施しと拒絶と
子供たちにせがまれ、どうしようかと一葉が思案していると、「みんな、おやつよ」とドナがバスケットを持ってやってきた。
「ジェフリーのおかあさんだ!」
「おやつくれるの?」
子供たちは嬉しそうに彼女のそばによった。
「…母さん」
ジェフリーが一瞬、表情を硬くした。ドナはやさしく微笑んで、子供たちにバスケットからマフィンを渡す。
「昨日、ミッキーのおかあさんから小麦粉をもらったから少しだけ、みんなにもね」
「ありがとう、おばさん」
「ありがとう」
「ごちそうさま」
「どういたいしまして。ハリーにはこれよ」
「ありがとう、おかあさん」
ドナはハリーにマフィンを渡して、次にジェフリーにもマフィンを渡した。
「はい、ジェフリー」
「…ありがとう、母さん」
「いいのよ。あら、でもあなたたちの分を作ってこなかったわ」
一葉たちを見て、ドナが困ったように顔に手をあてる。いつもいる子供たちの分しか作らなかったのだろう。
「私たちは大丈夫です」
一葉は遠慮してそう言った。
「これ、半分あげる」
ハリーがマフィンを半分にちぎって、ラスティに差し出す。
「いいのか?」
「うん。いいよ」
「----だめよ!」
ドナが突然叫んで、ハリーがラスティに渡そうとしたマフィンを叩き落とした。
「あっ…」
「おかあさん…?」
ハリーが怪訝そうに母親を見上げる。ドナは強張った表情をしていた。
「…ハリー。そのマフィン、俺のと交換しよう」
ジェフリーが自分のマフィンをハリーに差し出す。
「だめだって言ってるでしょう!」
ジェフリーがハリーの半分にしたマフィンに手を伸ばすと、ドナはそれも叩き落として、地面に落ちたマフィンをぐしゃりと踏みつけた。
「母さん…」
「これは、ハリーの分だから人にあげちゃだめなのよ。地面に落ちたものにも触っちゃだめ。わかったわね、ハリー」
「…うん」
戸惑いながら、ハリーはドナの言葉にうなずく。
「でも、もうマフィンはなくなっちゃったわね。ハリーはお兄ちゃんから分けてもらうといいわ」
「…わかった」
ドナは子供たちが奇妙なものを見る目つきで彼女を凝視していることは気にしないようで、さっさと家へ戻って行った。
「…なんなの?」一葉がじっとドナがいなくなった方向を見ていた。子供たちはマフィンを食べ始めている。
「…ニール」
「はい」
「この地面に落ちたマフィン、調べてくれないか」
ラスティはドナが叩き落したマフィンを指す。
「承知しました」
ニールはハンカチを懐から取り出して、地面に落ちたマフィンを包んで腰から下げている袋に入れた。
「おい…」
ジェフリーが戸惑ったように声をかける。
「わかってるんだろう? おまえ。何かこれに入っているんだって」
ジェフリーは答えずに黙り込んだ。
「だから、おまえの母親は俺が食べるのをあんなに拒否したんだ」
「…わかってる」
ジェフリーはふうっと息を吐いた。
「兄ちゃん…」
不安げにジェフリーを見上げるハリーの頭をジェフリーが撫でて、自分のマフィンを半分にして弟に分けた。
そして自分が食べて大丈夫だとわかると、「食べていいよ」と笑った。ハリーがぱくぱくとそれを食べるのを、ジェフリーは微笑んでみている。
「この前は、母親がハリーを井戸に落としたと言ってたな。家の中では大丈夫なのか?」
「人が見ているところのほうが、他人の同情を引きやすいだろ。家の中は意外と安全なんだ」
「そう…なのか」
「俺がハリーを守る。母さんのことは見張ってるから大丈夫だ」
マフィンを食べ終えて、「喉乾いた」と子供たちが言い始めた。
「よし、井戸へ行って水を飲もうか。おまえらも来いよ」
「うん…。ていうか、井戸の水ってそのまま飲んで大丈夫なの? この前、ハリーが落ちたよね?」
「井戸には水の精霊がいるから常に清浄に保たれているんだ」
「そういうものなんだ?」
わかったようなわからないような返答に一葉はとりあえずうなずいた。
一葉たちは井戸に行って、共用だというコップで水を飲んだ。水はまろやかでおいしかった。水道の水とはまた別のようだ。
それからまたいぬくんをつかまえる遊びをして、日が暮れると子供たちはそれぞれの家へ帰って行った。
「おまえらももう帰れよ」
「わかった。…また、明日な」
「ああ、明日は冒険者ギルドに。グラハムさんが来ていいって言ってくれたから」
「わかった」
「またねー」
「失礼する」
3人は貧民街を後にして教会へ向かう。一葉はいぬくんを抱きながら、しばらく考えていて、それはラスティも同様だったようだ。
3人は無言で歩き、教会へたどりついてから、一葉はぽつりとつぶやいた。
「あのね。ちょっと考えてたんだけど、ジェフリーのお母さんて精神病とは違うのかな。テレビで昔やってたの見たんだよ」
「は? なんですか?」
「なんだ、それは?」
ニールとラスティが同時に一葉に聞く。
「私は専門家じゃないからはっきりしたことは言えないし、こっちの世界ではなんていうのかわからないけど、私の世界ではそういう精神疾患があるの。自分が痛い思いをしないで、自分の子どもなんかをひどい目に遭わせて、周りの関心を引いて満足を得ようとする病気だったはず。これってジェフリーたちのおかあさんの行動と似てない?」
「子供に対する虐待は確かに、精神疾患の一部とは言われていますね」ニールがうなずく。
「ねえ、シアンに言って街のお医者さんに見てもらえないかな。精神科とか、この世界にはそういう病院はないの?」
「あるにはありますけど、数は多くないですね。でも、司祭さまならいい医者を知っているかもしれません。聞いてみましょう。よろしいですか? 殿下」
「…そうだな」
ニールの問いにラスティはうなずいた。3人は教会へ行き、シアンに事情を説明して医者を紹介してもらった。
「なるほどね。それなら俺も一緒に行くよ。案内するから、ちょっと待ってて」
シアンはすぐさま精神科を案内してくれた。4人は精神科の医者の所へ行き、シアンがさきほど聞いた話をすると、老いた男性の医者は快諾してすぐに診てくれると言った。ちなみに白衣は着ていなかった。こちらの世界では、医者は灰色の動きやすい服装をしているようだった。
「そういうことでしたら、すぐに行きましょう」
4人と一匹と精神科医は壁を越えてジェフリーの家の前までやってきた。
「こんばんは」
シアンがジェフリーのくたびれた家のドアをノックすると、「どちらさん?」とジェフリーが中から聞いてきた。
「教会の司祭のシアンだけど。開けてくれるかな?」
「司祭さま? なんでうちに…」
ジェフリーがドアを開けると、外に大勢いるのにぎょっとして開いたドアを閉じかけた。
「待って待って」一葉が急いでドアをつかむ。
「なんなんだ? よってたかって、何しに来た?」
ジェフリーが警戒して5人を見る。ラスティが片手をあげた。
「驚かせるつもりはなかったんだ。シアンから、精神科の医者を紹介してもらったから、おまえの母親を診てもらおうと…」
「精神科?」
ジェフリーが肩眉をあげて、医者を見る。医者はやさしく微笑んだ。
「はじめまして。私は…」
「…帰れ」
ジェフリーは低い声で、はっきりと言った。
「待ってくれ、ジェフリー。おまえの母親は」
「うるせえな! おまえの自己満足の施しなんか、まっぴらなんだよ! 帰れ!」
「ちょっと、ジェフリー!」
「医者なんかと関わってたまるか! いいから帰れよ!」
ジェフリーはぼろぼろの扉を勢いよく閉めて、中から鍵をかけた。一葉はそれを遠慮なくどんどんとたたく。
「なんでよ、ちょっと診てもらうくらいいいじゃないの! あんた、ハリーとおかあさんがこのままでいいの!?」
「ジェフリー、頼む! 開けてくれ!」
「うるせえ! さっさと帰れ!」
ジェフリーが家の中から叫んだ。
「母親を助けたくないのか?」
「壁の向こうにいる奴らの同情なんかいらねえんだよ! そんな金がどこにあるんだ!」
「く、こうなったらいぬくんに扉を燃やしてもらって…」
「やめろ。人が住む家を壊すな」
ラスティが冷静に一葉を制止した。
ぼろぼろでも扉は壊れることもなく、それ以上外から何を言っても、ジェフリーたちの一家が一葉たちを入れてくれることはなかった。
仕方なく、その日は帰ることになった。道すがら、「心配だね」とシアンはジェフリーたちを案じていた。
「何かあれば、いつでも診察に行きますし、来てもらっても大丈夫ですから」
医者はそう言って、診療所へ戻った。一葉たちも教会へ戻り、馬に乗って帰路に着いた。
「…ラスティ」
「なんだ?」
一葉はニールと馬に乗りながら、一人無言で馬に乗り続けるラスティに声をかける。
「なんで、ジェフリーはお医者さんにおかあさんを見せるの嫌がるんだろうね」
「そこがわかりませんね。あの状態なら、医者に見せたほうがいいと思うのですが」ニールが同意する。
「俺もそれは考えていた。…俺のやっていることは、施しだろうか?」
後ろを振り返らずにラスティがぽつりと言う。
「さあ…。ジェフリーがそう思うのならそうかもしれないし、ラスティがそう思わないならそうじゃないかもしれない。わかんないな」
「…そうだな」
「でも、ラスティが何かできることをしたいって思ってるのは、私は知ってる。だから、いいんじゃない?」
「…そうか」
「目の前にいる人誰も彼もを助けようとするのは施しかもしれないけど」
「それは教会の仕事ですよ。我々ができるのは、できることをできる範囲でやることでしょう」
ニールの言葉にラスティは「そうだな」と言った。
一葉が家へ帰ると、クラークが帰っていた。いつもどおり食事時にクラークに今日会ったことを話した。
「…でね、ジェフリーのおかあさんをお医者さんに見せるにはどうしたらいいと思う?」
「そうだな…」食後のお茶を飲みながら、クラークは思案する。「そもそもジェフリーは何故母親を医者にみせたがないんだろうな」
「わかんない」
「何か、そのあたりに事情があるんじゃないのか」
「事情? どんな?」
「それは私にもわからない」クラークは苦笑してワインを飲み干した。「だが、気になるな…。その事情がなんなのかは」
「うん。明日会ったら、ラスティが聞いてみるって」
「ラスティ様なら、大丈夫だろう」
「にしても、ラスティとセオドールって全然違うよね。あの女の子のことも触ろうとしたら振り払うとかさあ」
「彼は身体が弱いし、本当に金でできた籠の中で皇太子として育てられたようなものだからな。自分が受け入れたいと思ったものしか受けれいられないんだ」
「ふうん…。でも、なんかやなやつ」
一葉はむくれてデザートのシャーベットを食べた。そして独り言ちる。
「たまには和食が食べたいな…」
「わしょく?」
「あ、ううん。なんでもない。ここんちの食事はおいしいよ」そう言って、一葉は紅茶を飲んだ。




