冒険者ギルド
翌朝目を覚ますと、子供たちはもう起きて寝床にはいなかった。
寝坊してしまったようだ。一葉も慌てて起きて着替えて顔を洗うと、食堂ではみんなが食事をしていた。
「うわ、私だけ寝坊…」
みんなを見ているシアンに駆け寄ると、彼は昨日と同じように笑った。
「おはよう、一葉。いいんだよ。昨日の今日で疲れたんだろう。一葉の分は今持ってきてあげるから」
「あ、私が取りに行くよ!」
「いいから。一葉はセシリアに包帯を取り換えてもらいなさい」
「いらっしゃい、一葉」セシリアが手招きする。
「えっと…じゃあ、お願いします」
シアンと同じようにみんなを見ていたセシリアが、一葉の手を取って椅子に座らせると包帯を取ってくれた。もう腕にしか包帯は巻いていない。
「だいぶ傷も治りかけているみたいね。明日には包帯が取れそうよ」
「うん。もうほとんど痛くもないんだ」
「でも、無理しちゃだめよ。傷も病気も、治りかけが肝心なんだから」
薬箱から包帯を取り出してセシリアが巻いてくれる。一葉はおとなしくされるままになっていた。
「クラークのところにいたときは、誰に包帯を変えてもらっていたの?」
「えっとね、侍女の人…そういえば、名前聞くの忘れたな。茶髪で、ちょっとそばかすのある女の人…」
「そういう人がいるのね」
セシリアは新しい包帯を手に取る。包帯は巻くと自然にくっつく仕様のようだ。
「彼と私とブラッド、それにもう一人イヴァンという人がいるんだけど、私たち4人は幼馴染なの。今はもうめったに会うこともなくなったけど、クラークは昔は教会へ顔を見せてくれていたわ」
「へえ…。そういえば、昨日シアンもそんなこと言ってたような」
「お待たせ。質素だけど、うちのご飯はおいしいよ」
包帯を巻き終わったところで、シアンがタイミングよく朝食をトレイに乗せて持ってきてくれた。パンとサラダと目玉焼きとソーセージがワンプレートに乗っていて、野菜とベーコンのスープもついている。
「ありがとう。いただきます」
一葉は喜んでフォークを手に取った。
「ああ、そうそう。昨日は言わなかったけど、今日はお祈りして食べようか」
「お祈り?」
シアンとセシリアはうなずいて、一葉の隣に座って両手を握り合わせた。
「女神よ。今日も私たちに糧をお与えくださり感謝します」
「女神よ。今日も私たちに糧をお与えくださり感謝します」
「め、女神よ。今日も私たちに糧をお与えくださり、感謝します」
一葉は急いで両手を握り合わせ、二人の真似をして女神に感謝を表した。
「まあ、一葉の国で唱える言葉があれば、それでもいいんだけどね。昨日も『いただきます』しか言ってなかったみたいだから」
強制してごめんね、とシアンは一葉の隣の椅子に腰を下ろす。
「ああ…うちでは、いただきますって言うだけ。でもいただきますには、『いのちをいただきます』っていう意味も含まれてるんだよ」
「ああ、そういうことなの。深いのね、『いただきます』って」
セシリアが納得している間に、一葉は朝食を食べ始める。メニューは先日クラークの家で食べたものと大差ない気はするのだが、屋敷が違うせいか、シェフが違うせいか、味が違う気がした。
「さて、一葉。食べ終わったら、寝所と廊下を掃除してもらうからね」
食後の紅茶を淹れながら、シアンがにっこりとほほ笑んだ。
「わかった。ところで、シアンもセシリアも朝ご飯食べたの?」
「私たちはここに泊まっている人たちより早く済ませるの。身体が不自由で、起きるのがつらい人もいるし、私たちに合わせて朝食を急いで食べてもらうのも気の毒でしょう」
「ふうん…。女神教の人って大変なんだね」
「一葉は宗教には入っていないのかしら」
「うち国は無宗教っていうか、多宗教っていうか…節操なくいろんなもの崇めるかなあ」
お正月は神様、クリスマスはキリスト、お墓は仏教という特殊な風土だ。でもその日本の国の話をするのもなんだか気恥ずかしいので、一葉は余計なことは言わないでおくことにした。
「だったら、うちの女神さまを崇めるのも問題ないね」
シアンが嬉しそうに笑うので、一葉は苦笑いで紅茶をすすった。
「ねえ、シアン。来たそうそうこんなことお願いして悪いんだけど」
「うん? 何?」
「お金貸してもらえないかな?」
シアンはきょとんとして一葉を見る。
「お金って…」
「二百ジョゼ? ってどれくらいの価値だか分かんないんだけど、お願い」
「いいけど。何に使うの?」
「ありがとう。ブラッドにアイスクリーム代返さなきゃいけないの」
シアンは「それなら俺が返しておくよ」と笑った。
「でも、どうやって返したらいい? どこかで働く?」
「そうだねえ…」シアンはにっこりと微笑んだ。「ここで労働してもらおうかな」
そんなわけで、今日は教会を掃除をすることになった。放棄ではいてモップで拭くのは異世界でも変わらない掃除方法のようだ。足元にはつねにいぬくんがうろうろしている。
「さて…これからどうするべきかなあ」
窓から見上げる空は、青かった。
掃除をしてから子供たちと一緒に勉強をしろと言われたが、一葉にはこの世界の字がまったく読めなかった。
字というより、単なる記号にしか見えないのだ。子供たちにさんざん馬鹿にされて機嫌を損ねたところで、修道女たちが作ってくれたというマロンパイをごちそうになり、一葉は機嫌を直した。
「それじゃ、一葉。今日もクリバチ退治に行こうか」
「おれも行きたい、シアン!」
「あたしも!」
子供たちにせがまれたが、シアンは「危ないからね」とやんわり断った。
「また行くの? いいけど」
一葉は背中にかごをしょって、シアンと一緒に教会を出る。
「行ってらっしゃい。今日も栗のおみやげ、待ってるわね」
教会前を掃除していたセシリアが見送ってくれた。それに手を振って答えて、シアンと一葉は街の門へ向かう。いぬくんは今日は歩いてついてきた。
「今日はブラッドが来るのを待ってたんだけど、来ないから仕方ないね」
「ブラッドを待ってるの? どうして?」
「彼が一葉といぬくんの活躍を見てくれると、一葉にとって都合がいいんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。…そうそう、一葉。冒険者ギルドって知ってる?」
「冒険者ギルド…って、だいたいわかるよ。ゲームにあった。冒険者が登録して、クエストとかこなすやつでしょ?」
「あたり」
シアンは足を止めて、目の前のレンガ造りの3階建ての建物を指した。
「ここで冒険者に必要な情報を集めることができるんだよ。一葉のレベルも調べてくれるよ。行ってみる?」
「へえ、ここが冒険者ギルドかあ…。うん、行ってみたい」
「じゃ、ちょっと寄って行こうか」
中へ入ると、屈強そうな戦士や武闘家らしき女性や男性、杖を持った魔法使いらしい女性や男性もいた。
「あら、司祭様。いらっしゃい」
「こんにちは。今日は知り合いを登録してもらおうと思ってね」
受付の女性に気軽に声を掛けられ、先日は冒険者にも声を掛けられていたし、シアンはずいぶん顔が広いんだなあと一葉はぼんやり思った。それとも、この国では信仰心の強い人が多いのだろうか。
「そちらのお嬢さんかしら?」
「あ、はい、そうです」受付嬢に微笑まれ、一葉は急いで頭を下げた。
「そう。それじゃ、レベルを調べるからこの魔石に手をかざしてくれるかしら?」
「これ…?」
一葉がそっと手をかざすと、緑色の魔石がまばゆく光った。でもそれは一瞬だけのことで、すぐに光は収まった。
「それでは、あなたの職業は…あら? 何かしら、これ…」
魔石が光り終わると、受付嬢の前に液晶のパソコンの画面のようなものが現れ、何か文字が映っている。それを見て受付嬢が首を傾げた。
「よう、司祭さまと昨日のお嬢ちゃんじゃねーか」
「あ、あなた…」
確か昨日クリバチ退治のときにいた屈強そうな戦士の一人だ。
「ギルドに登録に来たのか? けどお嬢ちゃんは、その獣の召喚士じゃないのか?」
「違うよ、私は召喚士じゃなくて…」
「ああ、超獣使いだったな、悪い悪い」
戦士は鷹揚に笑った。
「…確かに、間違いないようです」
「うん?」
「何が?」
戦士とシアンが受付嬢に振り返る。
「そのお嬢さんは、『超獣使い・レベル1』に間違いないようです…」
「はあ?」
「へえ、やっぱりそうなんだ」
理解できないという戦士と、妙に納得するシアン。
「おいおいねえちゃん、超獣使いだってのか? このお嬢ちゃんが?」
「ギルドの魔石による判定なので、間違いはないかと…」
「そんなバカな話があるか! 超獣使いどころか超獣なんて、おとぎ話だろうが!」
受付嬢自身もまだ納得できていない様子で、戦士におどおどと答える。
「なんだ、なんだ?」
「どうした?」
周りの冒険者たちが、戦士のただならぬ様子に近づいてきた。
「それがギルドの魔石が、ここにいるお嬢ちゃんを超獣使いだって判定したってんだよ。信じられるか?」
「超獣使い?」
「そういや、その娘昨日の…」
昨日クリバチ退治に来ていたのか、見覚えのあるらしい冒険者が一葉を見てうなずく。
「てことは、超獣は?」
「このいぬくんが超獣だよ」
一葉は足元にいるいぬくんを抱き上げて周りに冒険者に見せた。かれらは一瞬、まじまじといぬくんを見たが、たちまち笑いが起こった。
「この犬みたいなのが?」
「角の生えた犬かよ」
「いやいや、この犬、確かに昨日はこの口から火を吐いて、クリバチを退治したんだ。もしかすると、もしかするかもしれねえぞ」
戦士が笑っている冒険者たちに説き始める。
「そういえば、私も見たわ。昨日」
魔法使いの女性が輪の中にまじっていた。彼女は確か昨日、シアンに話しかけた女性だ。
「いや、でもなあ…」
「だったら、これから自分の目で確かめてみるのはどうかな?」
シアンがにっこり笑って一葉の頭に手をおいた。
「みんなでクリバチ退治と行こうよ。それで納得するよね」シアンは一葉を見る。「いいよね? 一葉」
「う、うん…」
一葉は妙にどぎまぎしながらうなずいた。
「じゃあ、行こう。そろそろクリバチたちも来る頃だろうからね」
シアンが先頭に立って歩き出したので、冒険者たちはついていく。一葉は眼鏡を指で押し上げて、それから急いでみんなの後を追った。
門の外へ出ると、昨日見た冒険者たちより多くの戦士や魔法使いたちが集まっていた。
「昨日クリバチたちが来るってわかったから、今日はもっと多くの冒険者たちがきたんだよ。今日はもっとたくさんの栗が取れそうだね」とシアンは微笑んだ。
やがて遠くからクリバチたちが現れるのが見えた。昨日と同じようにイガイガを運んでこちらへ飛んでくる。
「さあ、行くぞ」
「おお」
冒険者たちがクリバチたちを追い払いにかかる。切り捨てるものもいれば、魔法で焼き尽くすもの、クリバチが落としたものを拾って中身をクリバチに放ってやるもの、中身は出さずにそのまま持ち帰るものもいた。
「一葉、昨日のやりかたは覚えてるね?」
「だ、大丈夫…」
一葉とシアンは地面に落ちた栗のイガイガを取って、中身の栗をほうってやる。クリバチたちはそれに群がって栗を食べ始めた。
「全部やらなくていいよ。うちで食べる分も必要だからね」
「わかった」
一葉はいぬくんを腕に抱えると、「できる?」と聞いた。いぬくんは「くるくる」と返事をするように鳴いてみせた。
「じゃ…」一葉はいぬくんの顔をクリバチのほうへ向ける。それで悟ったように、口から炎を吐き出してクリバチを焼きはらった。
「おお…」
「あれが超獣か…」
冒険者ギルドにいた連中が、一葉といぬくんの挙動を見ていた。さっきの戦士が話しかけてくる。
「けど、そんなもんか? 超獣ってのは世界を揺るがすほどの力を持ってるんだろ?」
「えーっと…」一葉は返答に困った。実際、いぬくんの力がどんなものなのか、一葉もよく知らないのだ。炎を吐けることも知らなかったくらいだ。
「一葉のレベルが低いせいかもしれないよ」
栗をかごに入れながら、シアンは言う。
「さっき、ギルドでレベル1って言ってたからね。一葉のレベルが上がれば、もっと超獣も強い力を出せるのかも」
「はは、なるほどな」
「いてええええ!」
唐突に叫び声が聞こえた。見ると、クリバチを必死で追い払った戦士がいた。
「どうしたの?」
「クリバチに刺されたんだ」
「ああー…いてえよな、あれ」
周りの冒険者たちが気の毒そうに遠巻きに見ている。
「シアン、クリバチに刺されるとああなるの?」
一葉が指さした戦士の腕は、赤く腫れあがっている。一葉の世界で見るハチに刺されたものとは比べ物にならないほどだ。さすがにスズメほどの大きさあるハチだけはある。
「そう、だから俺たちはできるだけクリバチから刺されないように逃げるか退治するかしないといけないんだよ。そうしないと、ああなるからね」
シアンは腕を腫らした男に駆け寄った。
「見せて」
「司祭様…」
「女神よ、この者の痛みにやわらぎを与えたまえ。キュア」
シアンが男の腫れた腕に手をかざしてそう言うと、やわらかい光が二人の間に光った。男の苦痛にゆがめていた表情がゆるんでいく。
「ありがとうございます、司祭様」
「これで痛みは引くはずだけど、無理しちゃだめだよ」
「はい」
男は素直にうなずいた。一葉が興味津々でシアンに問いかける。
「シアン、今の何? 魔法? 魔法なの?」
「はは、そうだよ。今のは女神さまのお力で、痛みをやわらげただけ。後は氷で冷やせればいいんだけど、氷はないからね」
「氷かあ」
「くるくる」
いぬくんは短く鳴いたかと思うと、戦士の腕にむかって口を開いて吹雪を吐き出した。
「ぎゃあ!」
「冷たい!」
いぬくんの思わぬ所業に、一葉と男は叫び声をあげた。シアンはぽかんと口を開いている。
「くるる」
いぬくんはどう? とでもいうように、丸い目で一葉を見上げている。
「え…今」
「おい、見たか?」
「どうした?」
戸惑っている一葉の周りに再び冒険者たちが注目し始めた。
「さっき、炎を吐いてた獣が、口から吹雪を吐いたんだよ」
「まさか、そんなわけないだろ」
「獣が二つの属性を持つなんて、ありえないわよ」
「でも、この獣が超獣だったらありえるよ」
シアンがその場を収めるように、穏やかに微笑んで言った。
「一葉、もう一度いぬくんに吹雪を出させることはできる?」
「う、うん…。やってみる。いぬくん、冷たいのお願い」
「くるるる」
一葉が持ち上げていぬくんをクリバチに向かわせると、ごおっと吹雪を吐き出した。クリバチはイガイガを落として、自身も地面に落ちてしまった。冷たさのあまり、麻痺してしまったようだ。
「本当だ…」
「すげえな…あの獣」
感心して冒険者たちがいぬくんに注目する。
「本当…すごいね、いぬくん」
「くるくる」一葉に頭を撫でられると、いぬくんは嬉しそうに鳴いた。
「一葉はいぬくんのこの能力、知らなかったの?」
「知らない…」シアンに問われ、一葉はまだ驚きの余韻が消えないまま答える。「青の賢者には、私が困ったときはいぬくんが助けるって言われただけで…」
「そうかあ。でも、これで超獣だって証拠がまた一つみんなに知れたね」
「…うん…」
シアンに微笑まれ、一葉は胸の中のいぬくんを撫でる。相変わらず小型犬のような愛らしさだった。
教会へ戻ると、みんなが栗を待っていた。修道女たちと宿泊者たちで栗の皮むきをして、水にさらしておく。売れるような栗は、教会の運営資金に回すために市場へ持っていって売るのが通例だという。
寝所で横になりベッドの下で丸くなっているいぬくんを見ながら、一葉は思う。
この獣には、ほかにもどんな力があるのだろうか。