終わってしまった話
「はあ? 熱出したあ?」
一葉は呆れたように顔をひきつらせた。ラスティの部屋へ行ったら、セオドールが具合が悪いと聞いたので、様子を見に来たのだった。
「そうです。セオドール様は繊細なお方。昨日の一件で心も体もお疲れになったのでしょう」
ジョンはセオドールの部屋の前でおおげさにため息を吐いた。
「ひ弱なのねえ、皇太子さまって」
「ええ、そうです。ですからみんなで守ってあげなければならないのです。おかわいそうなセオドール様。あんな卑しい者どもに触れられ、どんなに恐ろしかったことか」
ジョンは身を震わせて言う。
「皮肉が通じないわ」一葉は横を向いてぼそりと言った。
「まあ、そういうことですので、セオドール様はもう市井には行きませんから。あなたたちで勝手になさってください」
「はいはい、そうですか」
「なんですか、その態度は。まったく、あなたは皇太子さまにたいして…」
まだしゃべっているジョンを無視して、一葉はいぬくんとバルコニーへ向かった。バルコニーがあるのはラスティのいる階なので、1階上にいるセオドールの部屋からは下になる。
階段を下りてバルコニーへ行くと、餌をくれる主がいないとわかっているのか、鳥は2、3羽しかいなかった。
一葉がバルコニーに出ると、鳥たちは警戒してその場から離れて行った。セオドール以外の人間には慣れていないのだろうし、いぬくんがいたせいかもしれない。ふと下を見ると、木々や花に彩られた庭が見える。
「へえ、ここから見る庭ってきれいなんだねえ」
「くるる」
バルコニーから庭が見えるつくりになっているのだ。今まではカモメに気を取られて、気づかなかった。じっくりと眺めると、庭師なのだろうか。年老いた男の姿が見える。木々を剪定しているようだ。
一葉はしばらくそれを見てから、思い出したようにラスティの部屋へ戻った。
ブライアンに字を教えてもらうのだ。すると、ブライアンは今日は仕事があってかまってやれないので、ラスティが剣の稽古をするので見に行ってはどうかと言われ、そうすることにした。
教えてもらったのは、軍人のいる宿舎の近くにある訓練所った。きょろきょろと周りを見ながらいぬくんを抱いてうろつく一葉は目立つのだろう。何か用かと一人の兵士に声をかけられた。
「あの…ラスティ…様がいるのはどこでしょう?」
「王子の侍女か? 最近来たのか?」
「そんなところです」
「だから知らないんだな。ほら、あそこの訓練所の外でスペンサー将軍と手合わせしているはずだ」
「そうなんだ。ありがとうございます」
一葉は剣の稽古や魔法の練習をしてる兵士たちをよそに、ラスティとクラークの姿を探した。かんかんと何かがぶつかる音がして、訓練所の外にまわると二人の姿が見えた。
「っ…」
声をかけようとして、一葉はためらった。クラークとラスティは木刀で真剣に剣を交えていたからだ。
ラスティが切りこんで、クラークがそれを木刀ではじく。負けずにもう一度剣を振るうと、今度は軽くかわされ、剣を叩き落された。
「くっ…」
「降参ですか?」
「まだだ!」
ラスティは剣を拾い上げて、再びクラークに立ち向かう。クラークは笑ってそれに打ちあう。身長差もあってか、ラスティはクラークにいいようにあしらわれていた。
「くそっ!」
「汚い言葉を使われてはなりません、殿下」
さんざん木刀でうちあった後に、ラスティは木刀を地面に突き刺した。息が上がって、ラスティは肩で息をしている。地面にどっかと腰を下ろした。
「はあ…。疲れたな」
「お疲れですね。飲み物をどうぞ」
クラークが台の上に置いていた水筒を取って、ラスティに渡す。自分の分も手に取って、一葉の姿をみつけて声をかける。
「一葉、見ていたのか」
「えっと…うん」
一葉はなんとなく気まずそうにうなずく。
「だったら、声をかければよかったのに」
「いや、なんか…。集中してるし、邪魔したら悪いかなって」
「変なところで遠慮深いんだな。いつもは図々しいくせに」
「ほっといて」
ラスティのツッコミに一葉はぷいとそっぽを向いた。
「でもクラークって強いんだね。ラスティ、全然相手にならないじゃん」
「そんなことはないよ」
「それこそ余計なお世話だ」
ラスティがむっとして唇を尖らせる。
「殿下は剣の稽古を始められてから、だいぶお強くなられた。確か、冒険者と魔物を倒したと言ってただろう。あのときも、強いと思わなかったか?」
「ああ…うん。まあ弱くはないと思った」
クラークに言われて、ジェフリーと魔物退治をラスティが競ったことを思い出す。
「微妙な言い回しだな」
「いや、えっと…強いんだと思う。クラークがさらに強すぎるだけで」
「当然だ。クラークはこの若さで将軍だぞ」
なんでそんなラスティが自慢げに言うんだか…と思ったが、一葉はとりあえず笑ってうなずいた。
「でもさ、王族って戦争で実際に戦うわけでもないんでしょ? なんで剣の稽古なんてするの?」
「馬鹿か、おまえは」ラスティが水筒の水を飲んで、やれやれとため息を吐く。「自分の身を守るためだ。王族は常に暗殺の危険がある。戦争の時も、総大将が剣を交えるときもあるし、戦争中であってもなくても常に準備を怠らないんだ」
「ああ、そういうことね。そういえば、王族って小さいころから毒を飲んで身体を毒に慣らすんだっけ?」
「そうだ。よく知っているな」
「なんかの小説に載ってた気がする。さらに臣下に毒見とかもさせるんだよね」
「そのとおりだ」
「ま、それが仕事なんだろうけど…。そういう役職には就きたくないわね」
一葉は両手をあげて肩をすくめた。
「大事な役割だ。さて、ラスティ様。そろそろ休憩を終わりますか?」
クラークは台の上に水筒を置く。
「そうだな。…おまえ、ブライアンに字を習うんじゃなかったか?」
「今日は忙しいから、こっち行けって言われたの」
「そういうことか。…ところで、ジェフリーのことだが」
「うん?」
「どうすれば、母親を医者に見せることができると思う?」
真剣なラスティに、一葉は腕組みして首をひねる。
「うーん…。どうしたらいいのかな。なんで嫌がるのかがわかんないんだよね」
「何かきっかけがあれば、受け入れるのかもしれませんね。こちらから話しやすい状況を作って、何が原因か、話してくれればいいのですが」
「そうだな。…クラーク、そろそろ休憩は終わりにしよう。再開だ」
「かしこまりました」
ラスティも水筒を置いて、木刀を手に取った。一葉はなんだか見ているのが面白くなって、いぬくんと一緒に終わるまで二人を眺めていた。
「こんにちは、グラハムさん」
ブラッドについて一葉とラスティがギルドへ行くと、ハリーとジェフリーがグラハムに挨拶していたところだった。
「ジェフリー、グラハムさん」
「こんにちは」
「おう、今日も来たのか。本当に仲良いんだな、ジェフリーと」
「…また来たんだな。俺は医者には」
「わかって。無理強いはしない。おまえの家族のことだからな」
「…なら、いい」
ジェフリーはぷいと顔をそらした。
今日もグラハムに教わりながら、カエルの魔物や猫くらいある大ネズミを狩ったりした。森の中でいぬくんと時折魔物退治して、狩りに加わった一葉が「休憩しようよ」とラスティとジェフリーに声をかけた。
「そうするか」
「確かにちょっと疲れたな」
ジェフリーは弓を置いて地面に座り、ラスティは近くにあった切り株に腰かけた。一葉は「半分貸して」とラスティの切り株の半分に座らせてもらった。
「昨日は押しかけて悪かったな」
ラスティが静かにそう言う。ジェフリーははっとして顔をあげ、「いや、俺も…」とばつが悪そうに下を向いて言った。
「ハリーは元気?」
「元気だよ。見ての通り」
ジェフリーの視線の先には、グラハムに剣の使い方を教わっているハリーがいる。ブラッドもそれにつきあっていた。そのとき、ばさばさとニワトリが飛んできた。ラスティの肩にとまり、ニールの声でこう言った。
「ニールより、ラスティ様へ。昨日のマフィンには、微量の洗剤が入っていたそうです。食中毒を起こすくらいの量だということでした」
「…そうか。わかった、とニールへ伝えてくれ。ラスティより」
ラスティは腰から下げた袋から、一握りの穀物をニワトリに食べさせてやった。ニワトリはコケーと鳴いて再びばさばさと空へ向かって飛んで行った。
「やっぱり納得いかないわ。ニワトリが空飛んでるの…」
一葉はニワトリが飛んでいくのを見送りながらかぶりを振った。
「それより殿下、今のは…」
ブラッドが一葉を押しのけてラスティに話しかける。
「ニールからの伝言だ。…ハリーに洗剤を食べさせようとしたんだな、おまえの母親は」
「だから、ラスティにあげようとしたのを叩き落して阻止したわけね」
一葉はまだ混乱しつつも、話にまざった。
この前、ジェフリーがハリーを井戸に突き落としたのは母親だと言ったのは、見ていたわけじゃないから半信半疑だった。けれど、今のニールの報告でそれは事実だと確定した。
「このままでいいの? 放っていたら、またやるんじゃない。あんたのおかあさん」
「………」
黙り込んだジェフリーに、一葉が畳みかける。
「何黙ってんのよ。これ以上ひどいことになると、ハリーがどうなるかわかんないよ。殺されるかもしれないじゃない」
「母さんはハリーを殺したりしない。俺がそんなことはさせない」
「そんなことわかんないでしょ!」
「よせ、一葉」
ラスティが一葉を制した。「それはジェフリーが決めることだ。事情があるんだろう」
「だって…」
「ジェフリー。俺の話を聞いてくれるか?」
「…なんだよ」
不満げな一葉を制して、ラスティは話を始める。
「俺の母親は貴族でもなんでもない城の侍女だった。それは知っているか?」
「ああ。レスタントじゃ有名な話だからな。それで皇太子の母親に追い出されたって聞いてる」
「母上はそんな方では…」言いかけて、ラスティは自嘲気味に笑う。「いや、実際はどうだったのかな。よくわからない」
「母上って、セオドールのおかあさん?」
「そうだ。俺を生んだ母親は、俺を置いてすぐに城を出たので俺は顔も知らない。ただ、代わりに母上が子に罪はない、と俺を本当の息子として育ててくれたんだ」
「そうなの? 意外とやさしいおかあさんね」
「…そうだ、と子供の頃は思っていた。俺は信じていたんだ。母上が俺にやさしいのは、俺を愛してくれているからだと。…でも、実際は違った」
「どう違ったんだよ?」
ジェフリーが聞くと、ラスティはぎゅっと手を組んで指先をみつめる。
「母上が俺にやさしいのは、兄上のためだ。お体の弱い兄上を皇太子として父上の後を継がせるため、丈夫な俺は邪魔だった。でも俺の生みの母親と同じように、父上の子である俺を追い出すことはできない。だから、逆に俺を兄上の絶対的な僕にすることにした。兄上のために、兄上の存在を絶対に脅かすような存在にはならないように」
「それって…」
「おまえが以前、言っていたことは当たってるよ。確かに、洗脳と言えばそうかもしれないな」
ラスティは一葉に視線を向ける。初めて会った日、確かに一葉はラスティに言ったことがあった。母親に洗脳されているのかと。
「母上は俺が兄上より目立つことを嫌い、注目を集めることを嫌がった。子供の頃はそれが当然だと思っていた。兄上が皇太子なんだから、俺は影の存在なのだと。…でも、それがおかしいと気づいたのは、エリザベスが俺を笑ったからだ」
「エリザベスって…」
「おまえの妹だろ。エリザベス姫って」
「そうだ」
ラスティはうなずいて続ける。
「エリザベスは父上の第二王妃の娘で、俺の母親違いの妹だ。だから、俺と半年しか年も違わない。その妹に、いつも兄上の機嫌取りばかりしている惨めな下賤の血を引く弟だと」
「やな妹ね」
一葉は苦い表情を浮かべる。
「そのとき、俺は自分がどういうふうに周りから見られているのか、初めて気づいた。小学へ行ってからはなおさらだ。俺は侍女の子供だから、貴族の息子たちから下に見られていた。最初はどうしたらいいかわからなかった。だから…」
「だから?」
「俺の陰口を言うやつらにつかみかかって取っ組み合いのけんかをした」
「わーお」
「やるな、おまえ」
一葉とジェフリーはさもありなん、といったふうにうなずいた。
「最初はおとなしくしてたんだが、どうにも我慢するのは性に合わないというか。まあ、そこから小学の友人とは仲良くなったところはあるし…。母上はそれが気に入らなかったみたいだが…友達をつくるなとは言えなかったみたいだ。でも彼女も、兄上と同じであまり身体が丈夫でなくてな。俺が小学に上がって少ししたころ、肺炎になって呆気なく鬼籍に入られた」
「きせき?」
「要するに死んだってこと」
「ああ」
一葉の説明にジェフリーは納得する。
「母上は最後、必ず国王になった兄上に仕えるようにと俺に言い遺された。別にそれに逆らうつもりはない。兄上が国王になって、俺がそれに仕える。それだけのことだ」
「あんな弱っちいのに、大丈夫かしらね」
「皇太子は病弱だって噂だもんな」
「それでも、王になられるのは兄上だ。兄上は幼い俺を守ってくれた。だから…俺は必ず兄上を守る」
強い決意をした目をするラスティに、一葉は何も言えなかった。青の賢者との契約は、ラスティには関係なことだ。しかし、一葉は自分の願いをかなえるために、ラスティを王にしなければならない。
「…正直、母上が俺を愛してくれていたのかは、わからないし、もう聞くこともできない。それでも、俺は母上と兄上を愛してると言える」
「………」
ジェフリーは黙ってラスティから顔をそらし、ブラッドやグラハムにかまってもらっている楽しそうなハリーをじっと見る。
「…俺とおまえとは、違うよ」独り言のようにジェフリーがつぶやく。
「そうだな。違う。だから、おまえの力になれればと思ってるよ」
「………」
「…じゃあ、また魔物狩りしようか。たぶんいぬくんが一番強いけどね」
沈黙を破って、一葉がいぬくんを抱き上げて立ち上がった。ラスティとジェフリーも立ち上がる。
結局、魔物狩りはいぬくんが一番退治数が多かった。




