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【3章】帰れない楽園  作者: 結糸
第1章 異世界召喚
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勉強の時間

「そう、ここだ。東方屋と言うんだ」

「あ、戸も日本風だ。へえ…」


 引き戸になっている戸を開けて一葉がいぬくんを連れて店へ入ると、「いらっしゃいませ」と中年の女性が出迎えてくれた。しかも、髪は長い黒髪で赤い花柄の着物を着ている。といっても、かなり丈の短い着物だ。日本の着物をアレンジしているようだ。


「あの、この店で味噌とか納豆とか醤油って…」

「もちろん、取り扱っていますよ」

 若い娘はにっこりと微笑んで、店の棚に並んでいる瓶入りの醤油や味噌を見せてくれて、味噌汁の試飲もさせてくれた。


「ああ~…しみるう…」


 一口の味噌汁を飲んで、一葉はほうっと息を吐いた。

「クラークも飲んでみてよ。おいしいから」

「…そうか?」

「どうぞ」

 クラークは奇妙なものでも見るような表情でお椀の味噌汁を見てから、少しだけ飲んでみた。


「どう? おいしい?」

「…まずくはない。ただ、独特のにおいがするな」

「大豆のにおいかな。そういう評価かあ」

 一葉は少しばかりがっかりしたが、食べなれないものだから仕方ないのかもと思い直した。


「いや、おいしくないわけではないんだが…」

「まあ、いいや。クラーク、ここで買い物していいんだよね?」

「好きなものを買っていいよ」

「やった。じゃあ、お米と味噌は赤味噌もあるんだ。でも…やっぱ白みそだよね。あと、納豆は粒が大きいものが好き。醤油の瓶は小さいのでいいよね。私しか使わないかもしれないし。箸と、お茶碗とお椀もいるなあ…」


 ぶつぶつ独り言を言っている一葉をよそに、クラークはもの珍し気に店内を見て回り、店員の女性にこれは何かと聞いてはよくわからないという表情を浮かべていた。

「よし、これでいいかな。おねえさん、これお会計お願い」

「ありがとうございます。お客さん、もしかして東方から来たの? 顔立ちもそうみたいだし」


「あー…っと」一葉はちらりとクラークを見る。クラークはうなずいた。「そんなところです」

「ふふ、故郷の味が懐かしくなったのね。私もそうだから分かるわ」

「あなたも東方から?」

「来たのはずいぶん子供時分だから、よく覚えていないの。ここの店主は東方から来た人だけどね。またいつでも買いに来てね」


 女性はにこにこと笑って送り出してくれた。荷物はクラークの家まで送り届けてくれるというので、二人は手ぶらで出てきた。いぬくんがそのあとに続く。


「目的の買い物はこれで終了したけど、ほかにもよりたいところはあるか?」

「んー…とね」

 一葉は少し考えてから、「この前話したラスティと食べたぶどうパンおいしかったんだよ。クラークも食べにいってみようよ」

「そんなにおいしかったのか?」

 クラークが笑って聞く。

「そう。焼き立てだったしね。ラスティもおいしいって言ってたよ」

「だったら、うちに届けてもらうか」

「あれは焼き立てを歩きながら食べるのがおいしいんだよ。お金持ちの通りはもういいから、普通の街に行こうよ」

「一葉がそういうなら」


 クラークはうなずいて、上流階級の街を出ることにした。壁を通るのに、いつもいる門番はクラークに会釈した。

 彼がここを通す人間見定めているのかと一葉はいまさら気づいた。出ることはいつも簡単だったから、入る人をチェックしているのだろう。


 いつも来る街中に来て、一葉はほっとした。街ゆく人もドレス何て着ていないし、気取った感じの人もいない。冒険者や商人や子供たちが走り回るこの感じが一葉は好きだった。

「どの辺にあるんだ?」

「えーっとね…確か、お城からここまでくる通りで…」

「なら、南のほうだろう。こっちの通りかな」

「あ、こっちだったかも。そうそう、この通り、見たことある。クラーク、すごいね」

「この辺は庭みたいなものだよ。私は教会育ちだからな」

「あ、そうだったね。…ほら、あそこの店だよ。いいにおいする」

 一葉が指さした店を見て、クラークは目を細めて「…懐かしいな」と言った。


「来たことあるの?」

「ずいぶん昔に」

 店に入ってちょうど焼き立てだったぶどうパンを二つ買い、一葉とクラークは店を出た。店の店員は若い娘だったので、クラークは知り合いではないと言った。


「熱いけど、おいしいね」

「そうだな。こうやって買い食いするのも久しぶりだ」

 クラークは苦笑しながらぶどうパンを紙袋からちぎって食べる。

「コロッケとか歩きながら食べるのもおいしいよね」

「一葉はなんでもおいしそうに食べるな」

「あれ? どうしたの、二人そろって」

 通りの向こうから、シアンと二人の子供がこちらに向かって歩いてきていた。


「シアン…」

「珍しいね。クラークがこっちに来るなんて」

 いつものようににこにことシアンに微笑まれ、一葉はぶどうパンを飲み込んだ。

「今日はどうしたの?」

「私の買い物につきあってもらってたの。あ、でも買い物してたのは、こっちじゃなくて貴族街の向こうのほうだけどね。こっちのぶどうパン食べたくて来たんだ」

 一葉が壁の向こうを指さすと、「ああ」とシアンは視線を向ける。


「そういうこと。クラークがこっちへ来るなんて珍しいと思ったら、一葉が連れてきたんだね」

 シアンは納得したようにうなずいた。

「何を買ってもらったの?」

「私が元の世界にいたときによく食べてたものと、服も買ってもらった」

「服ねえ…」シアンはちらりとクラークを見てから「一葉が普段着られるようなものじゃないんじゃない?」


「えー…」一葉は考えてから「…普段は着ないかな」と遠慮がちに小さく答えた。

「一葉が普段着るような服を買ってあげるほうがいいよ。クラーク」

「…そうだな」

 クラークは短く答えた。

「あの店にそういうのが売ってるよ。行ってみてごらん」

 シアンが指したのは、通りに並ぶ庶民的なシャツやチュニックが雑多に置かれた店だった。あそこなら確かに、一葉も普段着られるものが売っていそうだ。


「シアン―」

「行こうよー」

 二人の子供が待ちきれなくなったのか、クラークの服のすそを引っ張った。

「ごめんごめん。じゃあ俺たちは買い物に行くから。クラーク、たまには教会に顔を出してよ。セシリアも待ってるからね」

「…そのうちな」

 シアンは手を振って、子供たちを連れて歩き出す。それを見送ってからクラークがふっと息を吐いた。


「なんだか…」一葉はもぐもぐとぶどうパンを口にしながら、クラークを見上げる。「クラークってシアンのこと苦手なの?」

「…何故そう思う?」

 クラークが虚を突かれたように一葉を見る。

「…なんとなく。シアンの前で急に無口になった気が」

「一葉は気づかなくていいところに気づくんだな」


 クラークは苦い笑いを浮かべた。

「えーそう?」

 一葉はぶどうパンを飲み込んだ。

「あそこへ買い物に行こうか」クラークはさっきシアンが指さした店を見る。


「え? また? いいよ、さっき服なら買ってもらったし」

「普段使いの服を買うほうがいいだろう?」

「…気にしてるの? さっき、シアンが言ったこと。それなら、別に…」

「これも必要経費ということだよ」

 クラークに促されるまま、一葉はチュニックやショートパンツやらを十着ほど買ってもらい、クラークの家へ届けてもらうことにした。


 買い物の間にクラークが通りで貸していたニワトリを飛ばして、馬車を店の前に呼び寄せた。スペンサー邸へ帰る道中、馬車の中で一葉は自分が昼食を作ると言い出した。


「昼食か…。おそらく、ローレンスが作っているから夕食にしたらいいんじゃないか?」

「そっか。それでもいいよ。じゃあ、台所借りるね。クラークとヴァレンタインさんやメアリアンたちもごはん食べられるように作るんだ」

「そんなに作るのか?」

「ご飯はいっぱい炊いたほうがおいしいんだよ」

「そうか。任せよう」


 クラークは笑ってうなずいた。家へ戻ると、やはり料理長が食事を用意してくれていた。トマトを使ったパスタとサラダとスープ、チキンの香草焼きと果物だった。一葉は昼食後にメアリアンの入れてくれたお茶を飲んでから、クラークにこの世界の文字を教えてもらうよう頼んだ。


「じゃあ、一葉の部屋へ後で行くから待っていなさい」

「うん。わかった」

 クラークは食堂を出て部屋へ戻った。一葉は食堂に行き、料理長とメアリアンに調理道具を見せてもらった。意外なことに、この世界には冷蔵庫があった。精霊の力を借りているということだった。

 下水道もとおっている。でもいつも使わせてもらっている風呂も水道が出る。確か貧民街では井戸を使っていたのに。


「ああ、貧民街にも水道は通ってますよ。ただ、水の精霊は井戸に宿るから、井戸の水を使いたがる人が多いんですよね」

「そういうことかあ」

 一葉は届けられた味噌や醤油や納豆などを冷蔵庫に入れながら、メアリアンの説明に納得する。


「圧力鍋も使っていい? これがあると、ご飯が簡単に炊けるんだよね」

「もちろんですよ。あと調味料も一通りありますから、好きに使ってください」

 恰幅のいい料理長のローレンスは気のいいおじさんだった。勝手に台所を使うなと言われたらどうしようかと一葉は内心心配してたが、杞憂だったようだ。もっとも、家の主人のクラークに命じられたら従うのは当然かもしれない。


 一葉は厨房に入らず入り口で待っていたいぬくんを抱いて部屋へ戻る。

 勉強したいと言っていた一葉のためにヴァレンタインが部屋へ来て、紙と鉛筆を持ってきてくれた。


「ありがとう、ヴァレンタインさん。そういえば、ここって電気が通ってくるよね?」

「ええ。電気がないと不便ですからね。家に必ず光の精霊がおりますから」

 ヴァレンタインが簡単に説明する。

「ふーむ…。てことは私のスマホも充電できるかな?」

「すまほ?」


 ヴァレンタインは首をかしげる。一葉は制服のポケットからスマホを取りだした。

「これのことなんだけど、充電器がないから無理かなあ?」

「試してみましょうか?」

 ヴァレンタインは一葉の手からスマホを受け取り、電気のスイッチがあるところへスマホを向けると、スマホがぶるぶると震えてあっという間に充電が完了した。


「こちらでいかがでしょう」

 一葉がスマホを起動させると、ネットは使えないがそのほかの機能は普段通り使えるようになった。

「わあ、使える! ありがとう、ヴァレンタインさん! どうして?」

「光の精霊の力ですよ。こうやれば充電できるのです」

 ヴァレンタインにとってはごく当然のことのようだった。


「本当にありがとう。これでスマホで日記が書けるよ」

「どういたしまして。お役に立てて何よりです」

 ヴァレンタインがにっこり微笑む。すると、部屋のドアがノックされた。


「どうぞ」

「失礼するよ。ヴァレンタインもいたのか。遅くなってすまなかったな」

「いいよ。クラーク、忙しいんでしょ?」

「たいしたことはない。じゃあ、勉強を始めようか」

「そうだった。よろしく」

「では、私はこれで失礼いたします」

 ヴァレンタインは一礼して部屋から出て行った。


 クラークは最初は数字から教えてくれた。買い物をするときに便利だからという理由だった。一葉が対応する日本の文字を書いて覚えようとすると、興味深そうにクラークがそれを見る。


「これが異世界の文字か。変わっているな」

「私から見れば、こっちの世界の文字のほうが変わってるけど。十進法なのは同じだね」

「なるほど、これが1、2、3…これが9で、10となっていくんだな」

「そう。で、この数字はほかの国から来た文字で、別の漢字っていう文字もあるんだよ」

「かんじ?」

「これがね、一、二、三、四…ていうふうに」

「三までが棒なのに、四が突然変わるんだな」

 クラークが不思議そうに言う。


「どっかの芸人もそんなこと言ってたな…」

「芸人?」

「こっちの話。あとね、ほかにもローマ数字っていう字もあって、これがⅠ、Ⅱ、Ⅲていうふうになっていって、これはローマって言う国で使われてた。今はこのアラビア数字が世界的に使われてるかな」

「国によって違うとは、面白い文化だな」一葉が紙に書いた文字をクラークは物珍し気にみつめる。

「言葉も違うからね。こっちの世界は、みんな同じ言葉と文字なんだよね?」

「そうだな。もしかすると、ずっと昔は一葉の世界のように地域によって違う言葉を話していたのかもしれないが、今はどこの国でも共通だ」


「東の国も?」

「そうらしい。食べるものや着るものなんかは違うらしいが」

「そうだ。私が自分の世界の文字を教えるから、クラークも覚えてよ」

「私が?」

 話を振られて、クラークは戸惑ったように一葉を見る。

「そう。そしたら、暗号使えるし。私とクラークにしかわからないよ」

「はは。それは面白そうだな」クラークはふっと笑みを浮かべる。


「それじゃあ、まずひらがなを書いてくね。これに対応するこっちの文字を教えてよ」

「いいよ。それじゃ最初は…」

 こうして、こちらの世界の文字と元の世界の文字を互いに確認しあった。


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