冤罪
「…どうしたんだ、一葉! その顔は!?」
クラークは一葉の顔を見て珍しくぎょっとして声をあげた。
「ああ、これ…。昨日、青の賢者に呼び出されてね。ぼこぼこにされた」
「ぼこぼこ…」
一葉はひどくはれ上がった頬を撫でる。まだ痛みが引かない。
「昨日よりは顔の腫れは引いたんだよ。なんか、私がコルディア軍をああいう目に遭わせたのはやりすぎだって。人間のできる範囲のことをしろってさ」
「先日の件でか…。青の賢者は容赦ないな」
クラークはメアリアンを呼んで城へ行くまでの間、一葉の顔を氷で冷やすよう命じた。メアリアンは気の毒そうに一葉の看護をしてくれた。
朝食の時も昨夜口の中を切ったせいで、痛みを感じたまま食事をするはめになった。
「ふわ…」
一葉は馬車の中であくびをした。城へ向かう途中でもなんだか頭がすっきりしない。昨日よく眠れなかったせいだ。
「どうした。寝不足か?」
クラークが眠そうな一葉に尋ねる。一葉は自分の顔を撫でた。
「んー…。昨日青の賢者に殴られたせいで、眠れなくてね」
「それは…仕方ないな。この前の超獣に竜巻を起こさせたせいで何か体に影響があるのか?」
「それはないみたい。今のところ。なんか変に緊張しちゃってるのかな」
一葉は腕を回して見せた。
「別にそのせいでどこか悪いわけじゃないから、大丈夫だよ」
「だったらいいが…。無理はしないように。それからどこかへ行くにしても」
「ブラッドと一緒に、でしょ。わかってるよ」
一葉は膝の上のいぬくんを撫でた。いぬくんは気持ちよさそうにされるままになっている。
城へ着いていぬくんと一緒にラスティの部屋へ向かうと、バルコニーに人がいるのが見えた。セオドールかと思ったが、違った。もっと背が低くてさび色の髪をしている。あれはラスティだ。鳥たちが集まっている。
バルコニー近くまで行くと、ブライアンが後ろに控えているのがわかった。一葉はバルコニーのドアを開ける。
「おはよう。何してるの?」
「おはようございます、一葉さま」
「おはよう、一葉。見てわかるだろう。鳥に餌をやっているんだ」
鳥たちは相手がセオドールでなくても、餌をくれるならだれでもいいようでラスティが撒いた餌を食べてなくなると飛び立っていった。
「…って、おまえ、なんだ? その顔は?」
「どうなさったんですか?」
二人があんぐりとして一葉の顔を凝視する。一葉は苦笑いを浮かべて昨日の話を手短にしたことに、二人は妙に納得したようだった。
「セオドールがいつも餌やってるんじゃなかったっけ?」
「…兄上はお戻りになってから熱が下がらないんだ。だから俺が代わりに」
「そっか。心配だね」
「ああ」
いぬくんは鳥を追いかけてとてとてと歩いた。
ラスティは空になった餌の入った器をはたいて「戻るぞ」と言ってバルコニーを出て自分の部屋へ向かう。そして思い立ったように、「庭園へ行く」と言い出した。
「どしたの、急に」
一葉はラスティについていく。ブライアンも一緒だ。いぬくんもとてとてと歩く方向を変えた。
「兄上にお見舞いの花をさしあげるんだ」
ラスティはいいことを思いついた、というように得意げに言う。
「えー…」
一葉は顔を引きつらせた。
「あいつ、花なんか喜ぶの?」
「どういう意味だ?」
「この前、貧民街で女の子からお見舞いの花あんたに預けたでしょ。飾ってもいなかったし、花の色すら覚えてなかったし。そういうの喜ぶタイプじゃないんじゃない?」
「…別に、喜んでもらおうというわけじゃない。俺が兄上にお花を差し上げたいだけだ」
ラスティは不満げにそう言うと、すたすたと歩き出した。
「一葉さま、ラスティ様のご厚意をどうか汲み取ってください」
「あ…うん。そうね」
ブライアンに言われて一葉はうなずいた。花をあげるのもあげないのも、ラスティの勝手だ。一葉にとやかく言われる筋合いはないのだ。
場内を出る間、一葉は戦場での話をラスティに聞かれて手短に話した。だいたいがセオドールから昨日聞いたらしいが、彼はほとんど自分の話しかしなかったようだ。
庭園へ行くと、庭師のおじいさんがいて庭の花を好きなものを切り取ってくれると言った。
「赤がいいよ。赤い花」
一葉が庭師に庭園の奥にある赤い花を挿した。
「いいですね」
「白い花もいいな。兄上は白がお似合いだ」
「黄色や青い花も一緒にいれてはいかがですか?」
庭師は言われるままにピンクや白や赤やさまざまな色の花を切って花束を作ってくれた。リボンでまとめてラスティに渡す。
「セオドール様も喜ばれるでしょう」
「ありがとう。早速渡してくる」
ラスティは嬉しそうに笑って城内へ戻った。
「兄上、よろしいですか?」
ラスティが花束を持って声をかける。ブライアンがドアをノックした。
「なんでしょう? セオドール様はお加減がすぐれないのですよ」
中から不機嫌そうにジョンが顔を出した。
「兄上にお見舞いの花を持ってきたんだ」
ラスティが自慢げに花を見せる。
「ありがとうございます。受け取っておきますよ」
ジョンは無表情にラスティから花を受け取る。
「兄上にご挨拶を…」
「申し上げましたでしょう。セオドール様は具合が悪いと」
「いいじゃん、少しくらい。顔見るだけで起こさないって」
一葉が横から口を挟む。
「いいよ…」部屋の中から弱弱しい声がした。「入ってもらって」
「ですが」
「大丈夫。もう熱もないし、念のために横になっているだけだから」
ジョンが断ろうとしたのを、セオドールが遮る。ラスティはジョンを押しのけて部屋の中へ入った。一葉もブライアンも「失礼します」と言って中へ入る。ジョンは渋々部屋のドアを閉めた。
「兄上、大丈夫ですか?」
ラスティが天蓋付きのベッドの上のセオドールに歩み寄る。
「うん。もう平気だよ。ようやく熱も下がったし。ジョンが心配するからここにいるんだ」
「あの、兄上の代わりに鳥たちに餌をやっておきました」
「…君が?」
セオドールは怪訝そうに言う。
「兄上がまだ起きられないと思って…」
「余計なことはしないでくれるかな」
セオドールが明らかに不機嫌になってそう言った。
「も、申し訳ありません…」
ラスティはご主人様に叱られた犬のようにしょげて謝る。ジョンは侍女を呼んで、花瓶にラスティが持ってきた花を活けさせた。
「あんたが起きられないと思って代わりにやっただじゃない。普通そこは『ありがとう』でしょ」
一葉が腕組みをして言うと、ラスティが「余計なことは言うな」と一葉をにらみつけた。
「へいへい。余計なことを申し上げて申し訳ありませんね」
一葉はそっぽを向いた。
「…ラスティはもう勉強の時間だろう。戻るといいよ」
「あの、兄上がお加減がよろしいなら少し話を…」
「気分が悪いから出て行ってくれないかな」
「…はい。承知しました」
ラスティは邪険にされて追い出された犬のように返事をした。
垂れた尻尾が見えるなあ。とラスティの様子を見ながら一葉は思ったが口には出さなかった。
「一葉」
ラスティに続いて部屋を出ようとした一葉にセオドールが声をかける。
「何?」
一葉は面倒くさそうに振り返った。
「少し話がしたいから、残って」
「ええ…」
一葉は露骨に嫌そうに顔を引きつらせた。
「光栄に思え! 兄上に引き止められたんだぞ!」
「だったらあんたが残りなさいよ…」
ラスティが食って掛かるので、一葉がうんざりして答える。
「仕方ないだろう、兄上はおまえをお呼びなんだ」
「…はいはい。何よ」
「一葉と二人にして」
「ですが」
ジョンがそれを止めようとすると、「いいから」とセオドールは言った。一葉は嫌な予感がしたが、仕方なくセオドールと部屋に残った。
「何の用?」
「ひどい顔だね」
「まあね」
一葉は今日何度目かの説明をする。セオドールは黙って聞いていたが、特に何の感慨もないようだった。
「君のせいで僕はすっかり活躍の場を失った」
「ああ…。いぬくんの件ね。それは申し訳ありませんでしたね」
一葉はまったく態度に出さず口先だけで謝罪した。
「僕がラスティに勝てる唯一の機会だったのに…。君のせいだ」
「ああ、そう。それで私に謝罪でもしてほしいの?」
「そんな程度じゃ僕の気が済まない。…僕はお見舞いの花って大嫌いなんだ。気の毒がってこんなもの押し付けて。贈るほうの自己満足だよ」
「へえ、そう。嫌いなもの贈られてお気の毒様」
セオドールがベッドから立ち上がり、さっきラスティが持ってきた花束の入った花瓶から花束を床にぶちまけた。
「何して…ちょっと!」
一葉が止める間もなく、セオドールは花瓶の水を自分に浴びせると花瓶を床にたたきつけた。花瓶が割れて飛び散る。
「助けて! 一葉が、一葉が!」
セオドールが叫ぶと、すぐに部屋の中へジョンとラスティとブライアンが入ってきた。
「どうなさいました!?」
「兄上!?」
「一体何が…」
セオドールは駆け寄ってきたジョンに泣き出しそうな顔ですがった。
「ひどいんだよ、僕にいきなり花を投げ捨てて花瓶をぶつけてきたんだ!」
「ええー…」
一葉は呆れてものが言えなかった。どういう嫌がらせだ。こいつ、マジで性格悪いな。と一葉は思ったが口には出さなかった。こうするためにさっき、一葉以外の全員を追い出したのだろう。
「なんてことをするのです!」
「おまえ、やっていいことと悪いことがあるぞ!」
「…本当ですか? 一葉さま」
責め立てるジョンとラスティの横で、ブライアンが冷静に尋ねる。
「はあ…」
一葉はため息を吐いた。
そして、「そうだよ。私がやった」と堂々と答えた。
「こいつのこと、嫌いだからね」
「おまえ、兄上に対して無礼だぞ!」
ラスティは一葉に食って掛かった。ジョンもひどい形相で一葉をにらみつける。
「皇太子に対してその態度、無礼にもほどがあります!」
「すみませんねえ。で、私は独房へでも行けばいいわけ?」
「そんな程度で済むか!」
ラスティは怒りを露にして叫んだ。
気づけば後1話で100話ですね。
いつも読んでくださってありがとうございます。