アーウィンの誘惑
隣で話を聞いていた老夫婦らしいの夫のほうが割って入ってきた。一葉はアーウィンに尋ねる。
「そうなの?」
「ばらされちゃったなあ。そうですよ」
アーウィンはさして残念そうでもなく笑う。
「有名な話ですね。父殺しの予言をされて、本当に実行して王になった男だと」
「…そうなんですか」
そんなこと誰も教えてくれなかったな、と一葉は思ったが、もしかしたらはばかられることなので、誰も話さないのかもしれないと思い至った。
「それで今に至るのがオスカー様というわけだよ。少しは参考になったかな?」
「ならないよ。強い人だってわかっただけじゃん」
一葉は肩をすくめた。
「いろんなことを乗り越えてきた方だからね」
「女好きなのもずっと閉じ込められてたその反動?」
「コルディア国王は色好みでも有名ですからな」
老人は愉快そうに笑った。
停車場にとまると、「ここで降りよう」とアーウィンが言うので一葉も馬車を降りた。他の人たちも一斉に馬車を降りる。
「わあ…!」
周りの景色に一葉は声をあげた。結構高いところまで来たようだ。小高い丘で街が一望できる。白く雪が積もった景色は幻想的だ。国会議事堂も雪が積もっていた。
「きれいだね」
「ここはとても景色がいいって聞いてね」
「へえ…」
一葉はいぬくんを抱き上げる。ふと、周りを見て気づいた。おかしい。何故、全員馬車から降りて、誰もここから移動しないのか。
「どうしたの? 一葉」
アーウィンは一葉に手を伸ばす。
「あの…みんな、ここから動かないね」
「ああ、それは…」
アーウィンは一葉を正面から抱きしめた。一葉は驚きのあまり硬直する。
「一葉をどこにも行かせないためだよ」
「----!」
一葉はアーウィンから離れようとしたが、力では敵わない。アーウィンの肩越しに、クラークが剣を抜いて突進してくるのが見えた。
「クラーク!」
周りにいた男女がマントを脱ぎ払い、6人が一斉にクラークに襲い掛かる。年老いた夫婦だと思っていたのは、彼らの変装だったようだ。機敏な動きで剣と魔法をふるった。
「やめて、アーウィン、やめさせて!」
「だめだよ。彼らには時間を稼いでもらうんだから」
アーウィンは一葉の腕をつかんで走り出した。一葉は腕を振り払おうとしたが、びくともしない。引きずられるように山道を走っていく。いぬくんは一葉を追いかけて走る。なんとか振り返ると、クラークは次々と6人の戦士と魔法使いを倒しているように見えた。
「はあ、はあ、はあっ…」
白い息を吐きながら、一葉は戻りたい思いでアーウィンに声をかける。山道を雪を踏みしめなら木が多くなってきた場所に出た。
「アーウィン、待って、お願い、はあ、はあ…」
「…そうだね。そろそろいいかな」
アーウィンは一葉の手を放した。
「どう、して…」
「君が来るなら、必ずポーター少尉かスペンサー将軍が来るものとにらんでいたけど、どうやら当たりを引いたようだったね。まさか将軍が来るとは」
「なんで…」
「…それはこちらの台詞だよ。何故、超獣使いであることを黙っているの?」
一葉は大きく目を見開いた。やはり、気づかれていたのか。どうして。いつから。
「何、言ってるの?」
一葉は必死で取り繕おうとした。
「私じゃなくてみちるだよ。超獣使いは」
「彼女は確かに異世界の人間かもしれない。でも、本物は君だよね。一葉」
「…違うよ」
「まだ嘘を吐くの?」
アーウィンは嘆息した。
「君がいつも連れているのは、超獣だろう?」
一葉は足元のいぬくんを見る。静かにかぶりを振った。
「…違う」
「残念だ。私には本当のことを言ってもらえないんだね」
「…いつから?」
とうとう一葉は観念して問いかける。
「初めて会った時から。ポーター少尉とスペンサー将軍が血相変えて君を探しに来ただろう。おそらくそうだろうとは思っていたけど、まさか超獣を連れずに我が国へ現れるとは君の度胸の良さに感服したよ。何か理由があるんだろうけど…。レスタントとの交戦中も、一人の死者も出さなかったのは見事だった。君の仕業だと確信したよ」
一葉は奥歯を噛み締めた。
「…私を殺すの?」
「まさか。そんなことはしない」
アーウィンはやさしく微笑んで、一葉を包み込むように抱きしめた。
「一緒にコルディアにおいで。みちるも待ってるよ。オスカー様も君が敵に回らなければ危害を加えたりしない」
「…アーウィン」
「それは丁重にお断りさせてもらおう」
一葉ははっとして振り返る。クラークが白い息を吐きながら剣を握ってこちらに歩いてきた。
「まだ速いですよ、来るのが」
「見くびってもらっては困るな。金で雇った連中だろう。ケガ一つや二つ負わせたらさっさと逃げ出した」
「やれやれ…。支払った報酬に見合うだけの働きをしてほしいものですね」
アーウィンは肩をすくめた。
「一葉を返してもらおうか」
「人が女性を口説いている最中に割って入るとは、無粋なことをしますね。こちらも丁重にお断りさせていただきますよ」
「待ってアーウィン、私は一緒に行けない」
一葉はアーウィンから離れた。
「何故?」
「私はラスティを王様にしなくちゃいけないの」
一葉は強い意思を持って言った。
「ジョージ殿下をね。それは、オスカー様になら実現できるかもしれないよ?」
「どういうことだ?」
クラークは訝し気にアーウィンをにらむ。
「オスカー様はレスタントの重要人物とつながりを持っているからね。やりようでは、彼の冤罪を晴らして王位につけることも可能なはずだ」
「…ライアン枢機卿か」
クラークが言うと、「さすがはスペンサー将軍」とアーウィンはうなずいた。
「私がコルディアに行けば、ラスティは王様になれるの?」
「一葉!」
クラークが叫んだ。
「そんなうまい話があるはずない。そいつの言うことは信用するな」
「人の邪魔をしないでもらいたいですね。あなたには退場してもらいましょう」
アーウィンが右手をあげるのと同時に、クラークが魔剣を振るって疾風を放つ。アーウィンは飛びのいてそれを避けて詠唱を始める。
「ゴーレムよ、我との契約に従い、その…」
詠唱が終わる前にクラークが突進してアーウィンに斬りかかる。
「くっ…」
アーウィンは必死でそれを避けて詠唱をやめて短剣を抜いた。召喚する暇などクラークに与えてもらえないのだ。
「クラーク、やめて! アーウィンにひどいことしないで!」
一葉は必死で叫んだが、クラークはそれを無視して剣を振るう。アーウィンは必死で短剣を振るうが、防戦一方だ。
どうしよう。このままじゃアーウィンが。いぬくんを…。でもどうやって止めればいい。二人に怪我なんかさせたくない。
一葉は大声を出した。
「二人とも、やめて! でないと、私は…」
一葉はじりじりと後ずさった。
「私はここから逃げる!」
「は?」
「え?」
二人に背を向けて一葉は雪の中を踏みしめて走り出す。いぬくんも慌ててそれを追いかけた。