振り払われた手
「…というわけで、よろしく。クラーク」
「何故そういうことになったんだ」
一葉とラスティとセオドールと国王の玉座の間から出てきたのを確認して、クラークは額を押えた。クラークはいきなり国王から玉座へ来るよう呼び出されたのだった。
「だって、セオドールも行きたいって言うから」
「まさか父上が許可してくださるとは思わなかったな」
ラスティが予想外のことにため息を吐く。
「殿下、お気をつけくださいね」
「わかってる」
心配するブライアンにラスティは軽く答える。
「僕も驚いたよ」セオドールがぎこちなく微笑んだ。
ラスティがセオドールに国王の許可を得なければ、といったところすぐにセオドールが国王への拝謁を求めた。それはすぐに許可されてセオドールは市井へいけることになった。もちろん、護衛付きで。
「セオドール様、いかがでした?」
侍従のジョンがセオドールに尋ねる。
「父上は許してくださったよ。僕も市井へ出ていいって」
「なんてこと…」
ジョンはおおげさによろめいた。
「ただでさえお身体の弱いセオドール様が市井へ出向くなんて、何かあっては大変です。大事なお身体なんですから」
ジョンはまくし立ててしゃべり、クラークに振り向いた。
「皇太子さまが市井に出られるのです。それなりの警護をしてくださいね、将軍」
「それは…」
クラークが答えようとすると、セオドールが遮った。
「そんなことはいいよ、ジョン。ラスティだって護衛は一人なんだ。それに超獣使いの彼女もいるし、一人くらいで十分…」
「とんでもございません!」
ジョンはぶるぶると震えた。
「皇太子殿下に何かあっては、一大事。もちろん、私も一緒に行きますから。いいですね?」
「この人、いつもこうなの?」
「ジョンは兄上の侍従として生きることがすべてだ。兄上を守ることが生きがいなんだ」
一葉とラスティは小声で会話する。
「でも、あんたんとこのブライアンはそうでもないじゃない」
「兄上は皇太子だし、ジョンの一族はずっと皇太子の侍従を務めてきた。それが誇りなんだ」
「そういうこと…」
一葉は妙に納得して一人うなずいた。
「では、護衛をいかほどつけましょうか?」
クラークがにこやかにジョンに確認する。
「そうですね、殿下には5名ほど。私にも護衛は必要ですから…」
「本当にやめてくれないか」
セオドールがうんざりしたように言う。
「そんなに護衛はいらない。自分の国を歩くんだ。ジョンも僕についてきたいなら、護衛はつけないでくれないか。そうでなければ、ジョンと一緒には歩けない」
「そ、そんなっ…!」ジョンはよろめいた。「ああ…セオドール様がそんなことをおっしゃるなんて…! 私がセオドール様のおそばを離れるなんて、できるわけがないでしょう!」
「面倒くさい人だなあ」
「本人はいたって真面目なんだ」
一葉とラスティはひそひそと話をしながらその様子を見守る。
「僕についてきたいなら、僕の出した条件を飲むんだ。そうでなければ、僕は護衛なしで外へ出るよ」
「なんてことをおっしゃるのです! …ジョンは殿下のおそばを離れません」
「じゃあ、僕の条件を飲むんだね」
「…皇太子殿下のご意向であれば」
ジョンは深いため息を吐いた。
「結構意思が強いのね、セオドールって」
「兄上はジョンには強気なんだ。小さいころからずっと一緒だからな」
「そこの二人。聞こえていますよ、さっきから」
ジョンは一葉とラスティをきっとにらんだ。
「ラスティ様はいつもそうですね。殿下に悪い影響ばかり与えられる」
「そんなつもりは…」
「そいつが勝手に来たいって言ったんじゃん。矛先をこっちに向けないでよ」
一葉がラスティをかばうように間に入る。
「セオドール様に、そいつとはなんですか!」
「そうだ、兄上に無礼だぞ!」
「うへあ」
一葉は辟易して舌を出した。
「藪蛇だったな」
「ですが、殿下…」クラークがおさめようとすると、セオドールはかぶりを振った。
「護衛は一人でいいよ。大勢ついてこられたら、皇太子だってわかってしまうだろう。僕は普通の貴族として街の中を見たいんだ」
「貴族として…ね」一葉はセオドールの恰好を見た。「そんな金持ちだってわかる服装で着たら、貧民街でかっこうの餌食だと思うんだけど」
セオドールは自分のマントや宝飾品を見に付けた格好を見て、「ではどんなものを着れば?」と一葉に尋ねる。
「ま、シンプルなのが一番だよね」
「セオドール様までいらっしゃるとは」
ブラッドはラスティよりも緊張気味にセオドールを迎えた。セオドールは一葉に言われた通り、シンプルにシャツにマントを羽織っただけの服装にした。ジョンは最後まで皇太子らしくないと文句を言っていたが、セオドールが目立ちたくないと説得して、しぶしぶ折れた。
ブラッドに乗せてもらった一葉以外はそれぞれ馬に乗り、街中へ向かう。ブラッドの隊の副隊長のニールがラスティを護衛し、ブラッドがセオドールの護衛となった。ジョンは自分の護衛がつかないことが不満だったようだが、一葉が守ってやるとか適当に言ったのを真に受けて、それならと一応納得してセオドールに同行した。
「ごめんね、ブラッド。本当は君は僕よりもラスティの護衛をしたいよね」セオドールが申し訳なさそうに言う。
「いえ、そんなことはありません」
「そうですよ。皇太子さまの護衛ができることのほうがよほど名誉です」ジョンは鼻息も荒く言う。
「セオドール様は貴族街以外にはいかれたことがないでしょう。よく決心されましたね」
ニールが感心したように言った。
「ラスティが国民の暮らしを見るなら、僕もそうしようかと思って。これでも一応、皇太子だし」
「さすがです、セオドール様」
「さすがです、兄上」
ジョンとラスティは同時にうなずいた。さすがっていうほどのものか、と一葉は思ったがうるさそうなのが二人いるので黙っていた。
「教会へ馬を置いて、そこからは歩きます。ジェフリーの家まで歩くことになりますが、大丈夫ですか?」ブラッドはセオドールに振り返りながら言う。
「距離があるの?」
「さほどの距離ではありませんが、セオドール様は歩き慣れていらっしゃらないかと」
「僕だって、そんなにひ弱じゃないよ。大した距離じゃないなら大丈夫」セオドールは微笑んだ。
教会へ馬を置いて、一行はぞろぞろと貧民街のほうへ向かう。
「やはり貴族の住んでいるところとは違うね」
街の様子をきょろきょろとセオドールは見ていたが、それはあまり見たことのないものへの興味だったようだ。
「そうですね。品がよいとは言えない風情です」
ジョンが見下すように言う。
「商店も外に出ているんだね」
「平民風情はそれくらいがいいのでしょう。着ているものもずいぶんみすぼら…いえ、動きやすそうですね」
セオドールとジョンの会話に、一葉は「気分悪…」と聞こえないようにつぶやいた。
壁を隔てた貧民街に入ると、セオドールとジョンは驚愕の表情を浮かべた。
「ここが…」セオドールは言葉を無くしたようだった。
「なんとも、汚らしい」ジョンは顔をしかめた。
二人は周りの様子を見て、足を止める。中流層の住まいと違い、家はみすぼらしく壊れているレンガ造りのものが並び、布を乗せただけの屋根の家もある。並び商店もくだびれていて、品ぞろえも悪い。街にいる人々も疲れた表情で、上等とは言えない服を着ている。
「何言ってんのよ。ここで暮らしてる人、いっぱいいるのよ」
一葉がむっとしてジョンとセオドールをにらむと、「無礼な」とラスティがたしなめた。「兄上は貧民街へ出たことがないんだから、仕方ないだろう」
「そんなのあんたも一緒でしょ」
「行けそうですか?」
ブラッドがセオドールを気遣う。
「…大丈夫。行くよ」
「無理はなさらないでください」
ジョンはセオドールに寄り添って歩く。それに4人も続いた。いぬくんはとてとてと一葉についてくる。周りの様子に、セオドールとジョンはただただ顔を歪めていた。
「あれ、この間の…」
通りにいたミッキーがこちらに気づいて、声をかけてきた。
「大人数だな、今日は。ジェフリーに会いに来たのか?」
「えっと、君はミッキーだっけ?」
「そう、そっちは…」
「今日はお忍びなんだ」
ラスティがそう言うと、まだ幼いミッキーは心得たようにうなずいた。
「ジェフリーなら、向こうの通りにいるよ。案内しようか」
「頼む」
一行はぞろぞろと街のとおりを歩く。住人たちは遠巻きに好意的とは思えない視線を彼らに向けていた。すると、少し開けた場所に出てハリーが落ちた井戸のある所へ出た。そこには、年のばらばらな子供たちが集まって遊んでいた。
「ジェフリー」
「おお、来たのか…って、なんかずいぶん人が増えたな」
大人数で来たラスティたちに驚く。ジェフリーは子供たちの面倒を見ていたようだ。そういえば、初めて会った日も子供たちと一緒だったな、と一葉は思った。
「兄上が俺と一緒に視察されたいとおっしゃってな」
「はっ。貴族の道楽かよ」ジェフリーが吐き捨てたように言うと、ジョンがじろりとジェフリーをにらんだ。
「なんです? この無礼な子供は」
「ジョン殿、子供の言うことです。落ち着いてください」
ニールがなだめた。
「みんな一緒に遊ぶの?」
子供たちがラスティたちの周りに集まってきた。物珍し気に一行を見ている。
「ああ、いいぞ。何する?」
ラスティが微笑んだ。
「えっとね、えっとね、鬼ごっこ!」
「かくれんぼがいいよ!」
周りがはしゃぐ中、一人の少女がじっとセオドールをみつめていた。
そして、「きれい」と言ってセオドールに手を伸ばす。
「汚い!」
セオドールはその手を振り払った。その瞬間、少女は凍り付いたようにセオドールを凝視した。
「うう、うっ…」
「なんだよ、汚いって!」
ジェフリーが怒鳴った。セオドールはおびえた目で彼を見る。
「うわああああん!」
ジェフリーは少女の頭を撫でる。少女はぐすぐすと泣いているが、セオドールは何も言わず立ち尽くしていた。
「大丈夫ですか、セオドール様」
「………帰る」
ジョンに尋ねられ、我に返ったようにセオドールはそう言うとすたすたと歩きだした。ジョンもブラッドは慌ててそれを追う。
「セオドール様…。ニール、後は頼んだ」
「かしこまりました」
振り向きざまにニールに言い残し、ブラッドはセオドールについていった。ニールはうなずいて、「私は残りますから」と言った。
「その…悪かった」
ラスティはしゃがんでまだ泣いている少女の肩に手を置く。少女はしゃくりあげながら、ラスティを見上げた。
「どうして、あのひと、おこったの?」
「怒ったんじゃないんだ、その…びっくりしたんだ。人と触れ合うのを。あまり、外へ出ない人だから」
「おまえが謝ることじゃないだろ」ジェフリーがやれやれと両手をあげた。「ああいうのが貴族の反応だろ。おまえらが変わってるんだよ」
「私は貴族じゃないよ」
一葉はジェフリーの視線を受けて答える。
「ラスティが変わってるんだ」
「俺は別に…」
「褒められているんですよ、殿下」ニールがフォローする。「殿下はありのままを受け入れられる方だということです」
「そうなのか?」
ラスティは納得いかないようだった。
「ニールって気が利くね」
一葉は腕組みしてうんうんとうなずいた。
「レナ、もう泣き止め。あいつはもう帰ったから」
ジェフリーが少女の頭をなでる。少女はぐすぐすと泣いた。
「だって、あのひと、きれいだから、さわりたかったのに、レナのて、きたないって」
「…兄上をきれいだと思ってくれたんだな。ありがとう」
ラスティはレナと呼ばれた少女を抱き上げた。
「いい子だ。兄上にも伝えておくよ」
「おにいちゃんなの?」
「そうだ。自慢の兄だ」
「うふふ、ジェフリーとハリーといっしょ」
ラスティに抱き上げられてゆらゆらとされると、レナは泣くのをやめて、きゃっきゃと笑った。
「ほんとにおまえって変わってるな」ジェフリーがそれを見て笑う。
「そういうところか…」
一葉はぼそりというといぬくんを抱いて、高く持ち上げた。「よし、鬼ごっこしよう! このいぬくんを捕まえた人が勝ちね!」
「くるるる!」
唐突にそう言われたいぬくんはぎょっとして一葉を見た。ぽんと地面に投げ出され、いぬくんはあわてて走り出した。
「まてー!」
「あっちに行ったぞ!」
子供たちはいぬくんを追いかけ始める。泣いていたレナも、いぬくんを追いかけ始めた。
「まってー!」
「ふう…」ジェフリーは大きく息を吐いた。
「おまえが子供たちの面倒を見ているのか?」
「今は俺が一番年上だから、必然的にこうなっただけだよ。俺もガキのころは、別の兄ちゃん姉ちゃんたちに面倒見てもらってたからな」
「子供を預ける場所はないのか?」
「そんな金も場所もねえよ」
ジェフリーは皮肉気に笑う。
「貧民街の子を雇ってくれる場所なんてないしな。家が商売やってるところは、店の手伝いしたりする子もいるし。家によって事情は様々だ」
「そうか…」
ラスティはいぬくんを追いかける子供たちをみつめる。いぬくんはつかまりそうになると、ひょいと子供たちの手をすりぬけ、台の上に上ったり壁にとんと足をかけてジャンプしたりと、上手に逃げ回っている。
「俺たちは学校を終えると、家庭教師がいたり習い事をしたりするのが当たり前だったが…。ここは違うんだな」
「当然だろ」
ジェフリーは肩をすくめる。
「…母親の様子はどうだ?」ラスティがぽつりとジェフリーに聞く。
「今のところは落ち着いてるよ。ただ、いつ、何するかは俺にもわからないんだ」
「俺に何かできることは?」
ラスティにそう尋ねられ、ジェフリーはおかしそうに笑った。
「なんだ?」
「いや、おまえ、あの兄上様とは本当に似てないな」
「何…」
「褒められてんのよ、ラスティ。似てないって言われたくらいでむきになるなって」
反論しようとするラスティに、一葉が肩をたたいた。
「つかまえたー!」
子供の一人が、いぬくんを抱えて嬉しそうに叫んだ。いぬくんは「くるくる」と鳴いている。
「ねえ、ぼくのかちだよ!」
「そうだね、すごいねえ」
一葉は少年からいぬくんを受け取る。
「ねえ、つぎは? つぎはなにする?」
「えっと、次はね…」




