暗殺未遂
男が国王に短剣を振り上げるのと同時に、周りの兵士が即座に男を国王から剣で遠ざけて兵士で囲った。
「無礼者が!」
「国王に狼藉を働こうとするとは!」
「不届き者め!」
兵士に囲まれ、男は観念したようにそれ以上抵抗しようとはせず、その場に座ったまま国王をにらみ上げている。
「ブラッド」
「わかった」
クラークに呼ばれ、ブラッドは短く答えて男を取り囲んだ兵士を少し距離をおかせて剣を抜いて男に向ける。
「国王に危害を加えようとするものは死罪。知っているな?」
「…知ってるよ。好きにすればいい」
男は諦めたようにうなだれた。少年はじっとそれを見ている。周りの国民たちも、かたずをのんでそれを見守っている。
「いい覚悟だ。もっとも、そうでなければこんな真似はできないだろうけどな」
ブラッドが剣を振り上げた瞬間、「----待って! ブラッド」と男のブラッドの前に一人、割って入った人物がいた。
「おまえ…」とブラッド振り上げた剣を止めた。
「…こんなところで」とクラークがため息交じりにつぶやいた。
「なんてこと…」とセシリア。
「すごい度胸だねえ」とシアン。
「一葉さま…」とメアリアンが震えながらつぶやいた。この様子を見守っている民衆もざわついている。
誰もこんな場面に割って入る人間がいるとは思わなかったのだ。
「何してやがる。そこをどけ」
ブラッドは目の前に立ちはだかる一葉をにらみつけた。いぬくんが「ぐるるる」とうなって、一瞬ブラッドと一葉の間に小さな竜巻が発生してすぐに消えた。
「…これは」
国王は超獣の力に目を細めた。
「超獣の力を使って阻止するつもりか? おまえもただじゃなすまないぞ」
「…どかない。どいたら、この人を殺すつもりなんでしょ」
一葉は仁王立ちで両手を広げる。
「当たり前だ。重罪人だぞ。国王に刃を向けた」
「…でも、殺さないでほしい」
「はあ?」
ブラッドをにらみ返す一葉に、ブラッドはいらだったように声を荒げる。
「こいつは国王陛下に手を出そうとした。死んで当然だ。おまえのわがままは通用しない。お前の世界のことは知らないがここは異世界じゃないんだぞ」
「だったら、裁判にかけるべきだよ。ここは違うの? 司法の権限はないの? 人は人を簡単に殺しちゃダメなんだよ」
「…は?」
ブラッドの声が上がると、民衆が一瞬、静まり返った。
「それは異世界でもここでも、同じじゃないの?」
「…おまえな」
「わかってる。王様に危害を加えようとしたんだから、確実に有罪になるんでしょ。でも、この人だってこうしなきゃならない理由があったんだと思うから…」
「理由?」
「聞こうではないか」
国王は刃を向けられた相手に、「話してみなさい」とやさしく声をかけた。
「俺は…」言いかけて、男はナイフを地面においた。
「…俺は、何もかもなくして…ただ…俺の悔しさを、惨めさを、思い知らせてやろうと…」
そこまでいって、男は下を向いて黙り込んだ。もう自分がどうなるか、わかりきっているからだろう。
「おまえ、陛下が聞いてやるって言ってるのに…」
「この人、戦争で足を悪くして、奥さんもなくしたんだよ」一葉が代わりに説明する。
「ああ?」
それがなんだ、と言いたげにブラッドは露骨に顔を歪めた。
「そんな人間は大勢いる。こいつだけが特別じゃない。それが正当化されるなら、陛下は何人に殺されなきゃならないんだ」
「大勢いるから、我慢しろってことなの?」
「罪は罪だ。罪には罰が必要だ」
一葉の言葉に耳を貸す必要はないと言いたげに、ブラッドは剣を振り上げた。
「待っ…」
「ブラッド、待って」
声をかけてきたのは、いつもどおり笑みを浮かべたシアンだった。ゆったりとした足取りで国王のもとへ近づき、礼を取る。
「陛下。この者は、私が預かる教会に身を寄せていたものです。まさかこんな大それたことをするとは予想できず…。もしお慈悲をいただけるなら、この者の救済を私が引き受けたいと存じます」
「シアン…」
「…正気か?」
ブラッドの問いには答えず、シアンはただ国王に頭を下げている。国王もはふっと息を吐いた。
「国王に刃を向けたものを許せと?」
「女神はこう言っています。自分の罪を許せるものは、他人の罪を許せると」
国王はしばらく考えている。国民はかたずをのんで、それを見守った。
「無罪放免というわけにはいかないが、シアンに免じてこの者をこの場では殺さず、この者の話を聞くため後日裁判にかけることにしよう。その間は生きられるであろう。…それでよいかな?」
「感謝いたします」
シアンがそういうと、兵士たちは男をとらえて縛り上げた。少年も一緒に連れられそうになったが、「そいつは俺の息子じゃない。ただの口のきけないガキで、今回の作戦に使っただけだよ」と男はいった。
それが真実なのかどうかは定かではないが、少年も一度裁判にはかけられた後にシアンのもとへ預けられることになった。
国王はクラークに再三城へ戻るよう言われたがそれを聞かず、城下街の端まで街を見回してから城へ戻った。
「へえ、それは予想外だったけどうまくいったわけ」
クラークの話を聞きながら、イヴァンはチャセ将棋の駒を机の盤上で動かす。
「ああ。おそらくシアンか陛下がブラッドを止めるだろうとは思ったが、一葉が出てくるとは予想外だった」
クラークはチャセ将棋にはつきあわず、盤上の駒を撫でるだけだ。
「一葉が出てこなければ、あの男は裁判にかけられることもなくあの場で死罪。それを一葉がひっくり返した。陛下にも同情が集まり、簡単にあの男を抹殺しなかったことに国民も心が動いたことだろうよ」
「ひっかきかわしてくる娘だねえ。裁判に持ち込んでくれたのはいいけど」
紅茶を飲みながら、イヴァンはまた駒を動かす。
「そうだな。それまでの間に、黒幕が誰なのか聞き出せるかどうか…。口を割る可能性は低いが」
「一葉は命の恩人だから、あの娘を使えば何か聞き出せるんじゃない?」
イヴァンはにやりと笑うが「どうだろうな」とクラークは駒を指ではじく。
「あの男は最初から死ぬ気だった。誰に手引きされて王都へ入ってあんな行動をとったのか…。手がかりは少ないだろうな。だが、イヴァンの言うことにも一理ある」
「まあ、こっちでも調べてみるよ。あそこまで大立ち回りされて、将軍の威厳も丸つぶれじゃない」
「王都の警護の管轄はヒースコート将軍だ。私がそばにいたので形式上は戒告を受けたがな」
悪びれずに言うクラークに、イヴァンは「降格もなしとは相変わらず陛下にひいきされてるね」と笑った。
「だからクラークは妬まれるんだよ。どこかで刺されないように気を付けるんだね」
「そうするよ」
クラークは苦笑して紅茶を飲んだ。
「人は人を殺してはいけない、か…」
「何? 急に」
「一葉が言っていた。ブラッドからあの男をかばったとき。よほど平和な国で育ったんだろうな」
「ずいぶんな平和ボケした小娘だね。なんでそんなのが超獣使いになるんだか。女神さまの考えることはわからないね」
イヴァンは駒を指でなでると、立ち上がった。
「帰るよ。うちの妻が今日は施設から戻ってくるんだ」
「ああ…そんな時期か。よろしく言っておいてくれ」
「伝えるよ」
イヴァンは手を振って部屋から出て行った。
「…では、私も行くか」
駒を置くと、クラークも立ち上がった。
一葉はクラークの屋敷の部屋の中、ベッドの上に座り、ぎゅっと手を握った。そしてもう一度開く。その動作を何度も繰り返した。
「…やっぱり、怖いね」
「くるるる」
一葉の隣でいぬくんが鳴いた。微かに震えていたことを、いぬくんだけが知っていた。
「剣を持った人の前に立つって」
「何故あんなことを?」
一葉の後ろに背中合わせで座っているカインがそう尋ねる。
「だって…」
「あの男は、あなたがかばっても死ぬ運命ですよ」
「…でも」
一葉はいぬくんの背中を撫でる。
「人が死ぬところは見たくない」
「あなたの目の前で死ななくても、あとで死ぬのに?」
「…それでも、少しでも長く生きてくれるなら…」
「それはあなたの自己満足だ」
男にそう言われ、一葉は言葉に詰まった。震える腕をぎゅっと握りしめる。
「仕方ありませんね」
カインはぎゅっと後ろから一葉を抱きしめた。そのぬくもりに一葉の体の震えが少しずつ収まっていく。一葉は長い息を吐いた。
「ありがとう、もういいよ」
カインは一葉から手を放した。
「剣も見たことのない国で育ったのに、あんな無茶をするからです。もう二度とやらないことですね」
少しの沈黙の後、「それでもカイン、私は」と一葉は口を開く。
「一葉」と名が呼ばれると、部屋の扉がノックされた。
「はい、クラーク?」
「入ってもいいかな?」
「どうぞ」
クラークが扉を開けると、部屋の中には一葉といぬくんしかいなかった。
「…一葉だけか?」
「いぬくんもいるよ」
「それはそうだが…誰か、人と話していなかったか? 声が聞こえたような気がするんだが」
「私、いぬくんにいろいろ話しかけてたから」
「そうか?」なんだかごまかされたような気がするが、クラークはそれ以上追及しなかった。そして一葉の座るベッドに腰を下ろす。
「今日はずいぶん派手にやらかしてくれたな」
「あはは…。ごめんね」
「何を謝るんだ?」
申し訳なさそうに言う一葉に、クラークは首をひねる。
「だって…私、一応国王を殺そうとした相手をかばったわけでしょ。そうなると、本当は私もただじゃすまなかったのかと…」
「なるほど。意外と自分がわかってるんだな」
クラークが愉快そうに笑うので、一葉は口をへの字にした。
「これでも私、悪いと思って…」
「はは、そうか。だがあの男は最初から陛下を殺せるとは思っていなかっただろう。ただ、自分の辛さを思い知ってほしかっただけだ…そう自分でも言っていたじゃないか」
「うん。そうだけど…」
彼のこれからのことを思うと、一葉の胸に重しがのしかかった。
「それに、一葉は陛下の客人だ。陛下は一葉のことはお咎めなしだとおっしゃった」
「そうなの? いいの?」
「ああ。一葉の面倒は私に一任されている。だから特に気にすることはない」
「…うん。ありがとう」
複雑な表情で礼を言う一葉の髪をクラークはくしゃりと撫でた。
「もっとも、今後はもう少しおとなしくしてくれると私も助かるがな」
「…気をつけるよ」
「少しでも私にすまないと思うなら、私の頼まれごとを引き受けてくれるかな?」
「いいよ。私にできることなら。…何?」
「簡単なことだ」
クラークはやさしく微笑んだ。