乙女の秘密
「…以上で報告となります」
「なるほど。セオドールたちからは後で話を聞くことにしよう。しかし、まさかこの時期に兄妹で水遊びとは。あの娘が来てからまったく予想のつかないことばかり起こるな」
シリウスの件を国王に報告したクラークに、国王は楽しそうに笑う。
「私も彼女のやることは予想がつかなくて大変です」
「その割にはずいぶん楽しそうに振り回されているな」
「…そのようなことは」
「おまえは昔から毛色の変わった女が好みだからな」
「…そうでしょうか」
心外だ、とばかりにクラークが渋い表情を浮かべると「美丈夫がだいなしだな」と国王は笑った。
「まあその狼は人に危害を加えるようなことがなければ、放置してかまわない。超獣がそんな力を持っているとは知らなかったな。文献に加える必要がある」
「ええ。イヴァンにも伝えておきましょう」
「しかし、我らの祖先が封印したものを、ジョージが解くとは。まったく面白い」
国王は喉の奥で笑う。この人は無責任に面白がりすぎだ、とクラークは内心舌打ちしたくなった。
「では、私はこれで…」
「クラーク」
挨拶をして玉座を離れようとしたクラークを国王は呼び止める。
「はい」
「おまえはやはりジョージが国王にふさわしいと思うか?」
「私の気持ちは、以前と変わりません」
クラークの返答に国王はふう、と息を吐いた。
「わかった。下がれ」
「はい。失礼いたします」
クラークは礼をすると、玉座を後にした。それからイヴァンのもとへ行き、先に来ていたブラッドと今日の出来事を話してから、ラスティの部屋へ向かった。
「殿下、失礼いたします」
「入れ」
ラスティは既に着替えていた。ブライアンが一礼する。
「クラークか、どうした?」
「お風邪など召されていませんか?」
「俺を誰だと思っている。兄上じゃないんだぞ」
「左様でございますか。…時に、一葉から聞きました。殿下は、壁のない国を目指しているのだとか」
「…その話か」
ラスティはブライアンに目くばせする。ブライアンはうなずいてラスティが座っていた向かいに椅子を持ってきて「どうぞ」と言った。クラークは椅子に腰かける。
「俺はもともと、身分の低い侍女の子だ。今でも俺を見下している連中は多くいる。だが、一葉の世界では貴族などがいない国に住んでいるのだという。例えば、身分に関係なく身を立てられる機会があれば、貴族でなくても貧民街の出でも大学へ行くことも見下されることもなくなる…というのは、理想論か?」
「私ももとは孤児で公爵家の養子なった身でございます。身分に関係なく機会がいただけるのであれば、実力のあるものは出世いたしましょう。ただ…」
「ただ?」
「貴族の中には貴族であると言うだけで特権を使って自分の立場を誇示する者は大勢おります。そういうものにとっては、殿下のお考えは面白くはないかと」
「…だろうな」
ラスティは椅子の背もたれにもられかかって髪をかきあげた。
「まずは、同じ考えの同志を求めることが重要かと」
「同志か…。クラークは俺の同志か?」
「私は殿下の臣下にございます」
クラークは胸に手をあてて微笑んだ。
そろそろ頃合いだろうとエリザベスのご機嫌伺いにクラークは彼女の部屋へ向かった。
「よろしいでしょうか。エリザベス様」
「入っていいわ」
「失礼いたします」
クラークがドアを開けると、エリザベスはソファに横になりそばにいる一葉が彼女の足を触っていた。これまた予想外の展開に、「どうなさいました?」とクラークは動揺しながら聞いた。
「今、エリザベスの足にラベンダーオイルを塗ってマッサージしてたの。自分でやれないっていうから」
「…一葉が?」
クラークは念のため確認する。さっきまで、エリザベスは一葉のことを毛嫌いしていたような気がしたのに。
「そう。こっちの世界のラベンダーも、私の世界と変わらない匂いがするね」
ふんふんと一葉はラベンダーのオイルの入った瓶を手に塗り、エリザベスの足に塗ってみせる。
「私がしますと申し上げたのですが、一葉さまが自分でしたいとおっしゃって…」
侍女が控えめに説明した。
「エリザベスの足ってきれいじゃん。髪に香油を塗ってるから、マッサージにも使えるって言ったら、やってみろっていうから、足きれいだから触らせてもらったの」
「はあ…」
クラークは間抜けな声をあげた。一葉のことでエリザベスの機嫌が悪くなっているかと思い、機嫌取りをしなければならないと思って来たというのに。
「そうね。よく言われるわ」
「まあ、このくらいでいいかな。マッサージしながら塗ると気持ちいいでしょ」
「そうね。髪に塗るものだから、身体に塗ってもいいのね。なかなか手つきがいいわ」
「ラベンダーでにおい袋を持っててもいいんだよ。あ、もう持ってるかな」
「そうね。侍女が作ったものがあるわ」
エリザベスは椅子から立ち上がり、テーブルの上にある小さなレースの袋を手に取った。サシェだ。
「使ってもいいわよ」
「え? くれるの?」
「嫌ならいいわよ」
「やだ、ほしい。ありがとう!」
一葉は喜んでそれを受け取った。くんくんとにおいをかいで、「いい匂い」と目を細めた。
「このくらい、どうってことないわ。大事に使いなさいよ」
「うん、使う。クラーク、エリザベスからもらったよ」
「…そうだな。よかったな」
クラークは微笑んだ。
「ねえ、私の香はどうかしら。ラベンダーオイルを塗ってもらったのよ」
エリザベスは自分の足を膝まで上げてクラークに見せる。
「とても良い香りですね。お似合いです」
クラークは微笑んでそう言った。
「では殿下。申し訳ありませんが、我々はそろそろお暇しなくては」
「そうね。もう外は暗いものね」
「行くよ、一葉」
「うん。じゃあね、エリザベス。またね」
「さよなら」
クラークは礼をとり、一葉は手を振ってエリザベスの部屋を出た。いぬくんもとてとてとついてくる。道すがら、クラークは感心したように言う。
「驚いたな」
クラークは息を吐いた。
「一葉がエリザベス様と仲良くなっているとは」
「女子には秘密の共有と言う仲良くなる魔法があるんだよ」
「…そういうものか。女性のことはよくわからないな」
「わからないから男なんだよ?」
「…なるほど」
クラークは苦笑してうなずいた。
「そういえば、シアンはもう帰ったの?」
「ああ。教会をほうっておけないし、子供たちも待っているからな」
「そっか。あーなんか、お腹空いた」
ううん、と一葉は両手を天井へ伸ばした。
「今日は何を作ってもらおうか」
「んーとね、ハンバーグがいいかな」
城の長い廊下をクラークと一葉は並んで歩いて、馬車にいぬくんと乗って屋敷へ帰った。
「クラーク、今いい?」
「一葉か。どうぞ」
ノックをして一葉がノートを持ってドアを開けると、クラークは部屋で読んでいた書類をテーブルの上に置いた。
「仕事中?」
「重要なものじゃない。…今日も文字の勉強か?」
「うん。…いい?」
「おいで」
クラークは椅子から立ち上がり、すぐそばのソファに腰かけた。一葉はいぬくんを連れて隣に座る。
「今日は何を書いたんだ?」
「日記だよ。スマホでもつけてるけど、字を覚えるためにその日のこと書いておこうと思って」
「いい心がけだ」
クラークは一葉からノートを受け取る。ノートは紙の束を紐で結わえて作られたものだ。一葉にとってはあまり書きやすいものではないが、文句は言えない。
一葉はノートを読むクラークの顔をじっと見る。やっぱりきれいな顔をしているな、と一葉は思う。
クラークは時折、難しい表情をしたり、笑ったり、ここは文字が違うと指摘しながら添削してくれた。
「ありがとう。直しておくね」
「一葉は計算は得意か?」
クラークからノートを受け取った一葉は、唐突な質問に考えながら答える。
「得意…というか、一応小学校の時に足し算引き算掛け算割り算はやってるし、円の計算とかグラフの書き方とか二次関数までならやれるかな」
「一葉の世界ではそれは誰でもやるものなのか?」
「だいたいね。うちの国も小学校中学校は義務教育で、高校があってそこは進学するかは自由。でもほとんどの人が進学するかな。そのあとは専門学校だったり、短大だったり、大学に行く人もいるし」
「選択の幅が多いんだな」
「そうともいえるかな。多すぎて迷う人もいるみたいだけど。この世界の人は、何するか結構はっきり決めてる気がするね」
「選択の幅が多いのは幸福じゃないか?」
クラークの言葉に、一葉は「それはそうかも」とうなずいた。
「しかし、一葉がエリザベス様と打ち解けるとは意外だったな」
苦笑交じりにいうクラークに「そうかな?」と一葉は首をかしげた。
「どんな魔法を使ったか、私にも教えてくれないか?」
「それは女子の秘密だから言えない」
「…それは残念」
喉の奥で笑うクラークにつられて一葉も笑った。
その日はとても月がきれいだった。シリウスも今日は月の明かりの下で寝ているのだろうか。夜空を見上げて一葉はふと思った。




