魔法の代償
ゴードンはジェシカに親しげに話しかけていて、マイケルは黙って子供たちを見ている。ブラッドはゆっくりとゴードンに近づいた。
「大変な目に遭われたそうですね」
「ああ、あなたは軍人さんですか?」
「ええ、そうです。俺たちがふがいないばかりに申し訳ありません」
「戦争ですからね。仕方ないですよ」
ブラッドとゴードンは笑顔で会話を続ける。マイケルはそれを見ながら、一人の少年のそばへ歩み寄った。ジャックに手を伸ばしたところで、一葉がジャックの肩を抱き寄せた。
「君、ジャックっていうんでしょ? 私のこと、覚えてる?」
「………」
ジャックは驚いて一葉を見上げた。マイケルは伸ばした手を腰元にゆっくりと戻してから、短剣を抜いて一葉に向けた。
「ブラッド!」
一葉が叫ぶのと同時に、いぬくんがマイケルに炎を吐き、ブラッドは剣を抜いてゴードンに斬りかかったが、予想されていたらしく後ろへ回避された。マイケルも飛びのいていぬくんの炎を避けた。
「みんな! 教会へ逃げろ!」
「いやあああ!」
「助けて!」
「シアンー!」
ブラッドの叫びにジェシカと子供たちは悲鳴をあげて教会の中へ走っていく。ただ一葉のそばにいたジャックだけが取り残されてその場にいた。
「ジャック、君も逃げて」
「………」
一葉にそう言われても、ジャックは動かないままだ。ゴードンとブラッドはにらみあい、マイケルは一葉の足元のいぬくんを注視している
。
「その娘が超獣使いか」
「おまえら、何者だ? 誰の命令で今回の騒ぎを起こした?」
「言うと思うか?」
「…そうだな。言う気にさせるまでだ」
ブラッドが剣をふるうと、ゴードンはナイフで応戦した。長剣と短剣ではリーチが違うので懐に入られては厄介だと、ブラッドはできるだけ間合いを取る。
「どけ、娘」
「この子に何するつもり?」
「何も」
「うそだ」
一葉はマイケルからジャックを引き離そうとじりじりと下がる。マイケルは再びこちらへ近づこうとしたが、いぬくんがそのたびに炎を吐くので距離を縮められずにいた。
「…仕方ない」
マイケルは突然、ナイフを一葉のほうへ放り投げた。なんでそんなことをしたのか。一瞬、面食らった一葉のそばからジャックがそれを拾い上げた。そしてすぐに一葉へ向き直る。
「…おまえは目障りだ」
しゃべれたのか、この子。
そう一葉が思った瞬間、いぬくんが向かってくるマイケルに炎を吐いていて、こっちに間に合わないのがわかった。ブラッドも気づいてこっちへ振り向いたが、間に合わない。
ジャックに刺される。私、やばいかも。でも、このまま死ねない。ほんの一瞬の間にさまざまなことが頭の中をよぎり、一葉は右手をあげた。そしてこう言った。
「切り裂け風よ、ウィング・エッジ!」
一葉がそう叫ぶと、風の刃がジャックの顔と腕をかすめた。
「ジャック!」
「兄さん!」
ゴードンとマイケルがジャックに駆け寄る。
「かすり傷だ」とジャックは傷口を押える。かすかに血がにじんでいた。
「一葉、無事か」
「くるるる」
ブラッドといぬくんは一葉のもとへ走った。
「退くぞ。マイケル」
「はい。…サラマンダーよ、我との契約に従い、その姿を現せ」
マイケルの呼び声に、突如巨大な火トカゲ(サラマンダー)が現れた。教会の2階までありそうな背丈だ。ブラッドが近づこうとするのをサラマンダーの吐く炎をで遮り、彼らはサラマンダーの背に乗ってすぐに教会から飛び去った。
「くそ…あいつ、召喚士か」
ブラッドは忌々し気に飛んでいくサラマンダーを見上げた。召喚士ではないブラッドには追いかけることは無理な話だ。
「くるくる」いぬくんが心配そうに一葉にすり寄る。
「大丈夫か、おまえ、魔法使えたのか?」
ブラッドは思い出したように一葉に声をかける。
「…私の力じゃないよ。ある人の力を、借りただけ。でも、ちょっと…」
一葉はがくりと膝をついた。ひどい頭痛がして、立っていられないのだ。体の震えが止まらない。
「どうした?」
「…しんどい」
心配して支えてくれるブラッドに、一葉は意識を失って体を預けた。名前を呼ばれた気がするが、後のことは覚えていない。
「これはスペンサー将軍の失態ではないでしょうか」
国王の前で、枢機卿は恭しく礼をとった。国王の私室に入ることが許された数少ない人物の一人だ。
「はは、クラークの? この程度のことで大げさな。ライアン枢機卿は考えすぎだよ」
国王は鷹揚に笑ってライアン枢機卿をなだめる。
「しかし、陛下を暗殺未遂に追い込んだものたちの一味が捕らえられなかったのですよ。明らかに失態です」
「私はそうは思わないよ。クラーク以外のものであっても、彼らは捕らえられなかったであろう。召喚士だとは予想していなかったからね」
さきほどから黙り込んで後ろに控えているクラークに国王は視線を向ける。
「そもそも王都の管轄は、ヒースコートの役割だろう」
「ですが、今回おそばにいたのはスペンサー将軍です。超獣使いの娘も役に立たなかったというわけではないですか。おまけに、あの娘は陛下を暗殺しようとした逆賊をかばいだてしたんですよ。もしかすると、一味となにかつながりがあるのかもしれません」
「あの娘は、そのような機転のきくものではありません。枢機卿は気をまわされすぎですよ」
ライアン枢機卿の言葉に、クラークはようやく口を開いた。
「口ではなんとでも言えるでしょう。私は陛下の御身を心配して…」
「枢機卿が私を心配してくれていることは、重々承知しているよ。だが、私は今このように無事でいるからね。あの超獣使いの娘は私に客人として扱えと言ったんだ。私を敵に回す利益はない。マーティンを裁判にかけて、真実を女神さまの前で話すことを期待しよう。…どちらにしても、あの者の行く末は決まっているのだから」
「…陛下がそうおっしゃるなら…」
「私も異存はありません」
露骨に不満げなライアン枢機卿とクラークは、一礼して国王の自室を去った。
「これで済むとお思いか?」
廊下を進む中で、ライアン枢機卿がクラークに小声で話す。
「私をクリバチ祭りの警護にご推薦くださったのは、ライアン枢機卿だとか」
クラークに微笑んで言われ、ライアン枢機卿は眉根をあげた。
「それは貴殿を信頼してのこと。ですが、このような状況をつくられるとは失望しましたね」
「犯人は捕らえますよ」
「貴殿に捕らえられるといいがな」
皮肉交じりにそう言って、ライアン枢機卿はクラークと別れて歩き出す。クラークは彼の行く先を見送ってから、城の軍師の部屋へ向かう。
「悪い。逃がした…」
「ブラッドのせいじゃないよ。仕方ない。こういう場合」
イヴァンの部屋で肩を落とすブラッドをイヴァンが慰める。
「ワイバーンで捜索隊をつくって探させたが、近隣にはいなかったようだ。森に潜伏しているか、ほかの街へ行ったか…。どのみち、しばらく王都へはこないだろう」
「そうそう。自分たちの身の安全を考えればね」
「逃げてくれたほうが幸いだ。サラマンダーなら教会を燃やすことだってできたはずだからな」
「そうだよ。街に犠牲者が出なくてよかった」
「…そうだな」
クラークの言葉にイヴァンも賛同し、ブラッドはようやく納得したようにうなずいた。
「意外なことに、3人の中の頭は子供のほうだったみたいだ。あの子供を兄さんと呼んでたのは、どういうことなんだか…」
「…もしかすると、見た目で判断すると痛い目に遭うのかもしれないな」
クラークは自分のあごを撫でながら、窓のほうを見た。日はだいぶ落ちて、茜色になっている。
「しかし、一葉が魔法を使ったとは意外だ。魔素も知らなかったし魔法は使えないと言っていたが…」
「超獣使いって魔法も使えるものなのか?」
「いや…」イヴァンが本をめくりながら「異世界からくる超獣使いは魔法を使えないから超獣を使役する、という文献しか残ってないね」と肩をすくめた。
「そのおかげで連中が去ったのだから、よしとするか。一葉が気づかなかったら、その子供を連れてすぐ逃げるつもりだったんだろうが…」
クラークは茜色の空を眺めて目を細める。
「いろいろな手を使ってくるねえ。被害がこの程度だからいいけど…。マーティンが予定通りの結果にならなかったせいかな」
「やっぱりライアン枢機卿の仕業か?」
ブラッドの質問に「おそらくね」とイヴァンは笑った。
「ただ、証拠としては何もないからトカゲのしっぽ切にはなるだろうね。今のところアシュリーからロス男爵の小間使いと連絡をとったというくらいしか裏が取れていない」
「相変わらず仕事が早いな」
「やるなあ、イヴァン」
苦笑するクラークと感心するブラッドに「当然でしょ」とイヴァンは紅茶の入ったティーカップを持ち上げた。
「それ以上は難しいか」
「たぶんね。黒幕であるライアン枢機卿のところまではいかないだろうね」
そう言ってイヴァンはゆっくりと紅茶を味わう。
「今回は一葉に罪を着せようとしたが、陛下のほうが上手だったな」
「自分の駒にできない超獣使いを排除しようとしたのわけか。一葉を向こうの味方に引き入れるのは難しそうだしね」
「ラスティ様の派閥の我々を排除したいのだろうが…そうはさせない」
クラークはブラッドとイヴァンに静かに告げる。
「次の国王は、ジョージ・ラスティ殿下だ」
「!」
一葉が目を覚ましたのは、クラークの屋敷のいつもの寝室だった。あたりはすでに暗かった。身体を起こすと、なんとなくだるい。いつの間にかパジャマに着替えさせられている。ベッドの下にはいぬくんが丸くなっていて、一葉が起きたのに気づくと「くるるる」と鳴いた。一葉は枕元のメガネをかける。
「心配かけたね」
「くるくる」
一葉がいぬくんを撫でると、嬉しそうに鳴いた。
一葉はベッドから出て部屋の明かりをつけた。スイッチ一つでつくそれは、仕組みはわからないが精霊の力なのだろう。
そんなことを考えていると、ドアがノックされる音がした。
「一葉さま、起きてらっしゃいますか?」
「メアリアン? 起きてるよ」
「よかった。気が付いたんですね」
メアリアンは笑顔でドアを開けて中へ入ってきた。
「お身体は?」
「もう大丈夫」
「ブラッド様がいきなり倒れたって一葉さまを運んできてくれたんですよ。ご主人様も心配してます。お腹は空いてませんか?」
「あー、ちょっと…減ってるかな」
「今準備してもらいますね。ご主人様にもお知らせしますから」
「うん。ありがとう…」
メアリアンはいそいそと部屋を出て行った。一葉はいぬくんを抱いて、ベッドに腰を下ろす。
「副反応ってこういうことか…。あいつ、ちゃんと教えてくれればいいのに」
一葉が不満げにともらすと、再びドアがノックされた。「一葉、起きてるか?」とクラークの声がした。
「起きてるよ。…どうぞ」
「失礼する。…大丈夫か?」
クラークが部屋の中へ入ってきて、心配そうに一葉のそばにきて様子をうかがった。
「メアリアンが、一葉が起きたと教えてくれた」
「うん。迷惑かけてごめんね。…おじさんを利用した犯人も、逃がしちゃったし」
「ああ…それは、仕方ないことだ。まさかあの少年も一味だったとはな」
クラークは息を吐いて一葉の隣に腰を下ろした。
「うん。ただのくちのきけない男の子だと思ってたから、びっくりした」
「本当にな。だがこれでいくつかわかってことがある。一葉のおかげだ」
「そうなの?」
「そうだ。礼を言うよ。…ところで、ブラッドは一葉が魔法を使ったと言っていたが。魔法は使えないんじゃなかったか?」
「ああ…うん」
一葉はばつが悪そうに視線をそらした。
「あれは青の賢者との契約で、ちょっと力を借りてるだけなんだ。私自身が魔法を使えるわけじゃない」
「力を借りている?」
「うん。だから、私に魔法が使えるとは思わないで」
一葉は胸の中のいぬくんの頭を撫でる。クラークはそれを見ながら一葉に問う。
「そうか。…今日は驚いたろう。今まで一葉はそんな目に遭ったことがないようだから。それでも、超獣使いの役目を続けたいか?」
「もちろん」
クラークの問いに、一葉は即答した。
「だって超獣には、私の願いを叶えてもらわなくちゃいけないんだから」