王子様とご対面
「今日は、お米を買いに行こうか」
「お米? いつもパンじゃないんだ?」
朝食を終えて、包帯も取れた一葉が台所の洗い場で片付けたところへシアンが声をかけてきた。
「ふふ、私たちってパンばかり食べていると思った? お米も食べるし、パスタも食べるわよ」
「それもそうだよね」
セシリアに微笑まれ、今までパンしか炭水化物をとっていなかったから、偏見も持ってしまったなあと一葉は一人反省する。
「一葉が言ってた、栗ご飯ていうのを食べてみたいんだよ」
「ああ、それね…。でも、炊飯器が…いや、鍋にふたすれば…」
「シアン」
一葉が一人でぶつぶつと言いながら考え込んでいると、修道女の一人が声をかけてきた。
「どうしたの?」
「ブラッドが来ました」
「ブラッド? それなら、セシリアだろう?」
シアンがセシリアに視線を向けると、修道女は「いいえ」と否定して「その…一葉に会わせてほしいと」とためらいがちに続けた。
「私に?」
一葉がきょとんとして自分を指さした。
「なんで…」
「ああ、思ったより早かったね」
シアンは訳知り顔で微笑んだ。
「シアン?」
「何が?」
「一葉の願いがかなったということだよ。行こうか。さあ、セシリアも一緒においで」
よく理解できないでいる一葉とセシリアを連れて、シアンは教会の聖堂へ向かった。日の光が入る聖堂の正面には、変わらず女神が手を広げて微笑んでいる。ブラッドが信者が座る椅子の前に立って待っていた。
「ブラッド、おはよう」
「おはよう、ブラッド」
「ブラッド、おはよう。来てくれたのね」
「セシリア! おはよう、今日もいい天気だな」
先に入ってきたシアンと一葉には目もくれず、ブラッドはセシリアにかけよった。
「なんかデジャブ…」
一葉はぼそりとつぶやいた。
「そうね、本当に。もう秋で、クリバチが出るでしょう? 昨日一昨日と、一葉とシアンが栗をたくさん拾ってきてくれたのよ。ブラッドもよかったら食べて行かない?」
「いいね。俺、栗大好きなんだよ」
「こらこらこら! あんた、私に用があったんじゃないの?」
セシリアに言われるままに教会の中へ入って行こうとするブラッドの前に一葉が立ちはだかった。
「あ、ああ…そうだ。そうだな」
「ははは。ブラッドのそういうところがかわいいところだよねえ」
シアンはにこにこと笑っている。
「そうそう、これ。一葉からアイスクリーム代だって」
シアンが腰から下げた袋から、どうもその大きさより大きな財布を取り出して二枚のコインをブラッドに渡した。
「あ? 俺は別に貸したつもりじゃ」
「いいから。一葉が返したいっていうんだから、もらっておきなよ。労働でこちらは払ってもらったから」
「ん…。そうか。じゃあもらっとく」ブラッドはコインをやはり腰元に下げた袋より大きな財布を取り出してそれにしまった。
「よかった。ありがとね」
「どういたしまして」シアンはにこにこと笑う。
「おまえ、意外と義理堅いんだな」
「借りを作りたくないだけ」
一葉はブラッドに率直に答えた。
「あー…その、なんだ」ブラッドは視線をあちこちに泳がせてから「一葉。おまえに城にきてほしいと国王陛下からの要請だ」と真剣な表情で言った。
「国王陛下?」
「そうだ。おまえ…超獣使いなんだって?」
「最初からそうだって言ってるんだけど」
一葉に言われ、「ああ…」とブラッドは額に手をあててから息を吐いた。
「ギルドで認定されたって噂が城にも届いた。それで、国王陛下がおまえに会いに来てほしいと仰せだ」
「ふうん。耳ざといね。イヴァンかな。もっとかかるかと思ったけど」
シアンが感心してうなずいた。
「シアン…」ブラッドがため息を吐いた。「あんた、知ってたなら連絡くらい…」ブラッドの言葉の途中で、シアンは人差し指を唇にあてた。それでブラッドは口を閉じた。
「何?」
「…なんでもねえよ」
一葉の疑問にブラッドは答えなかった。
「じゃあ、ブラッドは一葉を迎えに来たのね?」
セシリアがたずねると、ブラッドは「ああ…まあ」とうなずいた。
「それなら、早く行こうよ。ブラッド」
「…おまえ、恐れ多くも国王陛下に会うんだぞ。ずいぶん度胸あるな」
一葉にせかされ、ブラッドはかなり不安げだ。
「私、天皇陛下に会うならガクブルもんだけど、異世界の王様なら平気」
「またわけのわからんことを…」
妙なものを見る目つきで一葉を見るブラッドをよそに、一葉は「行こうよ」と歩き出した。
「いっておいで、一葉」
「いってらっしゃい、二人とも」
シアンとセシリアに見送られ、ブラッドと一葉は教会から歩き出した。
「じゃあまた、セシリア!」とブラッドはセシリアに手を振った。
「遠いの? お城まで」
まだ名残惜しそうに後ろを何度も振り返るブラッドに、一葉はいぬくんを足元に歩く。
「ああ、歩くとな。だから、向こうに馬を置かせてもらってる」ようやく後ろを振り返るのをやめて、ブラッドは宿屋のような建物の店先を指した。馬が一頭つながれている。
「馬…! 私、乗るの初めて!」
一葉は栗毛色の馬に駆け寄った。馬は人に慣れているらしく、一葉に近づかれて背を撫でられても、驚いた様子はなかった。
「ねえ、これに乗せてくれるの?」
「そうだ。それにしても、そんなに馬が珍しいか?」
馬につながれた縄をほどいて、ブラッドは颯爽と馬に乗った。
「珍しいよ! 生で見るの初めてだもん! ねえ、早く乗せて!」
「わかった、わかった。その獣…超獣なんだろ? 胸に抱いてろ」
「うん」
一葉がいぬくんと抱き上げると、「腕伸ばせ」とブラッドに言われて腕を伸ばす。ぐっと引っ張られて身体を引き寄せられ、ブラッドの前に座らせられた。
「ブラッドって、力強いんだね」
「これでも軍人だからな」
「軍人…」一葉はしげしげとブラッドを見た。腰から剣を下げているが、これだって重いんだろう。ブラッドは見た目も背が高いし筋肉質に見えるから、鍛えられているのだと一葉は思った。
「馬を走らせるぞ。落ちるなよ」
「だって、ブラッドが支えてるんでしょ?」
「…まあな。行くぞ」
一葉の腰に腕を回して、ブラッドは片手で手綱をたたいて馬を走らせる。
「うわ、馬から見る景色って、こんななんだ…」
「騒ぐなよ。馬を刺激しないようにな」
「わ、わかった…」
初めての経験に胸を躍らせながら、一葉は馬に乗って冒険者ギルドへ連れていかれた。すぐに城へ行くのかと一葉は思ったが、一応城へ届いた話が本当なのか確認する必要があるということだった。ギルドの受付嬢に一葉が超獣使いであるというお墨付きをもらい、ブラッドと一葉は城へ向かう。
壁を超えると街並みが一気に遠ざかり、先ほどとは見慣れない街が続く。城が近づくと周りは一本道で林となっていく。周りにはお堀があって城に通じる巨大な跳ね橋があり、そこには兵士とみられる男性が二人立っていた。
「超獣使いと思しき娘を連れてきた」
「ご苦労様です」
「話は聞いています。お通りください」
ブラッドはうなずいて、門を通過すると「降りるぞ」と言って一葉を馬から降ろして自分も降りた。跳ね橋の向こう側にいる兵士に「頼む」とブラッドは言うと馬を預けた。
「ここからは歩きだ」
「うん。ここがお城かあ。大きいねえ…」
一葉は目の前の城に圧倒された。石造りの趣のある城だ。ネットやテレビでしか見たことはないが、ヨーロッパの城のようなものに近い気がした。どこの国と言えるほど、一葉は知識がない。
いくつかの塔がある巨大な建物で、窓も小さいものも大きいものもある。大きな庭園が色とりどりの花を咲かせていた。中には兵士たちが並んでいる。城の左右にもまた渡り廊下でつながっているらしい建物がある。正面から見て左側に、教会と同じ女神像が立っていた。一葉はぽかんと口を開けてそれを見入ってしまった。
「城に圧倒される田舎者…」
「だ、だってこんな立派なお城、生で見るの初めてだもん!」
きょろきょろと目を動かしていた一葉は、ブラッドに小馬鹿にされ口を尖らせた。
「中に入ればもっと田舎者丸出しになるぞ」
「うう…」
ブラッドは扉の前の兵士に一葉を紹介して、城の中へ足を踏み出した。
「わあ…!」
一葉は思わず歓声をあげた。城に入るとすぐ、両脇に分かれた階段があった。上には豪華なシャンデリアがあり、右側と左側には奥に続く扉がある。
「すごいね、きれいだね、やばいね、本当にお城だ…」
「わかった、わかった。田舎者」
ブラッドは片手で興奮する一葉を制して、「こっちだ」と階段を指した。ブラッドに続く一葉の後をいぬくんがとことこと続く。
「ねえ、まっすぐ王様に会わせてくれるの?」
「その前におまえが危険人物でないか確認する必要がある。つっても、相手は…」
「ご苦労様、ブラッド」
階段を上り終えたところで、向こうから見覚えのある人物ともう一人がこちらへ歩いてくるのが見えた。声をかけてきたその人物に、一葉は「クラーク!」と声をあげた。
「やあ、一葉。元気そうだな」クラークはやさしく微笑んだ。「もう包帯も取れたようだ」
「うん。今日取ったの」
「へえ。この子が超獣使い?」
クラークとともに来たのは、身長があまり高くない垂れ目の男だった。
「ああ、そうだ。一葉っていう」
ブラッドが一葉の頭に手をおいて手抜きな説明をした。「へえ」と男は一葉を頭のてっぺんからつま先までじろじろと見る。
「…あんた、誰?」じろじろと見られて不審そうに一葉がたずねる。
「ああ、ごめんごめん。自己紹介がまだだったね。俺はイヴァン。一応、この国の軍師みたいな仕事してる」
「軍師…」ということは、頭のいい男なのかな、と一葉は思った。垂れ目だけど。
「で、この角の生えた獣が超獣?」
イヴァンは一葉の足元にいるいぬくんを指した。
「そう。いぬくんていうの」と一葉が答えると、
「へえ。すごい感性だね」とまたじろじろといぬくんみつめた。
「…なんか、やな感じ」
一葉が露骨に顔を歪めていぬくんをイヴァンの視線からそらすと、イヴァンは「あはは。こっちも仕事だからね」と垂れ目をさらに下げて笑った。
「仕事?」
「ギルドから君が超獣使いだっていう回答も受けてるんで、間違いはないだろうけどね。国王陛下に危害を及ぼさない人間かを一応検査するのが俺らの仕事なわけ」
城のほうでそういう調べがついていたからブラッドはすんなり私を城へ連れてきたのか。一葉は頭の中で納得した。
「クラークは? なんの仕事なの?」
「おまえ、ここでは口のきき方に気をつけろよ。クラークはこの国の将軍なんだからな」
「将軍?」一葉はクラークを見上げる。「て、偉い人じゃん! だったら、私のことすぐ王様に会わせることもできたんじゃない!」
「すまないな」食ってかかる一葉に、クラークはすぐに謝罪する。「身元も不明な人間を陛下にあわせるなんて真似は、小心者の私にはできなくてね。まして、本物の超獣使いだなんてわからなくて」
青の賢者の言うことは嘘でもなかったんだな…と一葉は胸の内でつぶやいた。
「でも」
「事情はわかったろ、これからはクラークにちゃんと敬語で話せよ」食い下がる一葉を、ブラッドが制した。
「気にしなくていいよ」クラークは苦笑してブラッドをなだめる。「一応、私が一葉に関しては陛下への害がないことを認めよう。それでは、陛下のもとへ来てくれるかな?」
「…まあ、いいけど」一葉は上から目線で答えた。「どうせ、会うつもりだったし」
「そうか。ありがとう」
クラークに続いて、廊下を歩くと前からさび色の髪の少年と侍従らしき人物が二人、並んで歩いてきた。侍従らしい、というのは裾の長い服を着て細身のシルエットというそれくらいしか一葉には判断できなかった。
「おまえたち、どうした?」
少年がこちらへ近づいてきて声をかける。一葉以外の3人は「おはようございます」と両手を組んで頭を下げた。
「一葉、おまえも礼しろ」
「え? え? …ああ、うん」
わけがわからないまま、一葉はブラッドに言われて彼らと同じ姿勢をした。
「その娘が超獣使いなのか?」と少年はクラークに聞いた。
「はい、さようでございます」クラークは答える。
ずいぶん偉そうな子供だな、と一葉は思った。年は一葉より幼く見える。背も10センチは小さいだろう。
「ふむ…」
少年は値踏みするように一葉を頭のてっぺんからつま先まで見て、「凡庸な娘だな」といった。
「はあ?」
少年の言葉に一葉が顔をひきつらせると「おまえ、名は?」と少年はたずねてくる。
「人に聞く前に自分で名の…」
「こちら、一葉と申します! 殿下!」
ブラッドは一葉の言葉を遮り、一葉の頭をつかんで頭を下げさせた。
「…殿下?」ブラッドの言葉に、一葉が顔を上げて聞き返す。
「一葉、こちらはこの国レスタントの第2皇子、ラスティ殿下だ」
「おうじい? このちっちゃいのが?」
クラークの紹介に、一葉は目を丸くした。
「ち、ち、ちっちゃいの、だと…」
皇子は顔を真っ赤にして、ぎゅっと握りこぶしをつくった。どうやら、身長が低いのを気にしているらしい。
「みなさん、皇太子殿下のおなりですよ。道を空けなさい」
6人の前に、侍従らしき男が声をかけてきた。彼の後ろには背の高い金髪の青年がついてきている。
「…これは」急いで5人が礼をとり、ぼうっとしていた一葉もブラッドに無理やり頭を下げさせられた。
「気にしなくていい。みんなそろってどうしたんだ?」片手をあげて、金髪の青年が穏やかに話しかける。
「皇太子殿下、こちらは超獣使いの娘で一葉と申します」と言ってクラークは一葉に視線を向ける。挨拶しろ、という意味なのだろう。しかし一葉はなんというべきかわからず「…どうも」とだけ言った。
「おまえ、兄上に無礼な…」
「僕は皇太子のセオドール。話は聞いているよ。君が超獣使いということは、その足元の獣が超獣なの?」
セオドールは一葉の足元のいぬくんを指す。
「そうだけど…」一葉はセオドールとラスティを交互に見比べて「兄弟なのに似てないね、君ら。共通点がない」と言った。
次の瞬間、唐突に左頬に痛みが走った。一葉は反射的に自分の頬を押さえる。
「あ? え…」
「無礼者が! おまえごときそんなことを言われる筋合いがない!」
一葉はラスティにひっぱたかれたのだ、と少し遅れて自覚した。周りは呆気にとられたり、おろおろしている。
「おまえごときに何がわかるというのだ! 俺と兄上のことなど何も知らぬ田舎者が! お前のような恥知らずを育てた親もよほどの出来損ないの愚か者に決まっている…っ」
「あ…」クラークは短く声をあげた。
「う…」ブラッドは真っ青になった。
「くっ」イヴァンは口元に手をあてて、後ろを向いた。
「失礼ね」と一葉は痛む頬を押さえてラスティをひっぱたき返してから「だったら、あんたの親も大概じゃないの。見た目同様中身もちっちゃいわね」とラスティを見下ろした。
「ぶ、ぶ、ぶ、無礼者が----!」ラスティは頬を押えて大声で叫んだ。