親切なお兄さん
翌朝も侍女が持ってきた朝食を遠慮なく食べると、一葉は「クラークに会いたい」と言い出した。
「ご主人様にですか。まだお出かけになっていらっしゃらないはずですから、お会いできると思いますよ」
「どこにいるの?」
「今ならお部屋か、お庭でブラッド様と訓練されているか…」
侍女が窓のほうを見るので、一葉もつられて窓を見る。広い庭の奥のほうでクラークと誰かが向かい合っているのが見えた。
「外だね」
「外ですね。ご案内します。歩けますか?」
「うん。今日は大丈夫そう」
一葉はベッドから出て、力こぶを作って見せようとした。が、まったく筋肉は出なかった。
「では、着替えなさいますか?」
「そうだね。…って、手伝わなくていいよ」
一葉はシルクのネグリジェを脱いで、ブレザーの制服に着替えた。
侍女に案内されるままに一葉はいぬくんと部屋の外へ出る。
「うわあ…」一葉はその広さに圧倒された。「すごい廊下、奥まで長い…」
部屋数はいくつもあり、一葉の部屋は奥のほうにあった。廊下のところどころに花が花瓶に活けてあり、価値のありそうな絵も飾られていた。
「ここは本宅なので。ご主人様は別荘も持ってらして、そちらも広いらしいですよ。私は行ったことありませんけどね」
「ブルジョワめ…。お手伝いさんがいないと掃除できないレベルだな」
「お嬢様、今日はずいぶんお元気ですね。ケガ、一日でずいぶんよくなったみたいですね?」
「そういわれればそうだね。同化のせいかな?」
一葉はまだ包帯が巻かれたままの体をさすってみせる。
「はあ…?」
侍女は首をかしげてから、庭まで一葉を案内した。途中でほかの侍女や執事らしき人物と遭遇し、礼儀正しく挨拶してくれた。つられて一葉は見よう見まねであいさつを返した。
イギリス王室のような整った庭を思わせる池と花の並びを通り抜け、クラークと黒髪の大柄な男がいる平らな地面が続く場所へ一葉と侍女はやってきた。
男とクラークは木製の剣を振るっていた。木がぶつかる音が響く。男の攻撃をクラークが剣でかわし、クラークの剣を男がはねる。まるで舞を見ているようだ、と一葉はぼんやりと思った。二人は一葉と侍女に気づいたのか、離れて剣を下ろした。
「…ここまでにしようか」
「だな。で、そいつらなんだ?」
男がいぬくんを連れた一葉と侍女に視線を向ける。クラークは汗をタオルで拭いてから、木の剣を置いて二人に歩み寄った。
「どうした? もう歩けるようになったのか?」
「うん。私、やっぱり王様に会わせてほしいんだけど…」
「おまえが? 国王陛下に?」
男もタオルで汗を拭きながら3人に歩み寄る。一葉は男を見上げて、異世界はイケメンばかりでもないんだな、と個人的な見解を持った。
「なんで陛下に会いたいんだ?」
「私、異世界から来た超獣使いで…」
「はは、また一葉のお伽話が始まった」
クラークはなだめるように一葉の頭をぽんぽんと撫でた。
「この子は一葉という変わった名前の子だ。三日ほど前に雷が落ちた時、うちの林の中にケガだらけでいた子でね。どうもこの子は異世界から来たと言いたいらしい」
「ああ、そういう痛い系のやつか」
ブラッドは哀れんだ目つきで一葉を見下ろす。黒髪の彼はクラークよりも背が高かった。
「痛い系とは失礼な! 私は本当に…」
「そう言うな、ブラッド。この子は本当にそう思ってるらしい」
今度はクラークはブラッドと呼ばれた男の肩をたたいた。
「思ってるんじゃない! 私は異世界から来た女子高生なんだってば!」
「おまえ、馬鹿か? つか、ジョシコウセイってなんだ?」
「……!」
どん、と一葉はブラッドのすねを蹴飛ばした。
「いてえ! 何すんだ、てめえ!」
「もういいよ! 何言ったってあんたたちは信じないんだから! 自分でなんとかするよ!」
「なんとか…って、どうするんだ?」
「うっ…。そ、それは…」クラークの突っ込みに、一葉は一瞬詰まったが「なんとかするものはなんとかするよ!」と言い捨てて走り出した。走り出したところで振り返って「でもクラークにはお世話になったから、この恩はそのうち返すよ! じゃあね!」と言って今度こそ走って去って行った。
「くるる」
放り出されたいぬくんは、急いで走って一葉の後を追った。
「なんなんだ? あいつ…」
ブラッドは首をひねりながら、一葉が去っていくのを見届けた。
「一葉という変わった名前の…異世界から来たらしい」
「それはもういいって。なんであんなの拾ったんだ?」
「お嬢さん、大丈夫ですかねえ…」
侍女が心配そうに言うので、クラークは苦笑しながらブラッドに視線を投げかける。
「頼んでいいか?」
「…まあ。クラークがそう言うなら」ブラッドは肩をすくめてうなずいた。
「シアンのもとへ連れて行ってくれればいい」
「ああ、そうだな。シアンならなんとかしてくれんだろ。セシリアもいるからな」
「そう。セシリアによろしく言ってくれ」
意味ありげに微笑まれ、ブラッドは「言っとくよ」とぶっきらぼうに言って歩き出した。クラークは木製の剣を二つ持って「戻るか」と侍女に声をかける。
「ご主人様、それは私が片付けておきます。そろそろお出かけの時間でしょう?」
「ありがとう。そうだな。そろそろ時間だ」
クラークは剣を侍女に預けると、自分の髪を撫でて出迎えに来た初老の執事に声をかけた。
「お時間です」
「ああ、行く」
執事はうなずいて、門の近くまで来た馬車の御者に合図した。
「クラーク様。どうぞ」
御者は馬車の戸を開けてクラークが乗るのを確認すると、自分も御者席に乗った。
「後は頼む」クラークは執事にいつもの言葉をかけた。
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ、ご主人様」
執事は走り出した馬車が見えなくなるまで、頭を下げていた。
「うーむ。あのでっかい屋敷から離れたら、こんな街並みがあるとはねえ」
「くるる」
いぬくんを胸に抱えながら、一葉はきょろきょろと街を見渡す。森を抜けて大きな壁の通り道を通り抜けて建物のあるほうへいぬくんが走って行ったので、それを追いかけてきたのだ。街にはさまざまな店が並んでいる。肉屋や魚屋、果物や野菜を売る店、花屋や服屋や、一葉にはこの世界の文字が読めないのでわからないが、おそらく宿屋らしき建物と思われるものもある。人も多くにぎやかだ。鎧を着て剣を持っている人や杖を持っている人もいる。おそらく戦士と魔法使いだろう。
街を覆うように高い壁もあった。城壁だろうか。昔のヨーロッパの街づくりは、こんなふうに壁があった気がするなと一葉は思った。
「いろんな人種の人がいるんだねえ…。白人から黄色人種から黒人もいるよ。しゃべってる人の言葉もわかるし、うちの世界とあんま変わらないねえ。髪の色はすごい派手だけど。着てる服とかはアニメや漫画で見る異世界ファンタージのと似てるね」
「くるるー」
胸に抱えたいぬくんに話しかけながら、一葉は物珍し気に歩く。
「お嬢ちゃん、おいしいアイスクリームはどうかな? おいしいよ!」
アイスクリームを売る若い男に声をかけられ、一葉思わず足を止める。
「え、アイスクリーム? 食べたい!」
「さあ、ここにあるアイスクリームから選び放題だよ。何がいいかな?」
男は店の前に置いた10種類あるアイスクリームを指してみせる。色とりどりのアイスクリームから一葉はピンク色を指さした。
「えーっとね、これってイチゴ? じゃあ、それ」
「毎度ありー」
男はアイスクリームを紙カップに盛って木のスプーンを一葉に差し出す。一葉はいぬくんを下におろしてアイスクリームを受け取った。
「ありがとう。こっちの世界にもアイスクリームあってよかったあ…」
「お代は二百ジョゼだよ」
「へ?」
一葉はアイスクリームを食べようとする手を止めた。男は手を伸ばしてくる。
「お代?」
「二百ジョゼ」
「えっと…異世界特典で、おごってくれるなんてことは…」
「なんだって? 誰がおこるって?」
「………」
「………」
男と一葉はにっこりと笑いあった。しばらくの沈黙の後、一葉は笑顔を崩さないで正直に話す。
「すいません、私、この世界のお金って持ってなくて…」
「はあ?」
一葉がアイスクリームを手に苦い笑いを浮かべると、男の表情が変わった。
「お嬢ちゃん、まさか、食い逃げするつもりかい…?」
「いや、そ、ぎゃあ!」
一葉の頭にいきなり頭に激痛が走った。
「食い逃げとは、いい度胸だな?」
「いたた、え、あなたは…」頭を押えながら後ろを振り向くと、ブラッドがあきれ顔で右手をあげたまま一葉を見下ろしている。どうやら手刀を頭に落とされたらしかった。
「さっきのはげそうな髪型の人…」
「誰がはげそうな髪型だ! ったく、口の減らないガキだな」
ブラッドは前髪からすべての髪を後ろに一本で束ねて結っている。不満に思いながらも、ブラッドは腰から下げた袋に入った財布からお金を出した。
「二百ジョゼだな」
「ああ、そうですけど…払ってもらえるんですか?」
「こいつのこと頼まれたんでな」
ブラッドから代金を受け取り、アイスクリーム屋はおとなしく引きだがった。
「ありがとう…。おにいさん、いい人だね。はげそうな髪型してるけど」
「うっさい。もう一度たたくぞ。俺はブラッドだ」
露骨に不満げな顔をしながらも、ブラッドは一葉に指で道を指した。
「行くぞ」
「え? どこに行くの?」
歩き始めたブラッドに、一葉もアイスクリームを食べながらついていく。いぬくんもてくてくと歩き出す。
「おまえ、異世界がどうのとか言って、行くあてもないんだろう?」
「えー…まあ、そうかな」
アイスクリームのチョコを食べながら、一葉は曖昧に返事をする。
「おまえを教会へ連れて行ってやる。そこで働かせてもらいながら、自分の食い扶持を稼ぐといい」
「えーっと…それはつまり、教会で私を養ってくれるということ?」
「ただで置いとくわけないだろう。だから、働けと言ってるんだ」
「ほほう…」一葉は木のスプーンを口にくわえながら、一人で納得した。「働かざる者食うべからず、だね。なるほど」
「そのとおりだ。おまえ、いい言葉を知っているな」
「私の世界のことわざだよ」
「はいはい」
「ちょっと、まだ信じてないんでしょ! 私は本当異世界から来た…」
「わかったわかった」
ブラッドはぐしゃぐしゃと一葉の髪をつかむように撫でた。もうしゃべるなと言いたいらしい。一葉はむくれて「もういいよ」と言うと、黙ってアイスクリームを食べた。
しばらく歩き続けてアイスクリームが無くなって一葉は口を開いた。
「ねえ、まだ? 教会ってどこにあるの?」
「見えるだろ? あの建物だ」
ブラッドが手を指した建物は、三角の屋根に大きな窓がいくつもある。キリスト教の教会に似ていたが、十字架ではなく丸い輪の中に五芒星が入ったものが屋根の上に飾られていた。
「へえ…あれだ。ちなみに、この教会の宗教って、なんていう名前?」
「宗教に名前? そんなもの、あるわけないだろう。女神は女神だ。それ以外に名前はない」
「…女神教、かな?」
「名前をつけるならそうだな」
「ふむふむ」一人でうなずいている一葉をよそに、ブラッドは「入るぞ」と言って両開きの教会の茶色い扉を開いた。中はやはりキリスト教の教会に似ていた。信徒が神父の話を聞くためであろう長椅子がいくつも並んでいて、中央は通路になっている。奥には女神に見える彫刻が柔らかに微笑んで、両手を差し出していた。
「あれがここで崇拝してる女神様?」
「そうだ。おまえ、そんなことも知らないのか? どこの田舎から出てきたんだ?」
「だから、私は異世界から…」
「あら、ブラッド。いらっしゃい」
唐突に女性の声が聞こえて振り向くと、そこにはふわりとウェーブのかかった長い金髪を後ろで束ねた美しい女性がモップを持ってこちらへ歩いてくるところだった。
「セシリア!」
ブラッドは一目散にセシリアのもとへ駆け寄った。一葉と話しているときとは一変して、明らかにものすごい笑顔を浮かべている。
「おはよう。今日もお祈りに来てくれたの?」
「おはよう! もちろんだよ、やっぱり一日に一回は教会に来ないと気分が落ち着かなくてさ!」
「ふふふ。嬉しいわ。ぜひお祈りしていって。シアンも呼んできましょうか?」
「いやいや、いいよ。セシリアさえいてくれればいいんだ」
「そう? でも、私これから礼拝堂の掃除をしなきゃいけないの。中で待っていてくれるかしら」
「セシリアがそういうなら、待ってるよ」
ブラッドはすたすたと教会の奥の扉のほうへ歩き出した。
「ちょっとちょっとちょっと!」
ブラッドとセシリアの間に、一葉は割って入った。
「あ? ああ、おまえ…」
「あんた、今完全に私の存在忘れたよね?」
「いや、そんなことは…」
一葉ににらみつけられ、ブラッドは視線を泳がせた。
「あら、あなたもお祈りに来てくれたの?」
セシリアは笑顔で一葉のほうを見る。それで一葉の頭や足に巻かれた包帯に気づいて、「どうしたの? ケガしてるの?」と驚きの声をあげた。
「ああ、これ…。まあ、たいしたことないんだけど」
一葉は片手をあげてひらひらと振って見せた。
「クラークの敷地の林に雷と一緒に落ちてきて、異世界から来たとかいう痛い娘らしいんだ」
「誰が痛い娘だ! 本当のことだってば!」
ブラッドの説明に一葉は食ってかかったが、セシリアは「そうなの」とほほ笑んでいる。
「それで悪いんだが、この娘をここに置いてもらえないか? 女神さまも知らない田舎から出てきたらしいんだが、異教徒でも確か寝泊まりさせてくれたよな?」
「もちろんよ。私たちはどんな信仰を持っている人でも受け入れるわ」
セシリアは一葉の手をそっと取って、安心させるように微笑んだ。
「私はセシリアよ。この教会の修道女で、教会自体はシアンという司祭が取り仕切っているの。とてもやさしい人よ。彼に言えば、すぐあなたのことを受け入れてくれるわ。ほかの修道女たちもこの教会の奥にある施設で暮らしているの。さまざまな事情があって、ここで暮らしている人もたくさんいるから大丈夫よ」
「はあ…どうも。あ、私、一葉です」
一葉はセシリアを見て、修道女にしておくには、惜しい美人だなとぼんやり思った。格好もキリスト教の修道女のような頭から全身を覆った服装ではなく、この世界の住人たちが着ているものと変わらない露出の高い服だ。彼女はプロポーションも抜群なのがそれでよくわかる。胸元に輪の中に五芒星のある首飾りをかけている。
「ようこそ、一葉。こちらへどうぞ。みんなに紹介するわ」
「えーっと…」
一葉がちらりとブラッドのほうを見ると、「遠慮するな」と言われたので、モップを壁に立てかけて手招きするセシリアについていくことにした。