兄と弟
「大学はどうだ?」
ラスティは小学からの友人たちに囲まれて紅茶を飲む。貴族の跡取りは大学へ行くの者がほどんとだった。
大学のレベルに合わせて行けるところは選ぶが、王都の大学へ行くのはそれなりに優秀な者たちだった。
「面白いな。中学では出会えなかった人たちと知り合えるし、授業も新鮮だ。卒業を前提とした小学や中学とは違って、単位も自分で選んでとらないといけないし」
アーサーがリチャードと向かい合わせてチャセ将棋をしながら言う。
「成績がよければ小学より早く飛び級もできるしね」
「ラスティも進学すればよかったのに」
リチャードが眼鏡を指で押し上げて、チャセ将棋の駒を動かす。
「兄上が進学しないのに、俺が進学するわけにはいかない」
ラスティは憮然として答える。
「またセオドール様か。カトリーナ様の呪いだね」
マクシミリアンがくるみの入ったスコーンを食べながら笑った。
「別にそういうわけでは…」
「兄上の後ろに控えて目立たず逆らわず。あの王妃様が亡くなってもよく言いつけを破らずにいるもんだ」
「まったく。目立たず後ろに控えろなんてラスティには土台無理な話だよ」
「うわ! 王手か!」
リチャードのさした手にアーサーが頭を抱えた。
「これで僕の勝ちだね。次は誰が勝負する?」
リチャードはにんまりと笑った。
「では、俺が…」
「ああ、ちょっと待って。すごく強いやつをみつけたんだよ。ベンジャミン」
「はい」
部屋の隅に控えていた体格のいい男が呼ばれてアーサーのそばに来た。
「おまえに僕の代わりを頼むよ。リチャード、彼が勝ったら僕の負けを無しにしてほしい」
「へえ…。アーサーがそう言うからには、かなり強いんだな?」
「大した腕ではございません」
ベンジャミンが静かに答える。
「謙遜かな。では、一勝負しようか」
「ここにお座り、ベンジャミン」
「はい」
ベンジャミンは言われるままにアーサーがどいた椅子に座る。
こうして使用人のベンジャミンと貴族の息子のリチャードのチャセ将棋の勝負が始まった。
「彼は中学を出てからうちに仕えたんだけど、なかなか気が利くし頭もいいんだ。小学でもかなりいい成績だったらしいけど、家に大学にかよう余裕がなかったらしくてね。俺に勉強を教えるほど優秀なんだよ」
「チャセ将棋が強いなら、数学的な頭はいいだろうな」
「戦略的な思考が必要だしね。ということは、軍人に向いてるんじゃないか?」
「そんなもったいないことはしないよ。彼は大学に行かせるつもりだ。うちから援助して」
「使用人に援助するのか?」
マクシミリアンは紅茶をこぼしそうになった。
「そんなに驚くことかなあ。優秀な人間に機会を与えるのは、貴族の特権だと思うんだけど」
アーサーがベンジャミンとリチャードの勝負を眺めながら紅茶を飲む。
「…実は、俺はこの前貧民街へ行ったんだが」
ラスティが両手を組みながらぽつりと話し出す。
「ああ、噂は聞いたよ。超獣使いと市井へ行ったとか。どうだった? 彼らの暮らしぶりは」
「勉強になったろう。僕らは貴族街を出るのは滅多にないからね」
「彼らは彼らの世界で必死で生きている。俺が手を差し伸べようとしても、施しはいらないとはねつけられたこともある」
「施しね。余裕のある者が恵みを与えるのは当然だと思うけど」
「自分の力で立とうとするものに手を差し伸べるのは自由だが、それを強制するのは救いだろうか。もし、俺が王族の子でもなんでもなくて貧民街に生まれていたら、壁に隔たれておまえたちとはこうして一緒にチャセ将棋をすることもないだろう。身分による壁を取り払いたいと俺が思うことは、傲慢か?」
ラスティの言葉に、部屋にいた全員が驚いてラスティを注目する。
「生まれ持ったものを否定するのか?」
「貴族と貧民は相いれない。壁は必要だよ」
「…面白いね。市井でラスティはずいぶん学んだみたいだ。それとも超獣使いの影響?」
否定的なリチャードとマクシミリアンに対して、アーサーだけが柔軟な対応を示した。
「ああ。超獣使いの世界では、身分というものはほとんどないらしい。政治をするものも、自分たちで選ぶのだそうだ」
「貴族が政治をしないの? 平民に任せるなんて心配だよ」
「だが優秀な人間というのは、身分に関係なくいると思わないか? 貧民街の出で金持ちになったものもいるだろう」
「貴族に生まれれば確かにいろいろ保証はされるけど、自力で這い上がる者は少ないね。現状を維持しようとする者がほとんどだ。でも、そういうものだよね」
「俺は…もしできるなら、生まれに関係なくもっといろいろな機会を手に入れられる国にしたいと思う。身分だけですべてが決まってしまうのは、惜しいと思うんだ。壁のない国はこれからの俺たちに必要だとは思わないか?」
ラスティの言葉に、貴族の子息たちはしばらく沈黙してそれぞれ思いを巡らせた。
「王手です」
「うわ、なんてことだ!」
ベンジャミンの王手に、リチャードが頭を抱えた。
「ラスティがとんでもないことを言うから、負けちゃったじゃないか。もう」
リチャードが不満げに唇を尖らせた。
「俺のせいか?」
「でもラスティの考えはこれからの僕たちにすごくいい刺激になると思うよ。みんなも周りを見て、優秀な平民をもっと立てていいと思う」
「ありがとう、アーサー」
同意してくれるのはアーサーだけか。ラスティは内心落胆したが、こんなものだろうとどこか納得もしていた。現状を壊す危険は誰だって犯したくない。
「そういえば、近々皇太子殿下の誕生会だろう?」
「今年も夜会を開くんだったね」
マクシミリアンが話題を変える。
「そうだ。おまえたちも招待状が届いてるんじゃないか?」
「行くのは父上と母上だよ。僕らは皇太子殿下と縁はないからね」
「皇太子に顔を売っておくのも手だけど、僕はラスティのお守りをするほうが楽しいからいいや」
「なんだそれは」
不満げなラスティに、友人たちは声をあげて笑った。
アーサーの家を出る際、ベンジャミンがアーサーとともに見送ってくれる。ラスティが馬車に乗ろうとする際、ベンジャミンがそっと声をかけてきた。
「殿下」
「なんだ?」
「殿下のお考え、とても…とても素晴らしいと思います」
「…そうか」
「殿下のような方が王族にいらっしゃること、誇らしく思います」
「…ありがとう」
ラスティはベンジャミンに笑いかけて馬車に乗った。壁のない国は、まだ遠そうだと思いながら、貴族街を馬車で走り抜けた。
「同じ人間のことを二人して違うように言うんだよ」
「何の話だ?」
夕食のグラタンを食べながら、一葉はクラークに今日あったことを話した。
「そうか。セオドール様の母君の話になったか」
「うん。ラスティはセオドールのために母上様はラスティを面倒見てたって言うし、セオドールは自分よりも母上様はラスティがかわいかったって言うんだ。なんで二人とも同じ人のことなのに、逆のこと言うのかな」
「そうだな…」
クラークはワインを飲んで、ふう、と息を吐いた。
「おそらく、どちらの言っていることも本当だな」
「どっちも?」
一葉は首をひねる。
「セオドール様の母君は、カトリーナ様といって病弱な方だったが…非常に気性の激しい方だった」
「え? だって、身体弱いんでしょ?」
「だからだよ」
クラークは苦笑してポテトオムレツを食べる。
「身体が弱い分、甘やかされてきたからだろう。思い通りにならないとすぐに癇癪を起こして、大変だったようだ。侍女も何人代わったことか…。まあそれでも陛下の前だとしおらしくされるんだから、そこはわきまえていたんだな。美しい方だが、気位は高かった」
「よくそんなんと結婚したね、王様」
「彼女は海を隔てた隣国のエヌスピア王家の娘だから、生まれた時から陛下と結婚することは決まっていたんだ」
「そういうこと。で、王様はラスティのお母さんに浮気しちゃったんだ」
「そうなるかな。もっとも、その前から側室としてエリザベス様の母君、クラリス様がいらっしゃった。そのこともあってカトリーナ様はラスティ様を育てることで、いい王妃を演じていたこともあるだろう」
「ラスティを殺そうとかはしなかったんだね」
「物騒だな」
クラークは一葉の発言に目を瞬かせる。
「よくあるじゃん。小説とかで、王族の血なまぐさい争いとか」
「赤ん坊を殺すのは忍びなかったのかもしれない。もっとも、彼女が何を考えてラスティ様を育てたのかは本人しか知り得ないことだ。皇太子はセオドール様だから、彼より目立つな、でしゃばるな、と刷り込んでいらしたのは本当のことだ」
「ふーん。で、なんであいつはあんなにお兄ちゃんが好きなわけ?」
一葉の疑問に、クラークは「…何故だろうな?」と口の端をあげて答えた。
「クラークにもわかんないの?」
「お二人が幼い頃は本当に仲が良かった。だが母君が亡くなられたころからセオドール様がラスティ様を避けるようになられたのは確かだ。もともとお身体が丈夫でないことも、ラスティ様に対する劣等感のようなものを持つ理由かもしれない」
「あいつ、中身結構性格悪いよ。おとなしいふりしてるみたいだけど。だから友達もいないみたいだし」
「そう言うな。人見知りな性格だくらいに留めておきなさい」
クラークはデザートのぶどうに手を伸ばして皮をむく。一葉もぶどうを手に取った。
「でも、本心を話した時は面白い奴だなと思った。猫かぶってないで、普段からそうしてればいいのに」
「セオドール様はおとなしい方なんだが…。怒鳴らせる一葉も大概だな」
クラークはぶどうを口に含んで「甘いな」と言った。
「結局、母君様はラスティのことをかわいがってたの?」
「ラスティ様はあのとおりご気性の素直な方だ。嫌うほうが難しいだろう。まして赤ん坊の頃からカトリーナ様は彼を育てたんだ」
「で、兄上様はそれに嫉妬してたわけだ」
「兄弟で親の愛情を奪い合うのは、昔からよくある話だろう?」
「そうだね」
一葉もぶどうを食べて、「本当だ。甘いね」と顔をほころばせた。




