みちると一葉の準備
「ふわあ…」
「眠そうだな」
朝食の席で大あくびをした一葉に、クラークが呆れて言う。
「うん。久しぶりにみちると会ったから、夜中まで話し込んじゃって…」
一葉は眼鏡の奥の目元をこする。
「すみません、お待たせしました。すごい広いお風呂だった」
朝風呂に入っていたみちるが制服に着替えて朝食の席に来た。
「いいよいいよ。じゃ、いただきます」
「いただきます」
「女神よ。今日も私たちに糧をお与えくださり感謝します」
それぞれ朝食の前の挨拶をして、パンとヨーグルトと果物、ベーコンエッグとサラダの朝食を食べる。
「食べ物は普通なんだね」
「なんかゲテモノ料理が出てくると思った? 和食は自分で作らないとないけど、洋食が普通に出てくるよ」
「一葉は料理が好きみたいだな」
クラークがベーコンを食べながら言う。
「へー。一葉、クラークさんに料理作ってあげたの?」
「うん。無性に和食が食べたくなってね」
「ホームシックじゃない? それ」
「そうかなあ…。まだ1か月も経ってないんだけど」
「家が恋しくなるのに時間とか関係ないよ」
みちるはパンにバターを塗って食べる。
「家が恋しいか? 一葉」
クラークが率直に尋ねる。
「あ…えっと、ううん。大丈夫だよ。今はここが家だからね」
「そうか。…それならいい」
みちるは一葉とクラークを交互に見て、ふむ、とうなった。
食後の紅茶を飲みながら一葉は説明する。
「なんか、すごくおいしい紅茶」
「でしょ? それ、メアリアンがいれてくれるんだよ。おいしいよね」
部屋の片隅に控えていたメアリアンが「恐縮です」と笑った。
食後に一葉は一度部屋へ戻り、何かしら書いた手紙を制服のポケットに入れて部屋を出る。
「何? 手紙?」
「ちょっとね。じゃ、行こうか」
一葉は部屋を見渡して、ふう、とため息を吐いた。
「…行ってきます」
「うん。行こう」
二人はクラークとは別の馬車に乗り、ヴァレンタインと教会へ向かった。みちるの買い物をするためだ。クラークが国王に予約を取っておくと言うので、それまでシアンにもみちるを紹介することにした。
馬車に乗るは初めてだとみちるは楽しそうに馬車に乗った。
「こっちの世界には道具袋っていう便利なものがあって、それに入れると縮んで軽くなって中に入るんだよ」
「へえ、便利」
「異世界にはないのですね。こちらになります」
ヴァレンタインがポケットから袋を取り出し、中からそれより明らかに大きい本を取りだした。
「わあ、すごい」
みちるは素直に感心する。
「出したいものを思い浮かべれば出てくるのですよ」
「便利ですねえ」
「こっちの世界では字も違うんだよ。ヴァレンタインさん、本見せて」
「どうぞ」
一葉はヴァレンタインから本を借りてページをめくる。
「ううん…ナニコレ。記号にしか見えないんだけど…」
「私も最初はそうだったけど、結構勉強したら読めるようになったよ。ひらがなに対応してるんだよ」
「へえ…。私も読めるようになるかな」
「向こうにいったら勉強するといいよ。こっちじゃ日本語の本なんてないから…そうだ。みちる、スマホある?」
「あるよ」
みちるはポケットからスマホを取りだした。一葉もポケットからスマホを取りだす。
「メールできるかな?」
「どうだろ…あ、電波圏外になってるからだめだね」
みちるはがっかりしたように言う。
「基地局とかこっちないからなあ…。あ、でも充電器なくても充電はできたよ」
「そうなの?」
「うん。この世界には電気みたいのがあってね。スイッチの近くに持っていくと充電できたの」
「光の精霊の力ですよ。私たちは光の精霊が発する電気で暮らしているのです」
ヴァレンタインさんが補足してくれる。みちるはへえ、と感心した。
「そういえば、電気のスイッチとか蛍光灯とかあるもんね。でも、魔法も使えるんでしょ。便利なファンタジーの世界ねえ」
「そうなの。いいとこどりって言うか…あ、ヴァレンタインさん、あそこで馬車停めてもらっていい?」
「かしこまりました」
ヴァレンタインは御者に言って馬車を停めさせた。
「ここのお店?」
「そう。それなりに安くていいものがおいてあるの。ここで下着買おう」
「もしかしなくても、ブラとショーツ売ってるの?」
「あるよ。異世界でも下着は同じ」
ヴァレンタインは店の入り口に控え、一葉とみちるは異世界での買い物に興じた。ちなみに代金はスペンサー家持ちだ。買い物を終えると一葉はそれを道具袋に入れてもらった。
「家へ届けなくてよろしいのですか?」
「うん。みちるはこれから行かなくちゃいけないしね。じゃ、次は教会へ行こう」
「かしこまりました」
馬車で教会へ行き、ヴァレンタインは馬車で待っていると言った。相変わらず教会の掃除をしているセシリアに挨拶をする。
「セシリア、おはよう」
「いらっしゃい、一葉。おはよう。…あら、そちらのお嬢さんは?」
ほうきをはいていた手を止めて、セシリアはみちるをみつめる。
「私の友達。みちるっていうんだ。みちる、彼女はセシリア」
「はじめまして」
「はじめまして、こんにちは」
「みちるは昨日来たばっかりだから、いろいろ案内してるの。シアンはいる?」
「いるわよ。子供たちと一緒。行ってらっしゃい」
「ありがとう。行こ、みちる」
「うん。お邪魔します」
「ごゆっくり」
セシリアは微笑んで掃除を再開した。
「今の人、きれいな人だねえ。スタイルもいいし」
「彼女もクラークが好きなんだよ」
「お似合い。美男美女カップル」
「でも彼女を好きな人も別にいるんだよ。それにクラークはセシリアにはそういう気持ちがあるのかどうか…」
「ふうん。三角関係ね。でも、あれだけ美人ならそうだよねえ」
みちるはセシリアをちらりと振り返った。聖堂から教会の中へ入り、食堂へ向かった。
「あ、一葉だー」
「シアン、一葉来たよ」
「こんにちは」
子供たちがすっかり顔を覚えた一葉を指さす。いぬくんを撫でたがったが、いぬくんが逃げ回ってそれはできなかった。
「やあ、いらっしゃい。…お客さんかな?」
シアンはみちるを見て微笑む。
「はじめまして。みちるといいます」
みちるはとりあえず頭を下げる。
「俺はシアン。この教会の司祭だよ。…もしかして、一葉の関係者かな」
シアンは意味深に微笑む。
「え、なんでわかったの?」
「だって、頭を下げたから。うちの国でそういう挨拶をする人はいないよ」
「ああ…なるほどね」
一葉はなっとくしてうなずいた。
「シアン、本読んでー」
「ああ、ごめん。俺はちょっと大事な話があるから、ジェシカに読んでもらって」
「んーいいよ」
少女は素直に本を持ってジェシカのもとへ行った。
「そうえいば、ジェフリー元気?」
「元気だよ。今は中学に行ってるからいないけどね。相変わらず面倒見がよくて、こちらは助かるよ」
「ジェフリーって?」
みちるが小声で聞く。
「この世界で会った…友達? かなあ」
「紅茶でもいれよう」
シアンは紅茶をいれてくれた。メアリアンにはかなわないが、やはりここの紅茶もおいしいなと思いながら一葉はそれを飲んだ。みちるもおいしそうに紅茶を飲む。
「でね、昨日ちょっといろいろあって…」
一葉は昨夜夜会であったことや青の賢者や白の賢者のことなどを愚痴を交えて話した。シアンは微笑みながら聞いてくれた。
「ふふ、いろいろあったんだね。よく頑張ったね」
シアンは一葉の頭を撫でた。一葉はくすぐったそうに笑う。
「まったくだよ。…それでね、みちるを一応紹介しに来たの。もし私に何かあったとき、シアンにみちるを保護してもらおうと思って」
「何か…って、一葉に何かあるの?」
みちるに言われて、一葉は自分の失言に気づいた。慌てて誤魔化す。
「ほら、もし連絡が取れないときとか、みちるがこっちに来ても大丈夫なようにね。いいかな、シアン」
「俺はかまわないよ。困っている人を助けるのが教会だからね」
シアンはお茶を飲んで、にっこりと微笑んだ。
「シアンさんて、どういう人なんですか?」
「俺は司祭だよ。この教会を任されてる。ここで孤児たちや生活に困ってる人の面倒を見てる。といっても、できる範囲でだけどね」
シアンは食堂の子供たちを見渡した。彼らはまだ小学へいけない幼い子供たちだ。楽しそうにはしゃいでいる。
「すごいですね…。キリスト教みたいな感じかな?」
「この教会は女神さまを崇めてるんだって」
「この世界をつくりたもうたのは神様だけど、我々は人間をつくった女神さまを信奉しているんだよ」
シアンが机の上においてあった絵本を指す。
「よかったら、読んでみる? この世界の創造を描いた絵本だよ」
「みちるはまだこの世界の字が読めないし、時間ないから今日はいいや。お城行かなくちゃいけないんだ。…シアン」
「ん?」
一葉はシアンに手を伸ばした。
「行ってくるよ」
「…うん?」
シアンは応えるように一葉を握手を交わした。みちるはじっとそれを見ていた。
セシリアに挨拶をして、一葉とみちるはヴァレンタインとともに街の屋台で昼食を立ち食いしてから馬車で城へ向かう。道中、いぬくんは一葉の膝で丸くなった。
「ご主人様がお待ちのようです。さきほど、ニワトリが飛んできて知らせに来ました」
「ニワトリ?」
みちるが首をかしげる。
「この世界って、電話ないから人の言うことを覚えるニワトリが伝言してくれるんだよ。空を飛んでその人の声そっくりにしゃべるの」
「へえ…そういう便利なニワトリがいるのね。寄り道したりしないの?」
「どうなんだろ? 伝言するのはニワトリだけだしね。でも、伝言してくれたらお礼に穀物とか食べさせるみたい」
「ニワトリは伝言をする代わりにそれを伝えるまで、飲まず食わずで飛ぶんです。そのため、私たちはいつも穀物を道具袋へ入れているんですよ」
ヴァレンタインが補足して説明してくれる。
「そうなんですね。うちの世界とは全然違いますね」
「確かに。うちの世界のニワトリは空飛ばないしね」
「そうそう。卵を産んでくれるんですよ。それを私たちが食べるんです」
「ほう。私たちの世界とはまた違う様相ですね」
ヴァレンタインは興味深そうに聞く。城につくまで、こちらの世界と一葉たちの世界との違いについて確認しあった。