帰路
ニワトリが街の中を歩いていたクラークの前にふわりと舞い降りて、コケ、と鳴くとブラッドの声でしゃべりだした。
「ブラッドからクラークへ。フレッチャーをみつけた。一葉を連れて逃亡中だ。あとを追う」
ニワトリはクラークが腰元の袋から出した穀物を一口二口食べると、コケーと鳴いた。
「ブラッドか…。わかった。クラークからブラッドへ。すぐ行く」
羽をばたつかせてニワトリは空へ飛びあがる。クラークはそれを目印に走り出した。
「それにしたって、なんでフレッチャーと一葉と一緒なんだか…。訳がわからないな」
我知らずクラークの唇からため息がもれた。次から次へとよく問題を引き起こす娘だ。
街の中心地から外れて、人の少ないほうへ走る。しかしアーウィンも一葉を連れては速く走れない。古ぼけた野外劇場跡まで来るとアーウィンは足を止めた。
「さて…」
「アーウィン、どうするの?」
「くるる」
一葉は息切れしながらアーウィンに問いかける。いぬくんもじっと見上げている。
「まあ長くはいられないと思っていたからね。こっちも下調べはしてたんだ」
「終わりだ、フレッチャー!」
ブラッドが叫んでこちらに走ってくる。
「ここで一葉に会えてよかったよ」
「私も…でも、どうやって逃げるの?」
「一葉、こっちへ来い」
一定の距離を置いて、ブラッドがアーウィンをにらみつける。ブラッドは一葉に来るように手招きした。
「…やだ」
「やだじゃねえ」
「だって、私がそっちに行ったらアーウィンに何かするんだよね?」
「当たり前だ!」
ブラッドが怒りに身を震わせる。
「そいつはおまえを助けたかもしれないが、俺らにとってはただの殺人鬼だ。そいつのせいで何人死んだか教えてやろうか? 百や二百じゃない。こっちの死体の数なんて、そちらさんは数えちゃいないだろうけどな」
「女性の前で聞き苦しいことを言わないでいただきたいですね。殺人鬼だなんて…。それに、我が国にとってはあなたの手にかかった人間も、百や二百ではありませんよ?」
「うるせえ! 涼しい顔しておまえの召喚獣にうちの連中が殺されるのを見てたのを、忘れたりしねえからな!」
「落ち着け、ブラッド。相手の思うつぼだ」
ニワトリの後を追って、クラークが走ってきた。ブラッドは「…ああ」と言って拳を握りしめた。クラークはこの状況を見て露骨に顔をしかめた。
「…それで、なんで一葉がフレッチャーと一緒に?」
「俺も知らねえけど…」
「おや、スペンサー将軍ではありませんか。金の死神にまでお出迎え頂けるとは。至れり尽くせりですね」
「何、まれに見る珍客だ。丁重におもてなしさせていただこう」
アーウィンとクラークは微笑みあい、クラークは剣をさやから抜き、アーウィンはバンダナに手をかけた。
「私がつけたあの傷は、まだ痛むか?」
「おかげさまで…。あの日の屈辱に、夜も眠れないほどですよ」
アーウィンがバンダナを取ると、額に切りつけられた跡があった。アーウィンがこれを隠すためにバンダナをしていたのか、と一葉は悟った。
「サーペントよ、我との契約に従い、その姿を現せ」
アーウィンの詠唱の途中で、クラークが剣をふるって突進してきた。
「ま…待って、クラーク! お願い、やめて!」
一葉がクラークの前で両手を広げて仁王立ちする。クラークは一葉に一瞬気をとられて、アーウィンの詠唱を完了させたことに気づき、一葉を突き飛ばした。
「ったあ…」
一葉が起き上がると、目の前に十メートルはあろうかという巨大な蛇が現れた。
「いやあああああああああっ! 蛇だああああ!」
一葉はわたわたとサーペントから逃げ出してブラッドのそばに駆け寄った。アーウィンはサーペントの背にまたがる。
「逃げる気か」
「多勢に無勢ですからね。今日のところはこれで退散します。一葉、一緒に来るかい?」
差し出された手を見て、一葉は首を横に振った。
「そう。わかった。今日はこれで」
微笑んでアーウィンはサーペントとともに空へ舞い上がった。クラークは剣を鞘にしまい、サーペントが現れたせいでさらに壊れた劇場跡の椅子を見てため息を吐いた。
「ここもそろそろ本格的に処分しないとな…」
「クラーク、いいのか?」
「被害が出たのはここだけだ。下手に足止めして、街に被害が出ても厄介だろう。それに、サーペントを追うにも召喚士もいないからな」
「そうだな…」
ブラッドはいぬくんを抱き上げた一葉に、「おまえはまたやらかしてくれたな」とげんこつを食らわせた。
「痛い! 私、今日ろくな目に遭ってない!」
一葉は痛む頭をさする。
「おまえが悪いんだろ。みすみすフレッチャーを逃がしやがって…」
「アーウィンは私が変なおっさんにからまれてたのを助けてくれたんだもん」
一葉は唇を尖らせた。
「まったく、よく絡まれるな」クラークは皮肉を込めて言ったようだった。「一葉、フレッチャーは何か言っていたか?」
クラークに聞かれ、一葉は少し動揺したのを気づかれないように平気なふりをして「…超獣使いのことを聞かれた」と答えた。
「やはりそうか」クラークは顎に手をあてて「直接コルディア国王に命令を受けたとは、それだけこちらの情報をつかみたいということか」と独り言のように言った。
「おまえ、何か余計なことしゃべらなかっただろうな?」
ブラッドににらまれ、「言ってないよ。超獣使いがどんな子だって言うから、普通の女子だって言っただけ」と一葉は口を尖らせた。
「…そのくらいならいいか。とりあえず戻ろうぜ、クラーク」
「そうだな」
ブラッドが土の上を歩いているニワトリに腰元から下げた袋から穀物を取り出して食べさせて何事か言うと、ニワトリは飛び立った。ブラッドもクラークも歩き出すが、一葉はいぬくんを胸に抱えたまま、動かないでいた。
「一葉」
歩き出さない一葉に気づいたクラークが、振り返って左手を差し出す。
「帰るよ」
「…どこへ」
「うちに決まってるだろう」
クラークの言葉に、一葉は胸が締め付けられるようだった。
帰っていいんだ。クラークのうちへ。
一葉は身を固くしたが、クラークが一葉を待っているのでおずおずと右手を伸ばして手をつないだ。その手はひどくあたたかかった。
ぎゅっと握られて一葉はまた泣きたくなったが、涙は出なかった。ただ胸が苦しかった。ブラッドは意外そうにそれを見たが、何も言わず歩き出す。しばらく歩いて街中へ着いたころ、思い出したように一葉に尋ねる。
「おまえ、エリザベス様を噴水に突き飛ばして蹴飛ばして、ドレスを引き裂いたとかって聞いたけど、マジか?」
「ええ? どこまで話盛ってるの、あの子! 私が先にひっぱたかれた上に、噴水に落とされたんだからね! だから、お返しに噴水に入れてやっただけ!」
「それだって、たいしたもんだろう。王族にそんな態度とるのは、おまえくらいなもんだ」
ブラッドはため息を吐いて天を仰いだ。
「少しは反省しろよ。身分てものをわきまえろ」
「だって…」
「だってじゃない。また陛下の御前に呼び出されたいのかよ?」
「もういいだろう、ブラッド。私たちは帰るから、シアンに一葉がいたことを知らせてくれないか」
教会近くまで来て、クラークは握っていた一葉の手を放した。
「…俺が行くより、クラークが行ったほうが」
遠慮がちにブラッドが言うと、「セシリアに会えるじゃん」と一葉が言った。
「ば、うるせえ! セシリアは俺なんかより、クラークに会えたほうが嬉しいんだよ」
「え…」
ブラッドが決まり悪そうに言うと、一葉はクラークを見た。
「…そうなの?」
「そんなことはないよ。一葉、馬に乗りなさい」
「あ…うん」
クラークは宿屋に預けた馬を引き取り、手綱を引いた。
クラークに馬に乗せられ、一葉は何とも言えずブラッドを見下ろす。人の思いはままならない。それはわかっているけど、そういうものなのか。なんだか複雑な気持ちになった。
「あとは頼んだ、ブラッド」
「…ああ」
ブラッドは苦笑してクラークと一葉を見送った。そして教会の扉を開ける。一葉はそれを遠くになっていくのを見送った。
街中を抜けてクラークの家まで馬に揺られて行く。クラークの前に座りながら、次第に街外れへ馬は走った。壁を越えて貴族街へ入ってもしばらく二人は無言のままでいたが、一葉はこらえきれずクラークに声をかける。
「…どうして、私とアーウィンがあそこにいるってわかったの?」
「さっき、ニワトリを見ただろう。あれに道案内してもらった。ブラッドが伝えてくれたから」
「…ニワトリって、伝言を伝える時だけじゃなく道案内もしてくれるんだね」
「こちらの伝言を伝えるのに、その相手の元へ行くからそれを追ってきただけだよ」
「へえ…。すごいね」
素直に感心しながら、再び沈黙が下りた。まだクラークは怒っているんだろうかと一葉は考え、でもそれも仕方ないことだと思った。
「…あの、クラーク」
「何?」
「…いえ、その…」一葉は腕の中のいぬくんを撫でながら「…なんでもないです」と言った。
「私は謝らないよ」
さらりとクラークに言われ、一葉はさっきたたかれたことだと気づく。
「…わかってるよ。私が強情に謝らないから、ことを収めるためにたたいたんでしょ。エリザベスは何か言ってた?」
「特に何も。一葉の泣き顔を見て溜飲を下げたようだな」
「あ、そう。でも…」
「でも?」
「…痛かった」
一葉はもう痛みのない頬をなでる。
「それはすまかったな。手加減したつもりだったが。何しろ女性に手をあげたのは初めてなものでね」
「…私も、男の人にたたかれたの初めてだよ」
恨めしそうに言う一葉に、「そうか」とクラークはさらりと答えた。
「………」
「………」
「……ふふっ」
「ん?」
「ふふ、あははは」
「はは、なんだ?」
「あははは、あはは、あはははは!」
「まったく…。泣いたと思ったら笑い出して、忙しいな一葉は」
なんだかおかしくなって笑い出した一葉に、クラークもつられるように笑った。しばらく笑った頃に壁を越えて、森に入るとクラークの屋敷が見えてきた。
「クラーク」
「なんだ?」
「…ありがとう」
一葉は振り向かないまま、クラークに礼を言った。
「何が?」
「なんでもない」
一葉は後ろのクラークを見て、それからまた前を向いた。家に明かりがついているのが見える。一葉はそれを見てほっとした。
玄関先まで来ると、ヴァレンタインが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、お二人とも。お嬢様がみつかってよかったです」
「あはは、ごめん。帰ってきたよ」
「一葉さま、どこへ行ってたんですか? ご主人様が心配されて…」
「いいから、メアリアン」
クラークは厩番に馬を預けて、「夕食にしてくれ」と告げて階段を上っていく。
「お腹が空いたでしょう、一葉様。すぐ準備しますので、お待ちください」
「あ、私…」アーウィンと食べた、という言葉は一葉の口から出なかった。せっかく用意してくれたのに、悪いと思ったのもあるし、クラークと夕食をとらなければ、と思ったのだ。
「うん。待ってる」と言って一葉も階段を上って自分の部屋へ入った。
クラークとの夕食でアーウィンと話したことを伝えた。
「この国とアーウィンの国は戦争してるの?」
「レスタントとコルディアは今のところは休戦協定を結んでいるんだ。十年間はお互いに攻めないという。十五年前の大戦で、かなりお互いの国が疲弊したからな。そこから小競り合いが何度かあって特にひどかったのが5年前のことだ…。かなり国内が疲弊したからこちらから休戦を申し出た」
「協定を結んだのは何年前の話?」
「今から、5年前。あと5年で協定も終わる。もっとも、その間向こうがそれを守ってくれればの話だ」
「破られることもある?」
「反故にされることは歴史上いくらでもある」
「…そしたら、アーウィンとも戦うの?」
「もともと敵同士だからな」
「…そう」
一葉は胸がいっぱいになり、結局夕食は残した。
食後の紅茶を飲んで、ふと一葉はアーウィンが言っていたことを思い出した。
「ねえ。金の死神って何?」
「…誰がそんなことを?」
一瞬クラークが表情を硬くした気がした。
「アーウィンがそう言ってなかった?」
「一葉の気のせいだろう」
「…そう、だったかな」
なんだか今日は疲れていた。それ以上追求する気にならず、一葉は紅茶を飲んだ。
夕食後に部屋へ戻ろうとすると、「一葉、今日は小食だったな」クラークが言った。
「え…そう、かな」
アーウィンと食べ歩きしたから、とは言い難かった。
「いろいろあって、食欲がないか?」
「…そうでも」
ないけど、と言おうとして不意にクラークに頬を撫でられた。それはたたかれたほうの頬だったかなと一葉は思った。クラークはすぐに手を放した。
「おやすみ」クラークはそう言って一葉に背を向けた。
「…おやすみなさい」
一葉は触れるか触れないかの距離で自分の頬に手をあてる。ほんの少しのことなのに、一葉は急激に自分の体温が上がった気がした。妙の頬が熱かった。




