表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

【人魚編】優しい歌、魔法の歌

 人魚は少女に寄り添う。


 少女の温かな肩に自らの肩を合わせ、愛らしい歌声を聞きながら身体を揺らす。


 悠久の時を生きる人魚がまばたきを一つするたび、少女は大人へと近づいていった。背は伸び、胸は膨らみ、孵化したばかりの雛のような声は、夜を切り裂き朝を告げる親鳥の声へと変わっていった。


 しかし、少女はもう歌わなかった。


 新雪のような静寂の時が、何年も、何年も、人魚と少女の間に降り積もって行った。


 まばたきとまばたきの間に、人魚は得体の知れない何者かの息遣いと、少女の崩壊を感じた。

 

 しかし、人魚は待っていた。

 少女が再び歌い出そうとする、その時を――。


 

   ☆



 ハナは人差し指をまっすぐに伸ばし、姫子ひめこの立つ方向を指し示す。

 その指の延長線上には、浮遊するカボチャ人形のタカハシ。

 左腕の傷はすでに魔法で塞がっていたが、血が染み込んだシャツの袖は晩秋の冷気で冷たく濡れている。傷は塞がったのだが、失った血は補えておらず、気を抜くとひどい眩暈に足を取られ、膝から地面に崩れ落ちそうだ。


 ハナは皿の縁についたクリームを拭うように、小さく指先を振るう。


 指の動きに呼応するように、タカハシは高速で飛翔し姫子の表面を覆っている半透明の塊にぶつかると、飛沫を飛び散らせた。


 霊体部分のタカハシの強度は、姫子ひめこを支配する怪異の強度にいくらか勝るらしい。

元々人間大の霊体を無理矢理小さなカボチャ人形に押し込んでいるのだから、その密度が不自然な程に高いのはある意味当然だった。また溢れ出た霊体がカボチャ人形の表面を常に覆っている為、霊体同士の接触が可能だ。

ハナはその事を感じてはいたものの、それを活かした戦法までは思い至らなかった。タカハシの発想の柔軟さには生前から驚かされる事が多かったし、そんなタカハシを尊敬する心が、いつしか恋心へと取り込まれていった。


 高速でぶち当たるタカハシの体は、少しずつ怪異の体表を削ぎ取っていた。

 もちろん、僅かでもタカハシが傷つくリスクがあれば、ハナはこの戦法を中止するつもりでいた。しかし事態の収束を第一とするなら、怪異の身体を削り取りその支配から姫子を救い出したかった。


「魔女さん!」


 喜多代きたしろさだめが叫ぶ。それは何か意味を持つ呼びかけではない。ハナの無事の確認と、次に自分のすべき事を考えた結果、図らずも口をついて出てしまった叫びだった。


「私は大丈夫! このまま、あいつを引き剥がすから」


 ハナは答える。

 自分らしくないその強い語気に、自らの揺るぎない意思を乗せる。自分がなんとかしなければならない。このまま倒れず、攻撃を続ければ、姫子を救い出すことができるかも知れない。

 

 眼球が縦横無尽に動き――

 

 指先が小刻みに踊り――

 

 カボチャ人形が彗星のように飛び交う。


 今、戦況は明らかにハナが優勢だった。


 しかし、ハナは見た。


 幾度となく叩きつけられる殴打を受けながらも、姫子の姿を借りた怪異は歪んだ笑顔を作りながら、ゆっくりと定へ手を伸ばしていた。

 その笑顔は、先程までの他者を欺くための偽りの笑顔とは違っていた。欺いているのは自分自身。身を焼くほどの悲しみを飼い慣らすため、自分の感情に括り付けた鎖だ。

 

 その伸ばした手は、歪んでしまった世界の中でただ純粋に愛を求める、孤独な女の悲しい手だった。


 少なくとも、ハナにはそう見えた。


 ハナの脳裏に悲しい夢の記憶が蘇った。

 タカハシを再び失ってしまう、耐え難い程の悪夢。もしそれが夢ではなく現実だったとしたら、自分はこの女性の様にならないとは言い切れない。


 この女性も、きっと自分と同じ。


 誰かの事を、壊れそうなほどに全身全霊で愛している、ただそれだけ――


 そう思った瞬間、姫子の周りを飛び回っていたタカハシがポトリと落下する。


 え?


 ハナは慌てて指先を動かす。しかし枯れた芝生の上に転がったタカハシはピクリとも動かない。

 

 魔法の申請が却下された。


 ハナは感じてしまった。

 あの怪異は、理性の剥がれ落ちた単なる化け物なんかじゃない。自分と同じ誰かを愛したいだけの、ごくありふれた感情をもつ女性なのだと――そう感じてしまった。


 魔法の影響範囲である怪異に『人間性』を認めてしまった。


 その瞬間、ハナは他者に影響を与えないというルールを逸脱した。魔法の効果が切れ、タカハシは地面に転がる。再び魔法を申請しようとするも、一度覆されてしまった『認識』を、容易に切り替える事は出来ない。

 魔法における自己と非自己、人と物の識別は、魔法の行使者本人の認識に依存する。


 攻撃の手が止んだ。

 

 怪異に支配された姫子はゆっくりと辺りを見回し、縮こまっていた背筋を伸ばす。細く長い首がカマキリのように不自然に傾けられ、立ち尽くすハナを見つけ出す。その顔は再び他者を欺く偽りの笑顔へと戻っていた。


 足元に転がるカボチャ人形のタカハシ。

 

 それを踏み潰そうとするかのように、凪原姫子は大ききく片足を持ち上げる。


「タカハシさん!」


 ハナは叫んで駆け出そうとした。

 しかし力の抜けたふらふらの足がもつれ、転ぶ。


 しかしその声と同時に、定もまた走り出していた。

 


  ☆



 振り下ろされた片足とタカハシの間に、定の体が滑り込んだ。脇腹に鈍い衝撃を覚えるが、地面に肩肘をついて、タカハシを死守する。

 

 地面に蹲りながら、目だけで姫子を見上げた。その横っ面に、再び衝撃が走る。

  

 頭を蹴り上げられ、一瞬意識の糸を手放しそうになった。しかしタカハシを掴む右手は離さず、胸に抱え込んで背中を丸める。


 その背中が足で踏みつけられ、定は呻き声をあげた。


『狂ってる』


 定に抱えられながら、タカハシは呟く。


 これが、愛する人に対する行いなのだろうか。定の中にかつての恋人を見出した果てに、なぜこのような暴力が生まれるのか。

 タカハシには意味がわからない。

 相手の意思を無視し、自分の意思に強制的に従わせる。そんなものが肯定されていい訳がない。


『もうやめてくれ』


 なんの効果もない、砂で作った砲丸のような脆弱な言葉を投げつけるだけの自分が情けなくて、悔しかった。


 4度目の足蹴によってタカハシは再び空中へと投げ出される。褐色に色褪せたススキの緑茶に、オレンジ色の小さな人形が転がった。それは消えかけの野火のようにも見えた。

 

 邪魔な蝿を息の根を止めるように、姫子は再びタカハシに近づく。その足取りは重く、片足を引きずっている。今までハナが姫子を覆う怪異に与えたダメージは、確実に蓄積していた。


 タカハシの前に立ち、再び踏み壊そうと片足を持ち上げる。


 下ろされた足の裏が、ススキの葉に遮られて止まる。


『ススキを、固めた――』


 タカハシが視線を移した先に、おぼつかない足取りでタカハシの元へ走るハナの姿があった。


 姫子は右手を伸ばし、ススキの隙間を縫ってタカハシに触れる。


「ダメっ!」ハナが叫ぶ。


 地面に寝転がった定は、脇腹を蹴り上げられた事による胃の痙攣を抑えながら、上体を起こす。その両手が、地面の冷たさを感じた。


 定は何を言えばいいのかわからなかった。


 ただ、こんな争いを姫子が望んでいない事だけはわかる。姫子は確かに頑なだ。でもあんな優しい歌を唄える少女が、人を傷つける事を是とする訳がない。


 絶望の中で膝を抱える彼女にかける言葉を、定は知らない。

 

 その言葉は、これから彼女を理解し、知っていくものなのだと思う。


 だから今この瞬間に定の口をついて出た言葉は、自身の願望がないまぜになったものだった。


 自分が望み、そして見つけた、小さな希望だった。


「魔法はあるんだ」


 その言葉で、ほんの一瞬、姫子の手が止まった。



   ☆



 魔法なんてない。


 魔法と信じていた自らの歌に裏切られ、鱗のように纏っていた虚勢の鎧は剥ぎ取られ、ドロドロに腐敗した『彼女』の感情に飲み込まれた姫子は、口を塞ぎ、目を閉じ、息を潜めた。全ての感覚を遮断すれば、これ以上の悲しみから逃れられると思った。

 そんな光なき暗闇の中で、微かな声が聞こえた。


 自分の歌を魔法と言ってくれた男の子。


 そんな彼が「魔法はあるんだ」と叫んでいる。


 魔法なんてあるはずがない。

 諦めてしまえば――とこれ以上の悲しみは訪れない。両親の不仲も、終わらない言い争いも、愛する人の死も、それを素直に悲しむ事さえ出来ない自分自身も、ぼやけた皮膜に包まれ、その棘に触れずに済んだ。


 でも、彼の言葉を信じてもいいのだろうか。


 幼い自分が信じていた『争いをなくす魔法の歌』を、もう一度信じてもいいのだろうか。


 固く閉じていた目を開く。


 視界の先に自分の細く骨ばった指、その先にオレンジ色のカボチャ頭の人形、空から聞こえる叫び声、声のした方向を見上げる。


 それは魔女だった。


 カボチャ色の月を背に、魔女が空を舞っていた。


 嘘じゃなかった。


 魔法は本当にあった。


 

   ☆



「タカハシさん!」


 飛翔の魔法を申請したハナは、姫子の手を跳ね除けてタカハシを掴むと、そのままの勢いでススキを押し倒しながら地面を転がった。葉の落ちた桜の幹にぶつかり、その幹を背にして無理やり立ち上がると、胸に抱えたタカハシの無事を確認し、姫子を睨みつける。


 凸凹の木の皮が、身体を支える掌に食い込む。吐く息は荒れた気管を刺激し、痛んだ。


 そして、微かな声を聞いた。

 

 風の音と、自分の呼吸音にかき消されそうになりながらも、その歌ははっきりとハナの鼓膜を捉えた。


 姫子が歌っていた。


 生まれたての子鹿が、地面の硬さを確かめながらゆっくり立ちあがろうとするかのように、一つ一つの音を慎重に選びながら、姫子は歌っていた。


 そのメロディーは優しく、温かかった。


 ――その瞬間。


 それは本当に一瞬だった。


 姫子の背後から白い人影が現れ、細い右手で姫子の首を掴んだ。その腕に引き摺り出されるようにして、姫子の身体を支配していた怪異が浮かび上がる。

 苦悶の表情を見せる怪異と、その首を両手で締め上げる白い人影。やがて怪異はだらしなく口を開け放ち、全身を小刻みに震わせると、動かなくなった。  

 やがて怪異は、足の先から徐々に灰のような白い粒になり、消えていく。


 突然の出来事に誰もが呆気に取られる中、足を滑らせて木の根元に尻餅をついたハナが、恐る恐るといった様子で呟いた。


「‥‥二人、いたんだ」


 白い粒は雪のように空気に混じり、風にふかれて飛び交う。


「姫子ちゃんには、元々二人憑いていたんだ。あの怪異と、それと‥‥」


 伝説の、人魚?


 飛び交う白い粒は、やがて柔らかな雪へと変わっていた。


 それは、この街に冬の始まりを知らせる雪だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] きれいだ。。
[気になる点] カボチャ人魚の表面 これは、流石に混乱。。。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ