女神教の司祭
教会の奥へ続く扉を開けて中へ入ると、窓ガラスの大きな廊下を歩くことになった。
そこから入り口が二つに分かれていて、一つは修道女たちが寝泊まりする部屋があり、もう一つは宿のない者たちが寝泊まりする部屋があるのだという。
「シアンは今なら、庭のほうにいるはずよ。さっき、子供たちと苗に水をやりにいくって言っていたから」
廊下の片側の扉を開けると、小さな畑が見えた。そこに銀の髪を束ねた男が一人、小さな子供たち数人に囲まれて畑に水やりをしていた。大人は彼だけなので、彼が司祭のシアンだろう。
まだ二十歳がそこらの若い男のようだった。セシリアとは違い、全身をグレーの首まである服に身を包んでいて、胸元にはセシリアと同じ首飾りをかけている。
「シアン、次、あたし! あたしが水をあげるの!」
「ぼくが先だよ、シアン!」
「はいはい、順番だよ」
「シアン、お客様よ」
子供にせがまれるシアンのもとへセシリアが一葉たちを連れて近づくと、彼はやさしげな微笑みを浮かべた。
「やあ、ブラッド。今日も来てくれて嬉しいよ。そちらのお嬢さんがお客さんかな?」
「ああ。一葉という変な名前の、自称異世界からきたという娘だ」
「自称じゃないってば! 本当に私は異世界からきたの!」
「へえ、異世界からのお客様か」
シアンは一葉の言葉を否定せず、両手を組んで一葉にの前に立って一礼した。
「はじめまして、一葉。俺はシアン。この教会の司祭をしているんだ。歓迎するよ」
人当たりのよさそうな男の笑みにつられて、一葉も微笑んだ。
「…ありがとう」
「それで、今日はどうしてここへ?」
「こいつ、行くところがないんだ。悪いけど、ここで面倒見てもらえないか?」
ブラッドが一葉の頭に手をおいて、ぐしゃぐしゃと撫でた。一葉は微妙な表情をしながらも、黙ってうなずいた。
「それはもちろん、いいよ。俺たちの女神さまの扉はどんな人にも開かれているからね」
「シアン、もう水やっていい?」
待ちかねた子供たちに催促され、「いいよ」とシアンは答えた。子供たちは我先にとじょうろから苗に水をかけ始めた。
「じゃあ、水かけが終わったらみんなは勉強するんだよ。俺は新しいお客様とお話があるからね」
「えー、やだー」
子供たちは不満とうなずきを口々にしながら、楽しそうに水をかけている。
「じゃあ一葉、せっかくのお客様だからお茶をごちそうするよ。こっちへおいで」
「あ、うん。えーっと…」
「私は教会のお掃除をするから、気にしないで」
一葉がセシリアを振り返ると、彼女はさっきいた教会の聖堂を指した。
「俺も手伝うよ、セシリア」
「ふふ、ブラッドったら。お勤めがあるんだから、無理しないで」
「いやいや、少しくらい大丈夫だって」
聖堂へ戻っていく二人を見ていた一葉に、「こっちだよ」とシアンは声をかけた。
「食堂においで。お茶をいれてあげよう」
「あ…うん」
一葉はシアンについて食堂へ向かった。いぬくんもとことことついてくる。
広い食堂は何十人も入れるスペースがあり、さっきの女神像の小さなものが中央に飾られている。いくつものテーブルと椅子が並び、一般人であろう人たちが数人、座って談笑している。
「ここは教会に住んでいる者たちと、教会に身を寄せている者たちが一緒に使う場所なんだ。お茶を用意するから、少し待っててね」
「…どうも」
一葉は椅子に腰を下ろして、あたりを見回した。大きな窓から光が入り、大きな本棚に何冊もの本がぎゅうぎゅう詰めに入っている。かなり年季の入っていそうな本が多かった。
シアンは中央に用意されているテーブルの上のポットからお茶道具を一式持ってきた。
「お待たせ。お口に合うかわからないけど、おいしいお茶をいれてあげるね」
「…ありがとう」
シアンはティーポットにお茶の葉をいれて、ポットからお湯を注いでふたをした。
「これで少し待つんだよ。すぐいれたら、お茶の風味が感じられないからね」
「うん。そういえば、クラークの家でいれてもらったお茶もおいしかった」
「ふうん? クラークを知っているの?」
カップを用意しながら、シアンは意外そうに一葉に聞いた。
「私、あの人のお屋敷の樹に落っこちてきたんだ」
「異世界から?」
一葉はちょっと複雑な表情を浮かべながら、「あのときはちょっと別の場所から」と苦い笑みを浮かべて答えた。
「ごめんごめん」
シアンは手を振って笑いながら謝った。
「? 何が?」
「君のいうことを馬鹿にしてるわけじゃないんだよ。異世界から来たっていうこと」
「え…ああ、そっちね。別に、誰に言っても信じないからいいけどさ」
シアンがカップに注いだお茶を、一葉はそっと手で持って一口飲む。「いい香り…」と思わず口にした。
「おいしいね。でも、紅茶とはちょっと違う?」
「ハーブティ。気に入ってもらえてうれしいよ。手作りなんだ」
シアンは畑のほうを見る。そこに植えられている植物を乾燥させてつくったものなのだろう。
「この教会の孤児院出身のクラークとブラッド、セシリアともう一人、イヴァンという子がいるけど、4人はみんな幼馴染でね。兄弟たちはほかにも何人もいたけど、同年代ではあの子たちが特に仲良しで、小さい頃は一緒に過ごしたんだよ」
「へえ! そうだったんだあ」一葉は驚いて声をあげた。「ブラッドってさあ、セシリアのこと大好きなんだね」
「直球だねえ。まあ、子供のころからずっとそうみたいだよ」
「一途だねえ」
シアンも自分でいれたお茶を一口飲んで、「いい出来」と笑った。
「俺は信じるよ」
「? 何を?」
脈絡なく言われて、一葉は首を傾げた。
「一葉が異世界から来たという話」
「…本当に?」
一葉は目を丸くした。
「だって、誰も信じなかったよ。私が超獣使いだって言っても」一葉は椅子の下で丸くなっているいぬくんを見る。「この子が超獣だって言っても、信じるの?」
「信じるよ」シアンはやわらかく微笑んだ。「人に信じてもらいたければ、まず自分から信じなさい」
「…何、それ? 女神教の教え?」
「よくわかったね。そうだよ」
一葉の質問に、シアンはうなずく。
「超獣は、千年に一度くらいに現れて、異世界の人間につき従ってこの世界を平和に導いてくれるという伝説がある。それは女神さまの思し召しだというのが、俺たちの宗教だけどね」
「クラークはおとぎ話だって笑ったよ」
一葉は唇を尖らせた。
「千年も前の話だからね。長い年月の間に人の記憶からは風化されて、ときには話だってねつ造されることもあるだろう。女神に助けは求めても、伝説のものには助けを求めたりしないのかもしれないね」
「そっか…。ねえ、シアン。私、この国の王様に会いたいんだけど、なんか方法ないかな。私が超獣使いだってわからせるような方法とか」
「へえ。どうして?」
「ここへ来る前に、七賢者の一人に会ったんだけど」
「ふうん? 七賢者ね」シアンはカップのふちを指でなぞる。「彼らもまた、伝説の人物たちだ。超獣ほどではないけど、雲の上にいて世界を常に見守っていると」
「そんな感じだった。私と会った七賢者のうちの一人はね、私よりずっと年下に見えるのに、じじい言葉で話すんだよ。そんでそいつが言うには、まず国王に会って、超獣の封印を解くのに協力してもらえって。権力者に協力してもらうのが一番ってことだよね」
「なるほどね…。クラークは王様に会わせてくれるなんて、言わなかった?」
「言わなかったよ。金持ちそうだし、なんかつてありそうな気がしたんだけど、だめだって」
「ふうん。なら、仕方ないね」シアンはカップのふちをしばらくなぞりながら、何か考えてからつぶやいた。
「今の時期なら…なんとかなるかな」
「なんとか?」
一葉の問いに、シアンは意味ありげに笑った。