王子と白い花
翌朝、クラークが買ってくれた身軽なチュニックとハーフパンツをはいて、一葉は城へ行くことにした。
「今日はそれを着て行くのか」
「うん。いつも制服ばっかりだったからね。たまには違うのもいいかと」
「似合ってるよ」
さらりとそういわれ、一葉は思わず動揺したがそれを押し隠して服の裾をつまんだ。
「ありがとう。これ、クラークに買ってもらったんだよ」
「そうだったな」
二人は馬車に乗って城へ向かう。
「今日はブライアンに字を教えてもらえると思うんだけど」
「昨日の勉強でだいぶ覚えたみたいじゃないか」
「なんかうちの国と文法も一緒だし。うちの国のひらがなみたいでそんなに難しくなかったよ。法則を覚えればいける気がする」
「基本的な計算や数式もできるし、一葉の世界では基礎教育は高いんだな」
「国にもよるけどね。うちの国は識字率は高いみたい」
いぬくんを膝の上に乗せながら、一葉は窓の外の景色を見る。
「クラークって貴族街から離れたところに住んでるよね。平民の住むところのほうが近いのって不便じゃない?」
「子供のころからずっとそうだったから、不便は感じないな。むしろ静かでいい」
「ふーん。確かに、景色はいいよね」
一葉はいぬくんを撫でながら、森を眺めた。街の建物より少し高い壁が見える。
「壁があるなんて、窮屈な感じ」
「え? ああ…。異世界では身分の違いによって壁はないのか?」
「ないよ。まあ金持ちが立派な家とか高層マンションに住むのはあるけどね」
「こうそうまんしょん?」
「すごく高い建物のこと。ラスティは壁を無くしたいって言ってたから」
「ああ。そんなことを言っていたな…」クラークは少し間を置いてから「実現できたら、歴史に名を残すだろう」と言った。
「ラスティのひいおじいさんがあれを作ったんでしょ?」
「そうだ。身分が同じもの同士が暮らすほうが問題が少ないはずだとおっしゃったらしい。反発もあったが、それで一応の成果はあったと後世には伝わっている」
「身分で人を差別することがいいことなの?」
一葉の問いに、「人は差別しないで生きていられるのか?」と逆にクラークが問いかけた。
「それは…たぶん、無理」
一葉はあっさり答える。
「容姿とか生まれとか能力とか、人は差別するのが好きだからね」
「リチャード三世はできるだけそれが同じもの同士でいたほうが、逆に差別は起こりにくいと考えられた」
「…うーん」一葉は少し考えてから「壁の向こうの人間を見下すことで差別が起こらないのは正しいの?」と尋ねる。
「正しいと考える人も、間違いだと考える人もいる。どちらが正しいかは、後で歴史が証明するだろう」
「うーん…」
一葉はそれ以上何も聞けず、黙って考え込んだ。
「そうだ。私、超獣の封印を解かなきゃいけないんだよ。何か、それっぽいところってある?」
「それっぽいか…。ここにきて、ようやく超獣使いとしての自覚が出てきたか?」
「そんな感じ。何かそれっぽいところがあったら、教えてね」
「イヴァンなら調べているかもしれないな」
クラークの答えに、一葉は渋面をつくる。
「あのたれ目の…。なんか私、あの人苦手」
「まだそんなに話したこともないだろう。食わず嫌いはよくないな」
「…女の勘」
「それは侮れないな」
クラークは喉の奥で笑った。
城へ到着して、一葉に「余計な場所へは行かないように」とクラークに釘をさされて城に入る。
「侍女を呼んでくるから」
「いいよ。もうこの前のエリザベスみたいなことしないから」
「…絶対だぞ」
「了解」
クラークと別れて、ラスティの部屋へ行こうとして、ふとバルコニーから見た庭のことを思い出した。一葉は庭のほうへいぬくんを連れてかけて行って、庭師らしいおじいさんをみつけた。
「おはようございます」
「おはよう。えっと、君は?」
秋薔薇の剪定をしていた白髪のおじいさんに一葉は声をかける。彼は不思議そうに一葉を見た。
「見ない顔だね」
「はい、こっちへ来るのは初めてなので。きれいな庭ですね」
「そうだろう。先代の国王陛下からお世話しているんでね。王族の方々からお勤めの人たちも楽しませるようにきれいにしてるんだ」
「本当にきれいですね。…あの、お花少しもらってもいいですか? お見舞いに持っていきたいんです」
「ああ、少しくらいならいいよ。どれがいい?」
庭師はハサミを手に周りを見渡す。
「えっと…じゃあ、あのピンクの花を」
「コスモスだね。いいよ」
庭師は数本コスモスを切り取って、一葉に渡してくれた。
「誰に持っていくのかな?」
「あの…王子様に」
「セオドール様かな。身体が弱いからね。新しい侍女かい?」
「…そんなところです」
一葉は笑ってコスモスを受け取った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。セオドール様によろしく」
「はい。伝えます」
一葉は庭から城の入口へ回って、階段を上ってセオドールの部屋へ行こうとして、バルコニーにカモメが集まっているのが見えた。よく見ると、人がいる。セオドールだとわかった。
「体調、よくなったんだ」
バルコニーへの扉を開けて一葉がセオドールに声をかけると、カモメが数羽飛び去った。
「…おはよう。おかげさまで、熱は下がったよ」
「お見舞いに行こうと思ってた」
一葉がコスモスを差し出すと、「…ありがとう」とセオドールは言ったが、受け取るそぶりはしなかったので、一葉は差し出した手を引っ込めた。いぬくんが足元でカモメにちょっかいを出している。
「エリザベスと喧嘩したらしいね」
「喧嘩と言うか…あっちが一方的に絡んできたんだよ」
「エリザベスも君も、気が強いからね」
「まあそうかもね。…ところで、この前レナからもらった花、まだ咲いてる?」
「レナ? 花?」
「あれ? ラスティからもらったでしょ? あんたが熱出したって聞いて、レナがお見舞いの花くれたやつ」
「…ああ、うん。もう枯れたから捨てたよ」
「あ、そう。きれいな花だったよね」
「そうだね。きれいな白い花だった」
一葉は一瞬、ぴくりと眉根を寄せたが、それ以上何も言わなかった。
「まあ元気になったならいいや。じゃあね」
「…じゃあ」
セオドールに背を向けて一葉が中へ戻ろうとすると、「…今日も、市井へ?」とセオドールが声をかけた。
「行くけど。なんで?」
「………あ、うん。なんでもないよ」
セオドールは再び鳥たちに視線を向けた。一葉は出て行こうとして、いったん足を止める。
「この花。庭師のおじいさんがあんたにってくれたものだけど、もらう気がないなら私が好きにしていいよね」
「………」
セオドールは黙っていた。一葉も黙ってバルコニーから出て行った。
「まったく、気分が悪いわ。花なんかもらいに行くんじゃなかった」
ぶつぶつ言いながら、一葉はラスティの部屋へ入る。
「おはよう! まったく、気分が悪いったら…」
「なんだ、唐突に」
「おはようございます」
ラスティの部屋には、いつものようにブライアンが控えていた。
「あげるわ、これ」
「コスモスか。きれいだな。どうしたんだ?」
ラスティは不思議そうに一葉からコスモスを受け取る。
「それが普通の反応よね。セオドールのやつ、この花お見舞いにあげようとしたら、受け取りもしないのよ。やなやつ」
「…兄上のお部屋は、いつも侍女が花を飾っていらっしゃるからだろう」
ラスティはコスモスを「頼む」とブライアンに渡す。ブライアンは「かしこまりました」と受け取って部屋を出て行った。
「まあそれにしたって、受け取るくらいするでしょ。ラスティ、レナの花はセオドールにあげたんでしょ?」
「もちろんだ」
「あいつ、覚えてもいなかったわ。黄色い花を白い花って言いやがった」
「…兄上はお身体の具合が悪くて、よく覚えておられないんだろう」
「ああ、そうですか。まったく、兄上のことをよくフォローされますこと」
ブライアンが小さな花瓶にコスモスを入れて戻ってきた。
「ありがとう。ブライアン」
「どういたしまして。殿下、ここへ飾っておきますね」ブライアンは部屋の窓際にある小さなテーブルの上に花瓶を置いた。
「でも、コスモスはあまり日持ちしませんよ」
ブライアンがコスモスを見栄えよく並べて言う。
「そうなの?」
「ええ。切るとすぐに花が落ちてしまいますから。世話をまめにしないといけません」
「…知らなかった」
そういえば、花屋さんでもコスモスの花はあまり見たことがない気がする。あれはそういうことだったのか。
それでセオドールも受け取らなかったのだろうか。一葉はなんだか自分の無知を知らされた気がした。
「すぐ花が落ちるものでも、こうして近くで見ることができるのはきれいだ」
「…ええと、うん」
ラスティにそう言われ、一葉は少しほっとした。
「ああ。悪いな。さて、そろそろ先生の来る時間だ。…ところで、今日も俺に市井へつきあわせるつもりか?」
「だからここに来たんだけど」
「…俺のことをよほど暇だと思っているな?」
「いいじゃん。今日はようやく超獣の封印を探しに行くんだよ。それに、教会行ったらジェフリーにも会えるじゃん」
「まったく」
ラスティはため息を吐いたが、否とは言わなかった。
「…そういえば、父上に壁のことを話したんだ」
「王様に? なくしたいって言ったの? なんて言われた?」
「…やれるものならやってみろと言われた」
「よかったじゃん」
意外な答えに一葉は笑みを浮かべる。
「簡単に言うな。既得権益のある連中からは抵抗必至だ。王族だって反対するだろう。しかも俺は王ではないからな。やれるものならやってみろというのは、それらを全部自分でなんとかしろということだぞ」
「あーそう。でも、ラスティならなんかやれそう気がするよ」
「…まったく」
あっけらかんとして言う一葉に、ラスティは苦笑しながらため息を吐いた。
ラスティが家庭教師から勉強を教わる間、一葉は空き部屋でブライアンに文字を教えてもらってから、いつもどおりブラッドに連れられて城を出る。昼食はブライアンが持ってきてくれたサンドイッチを食べて済ませた。
「ところでおまえ、エリザベスとやらかしたらしいな」
城から馬に乗ってラスティはブラッドと一緒に馬に揺られる一葉に声をかける。
「ああー…やらかしたというか、一方的に喧嘩吹っ掛けられたというか」
「おまえのやったことは完全に不敬罪だぞ」
ブラッドが一葉の後ろでため息を吐く。
「根に持つぞ、あいつは」
そういうラスティはどこか楽しげだ。
「もう会いたくないんだけど。そもそも、いつもいないのになんであのときはいたの?」
「中学が休みだからだろう。日曜日は休みだから、出かけないといるぞ」
「うへえ」
一葉は舌を出した。
「あの子もクラークが大好きなのね」
「昔からお気に入りだな。クラークの前だと態度が変わって見てると面白いぞ」
「それは見て見たい気もするけど、もう会いたくない気持ちのほうが強いわ。この分だと、クラークっていろんな女性のお気に入りみたいね。イケメンだしなあ」
「いけめんとはなんだ?」
ラスティがそこに引っ掛かったようだ。
「イケてるメンズって…いや、とにかく美形ってことよ。女に好かれる男ってこと」
「おまえもそうだろう?」
「私?」ラスティに聞かれて、一葉は目をぱちくりさせる。「イケメンだとは思うけど…そういう好きじゃないと思うよ」
「そうなのか?」
意外そうにラスティがブラッドを見る。ブラッドもただ首をかしげるだけだ。
「クラークのそばにいる女はみんなクラークに惚れるものだと」
「例外はあるんじゃない?」
「いや、そもそも陛下はそのつもりで…」
「は?」
「…なんでもない」
ブラッドは視線をそらした。