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【河童編】人魚は今もそこにいる

 魔女ーー三浦みうらハナは、深夜のコンビニの雑誌コーナーで、昂る気持ちを必死で抑え込みながら、ある雑誌を手に取った。

 普段は、女性ファッション誌など買う事はほとんどない。しかし会社の給湯室で、同僚達の雑談を偶然聞いた事で、俄然興味が湧いてしまった。

 その雑誌の今月号には、ハナが興味津々の『ある事柄』について、特集が組まれているようだった。


 ハナの元同僚であり、初めて出来た恋人でもあるカボチャ頭の人形『タカハシ』は、大きなショルダーバッグの中に押し込んでいる。


 半裸の美男美女が肌を合わせている艶かしい表紙。恥ずかし過ぎて、レジを通すことすら躊躇してしまう。しかし、タカハシを元の人間に戻すために必要な資料なのだと、何度も自分自身に言い聞かせた。


 今日はいつもの若い男性店員はいない。普段あまり見かけないおばさんの店員が、不機嫌そうな表情で品出しをしている。

 後ろめたいものを買うには、おあつらえ向きだ。


 いつもの微糖缶コーヒーを手に取ると、足早にレジの前に立ち、雑誌を裏返した状態でカウンターに置く。バーコードが見える位置のため、店員は雑誌を手に取ることなく、スキャン出来るはずだ。あとは『袋は入りません』と一言添えれば、裏返しにした表紙が顕になる心配はない。

 会計が終わったら、表紙がカウンター側から見えないように持って、ショルダーバッグに押し込む。

 

 その計画は完璧だった。会計を済ませるまでは、何のトラブルもなく進行した。

 しかし、雑誌をショルダーバッグに入れる段になって、レジ横の自動ドアの開く音がした。誰かが近づいてくるーー焦ったハナは、あろう事か手を滑らせ、雑誌から手を放してしまう。

 鳥の羽ばたきのような音を立てて、床に落下する雑誌。そしてマーフィーの法則にのっとり、表紙の面を上にして着地する。


「あ‥‥」


 慌てて伸ばした手より先に、別の手が雑誌を拾い上げた。


 驚いて顔を上げるハナ。


「魔女さん、落としましたよ」


 そこには癖っ毛で可愛らしい顔立ちの男の子ーー喜多代きたしろさだめが立っていた。


 ハナは頭が真っ白になったーー。



   ☆



「別にセ‥‥エ、エッチな記事が目的で買ったんじゃないんだよ? 毎月買ってる雑誌にたまたまそういう特集が組まれていただけで。私、ほら、あの、雑誌とかもちゃんと揃えたい性格なの。毎月買ってるやつを、今月だけ買わないってなんか嫌でしょ? だから仕方なく‥‥そう仕方なく、買ったの!」


 定から差し出された肉まんを咀嚼し、飲み込むと、ハナは早口で捲し立てた。しかし、若干舌足らずな話し方のため、所々噛んでしまい言い淀む。


「わ、わかってますよ。魔女さんは大人の女性なんですから、そういう特集がある雑誌だって買いますよね」


「そう、でもね、本当に毎月買ってる雑誌なんだよ」


「そうですね」


 幸にして雪は止んでいたが、夜風は変わらず冷たい。コンビニ駐車場の端で定と向かい合いながら、ハナは肉まんを咀嚼する合間に大きく深呼吸を繰り返した。

 外の冷気に奪われるようにして、頭の中の熱も急速に冷めていく。

 冷静になったハナは、定の後ろにもう1人、背の高い女の子が立っている事に気付いた。


「あ、凪原なぎはら姫子ひめこちゃん?」


 姫子は定の隣に歩み出て、小さく会釈をする。


「先日は、ご迷惑をおかけしました」


「あ、うん」


 ハナは無意識で一歩退く。

 憎しみに駆られた女の怪異に操られていたとはいえ、ハナは目の前の少女に首を絞められたり、腕を引き裂かれたり、死を垣間見るほどの暴力を受けていた。

 その恐怖の記憶は、自分も知り得ない心の隅にこびりつき、未だ剥がれ落ちてはいないのかもしれない。

 しかしハナは、努めて平常心を装い、退いてしまった一歩を再び踏み出す。


「この時間にコンビニにで待ってれば、魔女さんに会えると思って、来ちゃいました」


 吐く息で手を温めながら、定が言う。


「用があるなら、電話くれてもいいんだよ?」


「仕事中に電話しちゃったら、迷惑じゃないですか」


 定の言い分も一理ある。健全な高校生が起きている時間帯は、大概課長にパワハラされながらPCに齧り付いている。私的な電話に出られるような空気感ではない。


「それで、ちょっと魔女さんに相談したいことがあってーー」


 定がそう切り出すと、隣に立つ姫子が、小さいがよく通る声で、事のあらましを話し始めた。


 左腕に感じる違和感。

 それは、ある童話を歌うと現れる。

 声を取り戻した時に姫子が歌った、子供の頃の思い出の歌。


 ーーその童話を、姫子は小声で歌う。


 歌を聴きながら、ハナは姫子の歌声がものすごく綺麗なのだと改めて感じた。定が熱中し、執着するわけだ。


 そしてーー歌う姫子の背後から現れた『モノ』を目の当たりにし、ハナは息を呑む。


「何か? 見えますか?」


「えっと、見えるもなにも‥‥」


 それはあの人魚だった。


 女性の怪異に操られていた姫子を救った、彼女に取り憑く古の女性の霊。上半身は一糸纏わず、下半身は蛇のように長く伸びて、姫子の左腕に巻きついている。

 足のないその姿は、やはり人魚の様だった。

 その人魚は満面の笑みを浮かべながら、童謡を歌う姫子の頬に手を当て、愛しそうに撫でていた。


「えっとーー」


 意思の疎通を図ろうと、ハナが姫子の元へと踏み出す。すると人魚は、途端に険しい表情に変わり、ハナを睨みつけた。


 警戒されてる‥‥。


 ハナは納得し、同時に安堵した。

 先日、姫子を支配していた怪異を倒したように、今もこの人魚は、彼女を守ろうとしている様に見えた。姫子に近づくものを警戒し、場合によっては排除も辞さない。

 そして、おそらくその発現条件が、あの歌なのだ。

 人魚と歌に、どの様な関係性があるのかはわからない。しかし、あの歌を聞いている時の人魚は、とても穏やかで慈愛に満ちた表情をしていた。


 ハナはコーヒーを一口飲んだ。

 すでに熱を奪われつつあるそれは、唇の隙間に浸透し、乾燥していた粘膜を甘く湿らせた。


「多分、心配しなくていいと思うよ」ハナは小さく首を振った。肩までの長さの黒い髪が揺れ、乱れた微風が頬を冷やす「そこにいる人は、きっと姫子ちゃんを守ってくれる」


「人、ですか?」


 姫子が首を傾げて聞き返す。


「うん。多分、ずっと昔に亡くなった、女の人の霊。姫子ちゃんが歌うあの歌が、すごく好きみたいだよ?」


「そうですか‥‥」


 神妙な顔で考え込む姫子。普通に考えれば、ハナの語る荒唐無稽な霊の話など、詐欺師の戯言として一笑に付するべきものだろう。

 しかし姫子は、一度怪異と邂逅し、その存在を受け入れている。そしてそれは、そんな姫子を見てきた定も同じだった。


 2人が去った後、ハナはコーヒー缶を大きく傾け、缶の底の残っていたコーヒーを舐め取る。

 ショルダーバッグの奥底に押し込んでいたタカハシを取り出すと、タカハシは『うーん』と小さく唸った。


『話は聞いてたけど、その女の霊ーー人魚は、放っといてもいいものなのかな?』


 人魚は、姫子に取り憑いていた怪異を捉えて、締め殺した。その様子を見ていたタカハシであれば、そんな疑念が浮かぶのは、至極当然のことだ。

 それは肉食獣が草食獣を狩るような、迷いの無い純粋な殺意だった。その牙が誤った方向へと向けられるか、それとも否か、2人には知る由もない。


 ハナはタカハシを持ち上げ、その顔を正面に見据える。


「わからないけど、今はどうしようも出来ないですよ」


『なんかあったら、また自分が首を突っ込めばいいって、そう思ってない?』


 ハナはタカハシから目を逸らし「‥‥してないです」と呟いた。


『放っとけないって気持ちは、俺だってわかるけどさ』タカハシは溜息を吐く『でも、目の前で三浦さんが傷付いてるに、ただ見てる事しか出来ないーーあんなの、俺はもう二度と嫌だよ」


 ハナは答えなかた。


『ところで』冷たくなってしまった手を温めるように、タカハシは声のトーンをあげる『さっきの、エッチな記事って、何?』


 カボチャ頭の人形は、夜空高く弧を描き、降り積もったばかりの新雪へと落ちていった。


 

   ☆



 類家るいけいさむは、明かりを消した部屋で、PC画面が放つブルーライトを見つめていた。


 風呂上がりの熱った顔から吹き出た汗で、重たい黒縁メガネがズリ落ち、神経質にそれを何度も直す。PC机の横に置いたコーラのストローに口をつける。それは氷が溶け、只の薄ら甘い液体に変わっていた。ゴミをハンバーガーチェーンの紙袋へ無造作に突っ込み、坊主頭をボリボリと掻く。


 教育熱心な両親であれば、ガミガミと咎められそうな生活を送っていると思う。

 しかし、自分の親はそうではない。

 

 その事に対して不満はなかった。両親共に、重い責任を科される職務に就いているが、当然それに見合った給与は与えられている。そのお陰で勇は、親から精神的な支援は得られずとも、金銭的な支援と自由な時間を得る事が出来た。


 不満など、何もない。


 直近でアップした動画の編集画面を開く。

 先日の活動で定と姫子に見せた少女イラストは、既にアイコン画面に設定してある。眠そうな目をしているから、名を「ネムコ」とした。勝手に決めた名前なのだが、文句を言わせるつもりはない。

 このチャンネルはあくまでもプロデューサーである「勇」のチャンネルだ。作曲者である定や、演者である姫子をいかに上手くプロデュースし、再生数を伸ばしていくかは、自分の裁量である。


 その一環として、動画に書き込まれるコメントのチェックも欠かさない。

 作曲者達のモチベーションを削ぐようなコメントについては、程度によって対策を講じる必要がある。


 定は、自分と違ってあまちゃんで夢みがちで軟弱な男だ、そう勇は思っている。

 その繊細さが作詞作曲という才能に生かされているのかもしれないが、心無いコメントでポキリと折れる飴細工のような脆さも併せ持っている。


 誰かが守ってやらなければならない。


 今回書き込まれたコメントも、概ね好意的な意見だけのようだった。ボーカロイド「潮騒ホタル」ちゃんに歌わせていた頃はコメントなど一度もなかったのに、直近で姫子が歌った一曲だけは、既に10件近いコメントが寄せられている。少し癪だが、生歌の良さは当然あるし、仕方ない。


 画面をスクロールしていき、一つのコメントのところで止まる。


『ステキな歌声だね。早くネムコちゃんに会いたいな(^_^)』


 会いたい? 何言ってんだこいつ?


 勇はそのコメントに違和感を覚えつつも、こういう妄言を吐くキモオタは珍しくもないし、明らかな誹謗中傷でもないためスルーする。


 ネムコのイラストのバリエーションでも増やすか‥‥


 ペンタブを手に取る。

 樹脂がぶつかり、擦れる小さな音が、暗く静かな部屋に響いた。





動画編集、デジタルイラストについては全くの素人なので、実際にどんな作業をするのかは調べながら書いていきます。

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