歌をナメてるね
土曜の午後は活動日と決めている。
高校生の類家勇は先週録音した曲の編集作業をしながら、友人である喜多代定の訪問を待っていた。
活動とはいわゆる音楽動画の投稿活動だ。2人で考えた歌詞に、鍵盤楽器を弾ける定が曲をつけ、勇がボーカロイドに打ち込み、動画投稿サイトにアップする。
活動は勇の家で行われる事が多かった。集合住宅に住む定よりも、一軒家に住む勇の方が音楽活動において融通が効く。両親は共働きで帰宅も遅いため、多少長居をさせてたとて小言を言われる事はない。
今日、定は「紹介したい人がいるから連れてくる」と言っていた。
高校は離れてしまったとはいえ、やつとは小学校からの友人である。交友関係がそれほど広くない事も、積極的に他人と関わる性分ではない事も心得ているつもりだ。
そんな定が「紹介したい人」とは果たして誰なのだろうか。
おそらくこの活動の新メンバーか、もしくは‥‥交際相手? どちらにしても可能性は限りなく低いように思う。
勇は短く刈り上げた坊主頭を撫でると、黒縁メガネの位置を直して、濃いめに入れたカルピスを一口含んだ。舌全体を白い膜で覆い尽くすような強烈な甘み。
30分後、勇の部屋には女がいた。
背が高くほっそりとした女だった。一見するとあまりパッとしない顔立ちだが、パーツ単位で見るとなかなかに整っている。デカいメガネの中にある半開きの目は、部屋に置かれたPCやマンガやフィギュアなんかを物珍しそうに眺めている。
「彼女、凪原姫子さんは同じクラスなんだけどーー」
「は? 彼女!?」
「いや、そういう意味の彼女じゃなくて」
「じゃあ、どういう意味の彼女だよ」
「その、女性を指す三人称というか」
「知ってるよ。何赤くなってキョドッてんだよ」
「いやぁ、ははは」
定が隣に座る姫子の様子を確認し、再び勇に向き直るとヘニャヘニャと笑う。その気の抜けた感じがなんだか気に食わなかった勇は、濃いめのカルピスを一気に飲み干した。
ところで、凪原姫子という名前にはどこか聞き覚えがあった。引き出しから乱暴に引っ張り出した記憶は、伸びてダルダルに歪んでいたが、そこに何が記されているかくらいは辛うじて判断出来そうだ。
「あれ、もしかしてお前、中学の時に合唱コンクールでぶん殴られてた不良女?」
初対面の癖にあまりにも失礼な言い草。姫子は眠そうな目を見開き、その無礼者を睨みつける。
しかし当の本人はどこ吹く風で、ダルダルに伸びた記憶に目を凝らしている。クラスが違ったため噂程度だが、たしか合唱の練習を断固拒否して担任に殴られた面倒臭いやつと聞いたことあった。
「あのさぁ、お前なんでこんな変なやつ連れてくるんだよ‥‥」
勇はわざとらしい溜息を吐いて見せた。
姫子の機嫌をとるように苦笑いを浮かべた定は、勇の右耳に顔を近づけて小声で囁く。
「それは、歌を聴いてみれば、わかるよ」
「はあ?」
話を聞くところによると、姫子は天性の歌声を持っているらしく、是非自分達の活動に加えたいとの事だった。
「えー、別に要らなくね? 今までみたいに潮騒ホタルちゃんに歌って貰えばいいじゃん」
潮騒ホタルは勇のお気に入りのボーカロイドだ。確かに機械音声では表現しきれない情緒はあると思うが、とは言えよくわからない女にこの活動をかき乱されるのだけは御免被りたい。
「あ、お呼びじゃないなら帰りますんで」謂れのない敵意を向けられた姫子は、休日の午後を無駄にした徒労感を溜め息と共に吐き出す「喜多代くんは恩人だから着いてきたけど、なんか要らないらしいので」
さっさと立ち上がろうとする彼女を、慌てた定が宥める。そして批難が籠った目で勇を睨みつけた。
「いいから、とりあえず歌を聴いてみてよ、ほんといい声だから、驚くよマジで」
渋々、姫子は歌い始める。
聞いたことのない古臭い曲だったが、サビで高校の名を連呼していたため、校歌なのだと気付く。
なるほど、確かに声はいい。
でもーー
姫子が歌い終えると、定が目を輝かせ鼻息を鳴らしながら勇を見ていた。心酔し切ったその様子に勇は辟易する。
「どう? いい声でしょ?」
「まあ確かに」それは同意するが、手放しで絶賛する気には到底なれなかった「でも、これならホタルちゃんの方が全然マシ」
そして勇はめんどくさそうに坊主頭を掻くと、明後日の方向を向こうとする姫子に視線を合わせて言った。
「あんたさ、全然歌ってないっしょ?」
「‥‥そうだけど」
虚をつかれたのか、姫子は少し口ごもる。
「なんだ気付いてるじゃん。今の歌、自分でも全然納得してないよね? 昔みたいに歌えないって感じ?」
「それは、まあ」
「なんだろねー、今まで全然努力してこなかった奴がさ、天性の声質だけでホタルちゃんを超えられるわけないじゃん。高音、掠れてたぜ?」
姫子は勇を睨みつけたが、すぐに目を逸らした。それは勇の表情が、嘘偽りを削ぎ落とし、空気を切り裂くほどに真剣そのものだったからだ。
「良く言えば、宝の持ち腐れ。悪く言えば、歌をナメてるね」
勇は姫子に背を向けると、興味なさそうにPCをいじり始める。
何か反論しようとして言い淀む定を遮って、姫子は立ち上がり勇の隣に立った。
「なに? ホタルちゃんの歌声を聴いて勉強する?」
「うん、聴かせてよ」PCが置かれたデスクに片手をつく「でもそれは、あんたの負け犬の遠吠を聞いた後にね」
「ははっ」
交差する二人の視線が火花を散らしている。
定は一触即発のこの状況を飲み込めないまま、いきなり開催された冬の花火大会を、半口を開けて眺める事しか出来なかった。
☆
その日の深夜、社畜の魔女――三浦ハナは、カップラーメンの残り汁に冷やご飯を突っ込み、レンゲで流し込んでいた。
スマホでは映画紹介系YouTuberが新作映画をレビューしている。学生の頃はよく映画館へ足を運んでいたのに、仕事についてからはサブスクで映画を一本観る気力も時間もない。
隣の寝室では、カボチャ頭の人形ーータカハシが眠っている。
一緒に動画を見ようかとも思ったが、こんな疲れた顔であぐらをかいてラーメン雑炊を啜る姿を、タカハシには見られたくなかった。
可愛らしい女性YouTuberは、まったりとした優しい口調で映画の紹介を続けている。映画のあらすじ解説が終わり、ネタバレなしの感想を語り始める。
テントに取り憑いた少女の霊と、キャンプ好きの青年が織りなす恋愛ミステリー映画。触れ合うことのできない2つの魂は、どの様な結末に辿り着くのだろう。
この物語をタカハシと鑑賞し、語り合い、感情を共有したいなと思った。
卓上カレンダーを眺めてはみたものの、ささやかな願いを叶えるためのハードルの高さに辟易し、その無慈悲な予言書から目を逸らす。
生前のタカハシから映画に誘われていたのに、まだ一度も2人で映画館に足を運んでいない。
肉体の繋がりを共わない恋愛のいく末を知りたかった。
ハナの魔法は他者への影響を禁止している。だからタカハシの肉体を甦らせるためには、彼の肉体を受け入れる覚悟を固めて、自分の一部として再定義しなければならない。
しかしその一線を、どの様に超えていけばいいのかがわからない。
カボチャ人形と口付けをかわす時ですら、毛穴が開いてないかとか、鼻が脂でテカってないかとか、息が臭くないかとか、色々な事を気にして頭がパンクしそうになる。
その先の行為なんて、想像する事すら憚られる。
タカハシに触れられたい欲求と、それを怖がる感情の板挟み。
ハナはクッションを抱えるとフローリングの床に転がって「うむむむ」と呻いた。
タカハシはどう思っているのだろうか。
聞きたかったが、突然湧き出た眠気の沼が、ハナの意識を飲み込んでいった。




