ようこそ、招かれざるお客様
雨が降っていた。
霧雨に濡れながら、男はさきほど落ちた雷が、木を真っ二つにしたところを目の当たりにした。
「…すさまじいな」
言いながら、さらに木に近づく。
それはこの国では珍しい桜の木だった。花の季節は終わりを迎え、青々とした葉が生い茂っていた木が、それがさきほどの雷によって、見るも無残な姿となっていた。
不意に何かの気配を感じて、男は真っ二つに割れた木の先のほうへ足を進める。
「…まさか」
折り重なった木の陰から、人の手が見えた。人がいるのだ。
男は木をどかし、木の葉にまみれた少女を発見した。
「………生きている、な」
男は少女の首を触り、脈を確認した。
「……う」
少女は気を失っているのか、小さく呻き声をあげただけで、目を閉じたまま動かなかった。かけた眼鏡はずれていてよく見れば身体中あちこち擦り傷ができている。
男は少女を木から引っ張りあげ、胸に抱え上げた。
「………」
「気が付いたか?」
顔を見れば、少女はぼんやりと薄目を開け、男を見た。少女の髪と目は、夜の色をしていた。
「大丈夫か? どうして、こんなところに?」
金の髪と蒼い目をした男の声に、少女はぼんやりと男をみつめたまま、こうつぶやいた。
「………かみ、さま…?」
少女は男の質問に答えることもなく、一言つぶやいて再び目を閉じた。
霧雨はまだ降り続けている。
「うっ……」
次に少女が目覚めたとき、目の前には白い天井があった。体中に痛みを感じる。
ゆっくりと視線を動かせば、見慣れない部屋だった。サイドテーブルには水差しとコップが置かれ、その横には花瓶に花が活けられている。
反対側を見ると、真っ白なカーテンと大きな窓。そこから光が入っているのだな、と少女は確認した。時間を見たかったが、ぐるりと部屋を見回しても時計らしきものは存在しなかった。
「いたた…」
体を動かそうとして、激痛が走った。体中あちこちが痛い。
それでもなんとか体を起こして、少女は大きく息を吐いた。包帯が巻かれた腕をさする。頭にも痛みがあったので、触れてみると包帯が巻かれている。腹や足にも包帯が巻かれているのだと感覚で分かった。体をさすってそれらを確認すると、もう一度大きく息を吐いた。
次に少女はよく目が見えないことに気づいた。眼鏡をかけていないせいだ。
周りをもう一度見渡すと、サイドテーブルの上に眼鏡が置かれていることがわかって、それをかけて少女は安堵した。やはり、はっきり見えるのはいい。
「あれ」はいるのだろうかとベッドの下を見回すと、「あれ」はベッドのそばに座って目を閉じていた。どうやら無事のようだ。
「…ここ、は」
どこだろう。最後まで口に出さず、少女は周りを確認する。見覚えのない景色。自分が見知った場所ではない。そう、ここは。
「…異世界、か」
現実的ではない言葉を口にして、少女は自分の着ているものを確認する。さらさらした感触の白いシルクのパジャマのようなものを着せられている。ここは金持ちの家なんだろうか。なんだかこんな肌触りのいい服は着たことがないので、落ち着かない。少女は自分の服を探して、サイドボードの上きれいにたたまれたブレザーの制服を発見する。そこにあるということでとりあえず少女は安堵した。
突然、ドアが開いて一人の男が入ってきた。
「!」
「…!」
二人は目を合わせて、一瞬お互いに驚いたのがわかった。少女は驚きから表情を変えなかったが、男はすぐに柔和な笑顔をつくって少女のそばへ歩み寄った。
「目が覚めたんだね。気分はどうかな?」
男の笑顔につられるように、少女もぎこちない笑顔を浮かべた。「…大丈夫です」少女は言葉通じることに安堵していた。
「そうか、起きられるようになってよかったよ。君は二日も寝ていたんだから」
「そんなに?」
なんてこと。無駄に時間を食った。と少女は胸の内で舌打ちした。男はそんな少女の胸の内など知らず、そばにある椅子を持って少女のベッドの横に置いて座った。
「そう。でも外傷はそれほどひどくなかったみたいだから、心配したよ。このまま起きないのかってね」
「あの…あなたが助けてくれたんですか?」
少女は男の顔をじっと見る。なんてきれいな顔立ちの男だろうと思った。
「そうだよ。でも、驚いた。雷が落ちてきたと思ったら、君が折れた樹の上に傷だらけでいるんだから」
「…あはは」
ごまかすように少女は頬をかこうとして、顔にもしっぷのようなものが貼られているのに気づいてやめた。
「助けてくれて、ありがとうございます」
「どういたしまして。たまたま私がとおりかかったからいいようなものの、誰もいなかったら大変なことになっていただろうね」
にこやかに話す男は長い金髪を後ろに束ねた美しい顔立ちをしている。二十代半ばから三十代前半に見えた。異世界の男性は、こんなイケメンばかりなんだろうか。直視するのが恥ずかしいくらいだ。
「ありがとうございます。あの、あなたは…」
「ああ」思い出したように男は笑う。「私はクラーク。君が落ちてきた桜の庭の持ち主。ここは私の敷地の一部なんだ」
「そう…ですか。私は一葉(かずは)って言います。かずはが名前で苗字は平松」
「それで、君はどうして」
「くるるる」
クラークの話の途中で、下の「あれ」が鳴き声をあげた。
「ああ、いぬくん」
「いぬくん…?」
角の生えた小型犬のチワワのような生き物が「あれ」だった。一葉はその生き物「いぬくん」をベッドの下から拾い上げる。
「この子の名前。いぬみたいだから、いぬくんていう名前にしたの」
「…。犬に角は生えていないと思う」
いぬくんの頭には一角獣のような角が生えていた。
「これ、君のそばにいたから一応連れてきたんだが」
「そう。この子がいないと困るんだ」
一葉はいぬくんの背中を撫でた。
「鳴き声も犬とは違うような」
「でも、ぽちじゃ超獣っていうからには物足りない感じだし」
「ぽち?」
「くるる」
いぬくんは鳴き声をあげて、一葉の膝の上で目を閉じた。
「まあ、いいか…。それで、一葉。君はどうしてあんなところに傷だらけでいたのかな? 一応、うちの使用人以外は入れないことになっているんだが」
「ああ、私、『超獣使い』なんです。それでこっちが超獣」一葉はすぐそばのいぬくんを持ち上げて見せた。
「…は?」
クラークは一葉が何を言っているのか理解できなかったようで、きれいな顔を強張らせて聞き返した。
「別の世界…日本ていう国からここへ召喚されて、それでこの世界の七賢者っていう人におまえは超獣使いだから、まずここへ行って」
「く、」一葉の話の途中でクラークは顔を背けて片手で口を押えて、「ははははは!」と笑い出した。
「え、な…」
「はははは…いや、ごめんごめん。そうかそうか、異世界から来た超獣使いね…」
まだ笑いが止まらない、という様子でクラークは声に笑いを含みながら一葉に向き直った。
「そんなおとぎ話を信じているなんて、君はよほど田舎の出身なのかな?」
「は、え?」
今度は一葉がぽかんとする番だった。
「君の顔立ちからすると東方の出身かな。向こうでも超獣が信じられているとは。ここレスタントの王都では、超獣を信じている人なんて、お年寄りくらいだろうな」
「ええ…」
一葉は笑い飛ばされた事実に、呆然とするばかりだ。
「世界の混沌をおさめるために異世界の人間に使役される伝説の獣なんて、実在したと信じる人がいるとはね」
「え、だって」
「作り話なら、もうちょっと信憑性のある話にしたほうがいい」
「いや、ちょ、私、本当に…」
「面白い子だね、君は」
クラークは苦笑しながら、椅子から立ち上がった。
「本当の事情はもう少し具合がよくなってからでいいよ。何か食べられそうかな?」
「え? あ…はあ」
「侍女に言って、何か持ってこさせよう。それまでおとなしく寝ていなさい」
「はあ、でも、あの、私…」
「おやすみ」
まだ笑いが収まらない様子で、クラークは一葉の頭をひと撫ですると、部屋を出て行った。
「ええー…」
「くるる」
いぬくんはあっけにとられている一葉を見上げて一声鳴いた。
「普通、小説とかだと何の根拠もなしに信じてくれるもんだと思ってたんだけど…。『あいつ』が言ってたのと、話違くない?」
「くるるる」
「どうしようか、いぬくん。まず偉い人に会わなきゃと思ってたけど…」
一葉はいぬくんを抱き上げたが、いぬくんはきらきらした黒い目で一葉を見上げるだけだった。
「目が覚めてよかったですよ。ご主人様が心配してましたからね」
「はあ、どうも…」
顔に少しそばかすのある茶色の髪をした侍女が持ってきてくれたのは、出来立てのスクランブルエッグとカリカリに焼いたベーコン、サラダとトースト、コンソメスープだった。
一葉はそれをぺろりと平らげ、いぬくんにはミルクと骨付き肉が出されたが、いぬくんはミルクしか飲まなかった。
「この動物、肉が嫌いなんですかね? 何なら食べますか?」
「いぬくんはちょっと変わってるから。私もまだこの子のこと、よくわからなくて…」
「ふうん? なんだか見たことない、珍しい生き物ですね。一角獣の類でしょうか?」
侍女がいぬくんをまじまじと見ると、「くるる」といぬくんは小さく鳴いた。
「ううん。この子、超獣なんだけど」
「超獣?」
侍女は一葉にそう言われて、いぬくんと一葉を交互に見て、「これが超獣?」と聞き直した。
「そうだよ」
「でも超獣って、千年くらい前のおとぎ話みたいなもんですよね。本当にいたのかもわからない…」
「へえ…。ここではそういう認識なんだ」
「ここでは?」
「あー、こっちの話。じゃあ、仮に超獣がまた現れたとするでしょ」
「はあ」
侍女は気のない返事をして、紅茶を淹れる。「ミルクは?」と聞かれて、一葉は「お願いします」と答えた。
「ありがとう。その場合、どうやったらそれが本物だって信じてくれるかな」
紅茶を受け取って、一葉一口すする。思わず、「うま!」と声が出た。
「マジでおいしいよ、この紅茶! ティーバックのしか飲んでないから、余計このおいしさがわかる! これ、商売できるよ!」
「おおげさですね、お嬢さん。いつも淹れてるのはこんなもんですけど。でも、ありがとうございます」
照れ隠しなのか、侍女は苦笑いで答えた。
「いいにおい…。紅茶って茶葉から淹れると、こんなおいしいんだ…」
幸せそうに紅茶を飲む一葉に、「さっきの話ですけど」と侍女がポットをおいた。
「超獣は風、地、火、水の力をすべて操るとかってきったことありますよ。魔法使いも魔物も自分の属性は一つだけですからね。その力を全部使ったら、信じてくれるんじゃないですかね?」
「ふむう…」
侍女の話を聞きながら、一葉は紅茶をすすって考える。
「問題は、一番効果的な演出をどうするか、だなあ…」
「はい?」
「ううん。こっちの話。おいしかった。ありがとう」
「お礼なら、ご主人様に。私はあなたの世話をするよう言われただけですんで」
「でも、紅茶淹れてくれたのはあなたでしょ? だから、ありがとう」
侍女は一瞬、不思議なものを見るように一葉をみつめたが、照れくさそうに「どういたしまして」と笑った。
「は?」
夜になってもう一度一葉を訪れたクラークは、首をかしげて彼女をみつめた。
「なんだって?」
「だから、私、この国の王様に会わせてほしいんだけど」
「ふう…」
クラークは片手で軽く額を押えた。そして顔をあげて、できるだけやさしく説明を始めた。
「あのな、一葉。国王陛下にはまず一般人は会えない。会いたいなんて一般人は山ほどいるが、陛下はお忙しいし、いちいち取り合っていたら何日かかるかわからない。それにしかるべき身分の者でなければ、まず会えないんだよ」
「しかるべき身分て?」
「そうだな。爵位のあるもの…たとえば伯爵や侯爵など。軍人も官位のあるもの。少佐や将軍などは会える。それから教団の高司祭以上のものも会えるだろう。ただ、事前に約束を取り付けるのが原則だ」
「なんだ。結構いろんな人会えるじゃん」
一葉が不満げに言うと、「身分のある人たちだよ」とクラークはため息を吐いた。
「じゃあ、クラークは王様に会ったことないの? なんかすごいお屋敷に住んでるみたいだけど」
「…恐れ多いことだよ」
クラークは含んだ言い方をした。
「どうしても会えない?」
「そうだね。どうしても会えない」
一葉しばらく口元に手をあてて考えて、「わかった」と顔を上げた。
「じゃあ私、ここを出ていく」
「は?」
クラークはさっきと同じように首を傾げた。
「お世話になりました。どうもありがとう」
ベッドで上半身を起こして座っていた一葉は、布団を押しのけて歩き出そうとしたが、クラークに肩をつかまれた。
「あいたた…」
一葉は痛みにうめいた。
「見なさい。そんな身体で簡単に動き回れるわけがないだろう」
「うう…でもさっき、トイレには行ったんだけど」
侍女に連れられての話。というのは一葉は言わないでおいた。
「今も行きたいのかな?」
「今は別に…」
「ほら。いい子だから休みなさい」
「…はい」
言われるまま、おとなしく一葉ベッドに戻った。そしてほうっと息を吐く。
「…身体があちこち痛い」
「そうだろうね。まあ、深い傷ではないからあと2、3日すれば動けるようにはなるだろう」
「…食事、おいしかったです」
「そうか。それはよかった」
クラークは一葉の額に手を置いた。
「もう恐れ多いことを考えるのはやめて、眠りなさい。明日にはきっともっと傷はよくなっているよ」
「…はい」
一葉ゆっくりと目を閉じた。それを確認するとクラークは椅子から立ち上がり、部屋の明かりを消して一葉の部屋を出た。
「…どうしようか。いぬくん」
「くるるる」
いぬくんはひと鳴きすると、一葉の隣で目を閉じた。