決着の前夜
「…クラーク」
「どうした?」
「あ、ごめん!」
いぬくんを連れて一葉がテントの中へ入ると、クラークが上半身裸で体を拭いていた。一葉は慌ててテントを出る。
「大丈夫だ。入っていいよ」
遠ざかろうとする一葉に、クラークがテントの中から声をかけた。
「でも…」
「もう服は着たから」
「…お邪魔します」
一葉がおずおずとテントを開けると、クラークは上にシャツを着ていた。一葉はほっとしてクラークに歩み寄る。
同い年の男子の身体とはまるで違う、鍛えられた男の身体に一葉は妙に緊張した。この前は勢いで抱き着いたっけ。気恥ずかしくなった。
「なんだか、しおらしいな」
「いやその…裸だと思わなかったから」
「風呂に入れないから拭いていたんだ。もう終わったから平気だ」
「…そう」
一葉はふっと息を吐いて、簡易ベッドに座っているクラークに歩みよった。
「何かあったか?」
「ううん。…けが人のお世話が少しできるようになったよ」
「助かるよ」
一葉はクラークの後ろへ回り、ベッドに上がってクラークの背中から抱き着いた。クラークの体温を感じる。彼のにおいはいつもと違った。返り血なんて浴びていなかったのに、血のにおいがした。
「クラークが戦うところ、初めて見た」
「そうだったかな」
クラークは一葉の腕に手を重ねる。
「…クラークも人を殺したの?」
「私は軍人だからな。…私が怖いか?」
「…怖くないよ。怖かったら、こうしてない」
「そうか。…そうだな」
クラークは一葉の手に自分の手を重ねる。
「…明日は、もっと人が死ぬ?」
「本隊が到着したから、そうなるだろうな」
一葉はクラークから手を離した。ベッドに座り直す。
「クラークも戦いは好きじゃないんだね」
「…何故そう思うんだ?」
意外そうにクラークは聞く。
「私がいればこの戦いには負けない。誰かそう言っていなかったか?」
一葉はなんと返事をすればいいかわからず、口を開いては閉じた。
「別に自慢でも皮肉でもないんだ。そう言われているのは知っているから。ありがたくもない噂だ」
「そうなの?」
「私がいれば負けないなんて、そんなことはありえないだろう。私はただ味方が極力死なないように努力しただけだ。それがいつの間にか尾ひれがついてそんな噂になったんだろう。いつも必死だよ」
「クラークはやさしいから」
一葉に微笑まれ、クラークは一瞬、虚を突かれたような表情をした。そして「そんなことはないよ」と笑った。
「無理、してるんだ」
「こういうときは無理をしないわけにはいかない」
「…人を、殺したくないんだよね」
「できることならしたくない。私も人間だから。だが、軍人は仕事だからな」
「私、何かできない?」
「何もしなくていいと言っただろう」
「でも…私もクラークを守りたい」
「…その気持ちだけで十分だ」
一葉の言葉に、クラークは再び驚かされたようだったが、笑顔を作って見せた。
少しの沈黙の後、一葉はずっと聞きたかった疑問をぶつける。
「…みちるはいた?」
「私が見た限りではいなかったな。いるとしても、本陣にいるんじゃないか。それに、シリウスの本来の力は封印されているだろう?」
「そうだね。でも…シリウスが封印を解いたら…」
「そのときは一葉の力を借りるかもしれないな」
クラークが茶化すように言った。一葉ははっとしてクラークを凝視する。
「まあ、そんなことにはならないように尽力するつもりだ。超獣使いの力を使わなくとも、我々が勝利する」
「…そう」
一葉はベッドの下をうろうろするいぬくんをみつめる。
「向こうにはアーウィンもいるんだよね」
「今回来ているかはわからないな。今のところ、召喚士はいないようだ」
「ん…。わかった」
クラークは一葉の頭を抱き寄せた。
「何も心配しなくていい。一葉は私の帰りを待っていてくれれば」
「うん…」
一葉はうなずいて、クラークのテントから出た。
『クラーク様は私がお守りします』
「…ケイト」
クラークは我知らず、昔の恋人の名前を口にしていた。言葉にしたのは、ずいぶん昔だった気がする。そして恋人が占めていた場所に、違う誰かが入り込んでしまったのはいつからだっただろうか。
一葉はいぬくんを連れてセオドールのテントへ向かった。
「こんばんは。調子どう?」
「なんですか、騒々しい」
「いいよ、ジョン」
一葉をにらみつけるジョンをセオドールが制する。
「熱が出てきていらっしゃいます。戦いが終わる前に戻られたほうがよいでしょう」
「僕は戦いの行方を見たいよ」
「いけません。お身体が一番大切です」
こういうときはセオドールの意思を尊重しないんだな。当然か。と一葉はジョンの言葉を聞いて思った。主の命より大事なものがあるわけない。
「何のためにここに来たのかわからないじゃないか。僕は戦場の指揮がしたい」
「ええー…」
一葉は嫌な予感がした。
「わかりました。セオドール様がそうおっしゃるなら」
ジョンはいそいそとテントを出て行く。
「ちょっと、何言いだすのよ。病人が。ここは人の生死がかかってるのよ」
「だからだよ」
セオドールはだるい体を起こして咳き込んだ。
「ちょっと、大丈夫?」
一葉はセオドールに歩み寄る。
「クラークがいるなら、この戦いは必ず勝つ。だから僕が関わった証が欲しい」
「なんじゃそら…」
一葉は呆れた。
「自分の手柄が欲しいわけね」
「悪い?」
セオドールは皮肉気に笑う。
「自分の力じゃなくても、皇太子だからみんな従うんだ」
「別に、いーんじゃない。利用できるものはなんでも利用したって。迷惑さえかけなければ」
一葉はいぬくんを抱き上げると、「自分のやったことには責任持ちなよ」と言ってセオドールのテントを出た。
殺し合いをするのもされるのも嫌だ。
どうすればいい。
一葉はいぬくんを抱えて、そっと人気のない森の奥まで来た。そして「カイン」と彼の名を呼んだ。
「なんでしょう」
相変わらず背中からぬっとカインは現れた。一葉はカインに寄り掛かる。
「明日はもっとたくさんの人が死ぬかな」
「そうでしょうね」
「私はどうすれば、コルディアとレスタントの戦争を止められる?」
「圧倒的な力を見せれば或いは」
「…みちるはいるのかな」
親友は今どうしているのか。ニワトリを飛ばして様子をうかがうべきだったか。オスカーに聞かれているかもしれないから、うかつなことは聞けない。
「狼を撃退されましたから、おそらく前線にはいないでしょう。出番はないはずです」
「…いぬくんの力を使っても?」
「彼女が被害に遭うことはないかと」
「…わかった。戻って」
「はい」
背中に何かが入る感覚。
一葉は夜空を見上げて立ち尽くしまま、ずっと考えていた。




