別になんでもないです」
『ふぅん』
タカハシはそれ以上何も喋らなかった。ハナもまた、無言で誠が最後に行った言葉の意味を考えていた。
自分に、どんな興味があると言うのか。
住宅街に入ると、足音が反響し大きくなる。まだ幾つか消えずに残っている窓の明かりを眺めながら、ハナはいつもよりのんびりと家路を辿った。
☆
類家勇は、動画のコメント欄にまたおかしな書き込みがある事に気づいた。
『ネムコちゃんは、N県に住んでるんだね。早く会いたいな(^_^)』
前回の書き込みから1週間。ユーザー名『kappa』も、確認すると前の書き込みと同じだった。
勇は坊主頭を搔く。
自分達が住んでいるのは、確かにN県だ。
どこからか、情報が漏れた?
不可解な点は多いが、取り急ぎコメントを削除する。この情報の真偽など閲覧者にわかるわけはないが、不特定多数に晒しておくのも気分が悪い。
「有名税ってやつ?」
勇は一人呟く。
PCのセキュリティは万全だから、ウイルスなどで情報が抜き取られたのは考え難い。自慢ではないが、どこぞのキモオタに出し抜かれるようなヘマを自分がするはずがない。
だとしたら、物理的な流出だ。
誰かに直接見られたり、後をつけられたり‥‥それこそ現実的に考えられない。登録者数3桁もいかないような動画の歌い手をつけ回すような暇人がいるのだろうか?
さて、どうすべきか。
せっかく軌道に乗ってきたのだ。こんないざこざに巻き込まれて、軌道を逸れるわけにはいかない。
暗い部屋の中、勇はPCモニターを睨みつけた。




