王子様と寄り道
「お出かけですか? 少尉はご一緒ではないので?」
跳ね橋のそばにいる兵士の二人のうち一人が、いぬくんを抱く一葉に声をかける。
「あ、平気。この子についてきてもらうから」
一葉は後ろからついてくる肌の黒い帽子をかぶった少年の肩をたたいた。
「そうですか。お気をつけて」兵士は不審そうなそぶりもなく送り出してくれた。
「………」
一葉と少年はそのまま跳ね橋から遠ざかっていく。やがて兵士の姿が見えなくなったころ、二人は大きくため息を吐いた。
「やった~…」
「バレなかったか…」
顔を黒く塗ったラスティが後ろを振り返りながら帽子を脱いだ。帽子におさめた髪が零れ落ちる。
「しかし、ここから街まで結構あるだろう。どうやって行くんだ? 歩いていると、ブラッドたちが気づいて追ってくるんじゃないか?」
「ううーん。それは考えてなかったな。どうしようか…」
「くるるる」
いぬくんが鳴いて一葉の腕から飛び出した。そして、唐突に馬のように巨大化したのだ。
「ええ!?」
「う、うわ、こいつ、こんなこともできるのか…! これも超獣の力か?」
ラスティは驚きのあまり、しげしげと巨大化したいぬくんをみつめる。
「そ、そうみたい…。私の知らなかったけど」
一葉もただただいぬくんを凝視する。
「ぐるぐる…」
いぬくんは自分の鼻先を背中へ向けた。一葉はそれに気づいて「乗れって言ってるんだと思う」とラスティを促す。
「わかった。…二人も乗って、大丈夫なのか?」
不安げなラスティをよそに、一葉はいぬくんによじのぼろうとする。ラスティが一葉を押し上げて手伝った。自分もいぬくんの上に乗ると「どこに掴まればいいんだ? 手綱がないぞ」と言った。
「私に掴まってればいいでしょ」
一葉はいぬくんの首に手をまわした
。「いぬくん、行って!」
「そんなこと、うわあっ! 待て待て待てっ…」
一葉の合図にいぬくんは走り出す。ラスティは転げ落ちそうになり、急いでいぬくんにしがみついている一葉の腰に手を回した。いぬくんが止まるまでラスティは手を離さなかった。
壁を越えて一葉が見慣れた街並みまで来ると、いぬくんはスピードをゆるめて歩き出した。
「…よし、ここら辺から」
「ぐるぐる…」
いぬくんが立ち止まって一葉とラスティが下りると、いぬくんは小型犬のサイズに戻った。一葉はいぬくんを抱き上げる。
「行こう、そろそろブラッドたち私たちがいないことに気づいたかもしれないし」
「そうだな。迎えに来る前に街を見たい」
真っ黒い肌のまま、ラスティと一葉は街へ入った。街外れから中心地へ歩いていくにつれて、店も増えてくる。異国の地から売られてきた絨毯、絹や織物を売る店、年代物の壺や皿を売る店が並んでいる。
「自分の足で歩くのは初めてだ…」
ラスティは初めて王都へ来た田舎者のように、興味深げに店を見ては立ち止まる。
「坊や、王都は初めて? 珍しいものがたくさんあるでしょう」中年の店主らしい女性が気さくにラスティに話しかける。
「城にあるもののほうが値打ちはあるな」
「城? あんた、城仕えしてるの?」
「…そんなところだ」
ラスティは素性を話すわけにもいかないので、曖昧に応えて店から離れた。
「ところで、あんたそろそろその泥落とす?」
「どこで落とすんだ? 風呂を借りるのか?」
「それもそうね…」
街に並ぶ店を横目に歩いていくと、いい匂いがしてきた。パン屋が近くにあるのだ。
「腹が減ったな」
「ああ、私もお昼まだだし。とりあえず、シアンのところへ行って…って、ちょっと待った!」
一葉がよそ見した間に、ラスティは勝手にパン屋に入って行った。そして「どれを食べればいい?」と店の人に聞いている。一葉は急いで後を追ってパン屋に入る。
「そうですね、おすすめはこちらのぶどうパンはいかがでしょう?」
「うまそうだな。食べていいか?」
「どうぞどうぞ」
「何やってんの!」
勧められるままにぶどうパンをつかんだラスティの手からそれを一葉はぶんどった。
「すみません、馬鹿なんです、この子馬鹿なんです!」
「誰が馬鹿だ! ちゃんとどれがいいか聞いたぞ!」
「お金持ってないでしょうが! 無料で食べさせてもらえるほど、世の中甘くないのよ! 私なんて異世界の人間なのにお金を要求されたんだから!」
一葉の最後の台詞は何かおかしかったが、ラスティはよく理解できなかったので聞き返さなかった。
「む…そうか。そうだな。金を払え」
「偉そうに言うな! 私は持ってない!」
「おまえこそ偉そうに言うな!」
ぶどうパンを手ににらみあう二人に、「あの…」と店員は遠慮がちに声をかけた。
「すみません、今ちょっと持ち合わせがなくて…。後から置きにきてもいいですか? もしくは、クラーク将軍のところに取りに来てもらうか…」
「クラーク・スペンサー将軍ですか? ああ、そういうことならいいですよ。時折うちの店にもお屋敷の方がいらっしゃいますから、まとめてお支払いしてもらいます。どうぞ好きなだけお持ちください」
「なんだ、いいんじゃないか」
「だー! 少しは遠慮しなさいよ!」
言い争いながら、結局クラークの名前でパンを買った。城につけるのもラスティの正体がばれそうでできなかった。歩きながら食べようという一葉に、ラスティは驚きながら真似をする。
「食べながら歩くなど、行儀が悪いとブライアンがいいそうだ」
「あの黄緑色の髪の人だよね。やさしそうだけど」
「やさしいにはやさしいが、それだけじゃない。ふむ、できたてはやはりうまいな。俺が食べるものは、いつも毒見をとおすので冷めたものが多いんだ」
できたてのぶどうパンをラスティはおいしそうにほおばる。
「へえ。できたてが食べられないなんてかわいそうに。じゃあ、私が毒見してあげる」
「あ、こら!」
ラスティの手からぶどうパンをひとかけちぎって一葉は口に放り込んだ。
「うん、おいしい」
「ずるいぞ、俺のなのに…」
「私のもあげるからさ。それでチャラにしよ」
「ちゃ、ちゃら? なんだ、それは?」
「えーっと…おあいこってこと。王子さまは、庶民の言葉は知らないのね」
一葉は手にしたチーズのかけらがごろごろ入ったパンをちぎってラスティに与える。ラスティは一瞬、人の手にしたものを食べるのをためらったが、結局それを口にした。
「うまいな」
「だよね」
「その…超獣は食べないのか?」
「くるる」
「いぬくんは食べないんだよ。ミルクを飲むくらい」
一葉がいぬくんの口元にパンをやっても、ふいとそっぽを向かれた。
「ね?」
「そうか。何も食べなくてもいいなんて、不思議な生き物だな…」
ラスティが感心する。
「しかし、ブライアンもいないのに外を歩くのは初めてだな」
「ああ…偉い人って、一人では外に出ないんだっけ?」
「俺はいつも一人で出かけたいと思っていたが、周りに迷惑がかかるからな」
ラスティは周りを見ながらぶどうパンを口に運んだ。
「おつきの人がいないと行動できないなんて、王族って大変だね」
「それも仕事だからな…」
「よう、超獣使いの嬢ちゃんじゃねえか」
「ああ、おじさん」
声をかけてきたのは、クリバチ祭りで会った剣士だった。
「おじさんはねえだろ。お兄さんて言えよ」
「ごめんごめん。今日は何してるの?」
「今から冒険者仲間と昼めしだ。こっちの坊主は?」
「あー…えっと、私の友達。城で知り合ったの」
友達ではないがあながち嘘ではないな、と思いながらラスティはうなずく。
「そうか。城の下働きか? もし冒険者になりたいなら、いつでも言うといい。俺が仲間になって鍛えてやることもできるからな」
「気持ちだけ受け取っておく」
不遜なラスティの答えに、剣士はぽかんとしたが、一葉は慌てて「馬鹿なの、この子馬鹿なの!」とラスティの頭をぐりぐりと押えた。
「誰が馬鹿だ!」
「あんたはただのガキなんだから、そんな偉そうに言うな!」
「おまえに言われたくない!」
「ははは、いいってことよ。なかなか大物になりそうな坊主だ。見込みあるぜ。また会おうな」
「ふむ。わかった」
「だから…」
一葉が何か言う前に、剣士は笑いながら手を振って去って行った。一葉はふう、と大きく息を吐く。
「のど乾いたわ。なんか飲んでいこうか」
「そうだな。オレンジジュースがいい」
一葉とラスティは並んで歩きながら、屋台に並ぶフレッシュジュースの店でオレンジジュースを2個購入した。相変わらず支払いはクラークにつけておいてくれ、というと店主はすぐに納得してくれた。
「ふむ、うまいな。城で飲むものとは違う気がするぞ」
「それも毒見とかされてるから?」
「どうだろうな…ああ、もしかすると立って口にしているからかもしれない。こうやって街の景色を見ながら食べるなんて、初めてだからな」
「ああ…王子さまは立ち飲みとか立ち食いとかしなそうだもんね」
一葉はオレンジジュースを飲みながら既製品の服を売る露店を眺める。「お嬢さんに似合うよ」と声をかけられたが、笑って通り過ぎた。
「あれは麻だな。夏場は着るのに涼しいだろう」
「王子様も布なんて見るの?」
「もちろんだ。俺たちは着るものは自分で見て作る。既製品は着ないからな」
「うわー…ブルジョワめ…。贅沢をしおって…。でもそれは税金から来てるんだぞ」
「当然だ。そのために俺たちは国に責任を持っている。俺たちが贅沢をしてもいいのは、裏を返せばそのために国民に責務を果たさなければならないからだ。だから日々勉強して、国を発展させなければならない」
「ふーん…。でも、あんたは兄上に王位を継いでほしいんでしょ?」
「もちろんだ」ストローのないコップでオレンジジュースを飲んでからラスティはうなずく。「この国を継ぐのは正当な血筋を引いているのは兄上なのだから」
「血筋で王位の正当性って決まるもんなの?」
ラスティは一葉の言葉に一瞬、目を見開いたがすぐに前を向いた。
「…おまえとの議論など、不毛だ。まったく、これだから不勉強なやつは」
「ええー…」一葉は不満げに声をあげたが、「そうそう、教会はこっちだよ」と指さした。通りの先に教会が見える。
「ああ、ここがそうだったな。ずっと昔に来たことがあるんだが、よく覚えていなかった」
「あら、いらっしゃい一葉」教会の前で相変わらずほうきを持ってセシリアが掃除をしていた。「…と、こちらの坊やは?」
「坊や?」
ラスティがピクリと肩眉をあげた。気に障ったようだ。
「あーっと! シアンに用があって! 中にいるよね?」
「ええ、いるけど…」
「お邪魔しまーす!」
一葉は余計なことを言われる前に、ラスティを引っ張って教会の中へ入った。いつもどおり食堂へ向かうと、「やあ」とシアンは面倒を見ていた子供たちから離れて一葉とラスティのそばへ来た。そしてラスティの面前で膝をつき、両手を組んで礼をとる。
「お久しぶりです、ラスティ殿下。ようこそわが教会へ」
「堅苦しい挨拶はいい」
ラスティは片手をあげてシアンを制した。
「シャワーは浴びられるか? この黒い格好でいるのは、いささか疲れる」
「もちろんです。でも、おかげで門番には怪しまれなかったでしょう?」
「それはそうだが…」浅黒い肌の手をさすりながら、ふと立ち上がったシアンを見上げる。「まさか、この策を考えたのはおまえか?」
「簡単に殿下を城から連れ出す方法がないかと聞かれまして、一計を案じました。ご容赦を」
「そうなの」
にっこりと笑うシアンの背中からひょっこりと顔をのぞかせる一葉に、ラスティはため息を吐いた。
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