独房、再び
朝になると、今日こそブライアンに文字を教えてもらおうと一葉は馬車へクラークといぬくんを抱いて乗り込んだ。
「そうだ。この世界って、国によって話す言葉は違ったりするの?」ふと疑問がわいて一葉はクラークに尋ねる。
「国によって話す言葉が違ったら、大変じゃないか」
「ああ…うん。そうだよね」
再び一葉はうなずいた。そうか。この世界はどの国も同じ言葉を話すらしいと頭に入れておく。
「国によってたまに独特の言い回しがあったりはするが、違うというほどではないな。古代語だと、以前は国や地方によって話す言葉は違ったらしいが…」
「へえ…。方言みたいなものかな。今は統一されてるんだね」
「そうだな。一葉の世界では、国によって言葉が違うのか?」
「うん。でも、同じ国の中でも民族によっていろんな言語を使う国もあるよ。文字も全然違うしね」
「国の中で違うのか? 不便じゃないのか?」
「そうなんだけど…。その国はそういう歴史できてるから…。でも私の国は同じ言葉を使ってたけどね。地域によって方言はあるけど。面白いんだよ、方言て。別の国の言葉みたいなのもあるの」
「そういう違いも文化というわけか。面白いな」
興味深そうに言うクラークに、山形弁と標準語の違いを話すと面白そうに聞いていた。
城へ着くと、一人の痩せた青年が駆けてきた。
「クラーク様」
「どうした? ビリー」
彼に答えてから、クラークは一葉を。
「彼女は一葉。超獣使いだ。彼は私の秘書官でビリーだ」
「はじめまして。ビリー・コールマンと申します」
ビリーは慇懃に一葉に礼をとった。
「一葉です。どうも…」
「ファラデー将軍がお探しです」
ビリーは一葉を無視して急かすように言う。
「将軍が? …わかった」
クラークは一葉を振り返る。
「一人でいけるか?」とクラークに聞かれて「もちろん」と一葉は答えた。
「どこか余計なところへ行ったりはしないように」
「大丈夫だって」
そう答えてクラークとビリーを見送って一葉も歩き出す。いつもどおりラスティのもとへ行こうと思っていたのだが、なんとなく一葉はいぬくんを歩かせて城へ入って中庭への入り口をみつけた。まだ入ったことがなかったのだ。中は噴水の水がきれいにふきあがって落ちるのを繰り返して日の光に反射している。庭には色とりどりの花が咲き乱れていた。植物はなんとなく見たことのあるもののようで、一葉はほっとした。ピンク色のバラにそっと顔を近づけてみると、バラの香りがした。一葉の家にも母が植えたバラの木があるので、それを嗅ぐとなんとなくほっとした。
「先客がいたみたい」
不意に声が聞こえて、一葉は顔をあげた。声の主は一葉より少し年下と思われる少女と、中年の女性が一人。こちらに近づいてくる。少女は美しい碧色のドレスを着ているが、中年女性は目立たない侍女の服を着ていた。なんとなく少女のほうが身分が高いんだろうと一葉は思った。
「どこの侍女かしら? 見たことがないわね」
腰まである紫色の髪をなでながら、少女は値踏みするように一葉を上から下まで凝視する。一葉もじっと少女を見て、胸元で目を止めた。…でかい。メロンみたいな胸してる。と一葉は思った。思ったが、口には出さなかった。
「侍女じゃないよ」
「ではどこの者? 名乗りなさい」
少女の後ろにいる中年の侍女らしき女に言われ、一葉はむっとして言い返す。
「知りたかったらそっちから先に名乗れば?」
「なっ…無礼者! この方は、エリザベス殿下よ。国王陛下のご息女であることは知っているでしょう」
「知らないし」
言いながら、一葉はそういえばラスティの妹がエリザベスって聞いたようなどうだったかな…と記憶をたどってみる。聞いたような気もするが、よく覚えていなかった。
「私のことを知らないなんて、よほどの田舎者なのかしら。おまえ、誰に仕えているの?」
「私は誰にも仕えないよ。そういう約束でここにいるからね」
「…なんですって? では、何故ここにいるの?」
「私は超獣使いだから。一応、この国の王様のお客さん」
「…超獣使い」エリザベスはぶるぶると手を震わせた。「そう、おまえがそうなのね」
「そうだけど」
「くるるる」
足元のいぬくんが鳴いて一葉を見上げる。それに気を取られた一葉は、ぱん、とエリザエスに頬をたたかれたのを気づくに一瞬、間があった。
「…え?」
なんだかわけがわからず、一葉はたたかれた自分の頬をなでる。痛い。じんじんする。
「クラークと一緒に暮らしてるのはおまえなのね! 汚らわしい!」
「は? ちょっと、何…」
一葉が混乱していると、エリザベスはさらに一葉の反対の頬を平手打ちしようとして、それは一葉の手で払われた。
「何なのよ?」
「おまえこそ、何だっていうの! 平民の分際でクラークに近づくなんて、身の程をわきまえなさい!」
「ああ…なんか、メロンみたいな胸してるから、成熟が速いこと。おかしな妄想してるわけね」
「ぶ、無礼者!」
「うわっ」
エリザベスは自分の胸元を片手で隠し、今度は一葉を噴水の中へ突き飛ばした。侍女は急いでしぶきからエリザベスを守ろうと前に立つ。
「行きましょう、エリザベス様」
「そうね、これであの眼鏡女の頭も冷えたでしょう」
エリザベスは侍女と踵を返して立ち去ろうと歩き出す。
「…ちょっと待ったあ!」
噴水の中から妖怪のごとき様で、一葉は立ち上がった。いぬくんが「くるくる」と鳴いて一葉を見上げていた。
「…っくし!」
独房の中で、一葉は小さくくしゃみをした。胸の中で出しているいぬくんが「くるる」と鳴く。
「ったく、もう2回も主人公を独房に入れるとか、エリザベスも作者も頭おかしいわ」
ぶつぶつ言いながら、一葉はもうすっかり乾いた髪をなでた。制服も噴水に落ちたせいでびしょぬれなので、風呂に入らせてもらい、着替えにチュニックとハーフパンツと靴を出してもらった。おかげで風邪は引かないで済みそうだ。
「…まったく」
ため息交じりにやってきたのは、クラークだった。一葉のいる独房の前で立ち止まる。
「あー…ごめん」
「謝るくらいなら、最初からエリザベス様を噴水に突き飛ばすような真似はしないでもらいたいな」
「だって、あっちが突っかかってきたんだよ。クラークと私が一緒に住んでるの、気にいらないみたいでさあ」
クラークは鍵を差し込んで独房の扉を開ける。
「あの方はちょっとしたことを気にされるんだ。もっとも一葉には関係ないことだよ」
「あの子、クラークのこと好きなんだね」
一葉が独房から出てそう言うと、「気にっているものの一つというだけだよ」とクラークは苦笑した。
「でもお気に入りなのは認めるんだ?」
「それより一葉は今から国王陛下の前に出て、エリザベス様に謝罪するんだ」
「ええ? 何それ?」
一葉が声を上げると、「それくらいのことをしたんだ」とクラークは一葉の額に指を突きつけた。
「エリザベス様は、ラスティ殿下とは違って寛大ではない。一葉が先日、ラスティ殿下に手をあげてもこんなことにならなかったのは、彼が鷹揚な性格だからだ。エリザベス様は違う。一葉が謝罪するまで執念深く追いかけてくるぞ」
「だって、悪いのはあっちっだよ。いきなりひっぱたいてきて…」
「やり返したのは一葉だろう。王族を噴水に突き飛ばしていい理由にはならない」
「…ああ、そう」
クラークに言い返せず、一葉はぐっと詰まった。
「私に言ったように、ひとこと謝れば済むことだ。さあ、行こう」
クラークは見張りに言って、一葉と廊下に出る。クラークの少し後を歩きながら、一葉はそれでも納得いかない気分だった。いぬくんが静かに後をついてくる。
「陛下はお忙しい。エリザベス様のために時間を空けているから、すぐ済ませるんだ」
「…ええー…ちょっとお姫様に甘いんじゃない?」
「えーじゃない。さあ、入って」
クラークとともに玉座の間へ入ると、そこには王を守るために兵士たちとエリザベスとさきほどの侍女のみがいた。
「…なんか人、少ないね」
「言っただろう。こんなことに時間を取られている場合じゃないと」クラークは一葉の背に手をあてて、「お待たせして申し訳ございません。超獣使いを連れてまいりました」と言ってから礼を取った。
「何、たいしたことはない。一葉、さきほどはエリザベスが失礼したようだね」
「お父様ったら! ひどい目に遭わされたのは私なのよ! あの女、私をたたいて足蹴にして噴水に突き落として水に顔を突っ込ませたのよ!」
「ちょっと、話盛ってる。いくら私でも、そこまでは…」
国王が苦笑しながら言う言葉に、エリザベスがおおげさにわめいた。一葉はうんざりして顔を歪めた。
「はは、そうかそうか。実に若い娘同士のいざこざはよくあることだ」
「申し訳ございません。私の監督不行き届きです」クラークは頭を下げた。
「なんでクラークが謝るの?」
一葉は眉を顰める。
「そうよ、クラークは悪くないわ! 悪いのはこの女よ!」エリザベスは一葉を指さしてにらみつけた。
「一葉も反省しております」
クラークは一葉の頭をつかんで、無理矢理さげる。
「いてて…」
「どうかエリザベス様には寛大なお心で、許していただきたいと…」
「だったら、まず謝罪するのが当然でしょ。謝りなさいよ」
「やだ…っぐう」
「謝りなさい、一葉」
クラークに頭を押さえつけられ、一葉は動かせるだけ顔を動かしてクラークをにらみつける。
「そうだな、それでこの話は終わりにしよう」
「…冗談じゃない!」
国王の言葉に、一葉はクラークの手を振り払って顔を上げた。
「私は悪くない! いきなりひっぱたいてきたのはそっちじゃん! クラークと私に何かあるみたいに勝手に妄想して、馬鹿じゃないの? 迷惑かけられたのはこっ…」
ぱん、と頬をたたく音が響いた。手をあげた人物に、一斉に視線が注がれる。ここにいるクラーク以外の全員が、彼を見ていた。
「いい加減にしなさい」
クラークは静かにそう言って、エリザベスと国王に頭を下げる。
「申し訳ございません。この場ではこの娘に反省させることができませんので、今私が与えた罰でお許しいただけますでしょうか。家へ戻ってから、厳重に処罰しますので」
今度はクラークがぎょっとして一葉をみつめた。一葉の目から、ぼろぼろと涙がこぼれていたからだ。
「うっ…う、ううっ…」
一葉はクラークにたたかれた頬を押え、小さくしゃくりあげた後、脱兎のごとく玉座の間から飛び出した。いぬくんも走って後を追う。
「クラーク、もう十分だ。そうだろう? エリザベス」
「…そうね。まあ、いいわ。お父様がそうおっしゃるなら」
一葉の泣くのを見て、溜飲を下げたエリザベスが満足したように言った。
「さがってよい、クラーク」
「はい。…失礼いたします」
クラークは礼を取って玉座の間を後にした。一葉の姿はもうない。クラークは自分の髪をくしゃりとかきあげた。
「…やれやれ」