それぞれの国
「…まあ、こんなところだ」
侍女が持ってきた紅茶を飲み干して、2杯目も空になったところで話は終わった。ラスティがかいつまんで事情を話し、一葉が時折補足を入れる。
ジェフリーたちに誘拐されたことは言わず、偶然街で知り合って、貧民街にいったことにした。でないと、処罰が下されるかもしれないとラスティが考えたからだ。
一葉もそれをなんとなく察して、余計なことは言わないで相槌だけうっておいた。
「そうでしたか」
「なるほど」
「もう…殿下は無茶をしすぎです」
ブライアンはようやく落ち着いたらしく、ごくごくと紅茶を一気飲みして、ほうっと息を吐いた。
「しかし、本当にこれから市井へ出られるおつもりですか?」
「もちろんだ」
「街中はともかく、貧民街へ行くのはあまり勧められませんが…」
「いいじゃない。ブラッドがいるんだし」
イヴァンが楽しそうに笑って言う。まるで他人事だな、と一葉はカップを撫でながらイヴァンを見る。この垂れ目の男は、いつもへらへら笑っている印象だ。
目の前のことをゲームのように楽しんでいるのだろうか。
「殿下、お出かけの際は必ず私にもお声をおかけください」
「わかった」
「一葉もだぞ」
「わかってまーす」
一葉がのんきな声をあげると、クラークとブライアンは、はあ、とため息をはいた。
イヴァンはおかしそうに笑い、ブラッドは神妙な面持ちをしている。
「…殿下、さっきから気になっていたのですが」ブライアンはじっとラスティの顔を見る。そのお顔はどうされたのでしょう? 口の端が切れているようですが…」
さすがラスティの侍従だな、よく見てるわ。と一葉は内心感心したが、今はそれどころではない。
「こ、転んだの。貧民街って道が悪くて。そうだ、手当てしてもらったほうがいいよ、ラスティ」
「ああ、そうだな。ブライアン、手当てしてくれるか?」
ラスティもすぐに一葉に話を合わせた。
「かしこまりました」
ブライアンが立ち上がったのを見て、クラークも立ち上がる。
「殿下もいろいろあってお疲れでしょうから、今日のところはこれで失礼いたします。帰るぞ、一葉」
「はいはい」
「返事は一回」
「はーい」
クラークは視線を外して、ふう、と息を吐くと3人を連れてラスティの部屋を出た。
ブラッドとイヴァンとは城の入り口で別れ、一葉はクラークとともに馬車に乗って城を後にした。
「まったく、一葉が来てから気の休まるときがないな」
クラークが馬車の中から外へ目線を向けて言う。
「何故、私に一言言わなかった?」
「えー…。だって、クラークって国の偉い人じゃん。絶対、言ったら反対すると思って」
「シアンには相談したんだろう?」
「それは…。シアンなら、協力してくれるかなと思って」
「一葉の世話係は誰だ? 私だろう?」
「あー…。はい。すみません。でもクラークは一緒に来たりしないだろうと…」
ぶつぶつと言い訳をする一葉の頭にクラークは手を置いた。
「いいか、一葉…」
「いてて、そこさわんないで」
「どうした?」
クラークが手を放したところを、一葉が自分の手でさする。こぶになっているのが自分でもわかった。
「今日、ジェフリーに棒きれで殴られたところが…」
「殴られた?」クラークは怪訝そうな表情を浮かべる。
「ジェフリーとは、街で知り合ったと言っていなかったか? なんで殴られた?」
「うあっ…」
墓穴を掘ったと一葉は気づいたが、すでに時は遅い。
「何か隠してるようだな。正直に言いなさい」
「うう…」
一葉はばつが悪そうに視線をそらし、仕方なく身なりのいいラスティの宝飾品を狙われて、ジェフリーに食って掛かったら棒で殴られた。という話にした。誘拐されそうになった相手に会いに行くとは言えない。
「そんなことがあったとはな…。それでは、やはり市井へ行くのを考えなければならないな」
「もー。だから、言うのやだったのに」
一葉はむくれてそっぽを向いた。
「陛下が許可なさったことだから、私がとやかく言うことではない。ブラッドがいるなら大丈夫だろう。まあ何より、殿下のこの件でいろいろ考えられるようになられたことは喜ばしいことだ。次の国王として」
「そうだね。私もラスティが王になってくれると助かるよ。でも、そんなにセオドールって駄目な奴なの? ちょっとしか話したことないけど」
「悪い方ではない」クラークは苦笑して「ラスティ殿下に比べれば、王という器に対して劣るということだ」と答えた。
「ふーん…?」
一葉は今までのセオドールの言動を思い返したが、そもそも王の器と言うものがなんなのかよくわからなかった。国民の声に耳を傾けるということだろうか。
「殿下は拒絶される痛みを知っておられるから」
「…身分の低いお母さんだから?」
「それもあるし、兄弟の仲でもいろいろある。そして痛みを強さに変えることのできる方だ」
「へえ…」一葉は今日会ったことを思い起こす。「クラークはラスティを信頼してるんだね」
「そうでなければ、殿下の臣下は務まらない。一葉から見て殿下はどうだ?」
「ラスティは…意外と大物だと思う」
「それは何よりだ」
そう話しているうちに、馬車はクラークの屋敷へ着いた。出迎えたヴァレンタインに、一葉に氷枕を与えるようにクラークが指示した。
「氷枕ですか? いかがされたのです?」
「いろいろあったそうだ。頼む」
「あ…ありがとう」
とりあえず一葉はクラークに礼を言う。クラークはうなずいて、自分の部屋へ戻って行った。
一葉は食堂で待って、ジェフリーに棒で殴られた頭を氷枕でメアリアンに冷やしてもらった。
「何があったんですか? こぶができてますけど」
「いろいろ…」とだけ一葉は答えた。なんだか疲れていたのだ。今日はメアリアンに話す気にはならなかった。
夕食になり、さきほどラスティのいる前ではできなかった話を一葉はした。
「あのね、実は街中でパンを買い食いして、このお屋敷の名前でつけてもらって…」
「…そんなことか。いくらだ?」
「六百ジョゼくらい。働いて返せばいい?」
「一葉は陛下の客人だ。それくらい私が面倒をみよう。今度も買うものがあったら、私の名前を出せばいい」
「ありがとう…」
一葉はほっとしてエビの香草焼きを口に運ぶ。買い食いには困らなそうだ。
「殿下にそれを食べさせたのか?」
「毒は入ってなかったよ?」
一葉が急いで付け加えると、「そうだろうな」とクラークはワインを飲んだ。
「今度からは殿下に直接物を食べさせないように」
「わかった」
「一葉が殿下のためになることをするなら、ある程度の出費は許そう。その代わり、私の役に立ってもらうという条件付きでね」
「…わかりました」
にこやかに微笑むクラークに、一葉は怖いものを感じてエビを飲み込んだ。
クラークと食事をした後、一葉はいぬくんを連れてすぐに部屋へ戻って風呂に入った。
それから「ちょっと」とベッドに座って声をかけた。背中から何かが抜ける感触の後、背後にぬくもりを感じた。
「なんですか?」
背中からカインの声がした。いつも二人は背中合わせで話をする。
「なんですか? じゃないわよ。今日は拉致られたっていうのに、なんで助けてくれなかったの?」
「子供のやることじゃないですか。本当に危なかったら助けましたよ。それに」カインは一葉のほうに振り向く。「俺の魔法を使ったら、またあなたは倒れますよ?」
「それよね…」
一葉は、はあ、とため息を吐いた。
「異世界に転生すると魔法がガンガン使える設定が多いのに、私の場合は副反応があるからいぬくんに頼らないと何もできないしなー」
「何もできないなんてことはないですけど」カインは再び背中を向けた。「あなたはラスティを王にすることを頑張ればいいんです。できることで」
「できることね…」一葉は眼鏡を押し上げる。「今日のことも、ラスティのためになったかな?」
「さあ?」
そっけないカインの返しに、一葉は肩をすくめる。
「…そうね。後になってみないとわからないよね。ああ…なんか、本が読みたいな。もしくは…」ベッドから立ち上がった。「字が書きたい」
「どこへ?」
「ちょっと紙と鉛筆をもらってくる。パソコンはないけど、それはあるでしょ」
「まあそうですね」
「ヴァレンタインさんに言えばいいかな」
一葉がベッドから立ち上がると同時にカインの姿は消えた。一葉はヴァレンタインから紙と鉛筆を借りて、これまであったことを日記に書き始めた。
スマホに入力したかったが、すでにこの世界へ来てから電池切れだ。
「出かけるときは?」
「ブラッドと一緒」
「行く場所は?」
「ちゃんと言ってから一緒に行く」
「何か気になるものを見た時は?」
「一人で勝手に行動しない」
「もう一度繰り返すか?」
「いえ、結構です」
一葉はいぬくんを抱いてぶんぶんと首を横に振った。朝食後にクラークに念を押されて、ラスティと一緒に行動するときの注意事項を言わされたのだ。
「殿下にもしものことがないように気を付けるんだぞ。まあ、ブラッドがいれば大丈夫だとは思うが」
「いぬくんもいるし、大丈夫だよー」
いぬくんの前足を握って振る一葉に、クラークは小さく息を吐いた。
「まあ、一葉に関しては大丈夫だろうが…。とにかく、殿下を連れて歩いていることを忘れないようにな」
「はいはい」
「返事は一回」
「はーい!」
「ご主人様、そろそろお時間です」
ヴァレンタインが見計らって声をかけてきた。
「ああ…そうだな。では行ってくる。それと、街の子供たちは午前中は小学で勉強の時間だからな」
「そっか…。ラスティは?」
「殿下も城で家庭教師について勉強中だ」
「わかった。じゃあ私…」
「ブラッドが来るから、それまでおとなしく家にいるように」
「えー…」
教会へ行く、と言おうと思ったがそれは言葉にさせてもらえなかった。
「午前中くらい、おとなしくしていなさい。くれぐれも問題は起こさないように」
「はーい」
午前中は本でも読んで時間をつぶそうと思ったが、やはり字が読めない。
ヴァレンタインをつかまえて、仕事を見せてもらった。
家のことを手伝おうとしても、客人にそんなことはさせられないと固辞された。調度品のチェックや宝飾品などを磨き、銀食器の磨きと確認、ワインの在庫確認、クラークのスケジュールのチェック、使用人への指示などてきぱきとこなす彼を見て、一葉はただただかっこいいなあ…と感心した。
昼になると一人で昼食を取った。一緒に食べないかとメアリアンやヴァレンタインを誘っても、客人と一緒に食事はしないものだと断られた。
「迎えに来たぞ」
「遅いよ!」
ブラッドが玄関でラスティを連れてきたのを見るなり、一葉は大声をあげた。
「もう、クラークには勝手に行動するなって言われるし、待ってるのって大変なんだから!」
「あのな、こっちにも仕事ってものがあるんだよ」
ブラッドが引きつった表情を浮かべつつ、ラスティが「さっさと行くぞ」と玄関を出る。
「お気をつけて」とヴァレンタインが見送ってくれた。
玄関には二頭の馬がいた。ラスティはさっさと馬に乗り、ブラッドは一葉を馬に乗せてくれて、自分も後ろに乗る。いぬくんは一葉の膝の上だ。
「殿下、昨日行かれたという貧民街へ行かれるのですか?」ブラッドは馬を走らせながらラスティに尋ねる。
「そのつもりだ。だから、身軽な格好で来た」
「ああ…そうえいば、いつもの宝石とかマントも身に付けてないね」
一葉が馬に揺られながら、しげしげとラスティを見る。長袖のシャツに胸元を覆うだけの鎧に、腰に短剣をさしているだけだ。
「昨日のようなことになると面倒だからな」
「面倒とは?」
「ああ、いや…こっちの話だ」
拉致の件は話していないので、ラスティはブラッドから視線をそらす。
「それにしても、ラスティも馬乗れるんだね」
一葉が話の矛先をそらした。
「当たり前だ。乗馬も王族の教養の一つだぞ」
ラスティは当然だというように鼻をならす。
「そうかあ。てことは、勉強だけじゃなくて、社交に必要なダンスとかも必須なわけね?」
「当然だ」
さらりと答えるラスティに、こんな身長低いんじゃ相手も背の低いお姫様かな…と一葉は口に出さずに思った。
さくさくと歩かせる馬はスペンサー邸を離れ、森を抜けていく。そして壁を抜けて教会のある街へ入った。
「えーっと…舞踏会…で踊るもの?」
「もちろんだ。貴族や国賓の相手をしなければならないからな。それから、国によって礼儀作法なども違うからそれも学ぶぞ」
「へー。お辞儀は万国共通じゃないんだね?」
一葉は両手を握り合わせて頭を下げた。
「それはうちの国のものだな」ブラッドが答える。
「じゃあ、例えば隣の国とかは? なんていう国?」
「東には永世中立国のマレッサがある。あそこは右手を心臓の上に置いて、左手を背中にあてて頭を下げるのが挨拶だ」
「永世中立国…スイスみたいなもんかな」
「スイス?」
「私の世界にも、他国の戦争とかは一切かかわりませんていう国があるの。外国だけど。それと一緒かな」
「おそらく同じような国かもしれないな」ラスティはうなずいた。
「この国は戦争してるんでしょ。ここも永世中立国にして、そんなのやめちゃえばいいのに」
ブラッドとラスティは顔を見合わせて苦笑した。
「おまえは本当に単純だな」
「そうできれば苦労しないんだよ」
小馬鹿にされたようで、一葉はむっとして「ああ、そう」とそっぽを向いた。




