私とワルツを
「あー疲れた…」
「くるる」
テーブルクロスを体に巻いたまま、一葉は広間からとりあえず馬車へ戻ることにした。こんな格好ではあそこにいられない。まだオーケストラの演奏が聞こえてくる。
一葉は変に汗ばんできた。自分でもよくあそこで起死回生の一発が思いついたと褒めてやりたいくらいだ。
「まったく、性格悪いわね。あの女。クラークと一緒に住んでる私が気に入らないんだろうけど、あそこまでやるか? フツー」
「くるくる」
夜会の会場の外で待っていたいぬくんが心配そうに鳴く。
「ま、とりあえず成功してよかったわ。失敗したら、赤っ恥だったけど…」
「…一葉!」
呼び止められて一葉が振り向くと、クラークがこちらへ走ってきた。彼にしては珍しく、血相を変えている。
「クラーク…」
「大丈夫か?」クラークは一葉にジャケットを脱いで肩にかける。「すまなかったな、何もしてやれなくて…」
「あはは、あの状況じゃ無理だよ。私、先に帰るよ。もう二人にご挨拶はしてきたし…」
「嫌な思いをさせたな。あれは、シルビアの仕業だったのか…」
ちらりと会場を振り返る。クラークはさっきの様子で察したようだ。
「クラークと一緒に住んでる私が気に入らないんでしょ。まあこれで私に手を出すのは逆効果だってわかっただろうけど」
「…一葉。馬車に着替えが入ってる」
「着替え?」
一葉は首をかしげた。
「一応、予備のために持ってきたんだ。私が買った赤いドレスがあっただろう」
「あのときの…でも、どうして?」
「こうなることは予想していたわけではないが、念のために。持ってこさせるからそれに着替えてきてくれないか」
「いいけど…」
御者が馬車から持ってきたドレスを受け取り、一葉は城の一室を借りて着替えた。
「帰ろう、一葉」
「うん…」
着替え終わった一葉の手をとり、クラークは城を出た。二人で馬車に乗り、スペンサー邸へ戻ることにした。
「嫌な思いをさせたな。すまない」
「別に…クラークが悪いんじゃないよ。シルビアが企んだことだし」
「でも不愉快だろう?」
「…いい気分はしないね」
一葉は馬車の隙間から見える貴族街を明かりを見た。今は気分が悪いせいか、きれいだと思えなかった。
「あれは一葉に恥をかかせるための行為だ。私への思慕がそうさせたんだろう。すまない」
「そんなに謝らなくていいよ。罠だってわかっててここへ来た私も悪かったんだし」
一葉は面白くもなく口をへの字にしていう。
「そうだな。本来なら、一葉は来るべきじゃなかった」
「うん。でも、きっと来なかったら別の嫌がらせをしてたかもね」
「…ありえるな」
クラークは苦笑いを浮かべてため息を吐いた。
「でも、なんでドレスに持ってきてたの? 普段着でもよかったんじゃない?」
「…だから、予備だよ」
「ふうん?」
よくわからないまま、一葉はいぬくんをなでた。いぬくんは一葉を慰めるようにぺろりと一葉の手をなめた。
スペンサー邸へ戻ると、ヴァレンタインが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様。お早いお帰りでしたね」
「いろいろあってな」
「左様でしたか」
ヴァレンタインは何も聞かずに一葉のドレスを見てうなずいた。
「久しぶりにヴァイオリンを弾いてくれないか?」
「…承知しました。庭でよろしいでしょうか?」
「そうしてくれ。一葉、おいで」
クラークが一葉に手を差し出す。一葉はためらいながらその手に自分の手を重ねた。
「庭に行くの? なんで?」
「仕切り直しに」
スペンサー邸の庭には、月と星の明かりに照らされた薔薇が咲いている。一葉たちがそこへ着くと、庭に面した部屋の明かりがついた。
「やはり一葉には赤のほうが似合うな」
一葉が着たドレスを見てクラークが微笑む。
「ありがとう…。これ、クラークが選んでくれたんだよ」
「覚えてるよ」
「お待たせいたしました」
ヴァレンタインがヴァイオリンを持って庭の端に立った。
「何をお弾きしましょうか?」
「では、『薔薇の彩』を」
「かしこまりました」
ヴァレンタインは何度かヴァイオリンを調弦してから「お耳汚しですが」と一葉の知らない曲を弾きだした。スローテンポだが、やさしくなごむような曲だった。
「きれいな曲…」
「それでは、一曲いかがですか? お嬢様」
クラークが右手を差しだしてお辞儀をする。一葉はぽかんとしてから、ふき出した。
「…ぷっ、あはははは!」
「…笑うところか?」
さすがにクラークも珍しく笑顔を引きつらせた。
「だって、そんな…いいよ、そこまで気を使わなくて」
一葉はぱたぱたと両手を振る。
「気を使っているわけじゃない」
「でも…」
「私が一葉と踊りたかったからだよ。理由はそれではだめかな?」
「…だめ、じゃないです」
なんだか急に気恥ずかしくなって、一葉は小さく答える。
「では、改めてもう一度。私と踊っていただけますか? お嬢様」
「…喜んで」
一葉はクラークの手に自分の手を重ねた。クラークはその手を握り、屋敷で一葉に教えたものより簡単な足取りで音楽に合わせて踊る。
「え、これでいいの?」
ただ歩いて下がる。それだけの簡単なステップに、一葉はクラークに合わせながらきょとんとして顔をあげる。
「音楽にあっていれば、いいんだよ。それにここは貴族のいる広間ではないからね」
「さっき練習したときは、かなり難易度高かったけど…」
「一応、貴族のワルツは見せるためのものだからな。今は私たちしかいないからいいだろう」
「それもそうだね」
一葉は笑った。
クラークと踊っていると、まるでおとぎ話の王子様とダンスしてるみたいだ。
クラークからは香水のいい匂いがする。この香りが移った自分はどんな香りがするんだろうと一葉は思った。
「しかし、さっきのテーブルクロス引きには驚いたよ。異世界にはああいう芸があるのか。食器も落とさずに引き抜くとはね」
「あーあれね…。芸人さんがやったりするんだよ。動画とかで見て、私にもできるかなって。あの状況だと、あれくらいしか私にできる芸がなかったから…」
「超獣の力を見せようとは思わなかったのか?」
「え? あー…」
一葉は足元でくるくると動いているいぬくんを見下ろした。クラークに言われるまで、まったく思い至らなかったのだ。
「まったく思わなかったわ」
「それが一葉らしいというかなんというか…」
クラークは苦笑した。
「今度は招待状なんか来ても、行くことはないからな」
「そうする」
一葉はうなずいた。
こうしてクラークと手をつないで踊っているのをシルビアが見たらきっと怒るだろうな…と思ったが、もう彼女のことを思い出すのはやめた。気分が悪くなるだけだ。
「そういえば、いろいろ行儀作法教えてもらったのにあんまり何もできなかったね」
「殿下たちに挨拶をすれば十分だよ」
ヴァレンタインは二人が踊り終えるまで、ゆったりとした曲をいくつも弾いてくれた。
クラークがゆっくり立ち止まったので、一葉もそれに合わせて足を止める。
「お腹が空いてないか?」
「そうだね…。ローストビーフちょっと食べたくらいだから」
一葉はぺたんこのお腹をさすった。
「今度一葉の作った豚汁をまた作ってくれないか。あれはうまかったよ。貴族の相手でろくに食べていないんだ」
「あれね。よかった、気に入ってもらって。いっぱい作らないとおいしくないんだよね」
今度作ったら、ヴァレンタインさんたちにも食べてもらおうと一葉は笑った。
ヴァレンタインがゆっくりとヴァイオリンを弾く手を止めた。




