触れられること
一葉たちはエルビドでの国境近くのシャノン村でワイバーンから降りて、馬を借りた。乗りなれない馬だったが仕方ない。雪の多い村の中へ入ると宿をとった。
「よくこんなときにこの村へ来たねえ」
宿屋のおかみは感心半分、呆れ半分に言う。
「雪は多いし、エルビドが同盟を破棄してこっちへ攻めてくるって噂なのに」
「そうらしいですね」
「あなたたちは逃げなくていいのか?」
「まあ一応北の守りの要のイングラム要塞にはガードナー将軍がいるからね」
「信頼されているんだな」
「だから来たんだよ。俺らみたいな野良のもんでも、仕官できるかもしれねえだろ?」
グレンが気さくにおかみに笑いかける。
「あんたはともかく、お連れの兄さんはずいぶん品がいいように見えるけどね。同じお仲間とは思えないよ」
おかみはクラークをまじまじとみつめる。
「ああ、こいつ顔はいいけど中身はやばいんだぜ。今まで何人の女を泣かせてきたことか」
「はは、それは納得だね。まあ2階の部屋を使うといいよ。3部屋だね」
「ありがとう」
一行は2階へ上がった。それぞれ部屋に入って一息つく。
ロビンは一葉と二人の部屋でベッドの上に寝転がった。一葉は眼鏡をかけていぬくんを抱き上げる。
「はー。やっぱこっちのがしっくりくるわ。私、お風呂入ってくるよ」
「え? ああ…そっか。しばらく入れなかったもんな」
一葉はいぬくんを連れて出て行った。ロビンは天井を眺めながら、ここへ来る前にブラッドのことを思い返していた。
セシリアを土へ埋葬してから近くの木に大きな傷をつけて目印にした。それから食事をとりながら王都で何があったかを話してくれた。自分のせいだと話すブラッドの表情は、まるで生気がなかった。一葉が時折喉を詰まらせながら、ブラッドの話に補足した。
話を聞き終えてからすぐにこの村へ向かってワイバーンに乗って出発した。誰もブラッドを責めたりしなかった。
ロビンはベッドの上でごろごろと寝返りをうつ。
ブラッド、落ち込んでたよな…。そりゃあそうだ。俺には両親がいないけど、兄貴たちがいた。サイラスもいた。兄貴の親父が死んだときは悲しかったけど、きっと好きな女が死んだっていうのはまた別なんだろう。よくわかんないけど。
俺に何ができるだろう。何かしたい。ブラッドの力になりたい。
ロビンは隣のベッドを見たが、一葉の姿はない。どうしたらいいか相談しようと思ったのに。
「…ああ、くそっ」
ロビンはがばっと起き上がった。
「悩んでるなんて、俺らしくない」
ロビンは部屋を出て隣のブラッドたちのいる部屋をノックした。
「誰だ?」
グレンの声がした。
「俺…」
「なんだ?」
ドアを開けると、部屋の中にはグレンしかいなかった。
「…兄貴だけか」
「そんなあからさまにがっかりするなよ。ブラッドか?」
「あー、えっと、いや、その…」
ロビンはごまかすように視線をさ迷わせ、頭をかいた。
「ちょっと出てくるって言って、少し前に一人で宿を出てったよ。一人になりたいんだろ」
「あ…そ、そうか」
ロビンは肩を落とした。
「一人で…大丈夫かな」
「ガキじゃねえんだから、大丈夫だろ。そんなに心配なら、追っかけてくか?」
グレンが茶化して笑う。
「だ、だってその…好きだった女が死んだのは、やっぱり辛いだろ…」
「だから自分で埋葬してやったじゃねえか。ほっといたって後を追うようなことする奴じゃねえだろ」
「不吉なこと言うなよ…」
ロビンは俯いた。
「一葉はどうしてんだ?」
「風呂入ってくるって。あいつ、風呂好きだからな」
「そういやそうだったっけ。まあ、ちょっと来いよ。ロビン」
「なんだよ?」
グレンに手招きされ、ロビンは彼が座っているソファに腰を下ろす。グレンに肩を抱かれた。
「いいか? 振られた男を落とすにはな、そんときが好機だ。どんなときにも自分はそいつの味方だって知らしめるのが大事なんだぜ。覚えとけ」
「振られたって…。ブラッドは別にフラれたわけじゃなくて、死なれたんだろ」
「だからだよ。そんときは確かに辛くて忘れられないって思うだろうよ。けど死んだ人間をどんなに好きでも、時間が過ぎればその気持ちは薄れていく。良くも悪くもな。俺たちは忘れるからどんなに辛い時があっても、生きてけるように出来てる。俺の親父が死んだとき、おまえは大泣きしたけど今はもうけろっとしてるだろ?」
「うん。それは、まあ…。昔のことだし」
「生きてブラッドのそばにいるのは、おまえなんだって思い知らせてやるんだよ。いいな?」
グレンはにやりと笑ってロビンの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
「ん…うん。やってみる」
ぐしゃぐしゃになった頭を撫でつけながらロビンが素直にうなずいた。
「教会へ行くって言ってたぜ」
「え?」
グレンは2つしかないベッドの上に寝転がった。
「死んだ女のことなんか、さっさと忘れりゃいいのにな。触れるのは生きてる女だけだってのに。女神に祈りを捧げるんだって。遅くなるなよ」
「うん。ありがとう、兄貴」
ロビンは部屋を飛び出して行った。
「難儀なやつを選んだもんだな。相手は強敵だぞ、ロビン」
ぼそりとつぶやいたグレンはコインの裏表で負けてソファに寝るはめになったので、イヴァンたちがいない間にベッドに横になることにした。
宿屋のおかみに教会への場所を聞いて、ロビンは村の中を走った。店もそれほど多くなく、目立つ建物もあまりないので教会の場所はすぐわかった。ニワトリが一羽その上を飛んでいた。
五芒星を円で囲んだモチーフを飾った教会は、だいぶ古びてあちこちひびが入っていて修繕が必要なようだった。壁も塗り直したほうがよさそうだが、手をつけないのは余裕がないのだろう。ロビンはそっと教会のドアを開けた。
聖堂の中は古びてはいたが、きれいに手入れされているようだった。女神像はやさしく手を差し伸べて微笑んでいる。埃もなく汚れもきれいに拭かれているのがわかった。
中には老婦人が一人と、まだ赤い髪をしているブラッドが座っていた。
ロビンは声をかけようか隣に座ろうか迷い、結局ブラッドの後ろの椅子に腰かけた。斜め後ろから見る彼はじっと女神像をみつめているようだった。
セシリアのことを思っているのだろう、とロビンは思った。修道女だったという彼女は、とても美しい人だった。眠っているような死に顔を見ただけで、美しい人だったのがわかる。
ロビンは自分の白い前髪とオレンジの後ろの髪を引っ張った。髪を伸ばそうか。セシリアは長いきれいな金髪だった。瞳を開いたら、どんな感じなんだろう。どんな声をしているのだろう。自分よりずっと年上みたいだったけど。
どれだけ彼女はブラッドと一緒にいたんだろう。どんな話をしたんだろう。どんな思い出があるんだろう。
不意にブラッドが椅子から立ち上がった。ロビンは思わず身を低くして椅子の影に隠れる。ブラッドはそのまま教会を出て行くので、ロビンも慌てて追いかけた。
「え、えっと…」
ブラッドがどっちへ行ったのかきょろきょろと見渡し、村の外れへ歩いていくのが見えた。ロビンは急いで走ってブラッドの後をつける。
どんどん歩いていくブラッドの足は速く、ロビンは駆け足で追いかけなければ間に合わなくなった。
「ま…待ってくれよ!」
とうとうこらえきれずに、ロビンは叫んだ。ブラッドは足を止めた。
「…なんだよ?」
驚いた様子もなく、ロビンを振り返った。
「う…ど、どこ行くんだよ」
「どこでもいいだろ」
「よくない!」
「子供じゃねえんだから…」
ブラッドは面倒くさそうにため息を吐いた。
「ひ、一人になるなよ! 心配するだろ!」
「なんでだよ」
「な、なんでって…」
「俺がセシリアの後を追ったりするとか?」
皮肉気に笑うブラッドに、ロビンはぐっと言葉に詰まった。握りこぶしをつくる。
「そ、その、えっと…」
「心配すんな。そんなこと、セシリアは望んだりしない。俺もそれほど馬鹿じゃないし。早く宿屋へ戻れよ」
「いやだ! 俺も一緒に行く!」
「…なんでだよ」
ブラッドは今度こそ面倒くさそうにロビンをにらみつけて、ため息を吐いた。
「帰れって言ってんだろ。一人にしてくれよ」
「うっ…そ、そうだ、髪!」
「髪?」
言われて、ブラッドは自分の髪を撫でる。
「俺がおまえの髪を黒に染め直してやる! だから一緒に帰ろうぜ!」
「あのな…」
「おまえが赤い髪なんて、きっとセシリアも嫌だよ! 黒に戻そうぜ!」
「ちょ、おまえ…」
ロビンはブラッドの腕を引っ張って駆け出した。ブラッドはその手を振り払い、自分の髪を撫でる。
「わかった。髪は黒に戻す。染料を買いに行くからおまえは先に戻ってろ」
「じゃあ、俺も一緒に行く」
ロビンが食い下がるので、ブラッドは「勝手にしろ」と言って歩き出した。ロビンも急いでついていく。雑貨屋で売っている黒に染める染料を買って二人は宿屋へ戻った。
ロビンは「黒のほうがいいよ。似合ってる」と話しかけたが、ブラッドは生返事を返すだけだった。