黒い狼
光の射す場所に場所にいつも君はいた。
それがまぶしくて僕はいつも目を閉ざしていた。
それでよかったのに。
まぶしさに気づかなければ、こんな思いをすることもなかったのに。
ブラッドが照らしたカンテラの向こうに、黒い狼のような姿が見える。それもただの狼ではない。5メートルくらいの大きさがありそうな巨大な狼だ。目が金色に光っていて、暗闇の中でもまるで灯りのようだった。
<人間か…>
狼は咆哮をあげた。体中がびりびりするような大きな叫びだ。一葉は思わず、ブラッドにしがみついた。
「なんだ、怖いのか?」
ラスティが小馬鹿にしたように笑う。
「こ、怖くないわけないじゃない!」
「何言ってんだ? おまえ」
ブラッドが首をひねる。
「おまえは何者だ?」
ラスティは物怖じせずに狼に問いかける。
<我を何者、と呼ぶか…>
狼は唸るような声をあげた。語り掛けるのは唸り声とは別に、頭に直接響いてくるようだ。
<我をここへ封じたのは人間だ。その我を忘れ去るほどの年月が経ったということか…>
獣は笑っているようだった。それもあざ笑うような言い方だった。
「ねえ、なんで獣がしゃべってるの? この世界では普通なの?」
一葉は先頭に立つブラッドにこそこそと聞く。
「普通ではないな。動物と違い、魔力を持った狼か…。厄介だな」
ブラッドは後ろのラスティを振り返る。
「殿下、決して俺の後ろから…」
「封じられたとはどういうことだ? おまえは何か封印されるようなことをしでかしたのか?」
ブラッドを遮って、ラスティはさらに獣に問い続ける。
<黙れ!>
狼は突如咆哮とともに突風を巻き起こした。一葉は洞窟の壁にたたきつけられ、しゃがみこんだ。ラスティとブラッドはなんとかその場に踏みとどまった。
「いったあ…」
「大丈夫か?」
ラスティが一葉に手を差し出す。「ありがとう…」と一葉はその手を取って立ち上がった。
「聞かれたくないことなのか? 俺は理由を聞いているだけだ」
<人間に話すことなどない>
「では、質問を変えよう。何故、おまえはここにいるんだ?」
「殿下、あれを…」
ブラッドが指さした方角には、青白く光る鎖が狼の右足につながれているのが見える。
「魔術鎖か…。何年もここにいるのか?」
<さてな…。この暗い洞窟の中では、幾年月経ったのかもわからぬ。ただ時折、水が滴る音と虫の這いまわる音が、時間を感じさせるだけだ>
「…ずっとこの環境にいるのか? もう何年も?」ラスティは驚愕に顔を歪めた。「…それは、辛かったな」
ラスティの言葉に、また吠えるのかと一葉はいぬくんを抱いて身を縮めてしゃがみこんだが、獣は吠えず、代わりに笑うような声を発した。
<…面白い人間だな>
獣は目を細めたように見える。
<我に同情する人間など、”あれ”以来初めてだ>
「あれって?」
一葉が聞くと、獣はぐるぐると唸った。
<おまえたちに話す必要はない。もう行け。我に踏みつぶされたくなければな>
「踏みつぶすって…」一葉は魔術鎖を指さした。「あんた、動けないじゃない」
<うるさい小娘だ。この場から動けずとも、おまえたちを吹き飛ばすくらいの魔力はあるぞ>
「くるるる」
いぬくんが一葉の腕から飛んで、狼に近づいた。
「いぬくん!」
<…超獣か>
獣はすぐにいぬくんの正体がわかったようで、喉を鳴らした。
「知ってるの? あなたが超獣の封印なの?」
<我は超獣の封印などではない>
狼ははっきり告げる。
「マジか…。無駄足か」
一葉はがっくりと肩を落とした。
「じゃあ、なんでここに来たのよ、いぬくん…」
「くるる」
一葉はいぬくんを手招きして抱き上げる。
「じゃあ邪魔して悪かったわね。帰ろう、二人とも」
「おまえ、さっさと帰る気か…」ブラッドが少しばかり呆れたように言う。「割と淡白だよな、おまえは」
「…待て」
「何?」
とどめるラスティに、一葉は仕方なく足を止める。
「ブラッド。灯りをもっと上へ。…やはりな」
ラスティに言われるままにブラッドはカンテラを上へ掲げる。
すると、獣の背に棒のようなものが突き刺さっているのが見えた。普通の杖ではない。獣の大きさに合わせて、かなり大きい。ブラッドの身長ほどはあるかもしれない。
「何か見えた気がしたんだ。魔力を制する杖が刺さっているんだろう。あれでは、痛いはずだ」
<もう何年もこのままだ。痛みなどとうに麻痺した>
「痛みに麻痺などするものか。痛みはどこまでも痛みだ」
ラスティはそう言うと、狼に近づいた。
「殿下、いけません!」
「よい。あの獣は何もできぬ」
「ですが…」
「目の前の痛みを持つものを救うのも、王族の務めだ」
ラスティは唸る獣のそばに歩み寄る。
<近寄るな!>
獣は再び咆哮をあげた。びりびりと身体が震えるような振動が起きたが、ラスティは構わず狼に手を伸ばす。
「やれやれ…。なんでもかんでも救うおつもり? 王子様。あんたの身が持たないわよ」
一葉の皮肉にラスティは一瞬、足を止めたが、一葉を無視して獣の毛皮をつかんだ。
<…おまえは馬鹿なのか?>
そう言う狼はそれ以上ラスティを拒むことはせず、足元から背へ這い上がるラスティをするがままにした。
「これだな。ぐ、くっ…!」
ラスティが杖を抜こうとしても、びくともしなかった。狼の背中からラスティは声をあげる。
「ブラッド、手伝ってくれ。俺一人では抜けない」
「…承知しました」
ブラッドが獣の足から背へ毛皮をつかんで上るときも、獣は抵抗しなかった。一葉はいぬくんを抱いてじっとそれを見上げていた。
「引っ張りますよ、殿下」
「いいだろう。せーの!」
二人は一緒に杖を引っ張ったが、びくともしなかった。
<…無駄なことを>
狼が諦めたように静かに言った。
「一葉。おまえも来い」
「えー…どうせ抜けないと思うけど」
「二人より三人でやってみないとわからない」
「はいはい…。わかったよ」
一葉も獣の足から毛皮をつかんで背中へ到達する。
「どうするの?」
「この杖を引っ張るんだ。かなり強い力でないと抜けないようだ」
「あんたら二人で引っ張っても無理なものを、私が引っ張ってもどうにかなるとは…」
思わない、と一葉が続けようとして杖を引っ張ると、するりとそれは抜けた。
「えっ…え、え、え?」
杖は深く刺さっていなかったようで、杖の重さに一葉はそれを地面に落っことした。
獣が身震いする。
「殿下、お気をつけくだ、さ」
ブラッドが言いかけた時、風が吹いて三人は獣の背から地面に叩き落された。そして一気に出口までの通路が強風で突き崩され、明かりがさした。さっきまでの風の魔法など、杖が外れた今ではお遊びに過ぎなかったのだと思い知らされた。
<おお…>
「げほ、ちょっと…」
一葉たちはいぬくんの風のバリアによって、土砂の下敷きにならずに済んだ。それでもそばの獣はまだ震えている。
<一体何年ぶりの、太陽の光か…>
狼はまぶしそうに金の眼を細めた。
「そうか…。ずっと洞窟の中にいたから、太陽を見るのは久しぶりなんだな」
「殿下、よろしかったのですか?」
ブラッドがラスティの身体を汚れを落としながら尋ねる。
「魔術鎖がついている。ここから出ることはできないからいいだろう。…おまえ、何故ここに囚われているんだ?」
<…おまえたちに答える義務はない。それでも杖を取り払った礼に見逃してやる。帰れ>
狼は顔をそむける。しかし、ラスティは引き下がらなかった。
「人間に何かしたのか? それでここに囚われているのか?」
<…裏切ったのはおまえたちだろうが!>
びりびりと身体が震えるような唸り声で獣は吠えた。
「裏切った? 人間がおまえを裏切ったのか?」
ラスティの問いに、獣は答えず目をつむって顔を伏せた。
「一体何があった? 何故こんな場所に一人きりで封じられる羽目になったんだ?」
<………>
獣はそれ以上何も答えなかった。
「殿下、今日のところは帰りましょう。もうこいつは何も話す気はないようですよ」
ラスティはブラッドと狼を交互に見て、「…わかった」と諦めて言った。
「今日のところは帰る。だが、おまえに興味がある。明日は話せるようにしてやろう」
「なんという上から目線…」
一葉がお手上げとばかりに両手を上にあげた。
<二度と来るな>
狼の声が頭に響く。
「それは約束できないな。おまえがおとなしくしているか見に来る。明日も」
狼は目を閉じて顔を両足の上に伏せた。もう相手にする気がないという態度の表れだった。
一葉たちは大きくなった洞窟の通路を、がれきを避けながら出口まで歩いた。
「はあ…。確かに、こんなに大きく入り口が開いたら、あいつのところまで太陽の光も届くよね」
一人分は入れるくらいだった洞窟の入り口は、あの狼が通れるほどの大きさになっている。
洞窟の通路自体にもひびが入り、もろくなっているのが見て取れる。瓦礫は洞窟の入り口から外まで転がっていた。
「殿下、本当に明日も来られるおつもりですか?」
「もちろんだ。イヴァンのことだから、あの狼のことはどういう存在か調べているだろう。城へ戻るぞ。…一葉、おまえはどうする?」
ラスティが確認すると、一葉は「行くよ。あんたのお守りするためにいるんだしね」と答えた。
「なんでおまえが俺のお守りだ! 逆だろうが!」
ラスティが食って掛かった。
「なんで逆よ! あんたが抱えた面倒事でしょうが!」
さらに一葉が言い返す。
「はいはい、二人とも落ち着いて」
にらみ合う二人をブラッドが引き離した。




