懺悔
何があなたの願いかはわかってる。
だから自分はそれをかなえよう。
あなたの願いをかなえるために、自分はここにいるのだから。
自分はいつだって、あなたの幸せを願っている。
それがどんな代償を支払うことになろうとも。
ハリーを守ると言いながらも、ジェフリーが母親を医者に見せなかった理由がようやく一葉にも理解できた。
「だから、医者に母さんを診せられなかった。ハリーが誘拐してきた子だってことが、ばれるんじゃないかと思って…」
「………」
「…誘拐って…」
ジェフリーは大きく息を吐いて、ラスティと一葉に振り返る。引きつった笑いを浮かべていた。
「父さんが戦争で死んでから、母さんはどんどんおかしくなっていった。そしてある日、赤ん坊をどこかからさらってきたんだ。父さんの生まれ変わりだって言って」
「…そんな」
「ハリーが…」
一葉もラスティもなんと言ったらいいかわからず、ジェフリーをただ呆然とみつめるばかりだ。
「拾ってきた子に父さんと同じ『ハリー』って名前つけて、近所にも見せて回った。いつ妊娠してたんだとか、父親は誰だとか言われたけど、母さんは適当な言い訳して、ハリーを自分の子だと言い張った。貧民街では子供がいなくなったりすることなんて、珍しくなかったから…逆に、一人子供が増えても詮索されないんだ。母さんは周りの目なんて気にしないでハリーをかわいがった。…かわいがってると思ってた」
「でも、違った?」
「大きくなるにつれて、ハリーは妙に怪我することが多くなった。最初はハリーが不注意なのかと思ったけど、そうじゃない。母さんは自分が注目されるために、かわいそうな子のおかあさんて言われるために、ハリーを病気にさせたり、ケガさせたりしてた。父さんが死んで、かわいそうって言われて同情されたのが忘れられないんだ、きっと。だから、俺がハリーを守らなきゃって思った。でも…」
ジェフリーはぎゅっと拳を握りしめた。
「ハリーは、母さんが自分を痛めつけて注目を集めようとしてるのを、知ってて…。母さんのこと、かわいそうだなんて思ってたの、知らなかった…。俺は、ハリーがかわいそうだと思ってたのに…」
ジェフリーはこらえきれず、ぼたぼたと涙を流した。それを見られまいとして、袖で乱暴に顔をぬぐう。
「俺はずっとハリーを守ってるつもりだったのに…。俺は、何も…母さんもハリーも守れてなかった。俺のほうがハリーに守られてたんだ…」
「ジェフリー…」
「俺は、どうしたらいいんだ…。どうしたら、ハリーを守れる…?」
それは助けを求めているようでもあり、自問しているようでもあった。
「…本当は、答えは出てるんじゃないの?」
一葉はジェフリーをじっと見てから、月の輝く空に視線を移した。
「どうすればいいかなんて、私たちに聞かなくてもわかってるんじゃないの?」
「…俺は…」
ジェフリーは俯いて、唇をかみしめる。
「何が最善の策か、ということか」
「何が一番いい方法かなんて、たぶん後にならないとわからないよ。後になって、ああしてよかったって思うか、こうすればよかったって、思うくらいで。考えて考えて考えて、そのとき一番正しいと思ったことを選ぶことしかできないんだよ。後になったら別の方法があったって思うかもしれなくても。でも、今は…ハリーが幸せになるのはどうしたらいいか考えるのが、一番いいんじゃないの?」
「………」
ジェフリーはぎゅっと目を閉じて、大きく息を吐いた。
「寒くなってきたから、私は先に中に入ってる」
一葉は二人に背を向けて、こちらを見ているクラークとブラッドをすり抜けて、教会の中へ入った。
「…夜は結構冷えるなあ」
一葉はハリーの眠る寝室へと足を運んだ。
「ジェフリー」
「…ああ」
ジェフリーは目を開けてラスティを見て強張った表情を浮かべる。
「わかってる。もうそのときなんだ。本当はもうずっと前に…。俺は…ハリーを解放してやらなきゃいけない」
「おまえがどんな選択をしても、ハリーを不幸にすることはしないとわかってる」
「っ………」
ジェフリーははっとして目を見開いた。そして、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「悪いな。おまえのせいでハリーが溺れたわけじゃない。さっきのは、完全な八つ当たりだ」
「わかってる」
ラスティはジェフリーの肩をたたいた。
「ラスティ、おまえみたいなのが王様になってくれるといいんだけどな」
「それは無理だ。王になるのは兄上だからな」
「そうか。…そうだな。俺も…俺にできることをするよ」
ジェフリーはラスティの肩をぽんとたたいて、中庭から教会へ戻ろうとする。クラークとブラッドを見て、「ご迷惑おかけしました」と言って扉を開けて教会の中へ入った。
「彼はどんな選択をするんでしょうね」
教会の扉が閉まるのを見て、ブラッドがつぶやく。
「そうだな。…でも、きっとみんなが不幸にはならない選択をするはずだ」
「殿下、ご立派でしたよ」
クラークが微笑むと、「茶化すなよ」とラスティが照れたようにそっぽを向いた。
一葉が寝室へ戻ると、医者がハリーの様子を診ている。シアンは少し離れたところでそれを見ていた。一葉はシアンの隣に立って、彼を見上げた。
「どうしたの?」
「…正しいって、なんなんだろうね」
「それは人によって違うものだね」
シアンはハリーを見ながら答える。
「例えば?」
「そうだね。この国で信じられている女神教と、ここと戦争している国の信じる神教とはどちらが正しいのか。信じる者が違うもの同士、どちらが正解かは答えが出ないよね?」
「うん。宗教に限らず、人って信じるものが違うと争いになるよね」
「哲学だね。人は誰しも自分の正義を持っているから、他人の正義を間違いだと言うことも正しいのか正しくないのか、正解はわからない。たぶん、どこかにある答えを人は探していくんだろうね」
「…私もお父さんがいないけど、お母さんはジェフリーたちのお母さんのようなことはしなかったよ。…必死だったんだろうね。私や兄貴を育てるのに」
「そう。一葉のお母さんは、そう思われるよう努力してたんだね」
シアンに言われて、一葉は母のことを思う。父が亡くなって、母は必死だった。
一葉と一葉の兄を守るために。
仕事での愚痴など、聞いたことはない。それでも大変だったんだろう。自分たちの生活を守るために。
「司祭さま」
ジェフリーが部屋へ入ってきて、シアンに声をかける。
「どうしたの?」
「お話があります」
「ああ、ハリー、ハリー、ハリー!」
ドナは精神科医に付き添われて、教会の寝室へ来ると、ベッドに眠っているハリーのそばによって手を握った。彼女の顔は青ざめ、髪も振り乱している。
「もう大丈夫よ、おかあさんがいるからね。もう二度とこんな目には遭わせないわ」
ハリーは目を覚まさず、ただ眠り続けている。もしジェフリーやハリーから事情を聴いていなければ、ドナは息子が気の毒な目に遭った悲劇の主人公のようだった。
「ドナ、ジェフリーから話は聞きました」
シアンがドナの肩に手を置いて、離れるよう促す。ドナはハリーから手を放してベッドから離れた。
「ジェフリーが話してくれたのね。この子、私が目を離したすきに、お風呂で…」
「その話ではありません。ハリーはあなたの息子ではないそうですね?」
「っ…」
ドナは愕然とし、ジェフリーをにらみつけた。
「なんてことを言うんです、司祭さま。ハリーは間違いなく私の息子です。ジェフリーは昔から、虚言癖があって…」
「ハリーはあなたの息子で間違いないと?」
「もちろんです」
ドナはきっぱりと答える。
シアンはふうとため息を吐いた。
「…では、魔素の認証をしましょうか? あなたの息子なら、親子としての魔素の反応が出るはずです」
「そんな必要ないわ! ハリーは私の息子よ、私がずっと育ててきたんだから!」
ドナが叫ぶと、シアンはは「落ち着いて」とドナの腕をさすった。
「今は、彼女を落ち着かせるほうがいいでしょう。とりあえず、ハリーとジェフリーは今夜は教会に泊まらせてもらいなさい。ドナは私が病院で預かろう」
シアンに呼ばれた精神科医が彼女の肩をたたいた。
「いやよ、私はハリーのそばに…」
「今日はハリーは目を覚まさないよ。さあ、行こう。ドナ」
「ハリー…。かわいそうなハリー…」
ドナは精神科医に肩を抱かれて、寝室から出て行く。
その様子を診ていた看護師は、「ジェフリー、あなたの望みは叶えるわ。それでいいのね?」とジェフリーに確認する。
「はい。いいんです。それでハリーが幸せになるなら」
「…そう。では、ハリーから血液を採取します。それで行方不明の届が出ていれば、彼の両親と親子関係にある魔素の持ち主と照合できるし、本当のハリーの両親がみつかるはずよ」
「はい。…よろしく、お願いします」
ジェフリーは頭を下げた。看護師はそれを見てうなずき、カバンから道具を取り出してハリーの血液を採取した。それを魔素照合センターへ持っていき、照合するのだという。
結果は1日あれば出るそうだ。
「…ジェフリー」
「いいんだ。これでいいんだ。もっと早く、こうすればよかったんだ…」
ジェフリーは眠っているハリーの手を握った。青ざめているハリーの顔を見るジェフリーの目から、涙が零れ落ちた。
夜が明けると、一度それぞれの寝床へ帰った皆は、クラークは城へ、ブラッドとラスティは城から朝来て、一葉を教会へ連れに来てくれた。
「いいの? 勉強は」
「ハリーが気になってそれどころじゃない。…遅れた分は後で取り返す」
ラスティがため息を吐いた。
「ところで、昨日魔素がどうのって話してたけど、魔素って言うもので親子関係とか証明できるの?」
一葉は昨日聞きそびれたことを尋ねる。
「ああ…そうか。おまえ、知らないんだな。魔素と言うのはこの世界の住人が誰でも持っているもので、親子兄弟だと数値化した魔素とほぼ近いものが出るんだ。他人だと関係がないから、親子関係不存在なんかの証明に使われる」
ブラッドの説明に、一葉はDNA検査みたいなものかな…と一応理解した。
教会へ着くと、セシリアが3人を出迎えてくれた。ブラッドはいつもどおり嬉しそうだったが、セシリアはどことなく元気がなさそうに見えた。
でも気のせいかもしれないし、一葉には判断がつかなかった。
子供たちは修道女のジェシカに連れられて中庭で遊んでいたり、ほかの修道女に面倒を見てもらっている。寝室へ行くと、ジェフリーがハリーのそばについていた。
「ジェフリー、おはよう」
「昨日は眠れたか?」
「ああ、まあ…それなりに。母さんもいないし」
「ドナは精神科の病院に入院することになったよ。先生が今の状況だと、子供のそばに置いておかないほうがいいという判断でね」
シアンが寝室へ入ってきてそう言うと、「そうですか…」とジェフリーは小声で答えた。
「だから、ジェフリー。君は教会の孤児院で暮らさないか?」
シアンはやさしく微笑んで、ジェフリーの肩に手を置く。
「俺が、ここに…?」
「君はまだ中学に通う子供で後見人が必要だ。もちろん、ハリーも一緒に。君たちがよければだけど」
「俺は…俺たちは、一緒にそうしてもらえるなら」
ジェフリーが微かに震える声でうなずいた。
「貧民街の俺たちは、壁の向こうの教会には行けないんだと…」
「そんなことはないよ。教会は庶民も貴族も差別しない」
シアンは微笑んだ。
「でも正直、あまり裕福な生活ができるわけじゃないよ。寄付や自分たちで作ったものを売ったり食べたりして生活しているからね」
「平気です。貧乏には慣れてる。でも、母さんの治療費は…」
シアンは少し考えてから、「確かお父さんが戦争で亡くなって、遺族年金をもらっているって言っていたね。それを治療費に回してもらうよう手配するよ。君たちの生活費は、教会でなんとかしよう」
「ありがとうございます…」
「よかった。それじゃ、荷物を取りに行こうか。役所への手続きも必要だし、忙しくなるよ」
シアンがにっこりと笑ってジェフリーの頭を撫でた。
「じゃあ、私も手伝うよ」
「俺も行こう」
「でしたら、俺も一緒に」
シアンは役所や病院で必要な書類を回収しに行き、ジェフリーと一葉たちはジェフリーの家へ荷物を取りにいった。
「おかあさんの荷物も精神病院に持っていかなくちゃいけないね」
「そうだな。まあ、うちは貧乏だから大した荷物はないんだ。金目のものは置いておくと、あのあばら家じゃ盗まれても文句は言えないからな」
「貧民街はそんなに大変なんだな」
ラスティが中流層との間に隔てられた壁を見上げて言う。
「そもそもさあ、なんで同じ人間なのに貧乏人か貴族かで壁を作って差別するわけ? おかしくない?」
ジェフリーの家の中へ入って一葉はそもそもの疑問を口にする。
「…おかしいっていえば、おかしいよな」
ジェフリーはいまさら気づいたように言う。あれを袋に入れて、これを捨てるとブラッドや一葉に指示する。
「この壁を作ったのは、俺のひい爺様のリチャード3世らしい。わざとこれをつくって、身分さを露にすることで自分より下の存在がいるということで上に不満を持たないようにしたそうだ」
ラスティは壊れかけた椅子の上に腰を下ろした。自分が雑用をするとは思っていない態度だ。一葉は呆れて、ラスティにハリーの服をぶん投げてやった。
「何をする!」
「ちょっと、何さぼってんのよ、あんたも一緒に片付けなさいよ!」
「俺が?」
ラスティはぽかんとしてハリーの服を手に取る。
「うわー…。何その、ちょっと何言ってるかわかんない感。こういうのは、分担でやったほうがいいの」
「一葉、ラスティ様は…」
「いや、いい。一葉の言うとおりだな」
ブラッドを制して、ラスティは立ち上がった。
「必要なものとそうでないものを分ければいいんだな」
「そうそう。それでいいのよ」
「まったく。殿下にそんな態度をどうどうと取るのはおまえくらいなもんだよ」
ブラッドはため息を吐いた。こうして整理が始まった。一葉は制服を着てくるんじゃなかったとぼやいて、埃のついた眼鏡を拭いた。
家の中をあらかた片付けて、ハリーとラスティの荷物、ドナの荷物を持って4人は家を出る。
ジェフリーは近所の人たちに「しばらく家を空ける」と挨拶して回った。いぬくんは邪魔にならないように後からついてきた。精神病院へ行ってドナの荷物を届ける。面会をするかと医者に聞かれたが、ジェフリーは断った。今会うと決心が揺らぎそうだから、と言った。
ハリーを見舞うと起き上がれるようになり、明日にはもう普通に過ごしていいと医者から言われた。
その日はそうして時間が過ぎていき、ハリーを見舞ってからそれぞれの家へ帰った。
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まだしばらく続けます。