セシリア(4)
「セシリアは歌が上手ねえ」
亡くなった母親は、よくそうやってセシリアが歌うとほめてくれた。それが嬉しくて、セシリアは両親の前でよく歌った。母親も歌がうまかったから、セシリアはそれを受け継いだのだろう。
教会へ来てからは修道女のサラが教会のパイプオルガンを弾いて讃美歌を孤児たちに教えてくれた。孤児たちはまじめに歌うものもいれば、適当に手を抜いて歌う子もいた。
「ロジャー。ちゃんと歌いなさい」
「讃美歌ってつまんないよ」
ロジャーは口を尖らせた。
「最近流行りの歌のほうがいい」
「しってる! いけ、われらのぐんよ! てきをけちらせ、われらがせいぎ!」
「いけいけ! かつのはレスタントだ!」
「もう…。軍歌なんて、どこで聞くのかしら」
サラはため息を吐いた。
「みんな街の中で歌ってるのを聞くんだよ。軍人が大勢いるし」
「そうなのね…。でも、今は讃美歌の時間よ。さあみんな、続きを…」
「やだ! 軍歌がいい!」
「そうだ、讃美歌なんて誰も聞いてない!」
「そんなこと…」
女神よ 我らをつくりたもうた母なる女神よ
今も我らを見守られ ここにおわします女神よ
我は思う ここにいられる幸福を あなたがおられるから我らは人を愛すものとして生まれた
愛する人にめぐりあえたことに感謝を 女神に感謝を
女神教の讃美歌7番を歌ったのは、セシリアだった。みんな、ぽかんとしてセシリアを見ている。それに気づいたセシリアは、顔を赤くしてサラの後ろに隠れた。
「セシリアは、歌が上手なのね」
サラは自分の後ろへ隠れたセシリアの頭をなでる。
「わ、私、讃美歌が好きだから…」
思わず目立ってしまったことにもじもじしながらセシリアは小声で言う。
「みんな、讃美歌っていいでしょう。セシリアみたいに上手になるまで練習しましょうね」
「ちぇ…」
「しょうがないなあ」
「じゃあ少しだけ」
ぶつぶつ言いながら、みんなは練習を再開する。
「セシリア、みんなのところへ戻りなさい」
「はい…」
セシリアがみんなの並んでいるところへ戻ると、ブラッドが呆けたようにセシリアをみつめている。
「…どうしたの?」
「あ…いや」
ブラッドはぷいと顔をそむける。
「なんでもねえよ」
男の子ってよくわからないわ。セシリアはふう、と息を吐いた。
何故今になって、こんなに子供の頃のことを思い出すのだろう。
ざわつく裁判所の中で、セシリアは一人証言台の前に立たされていた。弁護士は形だけのもので、セシリアが何を言ってもまともに話をする気もなかった。ライアンは検察官の証人側に座っていた。シアンは弁護人側にいる。それだけがセシリアの心の支えだった。
…落ち着いて。私は真実を言うだけ。
傍聴人たちの視線が痛いほど背中にささるのを感じながら、裁判官がセシリアの正面に座り「静粛に」と告げた。
「セシリア・モード・パーカー。あなたは今回の裁判において、女神の名において真実のみを告げることを誓いますか?」
「誓います」
裁判官の問いかけに、セシリアは緊張に震える心を叱咤して答えた。ペンダントをぎゅっと握りしめる。
ライアン枢機卿はそんなセシリアを見てせせら笑っていた。
「それでは、審議を」
裁判官がそういうと、検察官は椅子から立ち上がってセシリアの前に歩み出た。
「では、審議を始めます。パーカーさん。あなたは国王陛下を暗殺した反逆者ジョージと面識がありますね?」
すでにラスティ様は反逆者扱いなのか…。セシリアは歯噛みした。クラークたちが信じている彼が陛下を暗殺するわけがない。
「あります」
セシリアは正直に答えた。ラスティが教会へ何度か訪れたのは事実だ。
「あなたは戦争で両親を失い、教会で育った。そうですね?」
「はい。そうです」
その質問が今、何の関係があるのだろう。セシリアは疑問に思いながら答える。
「自分をその境遇に追いやった陛下に不満を抱いたことは?」
「…ありません」
そういうことか。とセシリアは理解した。国王に不満を持っていたことで、ラスティを唆したと誘導したいのだろう。
「何故ですか?」
「それは…戦争で人が亡くなるのは仕方ないことです。両親が亡くなったのは私だけではありません。教会で孤児たちと兄弟のように司祭さまに育てていただきました。感謝こそすれ、不満などありません」
「なるほど。いや、それはおかしいですね」
検察官はとんとんと証言台をたたいた。
「両親が戦争のせいでなくなったのに、まったく不満を感じていないと?」
「っ…それは、確かに両親がいなくなったことは、悲しいことです。ですが、国王陛下がそうなさったわけではありません」
「お聞きになりましたか、みなさん!」
検察官は傍聴人に向けて言い放った。
「直に国王陛下が手を下されたなら、この女は復讐するつもりだったのですよ!」
「!? ち、違います、私は…」
「なんて恐ろしい! 司祭さま、こんな女を修道女として女神さまに仕えさせていたのですか!?」
「誤解です、曲解です! 私は復讐なんて考えていません!」
「静粛に」
裁判官が冷静に言う。
「司祭、シアン。あなたは彼女をどのように見ていましたか?」
「はい」
シアンはその場に椅子から立ち上がり、「彼女は敬虔な女神教の信徒です。修道女として日々の務めに邁進し、復讐など微塵も思わせるような素振りはありませんでした」と平静を装って告げる。
「だそうです。検察官」
裁判官がそう言うと、検察官はさもありなんとうなずいてみせた。
「復讐というものは、誰にも気づかれずにやらなければなりません。なんでも、あなたは今亡命している超獣使いともなじみがあるそうですね」
「それが何か…」
「彼女に国王陛下に対しての陰口や不平不満などを聞かせたことは?」
「そんなことはありません」
セシリアは彼の目を見て正直に言った。
「超獣使いは国王陛下暗殺未遂男をかばったことがありましたね。あなたはそれを見て、絶好の機会が訪れたと考えたのでは?」
「考えたことなどありません!」
まったく予想もしていなかった問いに、セシリアは必死で否定する。
「超獣使いとジョージを使えば、あなたの復讐はとげられると思ったことは?」
「いいえ、ありません!」
「いや、そんなはずはない」
ライアンは片手を挙げて発言した。
「どういうことですか?」
「発言をよろしいですかな? 裁判長」
「裁判に関わることでしたら、許しましょう」
「ありがとうございます」
ライアンは椅子から立ち上がった。
「実はジョージ殿下から私は壁をなくしたいという思想を直にお聞きしたのですよ」
「…それが何か?」
「あなたは貧民街にも司祭と一緒によく足を運んでいたそうですね」
「ええ…」
セシリアは鼓動が早くなるのを感じた。
「貧民街の子供たちへ同情的だったそうですね。国王陛下の体制に疑問をお持ちだったのでは?」
「いいえ」
「ジョージ殿下に壁をなくすことが素晴らしいことだと持ちかけたのでは?」
「そんなことはありません」
「ふうむ…。それはおかしいですね」
ライアン枢機卿は髭を撫でる。
「では、何故私とシモンズ伯爵の話を盗み聞きしていらっしゃったのですか?」
「そ、それは…」
セシリアはここでその話を持ってこられるとは思わなかったので、少々面食らった。
「私はラスティ様の無実を信じていました。だから、ライアン枢機卿とシモンズ伯爵が国王陛下暗殺に関わっているのではないかと思い、話を聞いていたのです…」
もうここまで話すしかセシリアには思いつかなかった。
「ほう。私とシモンズ伯爵が国王陛下暗殺に関わっていると思っておいでか。それは何故です?」
「それは…」
セシリアは言い淀んだ。証拠はニワトリに聞かせた証言だけだ。今この場では、呼び出すこともできない。
「…あなたたちが、そうおっしゃっているのを聞きました」
傍聴人たちがざわついた。裁判官たちも顔を見合わせたが、ライアン枢機卿は笑みを崩さなかった。
「自分が助かりたいために、そのような戯言を」
「証拠ならあります」
セシリアがぎゅっと胸元の女神教のペンダントをつかんで言った。
「私はあなた方がおっしゃったことを、ニワトリに聞かせていました」
さらに傍聴人がざわついた。
「では、この場に呼び出すといい」
「…それは」
セシリアは俯いた。
「…できません」
「ふん。やはり証拠などないのだろう」
「呼び出したら、あなた方がニワトリを始末するからです」
「我々がそんなことをする必要があると? それこそ濡れ衣というものですよ」
ライアン枢機卿は鼻をならした。
「お聞きの皆様方。もうおわかりでしょう」
検察官が話を続ける。ライアン枢機卿は椅子に座った。
「この女は自分の罪を逃れるため、ライアン枢機卿とシモンズ伯爵に罪をなすりつけようとしたのです。どちらに正義があるのかは、自明の理です」
「私は国王陛下の暗殺に関わってなどおりませんし、彼らに罪をなすりつけようとなどしておりません」
セシリアは堂々と言った。その様子が逆に裁判官たちを迷わせたようだった。
その後、弁護人がセシリアにいくつか質問をしたが、ラスティ殿下とのつながりはどんなものだったかという検察官の質問を重複させる意味のないものばかりだった。
「最後になりますが、何か言うことは?」
「私は無実です」
裁判長に言われ、セシリアはきっぱりと言い放った。
「…わかりました。審議は明日に持ち越します」
裁判長にそう言われ、セシリアは独房へ戻ることになった。一人きりの独房で、震えが止まらなかった。
明日になればおそらく、セシリアは罪状を申し渡されるだろう。どうすればあのときのニワトリを呼び出して、ライアンの罪を明らかにできるだろうか。独房から出られないセシリアには、難しいことだった。