王子様誘拐事件
墨の汚れを落としてバスルームから出てきたラスティは、服も持ってきた王子のものに着替えてきた。
「ふーん…。あんた、やっぱこうしてみると王子様なのね」
「どうやっても王子だ」
変なところで感心する一葉に、ラスティは濡れた髪をタオルで拭きながら答える。
「そういえば、ドライヤーってないの? ここ」
「どらいやあ? なんだ、それは?」
「うちの世界では、髪を乾かすそういう機械があってね…」
「髪はタオルで拭いて乾かすものだろう?」
「へえ、便利だねえ。ドライヤーか」
シアンが興味を持って膝の上のいぬくんを撫でる。いぬくんはいつも一葉のそばから離れないが、シアンのそばにはいくようだった。
「風が出てくるのかな?」
「そう。手に持つところがあって、スイッチを押すと風が出て…あれ? 電気があるならドライヤーもありそうなのにね?」
「電気? そんなもの…」
「光の精霊が家は必ずいるんだ。そういう契約でね。精霊が家を明るくしてくれる」
「あ、そうだったね。うちの世界では、電気は発電所から送られてくるんだよ」
「ハツデンショ?」
一葉の説明にラスティが首をひねる。
「電気をつくるもとの場所っていうか…」
「家の周りに何台もあるのか? 場所をとらないのか?」
「だから、電線を通して各家庭に送られてくるんだけど…」
「線? そんなものがあったら、邪魔じゃないのか?」
「いや、電柱っていう高い場所か、地中に埋められてるから、特に邪魔じゃないけど…」
「そんな工事をするのは大変だろう。やはり、精霊がいるほうが便利だ」
「ううーん…」
一葉はラスティに発電所の仕組みも説明できるほど博識ではなかった。しかし、精霊という存在も一葉にも理解できない。
「その世界によって、いろいろな在り方があるということだろうね」
「シアンー」
「だれー?」
肌の黒い子供と白い子供がシアンのそでを引っ張り、ラスティを見上げている。
「ああ、この方は…」シアンは少し考えてから、「お城からここの様子を見に来てくれた偉い人だよ」
「えらいひとー」
「えらいひと」
子供たちはラスティの周りによってきた。
「ほんよめるー?」
「よめるー?」
「ああ、読めるぞ。どんな本があるんだ?」
「あるよー」
「こっちー」
ラスティは引っ張られるままに、本棚へ歩いていく。ほかの子供たちもラスティのそばへ寄って、あの本がいい、この本がいいとせがんでいた。一葉はそれをじっとみつめる。
「ふーん…。子供の面倒見もいいんだね」
「殿下は小学に通われていた時から、みんなに好かれていらっしゃるみたいだよ。最初は血筋のことで距離を置かれていたけど、殿下のお人柄は人好きするからね。いつの間にか殿下に惹かれてしまうんだよ」
「小学って…小学校?」
「一葉の世界ではそういうのかな? 7歳から14歳まではどの家の子供も教育を無償で受けるんだ。小学、中学と年齢が上がるごとに学年も上がる。優秀なら飛び級もできるよ。もちろん、家柄によって通う学校は違うけどね。15歳から18歳までは自由意志で費用はかかるけど大学で教育が受けられるよ。殿下の場合は、中学を卒業してから独自に王家の教育を受けているって話だね」
「へえ…。意外」
「そう?」
「私、最初の出会いが最悪だったからな…。私も悪いんだけど、我がまま小僧の印象しかないよ」
「人の印象って変わるものだよ。その人のことを知れば知るほど」
「…かもね」
子供たちに囲まれているラスティを見て、一葉はほっこりとした気持ちになった。人は見かけによらないというかなんというか。
「シアン、いいかしら?」
「どうしたの? セシリア」
食堂の入り口からセシリアが持って入ってきた。
「お城からお使いの方が来ているの。ラスティ殿下が来ていないかって…。そんな方はいないって言ったんだけど、一葉と一緒じゃないかって」
ぎょっとして一葉とラスティは顔を見合わせた。シアンは、無言で二人に裏口を指さす。そこから出て行けということなのだろう。二人は急いで裏口へ走った。
「あら? 一葉と今のは…」
「俺が相手をするよ。使いの方はどこに?」
「聖堂のほうにいるわ。中へとおしていいものかわからなくて…」
「わかった。行くよ」
シアンはセシリアの肩を抱いて聖堂へ向かった。子供たちはぽかんとしてシアンといなくなった二人が出て行った方向をそれぞれ見ていた。
「はあ、はあ、はあ…」
「はっ、はっ、はっ…」
一葉とラスティは目的の場所も見当のつかないまま、ひたすら人気のない場所へ走っていた。教会の裏通りから住宅街へ抜けて、気が付くとおそらくあまり裕福とは言えない街の外れのほうへ来ていた。建物も古くあまり手入れされていないようだ。人通りもあまりない。
「ちょ、ちょっと、苦しい…」
「…ああ。少しな」
息切れした二人は、立ち止まって息を整える。近くにまた壁があるな、と一葉は見上げる。気づくと、いぬくんが走ってきた。
「ごめん、いぬくん、忘れてた…」
「はは、よくついてきたな…」
二人はとりあえず一息つくと、再び歩き出した。
「国民なのにみんなラスティの顔知らないんだね」
「父上以外はあまり外へ出ないからな。王族は暗殺の恐れもあるから、皇太子である兄上を除いては、俺もエリザベスも公務以外では平民街へ来ることはないんだ」
「ここら辺には来たことないの?」
「おそらくないな。俺の通っていた小学も中学もこことは離れた壁の向こうの貴族街だったし、平民の来る場所へは連れて行ってもらえなかった」
「ふーん…。で、どう? 王子様から見た感想は」
「そうだな…ん?」
通りを子供たちが走っていく。その中で、一人が派手に転んだ。
「いてて…」
「大丈夫か?」
ラスティは子供に手を差し出す。子供はじっとラスティを見てから、その手につかまった。
「ありがとう」
「気を付けて」
次の瞬間、ラスティはいきなり手を引っ張られた。そして大勢の子供たちがわらわらと集まってラスティを囲んだ。一葉は一瞬、何が起こったのかわからず混乱して固まってしまった。ラスティはそのまま子供たちに囲まれ、ぐいぐいと引っ張られていく。
「な、なんだっ…」
「ちょっと、待ちなさいよ、ラス…」
一葉が引き止めようと追いかけると、いきなり後頭部に痛みが走った。
「う、ぐっ…」
せめて後ろから殴ってきた卑怯者を見ようと後ろを振り返ろうとすると、太い棒と赤い髪が見えた。そのまま、意識を失いそうになるのをこらえ、「いぬ、くん…」と必死で声を出す。それに応えるように、いぬくんは「くるる」と鳴いてどかどかと地面が盛り上がって青い髪の男の行く手を阻んだ。
「くそっ…」
「や、った…」
一葉が絞り出すように言って、次第にブラックアウトするのを感じながら意識を失った。
「つうっ…」
次に一葉が目を覚ますと、頭に鈍い痛みと、手におかしな痛みを感じた。目を開けると、日の光がようやく入るような倉庫らしき場所にいることがわかった。薄汚れた倉庫のようでで、ロープがかけられ、埃だらけの椅子や樽が転がっている。寝転がっているので、身体を起こそうとすると手が縛られているのに気づいた。
「ここは…」
「起きたか」
すぐそばに手を縛られたラスティが座ってこっちを見ていた。一葉は頭の痛みをこらえつつ、ようよう身体を起こす。いぬくんが心配そうに「くるくる」と鳴いた。
「何? ここ…。どうなってんの?」
一葉はずれた眼鏡を腕に押し付けて、無理矢理元に戻した。
「俺たちは誘拐されたようだ」
「誘拐? なんで? あんた、王子でしょ? なんで王子が誘拐…いや、だからか」
自分で言っておいて、一葉は一人で納得した。
「おそらく、俺が王子だとは知らないと思うが…。この格好になったのがまずかったな。身分のある貴族の息子か何かだと思われたんだろう」
ラスティがため息交じりに言う。
「ああ…見るからに金持ちそうだもんね。宝石つけてるし、絹のローブだし。織も刺繍も凝ってるもんね」
一葉がなんとはなしにラスティの服装をみつめた。
「でも、この国ってこんな簡単に誘拐事件が起こるほど治安が悪いの?」
「いや、そんなことはないはずだ。…といっても、俺は守られた貴族街の王宮の中で暮らしているから、実際の国民の生活がどんなものかは知らないんだ」
ふう、と息を吐いてラスティは壁に頭を寄せた。
「正直なところ、驚いている。俺たちは一般市民とは学業も別の場所で学ぶし、交流もめったにない。そういう意味では、やはり俺は世間知らずだな」
「自覚あったんだ」
「異世界からきたおまえだって、似たようなものだろ」
ラスティがむっとしたように一葉をにらむと、「そりゃそうだ」と一葉はへらっと笑った。そこへ、足音と声が聞こえてきた。
「来たね」
「だな」
扉が開いて、さきほど一葉を殴ったらしい赤い髪の少年と、もう少し幼い少年が二人彼に続いて中へ入ってきた。一葉とラスティは注意深く3人を見上げる。赤い髪の少年はラスティとそう年が変わらないようだった。
「気がついたな」
「おかげさまで。頭は痛いよ」
「それは悪かった」
赤い髪の少年は、苦笑して二人のそばによって膝をついた。
「手荒な真似をして悪かったよ。一人で十分だったんだけど、うちのがあんたを見たことがあるって言ってな。一応、一緒に来てもらった」
赤い髪の少年が一葉を見て、後ろにくっついている少年に視線を移した。少年は応えるようにうなずいた。
「おまえたちの目的は?」
「まあ、そう急かすなよ。そっちがこっちの要求を聞いてくれれば、悪いようにはしない」
「誘拐しといて何言ってんのよ」
一葉が口を尖らせると、「確かに」と少年は笑って立ち上がった。
「おまえ、貴族様だろう?」
少年はラスティにそう言うと、「…否定はしない」とラスティは答えた。
「貴族様どころか、こいつは王子様よ。第二王子のラスティ様」
「おまっ…! ばっ」
ラスティが一葉のぶっちゃけ発言に言葉を失うと、誘拐した少年たちは、ぽかんと口を開け、やがて赤い髪の少年が笑い出した。
「兄ちゃん、どうし…」
「あはははは! やっちまったなあ。どこかの世間知らずの坊ちゃんかと思ったら、まさか王子殿下だとは…想定外」
二人の少年が困ったように青い髪の少年を見上げていると、青い髪の少年は立ち上がった。
「王子ってことは、おまえはお付きの侍女か何かか?」
赤い髪の少年が一葉を見ると、「違うよ」と一葉は即座に答えた。「私は超獣使いなんだ」一葉は顔をいぬくんに向け、「これが超獣」と教えてやった。
「おまえなあ…」
ラスティが呆れたように一葉を見る。少年たちはまたもや呆気に取られているようだった。
「別にすぐばれるんだし、いいじゃん」
「ああ…それで、ハリーは見たことあるって言ったんだな」
赤い髪の少年にくっついている小さな茶色い髪の少年が何度もうなずいた。
「クリバチ祭りの時に現れた、罪人の命乞いをした女神みたいにやさしい娘だって話だったって聞いたけど、まさかこんな娘だったとはな」赤い髪の少年はやれやれと言いたげにおおげさにかぶりを振った。
「悪かったね…こんなんで」
べえ、と一葉は舌を出した。
「人の噂ほどあてにならないものはないな」
ラスティもうんうんとうなずいた。




