間者の末路
翌日、掃除をしていた一葉はメリッサから「アーウィン様に聞いておいで」と言われてアーウィンを探すことになった。
内容は辞書を新しくするかどうかだ。もうぼろぼろになっているので、新しくするなら買いに行かなければならないからだそうだ。
「あの、アーウィン様ってどこか知ってます?」
通りすがりの中年の侍女に聞くと、今なら最上階のオスカー様の部屋にいるはずだ、と言われて一葉は階段を上る。
美術品もなんとなくレスタントとは違うかな…と美女の像を見て思いながら、一葉は廊下を進んだ。
「手前の部屋…ここかな」
一葉がノックすると、返事はなかった。けれど中から話し声のようなものは聞こえてくる。一葉はそっとドアを開けた。
「あの…」
「では、彼女に見覚えはないんだね?」
ドアの隙間から中を見ると、みちるが困惑した様子で椅子に座るオスカーのそばにいた。オスカーの後ろにはアーウィンがいる。
そして一葉に背を向けた男が「ございません」と言った
「なるほど。結構。このままレスタントで引き続き捜査を、と言いたいところだけどね」
オスカーはちらりと視線をアーウィンに向ける。
「もう彼に用はない。アーウィン」
「はい」
「ま、待ってください、それでは話が----」
アーウィンは少しのためらいもなく、カーテンを引き裂いて男の喉元を切りさくと同時に血が周りに飛ばないようカーテンをカバーにして男にかけた。
男は床に転がった。
「あ、ああっ…」
みちるは恐怖に震えて後ずさる。
「何してるのよ!」
「…おや」
「一葉…」
オスカーとアーウィンが驚いてドアを開けた一葉を見る。みちるは一葉に駆け寄ってすがりついた。
「か、一葉…」
「何、これ…何なの?」
「あーあ。見られちゃった」
オスカーは笑って椅子から立ち上がる。
「彼はレスタントに送ってた間者だよ。でも、ちょっと怪しくなってきたから眠ってもらったわけ」
「だ、だからって殺すこと…」
「こっちの秘密をしゃべられたら困るじゃない。それにね、彼はもともとレスタントの人間なんだよ。それを裏切ってこちらにつくような人間だ。逆に言えば、こっちを裏切る可能性はいくらでもある」
カーテンの布は赤く染まっている。おそらく男は即死したのだろう。ぴくりとも動かない。
「誰かが殺されるのを見るのは初めてかな? それはショックだろうね。…アーウィン。彼女を連れて行ってやりなさい」
「かしこまりました」
アーウィンが一葉に手を伸ばそうとすると、一葉はびくりと身を震わせた。
怯えた目で一葉にみつめられ、アーウィンは手を引く。
「…みちるも下がっていいよ。二人とも、今日は部屋へいなさい」
「…この国の神様は、人を簡単に殺すことを許すの?」
一葉は喉の奥がひどく乾いたような状態から、ようやく声を絞り出した。
「そう。だが、この国では私が法なんだよ」
「王は神と法の下にいるはずだ」
一葉がそう言うと、「面白い」とオスカーは笑った。
「一葉。今日はもう仕事はいいから戻りなさい」
「…その人は?」
アーウィンに言われ、一葉は小声で問う。
「ちゃんと弔うよ。さあ、行きなさい」
「…行こう、みちる」
「…うん」
アーウィンに促され、一葉とみちるは支えあってオスカーの部屋を出て行った。
「さて、アーウィン。部屋をきれいにするよう言ってくれ」
「かしこまりました」
「…しかし」
オスカーは喉の奥で笑う。
「王は神と法の下にいる。私に向かってそんなことを言った人間は、初めてだ」
「申し訳ございません。子供の戯れと…」
「アーウィンのお気に入りだから許そう。しかし、ああいうまっすぐな目をした人間がいると、実に愉快だ。あのまっすぐさをへし折りたくなるね」
「オスカー様」
「…冗談だよ」
オスカーは楽しそうに笑った。
「お茶をお持ちします」
みちる付きの侍女のアグネスが急いで部屋を出て行った。
顔面蒼白なみちるを見て、ただならぬ事態であることを悟ったらしい。コリンはおろおろとして二人のそばにいる。
「気持ち悪い…」
「人が殺されるのを見るの、初めて…」
二人は椅子の上で突っ伏したまま顔を見合わせる。シリウスが<何があった>、と聞いてきた。みちると一葉は簡単に説明する。
「…みちる、なんであそこに呼ばれたの?」
「あの人、レスタントのスパイって言ってたでしょ。私がレスタントの超獣使いだってオスカー様は疑ってたみたい。それで彼に会わせたのね」
「そういうこと…。私が会わなくてよかったな」
もし顔が割れていたら、オスカーは間違いなく一葉を殺したのだろう。背筋が寒くなった。
「お待たせしました」
アグネスが二人分のお茶を持ってきた。香のいいハーブティーだ。しばらく、二人は黙ってそれを飲んだ。
「ありがとう、アグネスさん。ちょっと一葉と二人で話したいから、外してください」
「かしこまりました」
アグネスはすぐに部屋を出て行った。一葉とみちるはため息を吐く。
「…やばいね、オスカーって」
「うん。敵とみなしたら容赦なしなんだね。…正直、怖い」
一葉は頭をかく。みちるが無事にいられる保証もない気がしてきた。
「ここにみちるを置いておくのは心配なんだけど」
「でも、私がここにいないとだめな決まりなんでしょ?」
「最悪、そんなの無視して…あーでも」
そうなると、きっと一葉の願いも叶わないのかもしれない。それでは、ここにいる意味もなくなる。
「うーん…」
「大丈夫。シリウスもいるし、なんとかなるよ。いざとなったら、私を迎えに来てくれるんでしょ?」
「それは…うん。もちろん」
「でもさっきの一葉、かっこよかったよ。王は神と法の下にいる」
「ああ、それね…私が考えたわけじゃないよ。イギリスの…ブラクトンだかコークだか忘れたけど、どっちかの人が言ったことを引用したの」
「そうなんだ。知ってるだけすごいわ」
みちるはそう言って、窓の外を見た。
「…あの人、死んじゃったんだよね」
二人の脳裏には、真っ赤な血に染まったカーテンとその死体が浮かぶ。
「みちるはそんなことさせないからね」
「うん…。でも」
コリンが不安げなみちるのそばにより、手を握った。
「…ありがとう、コリン」
「コリン、みちるを守ってね」
コリンはこくりとうなずいた。
「あ、もちろんシリウスもね」
<承知している。ここは肉が食えるのがいい>
シリウスの答えに、一葉とみちるは笑った。
まだ休んでいればいいのに、というみちるに一葉は、身体を動かしたほうが気がまぎれると言ってメリッサが待っているアーウィンの部屋へ向かった。
「すみません、遅くなりました」
「ああ…」
メリッサは本棚を整理していた。
「アーウィン様から話は聞いたよ。今日はもう来ないかと思ってた」
「大丈夫。働きます」
「そうかい。…アーウィン様はオスカー様の汚れ仕事を引き受けているお方だ。だから常に陛下のおそばにいる。伯爵の身分でありながら、大尉の座にいるのは身分が高いと逆に動けないからなんだよ」
「…そうなんですか」
「ま、あんたみたいにああいう現場を見て辞めた侍女もいる。辞めるんなら、早いほうがいいからね」
「…はい」
一葉は黙って雑巾をしぼる。椅子やテーブルを拭いている間に、ふと思い出した。
「あ、そうだ。辞書…」
「明日、買いに行くとおっしゃってたよ。あんたも侍女なら、お供するかい?」
一葉はしばらく考えてから、「行きます」と答えた。




